073 第二章曜子16 芳縁
自らを歪めればいいと思っていた。理不尽だと思うなら、受け入れればいいと思っていた。怖くても、辛くても、受け入れればいいと思っていた。
だから、今日という日は冷えきっている。怖い夢を見ても独りぼっち。辛いことがあっても誰にも話せない。嫌いな嘘を吐き続けなくてはならない。
だって、誰にも歪んでほしくないから。
心も、体も、降り積もったものが溶けることなんてあってはならない。
だからこれ以上、踏み込んではならない。
……そう思っていたんだ。
海老原さんはゆっくり首を傾げる。突然の問い掛けに驚いたのか、それとも戸惑ったのか、俺を見つめる瞳は軽く見開かれていた。
「どうして俺なのかな?」
俺は再度、はっきりと訊く。
この時、俺は明らかに自分の興味を優先していた。これから海老原さんを傷付けてしまうのではないか、そう懸念していても止まらなかった。
彼女の真っ直ぐすぎる視線に混乱していたのか、彼女の秘密を暴こうだなんて明らかに俺らしくない。でも、俺はどうしても知りたかった。それほどまで不思議だったのだ。
「海老原さんって俺とだけしか目を合わせないよね? どうして俺だけなの?」
一人歩きした俺の思考は更に質問を重ねる。
「…………」
俺の更なる質問に対して海老原さんは微かに眉をひそめる。悪戯がばれてしまった子供みたいに、現実を突き付けられた時の俺みたいに。
見つめる、それはある種、彼女の他人に対するコミュニケーションの手段なのだろう。彼女でなくともそれは誰にでも当てはまると思う。
しかし、彼女は過剰すぎる。こればかりは自意識過剰でも何でもない、彼女が見つめるのは大した特徴も無い俺だけ、出合って一月半しか経っていない俺だけなんだ。
「……十八……優しいから……」
「それだけ?」
最低だ……これじゃまるで尋問じゃないか。しかし俺は止まらない。彼女の視線が逸れないように、俺もこの疑問が解消するまで止まりそうにない。
「……十八を、信じているから……」
「俺を……?」
「……うん……」
信じてる? ますます分からない。たった一ヶ月半という短い期間でどうして俺なんかをそこまで信頼できるんだ?
「……十八は……私を……どう思う……?」
「えっ?」
咄嗟の問い掛けに思考が急停止する。胸の鼓動だけはしっかり反応していた。
「……私……変でしょ……?」
???
「え、いや、変って……どこが?」
海老原さんはいきなり何を言い出すんだ? こんな時にまで勘違いしそうになった自分に苛つきながらも、頭の中は疑問符でいっぱいになった。
「……違うの……私は変なの……十八は、私の『声』……おかしいと思わないの……?」
「…………」
声。
そう言われてしまえば流石の俺だってすぐに察しは付く。
「おかしくなんかないよ。そりゃあ最初の頃は気になったけど、変ではないし、今だってそう言われなくちゃ忘れてた位だよ」
本当だ。確かに海老原さんの声は普通と少し違うと思う。嗄声というヤツなのだろうか、女の子にしては低すぎるしゃがれ声である。しかし、おかしいと思った事など一度も無い。
「……それ……」
言いながら海老原さんは安堵したように表情を穏やかにした。
「……それ、なの…………十八は……そう言ってくれる……私の声を……聞き取ってくれる……」
俺は彼女の言葉を理解しようと頭を廻らす。しかし、余りに予想外な話の展開に全くついて行けない。
「……私、喉の手術を、したの……声帯麻痺の、手術……」
言いながら彼女は首に巻いていたマフラーを緩める。露になった首筋、そこには、あまり目立つ訳ではないが手術痕らしきものがあった。俺は一ヶ月半もの間、全く気付かなかった。
半ば驚愕した俺は何も言う事が出来ない。ただ自分の浅はかさを心の中で嘆くことしか出来なかった。
「……局部麻酔だけ、して……意識がある、状態でする……手術…………自分の、声の調子を……合わせながら、する……手術…………自分の首を、切り開かれるのを……堪え続ける……手術……」
海老原さんの視線は俺の瞳に固定されたまま動かない。その海老原さんの瞳にはその時の状況を訴えるような恐怖に彩られている。
「……簡単な、手術……の、筈だった……」
もういい。
俺の心がそう叫ぼうとするが、俺の口は開かない。今の彼女を制する事が俺なんかに出来る筈がない。
「……手術は、失敗……通常なら、有り得ないこと……でも、私は……失敗だった……」
海老原さんは淡々と、無感情に語る。その様子は酷く痛々しい。
既に彼女の話のあらましを捉えた俺は激しい後悔と彼女への申し訳ない気持ちに押し潰されそうだった。彼女が俺に伝えたかった事は余りにも予想外で、衝撃的だった。
「……誰も、私の声を……聞き取れない……前の学校の、人たちも……今の学校の、人たちも……刹那は、ちょっと違った……けど、未だに……会話が、成立しない……」
確かに海老原さんの声は聞き取りづらい。絞り出すような掠れ声で、一言一言しゃべる度に呼吸を繰り越し、声量も凄く小さいと思う。
「……でも、十八は……違った……嬉しかった…………私の声を、聞き取ってくれるのは……十八だけ…………信じている……きっと、誰よりも……だから、私は……『視る』の……」
そこで海老原さんは大きく息を吐いて、小刻みに呼吸を繰り返した。
俺の瞳を捉えた視線は一度も逸れなかった。
「……嫌……だった……?」
俺はゆっくり首を振る。
「……うん……やっぱり、十八は……私を、安心させて……くれるの……」
海老原さんは言葉の通り、安堵したように、嬉しそうに、恥ずかしそうに微笑む。
「…………」
なんだよそれ。
俺と同じじゃないか……。
気が付けば俺は俯いていた。彼女から視線を逸らしていた。いや、彼女の視線に耐えられなかったのかもしれない。
能力障害が及ばなかった俺の聴力。昔から耳はいい方だったが、こんなものが残っても大して役に立たない……そう思っていたのに……。
俺は彼女の役に立てていた。俺にとってこんなに嬉しい事なんて無い。
しかし――。
『どんな事情があったのかわからないけど、俺からは訊かない。でも、海老原さんが俺に言いたいなら言えばいい。外野の言った事なんて気にしないで、海老原さんの言いたい時に言えばいい。今でも、明日でも、ずっと先でもいい。俺は待ってるから、海老原さんの言いたい時に言えばいいんだ』
俺は……裏切ってしまった……。
「……十八……気にしないで……今が、私の言いたい時……だから……」
ああ。
どうして君は。
そんな事を本人から言われてしまったら、俺は許されてしまうじゃないか……。
俺は顔を上げる。
半分しか映らない俺の視界の中心にいる海老原さん、当然のように俺を見つめていた。明らかに俺を気遣う表情で見つめていた。
左側に雄大に広がっている筈の夜景も、なんだかどうでもよくなってしまっていた。
視界の中心に映る海老原さんと彼女以外のカップルの人たちの事を冷静に眺めていた。
あ、二組向こうのカップルの人たちキスしてる。
「……じっと……してて……」
いつの間にか海老原さんと俺の距離が縮まっていた。俺の一瞬の隙を付いて接近するなんて凄いよ海老原さん。
じぃ〜〜
俺に視線を固定したまま背伸びをすると、彼女の右手が俺の頭を撫でた。いや、俺の髪を優しく梳いてくれた。
「……髪、ねこっ毛……細いし……左側だけ、跳ねてるの……」
俺の髪の左側、跳ねている部分を何度も手櫛で梳いてくれる海老原さん。しかし、俺の髪はぴょこぴょこと元に戻ってしまう。
「くせっ毛なんだ……それ……」
俺の髪の毛は何故か左側だけ跳ねてしまう。どんなに頑張ってセットしても元に戻ってしまう頑固ものだ。
海老原さんは少し残念そうな表情をすると、今度は俺の前髪を梳き始めた。
「……十八の前髪、長いの……人のこと、言えない……けど……」
言いながら海老原さんはクスリと笑う。
俺はなすがままだった。考える事が出来ない位に安心しきっていた。さっき訊いてしまった事すら忘れていた。やっぱり年上なんだなぁ、とか馬鹿な事だけを考えていた。
「…………」
海老原さんは俺の前髪を開いた状態でピタリと動きを止める。そして、空いている方の左手を俺の右頬にあてがった。
じぃ〜〜
海老原さんはそのままの状態で俺の瞳を見つめる。彼女の前髪越しの瞳に俺が映る位に俺たちは接近していた。あ、あ、さっきの人たち、またキスしてるよ。ちょっとは恥ずかしいとか思わんのかね、全く……。
「……ヘテロクロミア……」
……?
――!?
「――――!!」
俺は左目を慌てて隠す。頬にあてがわれていた海老原さんの手も振り払っていた。
「……と、十八……?」
びっくりしたような表情の海老原さんは先ほどよりも大きく目を見開く。周りにいるカップル達も何事かと注視を寄越した。
「あ……ご、ごめん海老原さん」
俺は左手で左目を抑えながら慌てて謝罪する。薄暗くて表情はわからないが、迷惑そうに注視する周りのカップル達にも会釈を繰り返す。
「……ごめんなさい……そんなに、驚くなんて……」
「いや……別に……」
そうは言うが俺は左目を隠したまま大きく動揺していた。
あれほど大きかった安心感は跡形も無く消え去り、大きな危機感に襲われていた。激しい動悸を整える呼吸が追い付かないと思う位に動揺していた。
自分の興味を優先していた俺、今度は自分の体裁を優先して狼狽えていた。
Heterochromia Iridis (ヘテロクロミア・イリディス)
医学用語では虹彩異色症。左右の目の虹彩の色が異なる、または一方の瞳の虹彩の一部が変色する症状。バイアイやオッドアイも症状を表す言葉として使われる事がある。
特に動物に見られる事の方が多く、人間の場合は極めて稀である。先天的な特徴として現れる他、病気や外傷による後天的な要因によって現れる場合もある。
俺はもちろん外傷による後天的なものだった。
雪。
短い冬だけのものだから綺麗なのだろうか、儚いものだから綺麗なのだろうか、風景に溶け込む自然現象だから綺麗なのだろうか。
雪は人々を魅了する。
その人のたった一度に刻み込まれる。
この雪もそんなものだったのだろうか……。
昼すぎに降り出していた雪は止んでいた。
「……落ち着いた……?」
「うん……」
雪化粧で真っ白になった街を見下ろしていた俺を気遣ってくれる海老原さん。
「ごめんね、海老原さん。……もう、誰もいなくなっちゃったね」
「……うん……」
雪が止んでからしばらく、星の雨が止んでからしばらく。
時刻は午後21時少し前。元々少なかったカップル達は次々とこの場を後にし、いつの間にか誰もいなくなってしまっていた。薄暗い蛍光灯の下には俺と海老原さんの二人だけが取り残されていた。
嫌に静かだった。もしかしたら、ショッピングモールの幾つかのお店は営業時間を終えてしまったのかもしれない。ここに来て随分と長い時間が経ってしまっているのだから当然だろう。そんなつもりなんてなかったけど既に後の祭り、俺のせいでたくさんの時間を無駄にした。俺は今日、彼女を振り回してばかりなんだ。
「俺さ……小学校六年生の時に、大怪我したんだ……」
俺は窓の外に語り掛けるように口を開く。間違いなく無意識だった。
この時、俺はどうかしていたのだと思う。
「……うん……」
海老原さんはしっかりとした相槌を返してくれた。
「一ヵ月ぐらい意識不明でさ、普通なら絶対に助からない位の大怪我だったんだ」
「…………うん……」
外を向いている俺は海老原さんがどんな表情をしているのかは分からない。でも、海老原さんは俺の横顔をしっかり見つめ、俺の為に表情を歪ませてくれているだろう。
「一ヵ月経って意識を取り戻した時、お医者さんもびっくりしていたよ。有り得ない、奇跡だってね。俺は目を覚ましちゃってさ、『こっち』に戻って来ちゃってさ……」
「…………」
俺は何を言っているんだろう……。あれほど頑に守り通してきたものをこんなにもあっさりと晒してしまうなんて……。
「……ごめん。こんな話つまんないかな? せっかくのクリスマスなのに暗くなっちゃうよね?」
「……聞きたい……」
自分の馬鹿さ加減に気が付いた俺が話を打ち切ろうとしたが、海老原さんははっきりとした声で俺の話を促した。
「……聞きたい……十八の、こと……もっと、知りたい……」
「…………」
わからない……わからないよ……遥、刹那……。
「…………全治不可能。それが俺の診断結果だったんだ。体の重要な機関のほとんどが駄目になっちゃってさ、お医者さんもどうして心臓が動いているのか分からないって言ってたよ」
「…………」
海老原さんの相槌は無い。しかし、彼女が短く息を飲んだのは分かった。
「でも、俺は退院した。半年掛かったけど、退院したんだ」
俺は若干昂揚してきた心に任せるまま振り返る。
目が合う。
当然だろう。もう彼女が俺を見つめる事に驚きはしない。でも、彼女の今にも泣きそうな表情には驚いた。俺の躊躇させるには充分なものだった。
「……その時の副産物がこの瞳、コレなんだ。はは……」
しかし、俺は自分の感情を誤魔化す為に己を晒す。そして、笑っていた。自分を嘲笑っていた。
「…………」
海老原さんの視線は俺の左目に固定されている。その瞳にはいつかの刹那を思わせるような、とても大きな憐憫の情で彩られている。
「……見えてない……?」
「…………」
もう俺は左目を隠さなかった。
「……視点は、合ってるけど……瞳孔が……全く、動いてない……」
気付いて当然なのかもしれない。彼女は誰よりも、きっと俺よりもこの瞳を見つめていたのだから。
視点を誤魔化す事は出来ても機能を誤魔化す事は出来なかったか。訓練したんだけどな……誰にも悟られないように。今も、毎朝……。
「……うん。俺の左目は……失明してるよ」
「……十八……」
俺は余りにもあっさりと自分を晒していた。
今だから思う。俺は彼女に、いや、誰かに知ってほしかったのかもしれない。
「気持ち悪いよね、コレ。黒と茶色だから、そんなに目立つ訳じゃないけどさ、明らかにキモいよね、はは……」
俺の瞳は右が生まれた時からの黒、左は五年前のあの時からの影響で黒みを帯びた赤黄色に変色している。近い色だから、それほど目立つ訳ではないが、よく観察すれば誰にでも分かる位のものだ。俺は失明を隠すというのもあり、俺自身が嫌悪している変色を隠す為に左目を前髪で隠していた。
「…………」
彼女は何も言わない。ただ俺の瞳を見つめている。
ヘテロクロミア、一般的にはオッドアイの方が有名かもしれないが、オッドアイには、変だ、おかしい、不思議だ、奇妙だ、などの意味があり、差別的な表現を踏まえていると言う人もいたらしい。しかし、その言葉が漫画やアニメなどで一般化してからはごく一般的な呼称として使用して触りは無いとされてきているのだと思う。
恐らく海老原さんは俺を気遣って前者を使ってくれたのだろう。
「ごめん、本当にごめんね……」
台無しだ……俺のせいで……。
「…………」
やはり彼女は何も言わない。大きな憐憫を眼差しに乗せて見つめるだけだった。
「……ごめん、俺さ、この目が大嫌いなんだ……。嫌な事を思い出しちゃう物でさ、鏡を見るのも嫌なんだ……」
そう、俺はこの目が嫌で嫌で堪らない。色が違うのが嫌な訳ではない。隻眼が嫌な訳ではない。
俺はこうなってしまった俺自身の異常すぎる『課程』に嫌悪している。
「……十八……!」
俺の思考を遮るように彼女は俺を呼んだ。
表情はわからない。俺はいつの間にか彼女から視線を逸らしていた。
「……十八は、私の声……気持ち悪いと……思うの……?」
「思う訳ないよ。さっき言われるまでだって気にした事なんてなかったんだ」
条件反射でそう言いながら彼女の言いたい事に気付く。
「……うん……ありがとう……私も、そう思うの……」
それは彼女の心からの言葉だというのもすぐにわかった。
……そうか。彼女だったから。彼女ならこう言ってくれるって知ってたから、俺は言ったんだ。
だって、俺もとっくに彼女を信じていたんだから。出合ってからの期間なんて関係なかったんだから。
誰にでも、どんな時でも、遥がそうだったんだから。
「……ありがとう、海老原さん」
「……うん……」
誰かを信じる。それは俺があいつの一番大好きなところだったんだ。
とても大切なものを思い出しすことが出来た気がする。
本当に、ありがとう。
聞き覚えのある音楽が流れて来る。
蛍の光。すぐにショッピングモールの営業時間終了を知らせるものだとわかった。
その馴染み深い音楽は俺たちの雰囲気を普段通りに戻してくれた。
「……出ないと閉じ込められちゃうかもしれない。出ようか?」
「……待って、その前に…………ちょっと、タイミング……わからないから……今、渡すの……」
「……ん?」
少し明るくなった彼女の声に釣られて視線をやると、彼女は自分のカバンをゴソゴソしていた。
「……はい……」
???
取り出した何かを俺の前に差し出す海老原さん。
「えっ? なにこれ?」
彼女が差し出したのはチェック柄の包装紙にリボンで装飾されたかわいらしい包みである。
「……プレゼント……クリスマスの……」
……?
……!?
「ああっ!!」
とても重大な事を思い出した俺は大声を上げる。びっくりする海老原さん。
「……十八……?」
「クリスマスプレゼント買うの忘れてたよぅ! さっきの買い物の時に選んでもらう予定だったんだよぅ!」
事前に欲しい物を調べて買っておくのがベストだと思うが、俺なんかにそんな余裕がある筈ないので直接選んでもらう予定だったのだ。
「……いい……要らないから、大丈夫……それより、これ……受け取って、くれる……?」
クスクスと笑う海老原さんは少し恥ずかしそうにもう一度差し出してきた。
「そ、そんなこと言われても……まあ、もちろん受け取るけど……」
おずおずと受け取る俺。
「……マフラー、なの……十八、いつも……コートも、マフラーも……してなかった、から……いいかなって……」
確かに俺はコートもマフラーも着ない主義である。いや、別に着てもいいんだけど、早朝のバイトのお陰で寒さに耐性があるから平気なだけなのだ。
「……最初は、私用に……作ってた、物だったけど……色も、黒だったし……男の子用に、作り直したの……」
もじもじしてる海老原さんはさっきより恥ずかしそうに言う。でも、やっぱり俺を見つめるのは止めてない。
「もしかして手編みってこと?」
「…………」
カクン
「ななな、なんて素晴らしい物を……」
「……嫌、だったら……捨てて……?」
そんな事できる筈ありません。
「いや、大切にするけど……でも、俺も何かあげたいよ。このままじゃ納得いかないし、その……海老原さんは何か欲しい物は無いの?」
「…………」
ふるふる
「……別に……」
「いやいやいや! なんでもいいからさ、ねっ? ねっ?」
うわぁ、どんどん俺がどうしようも無いヤツに思えてきたぞ。実際そうなんだけど。
「……じゃあ……」
「うん!」
ドンと来い! 実はどんな事態にも対応できるように財布の中には二十万円入ってるんだ! いや、ツッコミは無しの方向で!
「……名前で、呼んでほしい……」
「えっ?」
ナマエデヨンデ?
「それって何処に売ってるんだっけ?」
「…………」
ふるふる
「……うぅん、違う……私を、下の名前で……呼んでほしいの…………折原さんと、本城君……見てたら……羨ましくて……」
下の名前? 海老原さんの下の名前……。
「……曜子?」
あ、呼び捨てしちゃった。
「…………!」
物凄い真っ赤っかになる海老原さん。あ、曜子……いや、呼び捨ては駄目だな、年上だし。
「じゃあ、曜子さん」
当然こう呼ぶべきだろう。
「……う、うん……十八…………はうぅ……!」
真っ赤な顔の曜子さんはお返しとばかりに俺を呼ぶ。って、うわ、なんか目を回してないか?
すっかり遅くなってしまったので、帰る事になった。
降雪の影響もさほど無く、通常通り動いてくれていた電車に乗って難なく久住ヶ丘駅に到着。曜子さんと二人、ホームから出たところで俺の携帯が鳴った。
着信 佐山刹那
刹那?
「ごめん、曜子さん。刹那からだ、ちょっと出るね?」
やはり顔を真っ赤にしてしまった曜子さんが頷いたのを確認してから通話ボタンを押す。
「もしもし?」
『…………』
???
なんだ? 何も答えないぞ。
「刹那?」
『……どう?』
「ん……えっ? どうって、何が?」
いくらなんでも脈絡が無さすぎて答えようがないぞ。
『まだ曜子と一緒に居るの?』
「あ、ああ……隣に居るけど……」
何故か俺は少しびびっていた。
『……あなた、まさか……! 今は何処に居るのか答えなさい!』
やたらと威圧感のある声の刹那は意味不明でちょっとおっかなかった。
「本当にどうしたの? 今は駅前に居るけどさ」
『外ってこと?』
「うん」
『…………』
うわぁ……全く持って意味がわからないよ?
『あなたの事だから、デートプラン通りに行動したわよね?』
グサッ
「う……」
『もしかして最後のところ、まだ見てないの?』
最後のところ?
「見てないけど?」
『……そう。これからどうするつもりだったの?』
あれ? 途端に声が穏やかになった気がするぞ。
「いや、いい加減遅くなってきちゃったし、もう帰ろうかって。あ、駅前って言っても久住ヶ丘の駅前なんだ」
『…………』
また黙っちゃった。いや、凄い小声でぶつぶつ言ってるかも。
『……そうね。考えてみればあなたにそんな根性があるとは思えなかったわ』
よくわからんが、グサッときた。
『いい? デートプランは即処分すること。それから曜子を即無事に家まで送り届けること。いいわね?』
???
「よくわからないけど、わかったよ。刹那……怒ってるの?」
言う通りにするのは構わないが、なんか怒らせたのかもしれないから訊く。だとしたら謝らないといけないし。
『怒ってな――あ! やだ、ちょっと返してよ――』
「刹那!? おい! どうした!?」
『……もしもし、十八か?』
なんだなんだ? 今度は一緒に居たらしい瞬に代わったぞ。
「いったいなんなの? 刹那の様子がおかしかったけどさ」
『ははっ。いやさ、何処から仕入れてきた情報かは知らんが、刹那がな、クリスマスイヴの午後九時から翌日の午前三時までの六時間、つまり性の――グハァッ!!』
「瞬!? どうした!?」
『ツーツーツー……』
切れてる。グハァと一緒にけっこうヤバめの鈍い音がしたけど……瞬、大丈夫かな。
「なんだったんだろうね?」
「……?」
隣で見守っていた曜子さんも首を傾げていた。
俺はデートプランを取り出してみる。読むなとは言われてないから、読んでから即処分しよう。
瞬と刹那のデートのススメ〜上級編〜
1・タワーホテルのレストランで豪華なディナー。
クリスマスのメインイベントといっても過言ではないかもしれない。それを一年前から予約しても取れない位のプレミアが付いているタワーホテルの展望レストランでやってしまう(塩田で予約済み)。
クリスマス用のコース料理で一人頭しめて25000円よ。帰って来なさい。
2・今日はここまでにして家に送る。
意外な事に海老ちゃんは門限が無いらしい。だが、クリスマスとはいえ、高校生同士の初デート、今日のところはここまでにして無事に家まで送り届けるのもいいだろう。あくまで今日のところはというのを忘れるな。
当たり前じゃない。帰って来なさい。
3・大人になる。
せっかくバイトを休んだ十八、更に上記の理由から考えると、十八と海老ちゃんには、まだ時間があるという事になる。そこで選択肢の1を実行してから部屋にエスコートなんてどうだろう(部屋は塩田で予約済み)。1→3→2のコンボなんてどうだろう。海老ちゃんがその気なら行ける。頑張れ。
帰って来なさい。
「…………」
もはやツッコむ気力も無い。
曜子さんの方を見ると白い息を弾ませている彼女と目が合う。相変わらずの真っ直ぐな視線で俺を見つめながら待ってくれていた。
「帰ろうか?」
「……うん……」
彼女が少し残念そうにしたのは俺の気のせいだろう。
読んで頂いてありがとうございます。
今回でようやく『クリスマス編』が終わりました。
実を言いますとこのクリスマス編、当初に私が書いていたものの二倍くらいの長さになってしまっています。
理由は曜子のエピソードの一つを削除したからです。やむを得ない理由から、そのエピソードの一節をこちらに混ぜ込みました。お陰でぐだぐだになってしまったと思っています。申し訳ありませんでした。
次回からは更新が早くなる予定です。至らないばかりの拙作ですが、読んで下さっている読者様がいる限り頑張ります。これからもお願いいたします。