072 第二章曜子15 偏心
彼女は俺を見つめる。
俯いていた顔を上げた彼女は真っ直ぐな瞳で見つめてくれた。無表情、でも、その無表情には安堵してくれたような綻びが伺える。
「……待ってない……私も……今、来たとこ……」
凄い嘘だよ……海老原さん……。
傘を差していない彼女には少し雪が積もってしまっている。長く外気に晒されていた頬は紅く染まっている。
俺の中の申し訳ない気持ちが強くなる。同時に冷えきっていた筈の心が溶けて行く。不思議な感覚だった。
「ごめんね……?」
俺は謝りながら彼女に積もった雪を払ってあげた。そうしながら彼女を見つめる俺の視線には罪悪感が籠る。でも、俺はそれを隠さなかった。
その俺の視線を受けた彼女の視線が安堵を感じさせるものから俺を気遣うものに変わる。俺を心配してくれている。俺を見つめてくれている。
俺の望んだ通りの事をしてくれている。
何故だろう。自分が嫌にならない。待ち惚けを食らわせて、心配掛けて、不安にさせたのに……。彼女の視線を受けていると自分が散々悩んでいた事がちっぽけに思えてしまう。何より心から安心してしまう。
「……十八……?」
今日の海老原さん。とても大人びた服装をしている。遊園地の時は何処か幼い印象だったが、今日は少し違う。コートもセーターもスカートも、マフラーもカバンも、全てダーク系の中間色で統一されている。長い前髪だけがいつも通りで、それが不思議な魅力を演出していた。
「……似合わない……?」
俺の視線に気付いた彼女は少し不安そうに呟く。俺に注がれている視線は外れない。不思議と俺の罪悪感が薄れて行く。
「いや、そんな事ないよ。とても良く似合ってる」
というかめちゃくちゃ綺麗だ。元々かわいいとは思っていたが、今日の海老原さんはいつにも増してスーパー美少女だ。
「……うん……良かった……」
紅い顔を更に真っ赤にして微笑む海老原さん。やはり視線は外れない。
「……行こっか?」
「……うん……」
いつまでも雪の中でお見合いしてる場合じゃない。二人して顔真っ赤だし、傘も無い。何より早く海老原さんを暖かい所に連れて行きたかった。
予定が大幅に遅れてしまったが、取りあえず昼食を摂る事になった。
瞬からもらったデートプランにはオシャレなカフェやらレストランやらが書かれている。しかし、俺の土地鑑が無さすぎたので、駅前のファーストフード店になってしまった。
「シャセーッ! テンナーデオメシャーリッスカーッ!」
いや、ちょっと待て。
「ゴチューモードーゾーッ!」
「な、何やってんですか? 永島さん」
「ああ〜?」
やたらとガラの悪い店員はどっからどう見ても永島さんだった。
「あんだよ、塩田じゃねーか」
「見ればわかりますけど、もしかしてバイトですか?」
どう贔屓目に見ても似合ってないカジュアルな制服を身に着けている永島さん。いかつい顔だけがハメコミ合成のように浮きまくってるぞ。
「おお、いやよぉ、俺も大学が休みに入ったからよぉ、その間だけここでもバイトしてんだわぁ。ヒャハハ!」
あまり人のこと言えないが、バイトしすぎだよ。あと、なんで笑ったのか分かんないよ。
「つーかテメェ、まぁた女連れ……あっ! しかも刹那ちゃんじゃねぇじゃねーか!」
「……っ!?」
くわっとした永島さんに驚いた海老原さんはビクッとしながら俺の後ろに隠れてしまった。ついでに俺たちの後ろに並んでた人たちも逃げて行った。
「しかも、やっぱりかわい……って、あれ?」
「「…………」」
更には永島さん以外の店員さんも逃げて行った。
「…………テメェ」
「いやいや、たぶん俺のせいじゃないですよ?」
その後、どうにか永島さんをなだめると、軽い昼食となった。なんとも意外な展開のお陰で暗いテンションから一気に復活する事が出来た気がする。
しかし、
「…………」
「…………」
会話が無い。テンションが明るくなった分、会話の無い空間をはっきりと意識してしまう。それによく考えてみたら、女の子とご飯食べるのにこんなジャンクなトコ入ってどうすんだよとか思った。
じぃ〜
海老原さんガン見だよ。食べるのそっちのけでガン見だよ。プレッシャーが凄いよ。それにかわいいよ。
「え、海老原さんはさ、何処か行きたい所とかある?」
こういうのを訊くのはいいかもしれないが、明らかに甲斐性が無さすぎるタイミングだよ。
「……十八と……一緒なら……何処でも、いい……」
「えっ!?」
なんか凄まじいこと言わなかったか?
「……遊園地の時は、別だけど……御美ヶ浜……来るの、初めて……だから……」
「あ、そういう事か、それじゃわかんないよね〜……」
また早とちりしそうになった。俺ってけっこう自意識過剰だったのかもしれない。
それにしても、いつもの俺のテンションに戻る事は出来たが、状況が状況だけに緊張が凄い。何か行動しなくちゃと思えば思うほど頭の中が真っ白になる。
俺はササッとさり気ない動きでデートプランを確認する。もはやコレに頼る他に無い。
"瞬と刹那のデートのススメ〜昼食後編〜"
1・駅ビルのショッピングモールを巡る。
昼食時の会話や雰囲気にもよるが、一番無難だと思われる。買い物しながら、お互いの趣味や趣向の会話に持って行けるぞ。ちなみに買い物はウィンドウショッピングで充分だ。
十八じゃ間が持たないんじゃないかしら?
2・映画を観る。
コレも昼食時から如何にして持って行くかによる。空いた時間を上手く消費出来るが、あまりおすすめしない。お互いに観たいものが上映していれば有りだが、そうでなければ前後の会話が終わるぞ。
十八が寝ちゃいそうだわ。
3・ゲーセンとかカラオケ、及びそれ以外。
十八には無いわ。
すまんが俺も同意見だ。
「…………」
1しか無いよ……瞬。刹那もいちいちツッコミを書かなくていいよ……。
という訳で駅ビルにあるショッピングモールにやって来た。
流石はこの近辺で一番大きな駅の駅ビルだけあって凄い規模である。某有名ブランドショップの代理店からマニアックな専門店まで何でもありそうだ。行き交う人も多くて、俺たちと同世代の若者を中心にこれでもかって位の人が溢れている。クリスマスイヴというのも大きな要因の一つだろう。
「実は俺もあんまり来た事ないんだよねぇ。洋服とかにこだわりがある訳じゃないし、ブランド物とかよくわかんないしさ」
何度か瞬と来たが、俺はオプション状態だった。だから、何処に何の店があるのかよくわからん。ボロが出るのは明らかなので正直に言ってしまった。
「……私も……人、多くて……怖いし……」
「あ、やっぱそうだよね? 嫌だったら、もっと静かな所に行く?」
自分で言っておいてなんだが、下心がありそうな言い方だ。
ふるふる
「……十八が、行きたいなら……」
「い、いや、俺は何処に行っていいかわかんないし……。でも、海老原さんが嫌なら俺も嫌だし、その……」
プランの2や3を実行するのも難しそうだしね。
「……十八と、一緒なら……嫌じゃないの……」
「あ……うん。俺も、かな……」
また勘違いしそうになりつつ、そう言うが、俺は色々と真っ直ぐすぎる海老原さんから視線を逸らしてしまう。
だって、さっきっから海老原さんの凝視が止まないんだもん。たぶん待ち合わせ場所で見つめ始めてから一度も逸れていないぞ? 一緒に歩いている時も、ご飯の時向かい合って座ってる時もだ。それに今日の海老原さんはなんとなく凄い目力なんだよ。
じぃ〜
今日はこの擬音が常にあると思ってほしい。
ともかくとして、俺たちはショッピングモールを散策する事になった。
洋服、小物、アクセサリー、CDなど、目に付いたものなら何でも見て回った。瞬の作ってくれたデートプランの助けもあって、めぼしいお店を選抜したコースでショッピングモールを回る事が出来たと思う。
瞬のアドバイス通り、特に買うでもなく見るだけだった。あれは海老原さんに似合いそうだとか、これって何だっけとか、話のタネになりそうな物ばかり探して見て回った。
俺の上着の袖を掴んでついて来てくれる海老原さん、俺への凝視はもちろん、テンションの上がってきた俺の話を熱心に聞いてくれていた。
退屈させてしまってるかと、不安だったが俺的にはかなり楽しかった。
海老原さんは楽しんでくれてるのだろうか?
そう思っていると、
「ああー! もしかして海老原さんじゃないですか!!」
バカでかい声が上がった。
「海老原さんもお買い物ですか!? 外で会うなんて珍しいじゃないですか!?」
軽く驚きながら反応すると、海老原さんに負けない位の美少女がいた。
「ちょっと海老原さん!? どうしたんですか!? ひょっとして間違ってます!? ……ちょっと邪魔なんでどいて下さい!」
おい。
今ので思い出したぞ。このでかい声と独特すぎるテンションは間違いなく図書委員の折原さんだ。メガネを掛けていないから分からなかったが、この独特すぎるマイペースは間違えようがない。
「……折原さん……こんにちは……」
でかい声にびっくりしたらしい海老原さんは俺の後ろに隠れながら挨拶する。かなりおっかなびっくりしてる。
「はい! こんにちは! ……って、ストーカー! まだ海老原さんに付き纏っていたのですか!」
「反応遅いしこの状況見て」
「――海老原さん! 何かされませんでしたか!? 大丈夫ですか!?」
ああっ! せめて全部言わせてくれ!
「折原、塩田君が困っている。いい加減静かにするんだ」
???
えらく冷静な介入があった。
「…………」
その声に反応して一気に静かになった折原さんの隣には細身で真面目そうな男性がいた。どうやら折原さんのお連れさんのようだった。
「どうもこんにちは、塩田君。まともに顔を合わせるのは初めてですね?」
「えっ? あ……はい、こんにちは……」
どうやら俺の知り合いみたいだが、俺の知り合いで瞬以外にこんなにカッコいいヤツいたっけか?
「ほら、折原も塩田君にちゃんと挨拶をするんだ」
どうにも状況について行けないが、男性はかなりの常識人らしい。明らかに暴走気味だった折原さんも流石に……、
「嫌!」
おとなしくなってない! なんかグサッてきたよ? 何故か、さっきより不機嫌っぽくなってる気がするよ? ツーンってなってるよ?
「はぁ……塩田君、申し訳ない。…………栞、挨拶をするんだ」
「うん。塩田君、こんにちは!」
「えっ? あ、はあ……こんにちは」
なんだそりゃ。
「そういえばちゃんとした自己紹介をした事がありませんでしたね。僕は本城司、生徒会図書委員の委員長をやらせてもらっています」
「あ、どどどうもっ、会長補佐の塩田十八ですっ」
そうか、通りで見た事があると思っていたんだ。
「そんなにかしこまらなくても大丈夫ですよ。僕も栞も二年生なので同級生ですからね。一応知り合いみたいですが、紹介します。彼女は折原栞、僕と同じ図書委員で副委員長を勤めてもらっています」
爽やかな笑顔の本城君は傍らに立っている折原さんを丁寧に紹介してくれた。
いい人だ……。凄いいい人だよ。折原さんも悪い人ではないと思うが、
「塩田君っ! よろしくお願いしますね!」
ちょっとマイペースすぎて…………あれぇ?
「はは……気にしないで下さい……」
何故か疲れたような本城君。
「海老原さん海老原さん……私紹介されちゃった……彼女だって……?」
「僕はそんな意味の紹介をした覚えは無い。君は親同士が仲のいいだけの幼馴染みで、今日だって僕は君が弟にあげるクリスマスプレゼントを選ぶ手伝いをしているだけだ」
凄い説明口調だ!
「照れてるよ……司が照れてるよ海老原さん……?」
「く……っ!」
なんか大変そうだ!
「……ともかく、邪魔をしてしまって申し訳なかったです。では、失礼しました」
「は、はあ……」
「じゃあ、海老原さん! また学校でね!」
「……うん……」
何やらゲッソリしてしまった本城君と、やたらと嬉しそうな笑顔の折原さんを疑問符だらけで見送った。
「…………」
「…………」
なんだったんだ?
そして、
"瞬と刹那のデートのススメ〜中級編〜"
1・海浜公園に行く。
御美ヶ浜の名物である海浜公園、クリスマスネオンで彩られている筈だから、行ってみるのもありかもしれん。しかし、久住ヶ丘の海浜公園と比べ物にならない位に広大だから、迷わないように気を付けろ。
遭難しちゃわないかしら?
2・繁華街に繰り出す。
目的も無くうろつくのはどうかと思うが、クリスマス一色に活気づいている筈だ。面白そうな所を探してみてもいいかもしれない。
十八が迷子になる気がするわ。
3・綺麗な夜景を見る。
海浜公園の展望台、タワーホテル、御美ヶ浜には夜景を眺める定番スポットが幾つか点在している。だが、クリスマスともなればそれらは凄い人で溢れ返っているだろう。そこで俺の見付けた隠れスポットを紹介しておく(下記地図参照)。行くかどうかは十八次第だ。
解説が長いわ。
3以外に選びようがないじゃん。三択だけど、ほぼ一択じゃん。それにせっちゃんのツッコミがちょっと面白いよ。
例の如く瞬頼みの俺は夜景を見に行く事にした。長居したつもりはなかったのだが、時間もちょうど良くなっていた。
瞬の薦めてくれた夜景スポットは意外にもショッピングモールのすぐ近くだった。そんなに駅の近くに穴場なんてあるのかな、などと不安に思いながら地図をなぞって行く。
海老原さんは相変わらず俺の上着の袖を掴んでついて来てくれている。俺への凝視も相変わらずだ。
「海老原さん、疲れてない?」
俺は今更その事に気が付く。
俺自身が楽しかったのもあるが、彼女もそんな素振りを見せなかった。しかし、調子に乗って連れ回したのは確かだった。
「……全然、平気……」
振り返った俺を当然のように見つめていた海老原さんは嬉しそうに言う。
「……十八……ゆっくり、歩いてくれるから……ありがとう、なの……」
「…………」
違うんだよ、海老原さん……それはただの俺の癖なんだ。
彼女が微笑みながら付け加えてくれた言葉に俺の胸は締め付けられた。本当に嬉しそうだから余計に申し訳なかった。
「…………じゃあ、あと少しだから行こうか?」
「……うん……」
全く俺から視線を外そうとしない海老原さん。本当に嬉しそうで、楽しそうに笑ってくれる海老原さん。今日という日を俺なんかと一緒に居て喜んでくれる海老原さん……。
視線を受けた俺は視線を外して歩き出した。
段々と人通りが少なくなってきた気がした。自分たちが歩いて来た方向から聞こえてくる喧騒やクリスマス音楽がやたらと遠くに聞こえる。
本当に合ってるのかと何度も不安に思いながら何度も地図を確認してしまう。それでも、瞬の書いてくれた地図通りに進むと、少し寂れた場所に出た。
長い通路だった。
薄暗い照明と通路の両脇に連なる窓から差し込むネオンに浮き彫られた長い通路。駅ビルから隣にあるオフィスビルに繋がる連絡通路だった。
空調も届かないのか、冷え冷えとした空気。無機質な壁と床。等間隔に据えられた大きな窓。頼り無く照らす蛍光灯。寂しげに光る非常灯。窓から差し込む光だけがやけに眩しく感じた。
まばらに見える人影は誰もが男女の二人組で、誰もが同じ方向を向いている。彼等に釣られ、視線を移す。
吸い込まれそうになった。
光の海に星が舞い降りていた。星空をひっくり返したような光は本当に星が降り積もったのかと思えるほど雄大な光だった。喩えるなら光の奔流だろうか。そこに飛び込んだような錯覚すら覚える。
光の海はただの街のネオン、舞い降りているのは雪、たかが地方都市のクリスマスネオンの筈だ。そう頭では分かっていても目を逸らす事が出来ない。科学的な光は余りにも現実離れしていて、余りにも幻想的だった。
俺は思い出したように海老原さんに視線を移す。
目が合う。
海老原さんは外なんて見ていなかった。俺も、周りにいる人たちも、誰もが目を奪われて止まない光をただひとりだけ見ていなかった。
俺だけを見つめていた。
彼女はいつも俯いている。誰とも目を合わせない。俺以外と目を合わせる事が無い。
初めて会った時も、球技大会の時も、遊園地の時も、勉強会の時も、一緒にご飯を食べていた時も、彼女は俺だけを見つめていた。
今も。
何故、俺なんだ?
「…………どうして?」
俺は自然とそう尋ねていた。