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071 第二章曜子14 細雪


 己の体裁を顧みるばかりに行き着いた末路なのか。

 嫌な事を認めたのに目を逸らし続けた結果なのか。


 どちらにしても、実に滑稽だろう。まだ幕も上がっていないのだから。


 受け入れたくないものに直面し、迷う暇も無く甘受しただけだ。明日が無いから、今が苦しいから、昨日が眩しいからと、その挙げ句に巻き込んだのだ。


 彼女を。







 重苦しい空気が部屋を支配していた。


 俺は居間のコタツより少し下がった位置で正座で座っている。場の空気、目の前の人の存在、それらは俺の緊張を頂点まで追い詰めようとしていた。


「たいへん、結構な、事です。しかし、屋敷内の清掃も、宜しいですが、垣根の手入れが、少々、雑に、感じました」


 居間の窓際には俺と同じく正座で座る和服姿の今井さん。俺に対して語り掛けているが、今井さんの視線は縁側を挟んだ外に向けられている。


 その今井さんのお説教が始まってから、かれこれ小一時間は経っているだろう。


「申し訳ありません。屋敷内の方にばかり気を取られていたと思います……」


 へつらう事などしない、有りのままだけを伝える。余計な事を言ったとしても今井さんにはお見通しだろう。それにそんな暇は無い、とにかく時間が無い。


 顔を上げる事は許されていないので時計を見れないが、時間がかなりマズい事になっている。

 恐らく既に11時は過ぎている。海老原さんとの待ち合わせ時間には今すぐ出ても間に合うかどうかという位だろう。


 今井さんの目的はいつもと同じ、屋敷の様子を見に来たという。幸か不幸か、たまたま掃除をしていたまではいい。しかし、それならばと屋敷内を事細かくチェックされた。別に手を抜いてやっていた訳じゃないので、いくらでもチェックしてくれて構わないが、余りにもタイミングが悪すぎる。


「あ、あの……」


 考えていても仕方がないと意を決した俺は声を上げる。実際、俺はかなり焦っていた。


「……はい」


「実は……その、これから友達と会う予定があって……ありまして……できれば、その、またの機会に……して頂けたらなと……」


 今井さんの抑揚のない相槌に対して俺は完全にテンパっていた。要件だけを述べるつもりが、過剰にへりくだる始末、はっきりしない自分に自分で苛ついた。


「……人の話の、腰を折った、だけではなく、ずいぶんと、下らない要件、ですね」


 少しだけ穏やかだった今井さんの口調がいつものように冷たくなっていくのがわかる。苛立ったのは今井さんも同じようだった。


「通りで、掃除をする、格好には、見えないと、思いました。目を、瞑ろうとも、思っていました……が、少し、気分を害しました、十八さん」


 マズい、やはりお見通しだった。


「世間では、クリスマス、ですか……? あちらこちらで、騒がしい、様子ですが、まさか、十八さんも……同じ、ですか?」


 俺の意見はただの切っ掛けにしかならず、漠然とした質問を投げ掛けられる。実は今井さんのこのような問い掛けはよくある事だった。


「…………」


 俺は考える。この質問の答えによっては今井さんの機嫌を更に害してしまう事になるだろう。


 クリスマス、同じ、そう言われて真っ先に思い浮かんだのは生徒会のみんなだった。そして、渉やクラスメイト達の顔も浮かぶ。


 今井さんの感覚で言う世間と俺。かけ離れているなら、俺はどう答えなくてはならないのか?


『楽しいイベントなんだからウキウキしちゃうのはしょうがないよ〜、トモちゃ〜ん』


「――ぶほっ!」


「……? どうしました?」


「い、いえ……少しむせてしまって……」


 思わず噴出してしまった。顔を伏せていなかったら今井さんに失礼だった。


 何故だか思い出してしまったルナちゃんの言葉だったが、確かにその通りだ。


 この数日間を思い出してみる。海老原さん、刹那、瞬、渉、ルナちゃん達、クラスメイト達……俺のように暗く考え込んでいるヤツなんかひとりもいない。


 そうだった、基準はそこじゃない。海老原さんの言い方を借りるなら、どきどきわくわくでいいんじゃないだろうか……。


 ありがとうルナちゃん。


 答えは一つ。


「俺も同じ、だと思います……」


 今井さんの質問の意味、それが如何なるものであろうと、俺はこう答えなくてはならない。嘘なんか御免だ。


 沈黙。


 しばし、沈黙があった。


 俺の返答に対して今井さんはなかなか口を開かない。しかし、部屋の中の空気が重くなって行くのを肌で感じ取る。


「だから、あなたは、何も、わかっていないと、言うのです。同じ筈が、あるなど、皆無に等しい、でしょう」


 それは明らかな嘲笑だった。


 今井さんの表情を窺う事は出来ないが、声の感じも、肌に感じる雰囲気も、俺を嘲笑うものに他ならない。


「あなたが、いるだけで、毎日に、苦痛を、感じている、人がいる、ことを、お忘れですか?」


「…………」


 ある程度は俺が予想していた通りの答えだったが、流石にキツい。正に今井さんの言う通りだからだ。


 以前、今井さんが俺の後見人を引き受けてくれた時、今井さんは言った。


『迷惑だと、はっきり、言いましょう。やむを得ず、引き受けましたが、苦痛を、強要されたのと、同義です』


 生前、じいちゃんも言っていたが、今井さんは人との交流を極端に嫌っていたらしい。じいちゃんの遺言のお陰で仕方なく引き受けてくれた俺の後見人、今井さんからすれば迷惑以外の何物でもなかったのだろう。

 その証拠に今井さんは俺との同居はおろか俺との交流すら拒んだのだ。俺はそれを痛いほど理解している。


「……もちろん、忘れている筈がありません。今の俺があるのは今井さんのお陰で、同時に迷惑を掛け続けているのも分かっています」


 本当の事だ。理解しているからこそわかる。今井さんは俺の恩人であり、俺は今井さん足枷である、その事実は揺るがない。


「でも……今日だけは、お願いします。目を瞑って下さい」


 俺はそう言うと同時に土下座に近いくらいに頭を下げる。外を向いている今井さんには伝わらないとしても、俺は自分なりの誠意を精一杯込める。


「…………」


 俺の言葉になのか、それとも行動に対してなのか、今井さんの雰囲気が更に鋭くなった気がする。


 そうだろう。俺も土下座なんか生まれて初めてやったが、やられた方からすれば堪ったもんじゃない。

 自分でも実感する。俺はこの人の足枷なのだと……。その意味を考えると顔を上げる事なんて出来ない。申し訳ない気持ちで言葉を待つしか出来なかった。


「……その友達は、女性、なのでしょう、ね。まあ、当然、でしょうか……」


「……?」


「その人は、大切な人、ですか?」


 僅かな間を置いてすぐにそう続ける今井さん。最初の方は彼女の独り言だったのかもしれない。


「……はい」


 ほとんど即答だった。今井さんの問い掛けを理解したのと同時だったと思う。逡巡すらしない自分に少し驚く。


「後悔……しますよ?」


 ここで俺は反射的に顔を上げる。


 後悔。


 今井さんのその言葉に俺の意識は強く反応していた。無意識に上げる事が許されていない顔を上げていた。


「お行きなさい」


「……えっ?」


「私は、もう、帰ります。戸締まりと、火の元の、注意を、怠ることは、許しません」


 今井さんはそう言いながら立ち上がると振り返り、慌てて視線を落とした俺の前をすり抜けて行った。


 意識だけで見送る俺は少し呆然としてしまった。







 今井さんを見送った俺はすぐに海老原さんに連絡を取った。

 時刻は12時少し前、海老原さんは既に御美ヶ浜で待ってくれているとの事だった。


 謝罪のオンパレードを繰り返した俺は今井さんの言いつけを守ると、大急ぎで家を飛び出した。自宅から駅までは走れば10分かからないで着く。俺は自分の限界のギリギリで走った。


 今にも雨が降り出しそうな曇り空。今年で一番であろう冷えきった空気。それに呼応するように冷えきった自分の心。俺を取り巻く人たち。俺はその全てを振り払うように必死で走っていた。


 普段よりも多く見掛ける家族連れやカップルの人たちの脇を駆け抜けて行く。商店街の方から流れて来る陽気なクリスマス音楽すらかわすように駆け抜けて行く。


 俺は縫うように駅の構内に飛び込んだ。


 息も切れ切れ、すぐに次の電車の到着を告げる電光掲示板を睨む。電車を待っていた人たちの怪訝そうな視線も気にならなかった。


 次の電車の到着まで5分。


 この路線は田舎だけあって電車は30分に一本。時刻表を見ずに駅に駆け込んで、5分前なら御の字の筈だ。


 しかし、俺にはとてつもなくもどかしく感じた。


 先ほど、海老原さんに連絡した時、彼女は言った。


『……気に、しないで……? ……待ってるの……楽しいの……十八……絶対、来るから……なの……』


 弾んだ声だった。


 自分の境遇も、今井さんも関係ない。俺はその時、俺を待ってくれている人の存在の大きさを知った。



 早く海老原さんに遭いたかった。



 その強い衝動に駆られながらも思う。


 俺は最低だ……。


 自分を偽って、誰かに流されて、嫌なものからは逃げてばかりいる。そして、受け入れられないものに縋ろうとしている。


 どう考えても最低じゃないか……。



 ――ヒヤリとした物を感じた。



 上気して熱を持った頬に感じる冷たい感触にハッとする。


 雪。


 驚いて見開いた俺の視界には真っ白な粉雪が揺らめいていた。火照った俺の体を撫でるような粉雪が舞い降りていた。


 俺はそこでようやく自分の奇抜な状態に気付く。周りの人たちの視線を感じた俺は無意識に呼吸を整える作業を開始していた。


 髪はぼさぼさ、冷えきった空気に弾む白い吐息、冷たい空気、遠くから聞こえる陽気なクリスマスソング。


 それらに今さら気付く。


 自分が相当参っていたのだと理解する。……少し笑えた。


 顔を上げれば、正面には南口にあるクリスマスツリーが見える。いつの間にか設置されていた割りと大きなクリスマスツリー。

 あの前で刹那が今日のデートの事を言い出した時は本当に驚いた。それに今日、俺がこんな心境でいるとは思いもよらなかった。


 ツリーの明滅は粉雪に合わせるように揺らめいている。


 綺麗だな……と、見入りそうになった俺の視界は到着した電車に遮られた。







 御美ヶ浜市(おうつくしがはまし)、通称"ゴミ浜"。俺たちの住む久住市よりも首都圏寄りに位置する街で、この近辺では一番大きな街である。


 この前行った遊園地を始め、若者向けの店舗や施設も多く、久住市に住む中高生は遊びに来るとすれば御美ヶ浜に来るのが常識だったりする。


 慣れない電車を降りた俺はその駅前広場へ続く階段を駆け上がる。


 駅ビルの二階部分と繋がった少し高くなっている公共空間、御美ヶ浜で何処かに行くなら必ず中心となる場所で、今日の俺たちの待ち合わせ場所だった。


 時刻は午後1時少し前、ちょうどお昼時だからなのか、それともクリスマスだからなのか、多くの人たちで溢れている。


 優しく舞い降りる粉雪。気にならないのか傘を差さない人たち、煩わしそうに傘を構える人たち、楽しそうに一つの傘に身を寄せ合う人たち。


 そのどれにも該当しない人を見つけた。


 小走りで駆け寄る。既に俺は大きな安心感に包まれている。


「……お待たせ、海老原さん……」


 白い吐息を弾ませながら彼女を呼んだ。









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