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067 第二章曜子10 隠秘


 人。


 誰しも傷付きたくはない。


 人と人。


 他人でも、友達でも、恋人でも、家族でも。上辺だけで付き合えば、傷付かない、傷付けない。


 でも、人は上辺を取り払おうと努力する。


 何故だ?


『そんなの簡単だよ、お兄ちゃん』


 遥……。


『それはね――――』







 人垣を飛び出した俺たちは中庭に辿り着くと、すぐに人目の付きにくい場所を探して落ち着いた。というより、勢い任せのままの俺がそうしてしまった。


 俺は怖かった。


 海老原さんが何処か遠くに行ってしまうような気がして……もう今までの海老原さんには会えないような気がして……不甲斐ない自分自身を忘れてしまうほど怖かった。


 海老原さんはひたすら俯くだけで、見るからに元気が無かった。やはり勢い任せの俺の号令で強引に昼食を始めても、彼女は自分のお弁当には一切手を付けないで俯いてばかりだった。


「お、美味しい〜」


 ひたすら無言で俯く海老原さんに頑張っておちゃらける俺。もちろん美味しいのは本当だ。


「…………」


 無視ではない。よく注意していないとわからない位で頷いてくれた。でも、いつもみたいに俺の方を向いてはくれなかった。


「ほらぁ、海老原さんも食べないと昼休み終わっちゃうよ〜? 要らないんなら貰っちゃうよ〜?」


 別にそこまで時間が無い訳ではないが、話が切れるのが嫌で思い付いたこと全部を口にする。


「…………」


 すっと俺の膝の上のお弁当が増える。じゃなくて、海老原さんは本当にお弁当をくれた。


「いやいやいや……冗談のつもりだったんだけど……」


 今日のお弁当も昨日と同じようにめちゃくちゃ美味しい。だから、少食の俺でも無理すれば食べきれるとは思う……けど、海老原さんは大丈夫なのだろうか。雰囲気から食べたくないらしいのは伺えるが、恐縮は流石に大きい。


「……いいの? 本当に貰っちゃうよ? 午後の授業中にお腹が鳴っちゃうかもだよ?」


「…………」


 カクン


 今度はちゃんとわかるように頷く海老原さん。俺も彼女がそうしやすいようには言ったのだが、彼女も彼女で俺にはっきりとした意思表示を示したのかもしれない。


「いやっほぅっ! なんか悪いなぁ〜っ! でも、食べたくなったら言ってね? ゆっくり食べるからさぁ〜。一緒に食べた方が美味しいしさ〜。少しでも食べた方がいいとも思うからさぁ〜」


 渉の真似をして頑張ってみるが、海老原さんは辛うじてわかる位に頷くだけだった。


「はは……は……」


 なんかバカみたいだ、俺……。

 でも、俺は無表情で俯く海老原さんに何を言っていいのかわからない。バカでも関係ない話でもなんでもいい、何か喋ってなくちゃいけない気がした。


 さっきの事……俺がこうして知ってしまった以上、それは海老原さんが自分で話すまで訊いてはいけない事。俺はそう思っていたからだ。


 刹那が話そうとしていたのもこの事なのだろう……。


「……あの……」


 二つのお弁当をゆっくりゆっくり頂いていると、海老原さんは突然言った。もう昼休み終了の予鈴時刻に迫る位の時間だった。


「な、なにっ?」


 やっと口を開いてくれた海老原さんに驚きつつも勢いよく聞き返す俺。


「…………」


 と、覆い被さらん位の勢いで聞き返したはいいが、海老原さんは何も言わずに、また俯いてしまった。って、これじゃ俺が海老原さんを問い詰めてるみたいじゃないか。


「……留年……」


 俺が何か言わなくちゃと言葉を探していると、海老原さんは俯いたままで言った。寂しそうで平坦な口調、でも、海老原さんの声としては大きな声だった。


「う、うん……」


 俺はその海老原さんの雰囲気に呑まれてしまった。


「……ごめんなさい……」


「えっ?」


 再び平坦な口調で呟かれた言葉は謝罪。既に俺の思考はついて行けない。


「なんで海老原さんが謝るの? 謝る事なんて無いと思うよ?」


 事情なんて知らない。でも、少なくとも俺に謝る事など無いのは間違いない。


「……黙ってた、から……」


「いやいや、待って待って、そんなの俺が訊かなかっただけだよ? 海老原さんが悪い訳ないよ? だいたいさっき聞いたのだって偶然なんだし、俺は少しも知らなかったんだよ?」


 俺は捲し立てる。確かに俺はその事に興味を持ってしまっているかもしれない。しかし、それが海老原さんの領域内である事はわかる。実際ついさっきまで全く知らなかったんだから、興味本意に訊こうだなんて絶対に思わない。


「……その内……言う、つもりだった……でも、できれば……自分で、言いたかった……」


 俺の少し大きめの声に対しても海老原さんの声量は変わらない。坦々としていた。


「べ、別に、無理に言わなくても……」


「……私……引き籠もり……だった、から……」


「……!」


 絶句した。独り言で呟いたような言葉は俺の予想の斜め上を大きく上回るものだった。


 引き籠もり? 不登校? 海老原さんが?


「……実は、年上……」


 俯いている海老原さんは驚く俺の様子を見ていないからなのか、話すのを止めてくれない。坦々とした口調が続く。


「……二回目、じゃないけど……似たような、もの……ズルみたいな、もの……」


「…………」


 俺はもう何も言わなかった。この状況と彼女の雰囲気に呑まれたのもあるが、俺は彼女の気持ちが少しだけ分かり掛けてきた気がする。


「……この学校に来た、のも……今年の春、から……前の学校に、行かなくなって……ずっと、引き籠もり……だったから……」


「…………」


「……私……根暗で、ウザいから……」


 俺は気付く。


 彼女は言えなかったんじゃなく、言いづらかっただけ……いや、本当は言いたかったんじゃないだろうか。


 前の学校。引き籠もり。留年。何かの事情。


 そんな事よりもさっき海老原さんが俺のブレザーを掴んでいた意味を考える。昨日の刹那との電話の意味を考える。……考える。


「……もう、十八にも……迷惑、かけちゃう……」


「それは違う」


 俺は即答した。視線をくれる訳ではないが、彼女の意識が俺に向けられる。


「それは違うよ、海老原さん。さっきも言ったよね、俺は知らなかったって。そう、知らない。俺は海老原さんの事をまだよく知らないんだ。知り合って一月ちょっとだから当然だと思う。でもね、俺はその短い期間で何度も海老原さんに感謝したんだ。何度も、何度もだよ? その感謝がそう簡単に迷惑に変わる事なんて絶対に無いよ」


 そうなんだ……俺は何度も海老原さんに助けてもらった。心の中で何度ありがとうを言ったかわからない位だ。


「どんな事情があったのかわからないけど、俺からは訊かない。でも、海老原さんが俺に言いたいなら言えばいい。外野の言った事なんて気にしないで、海老原さんの言いたい時に言えばいい。今でも、明日でも、ずっと先でもいい。俺は待ってるから、海老原さんの言いたい時に言えばいいんだ」


 誰にだって隠し事はある。俺にも、海老原さんにも、刹那にも……。言いたくない、聞かれたくない。自分が傷付くから、誰かが傷付くから、言いたくない理由は必ず存在する。


 それを誰かに聞いてほしいと思うなら、その時を決める事が出来るのは本人だけなんだ。


「だから……うん、大丈夫。大丈夫だよ、海老原さん」


 俺はいつかのように、小さな子供の相手をするように言う。そういえば彼女は年上な訳なんだけど、いいのかな?


「…………」


 ゆっくり顔を上げた海老原さんはいつもみたいに凝視を……って近っ! 俺の方に乗り出し気味に凝視してきた! しかも何その恍惚そうな表情!? 


 じぃ〜〜


「……と、とにかくっ、お弁当はどうする? ほとんど食べちゃったけど……食べる?」


 ふるふる


 じぃ〜〜


「あ……うん。じゃあ俺が食べちゃおっかな? もったいないし……」


 カクン


 じぃ〜〜


「…………」


 もぐもぐ


「…………」


 じぃ〜〜


 もう凝視というより、俺の顔を隅々まで覗き込むみたいにガン見してくる海老原さんだった。







 放課後。時計棟、生徒会事務室。


 今日の活動内容は二学期のまとめとなる事務作業と文化部の有志一同で開催されるクリスマスパーティーについての予算決議である。


 しかし、そんな忙しそうな活動内容でも、生徒会執行部の超人たち(俺を除く)に掛かれば造作も無い仕事らしい。


「さあ、ティータイムの時間だわ」


 あっという間に一段落してしまったので、そういう事になった。


「なーにがクリスマスパーチーだよ。どいつもこいつも浮かれやがって、バカくせぇ……。なぁ、円ぁ」


「私は知らん。はっきり言って興味が無い」


「楽しいイベントなんだからウキウキしちゃうのはしょうがないよ〜、トモちゃ〜ん」


 俺製の紅茶を囲んでのティータイム中。漫才……もとい、雑談に花を咲かせる一年生たち。


「…………」


 じぃ〜〜


 その反対側の机からは、作業の時から継続中の熱い視線が俺にロックオンしたままである。


 もちろん視線の主は海老原さんだ。


「……おい、十八……」


 ひそひそと話し掛けられた。隣の机に座る瞬である。反応すると、瞬は俺の机にノートを広げて、トントンとそれを促した。


 "どういう事なんだ? いつも通りな気もするが、なんとなくお前に対する海老ちゃんの凝視が三割増し位な気がするぞ?"


 ノートには瞬のメッセージらしき文章が書かれていた。

 まあ……そりゃそうだろうなぁ。俺からしても海老原さんの視線のパワーアップは身を以て感じてしまう位だ。俺と海老原さんの間に座ってる瞬からしたら気にならない訳ないよ。

 元気になってくれたのは嬉しいけど、恥ずかしいような、くすぐったいような……。


 "よっぽどいい事があったみたい"


 瞬のメッセージの下に返事を書くが、瞬は首を傾げるだけだった。確かにいい事が俺にどう繋がるのか説明してない訳だから当然だろう。かと言って説明するのは海老原さんに申し訳ないし……。

 そして、そのいい事は、たぶん昼休みの俺との事に違いない訳なんけど、やっぱりちょっとくすぐったいよなぁ……。


「十八……十八っ……」


 また呼ばれた。今度は刹那みたいだ。


「ちょっといらっしゃいよ」


「はい……?」


 いつの間にか紅茶を飲み終えたらしい刹那が事務室入り口で俺をオイデオイデしていた。慌てて近くに行くと、ふん掴まれて部屋から引っ張り出されてしまった。


「せ、刹那、なに?」


 廊下に出て、向かい合うように立たされた俺は取りあえず訊いてみる。強引に引っ張り出されたけど、刹那は別に怒っている訳ではないっぽい。


「何じゃないわ。昨日の話の続きに決まってるじゃない」


 呆れたように俺を訝しむ刹那。


「ああ、うん、そうだったね」


 昨日の電話の続き、か……それで海老原さんのいる事務室から引っ張り出されたらしい。まさかこんな時に話すとは思わなかったので、俺は軽く面食らってしまった。


「取りあえず私の知っている曜子の事を教えておくわ」


「あ……いや、それなんだけどさ……俺、聞かない事にしたんだ」


 これは昼休みの時に決めてあった事だ。昨日の刹那の優しさを(ないがし)ろにするようで申し訳ないが、仕方ない。


「はい? ちょっとどうしてよ?」


「実は昼休みの時にさ、聞いたんだ、海老原さんのこと。全部って訳じゃないんだけどね。だから、その、刹那からは聞かない方がいいと思うんだ」


 はっきり言ってしまえば、俺だってまだよくわかってない。もしかしたら、刹那に訊いた方がいいのかもしれない。でも、海老原さんにああして言ってしまった以上、訊く訳にはいかないんだ。

 だから、俺は精一杯の真剣な態度を心掛ける。せめて刹那の優しさには俺が応えなくてはならない。


「何よ……私の知らない内に色々あったみたいじゃない……曜子も何か様子がおかしかったし……」


 俺の真面目な態度から察してくれたのか、少し不満そうな……いや、何処か悲しそうな表情を残しながらも引いてくれた。


「曜子は本当にあなたの事を信頼しているのね……私じゃ敵わないわ……」


 そう言うと刹那は悲しそうな表情を濃くする。まるで自嘲しているようだった。


「刹那……」


 刹那が俺と海老原さんの事を急いでいた理由。それはきっと、海老原さんが昼休みの時みたいになってしまうのを避けたかったからじゃないだろうか……。


 刹那は昨日、海老原さんのクラスでの事を言った時、『浮いた存在"らしい"』と、言っていた。

 本当なら、刹那は海老原さんのクラスに行って確かめたいのかもしれない。でも刹那には出来ない。男が怖いからだ。


 ……俺が執行部に入って間もない頃、俺の教室に来てくれた刹那にはどれだけの勇気が必要だったのだろうか……。今更ながら嬉しくもあり、同時に自分に腹立たしくもある。


「まあいいわ。上手くやってるみたいだし、私はもうあまり口出ししない事にするわ……。ほら、早く戻って仕事を片付けてしまいましょう?」


 刹那の雰囲気に戸惑う俺に対して切り替えたように表情を和ませる刹那。


「……その前に、おかわり淹れて来るよ。飲むだろ?」


 俺も刹那に倣う。今回は刹那の気遣いを守ると決めたから。


「わかってるじゃない。よろしく頼むわ」


「うん」


 嬉しかったのか、微笑んでくれた刹那はそのまま事務室に戻って行った。


「…………」


 廊下に取り残された俺はしばらくそのままでいた。刹那がいなくなった事で冷えきった廊下の冷気を思い出したように感じ取る。


 そして、あの日の刹那の表情を追懐し、感慨に浸る。


「……それと刹那、ごめんな……」


 既に誰もいない廊下、刹那の入った入り口に向けて呟く。



 五十、佐山刹那



 網膜に焼き付いたものを払拭したいかのように、俺は自己満足を吐き出した。もう謝ってどうにかなることじゃないのはわかっていながらだ。


 直接謝ったら刹那はきっと怒っただろう。だから、言えない。でも、口にしなくては治まらない。だから、自己満足。


 そして、もう一つ。刹那が俺に打ち明けたい事。それを聞けない事に対して……。


「本当に、ごめんな……」


 もう一度呟いた俺は給湯室に向かった。







 言えないこと。隠し事。秘密。


 俺たちには、そんなものが余りにも溢れている。


 俺の矛盾、それを抑制しているのも、開放しようとしているのも、俺の秘密。


 そして、その抑制と開放の狭間にあるのは刹那の秘密。


 上辺だけの馴れ合い。



 ――違う。遥は言っていた。



『違うよ、お兄ちゃん。それはね、きっと好きになりたいからなんだよ。

 誰だってそうだよ。好きか、嫌いか、どっちかだけ。あっ、もちろんボクは嫌いなんかいらないよっ?

 えーと、それでねっ、失敗しても、後悔しても、また好きになりたいの。だって、そうでしょ? 

 誰かとかじゃないの。そうなる基準はそっちじゃない。ただ、そうなる自分が好きなだけなんだから――』



 小学生の癖にバカな事を考えてばかりだった俺は、答えが出ない考えを廻らすのが好きだった。


 でも、遥はあっさりと答えを言ってしまう。まるで始めから知っていたかのように。


 いつもは難しい事なんかわかんないって駄々をこねてばかりでも、こんな時だけは俺を簡単に納得させてしまう……。


 そうなんだ……俺の矛盾だって、遥に言わせれば当たり前のこと。答えなんてとっくに出ているんだ。


 大切な人たちに俺と同じ苦しみを与える訳にはいかない。でも、身近な人の悲しい顔なんて見たくない。



『幸せになるのは自分以外の人。誰かの笑顔っていいだろ? そう思わないか、十八』



 忘れ掛けていた俺の信念。



 ……心から、そう思うよ。父さん……。








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