064 第二章曜子07 喜憂
時計棟を早々に後にした俺は教室に来ていた。
「おはよ〜、塩田君」
「おはよう、阿部さん」
既に登校していた阿部さんが挨拶してくれた。
俺も挨拶を返しつつ自分の席である隣の席に座る。
「体はもう大丈夫みたいだねぇ。良かったよぉ」
「あ、うん。もう普通だからさ。ありがとう……」
阿部さんはあの時の醜態を一番間近で見ている。テストそっちのけの大騒ぎで心配してくれていたらしい。
「本トに散々だったよねぇ……でも駄目だよぉ、もう変な物食べたりしちゃぁ〜」
「うん、心配掛けちゃ……ん? 変な物? 食べた?」
なんだか微妙に話が噛み合ってなくないか?
「いくらお腹が空いてたからって刹那の作った物食べちゃ駄目だよぉ〜」
「せ……は? なに言ってんの?」
刹那の作った物? なんだソレ。
「あれぇ。刹那から電話あってさぁ、『ちょっと塩田十八に実験台になってもらったんだけど……やっぱり駄目だったわ』なんて言ってたよぉ」
「阿部さん? あの、実験台って?」
全く持って話が見えん。
「えぇっ? もしかして塩田君知らなかったぁ? あちゃぁ〜だねぇ」
「いや、だからさ……」
コロコロと表情を変えながら盛り上がってる阿部さんにかなりの勢いでついて行けない俺。
「はふぅ、もぉしょうがないよねぇ……。いやぁ刹那ってさぁ、料理だけは駄目駄目なんだよぉ。で、塩田君でちょっと練習したらしいんだよねぇ」
「…………」
刹那が?
そんな事を?
「……塩田君?」
「……それで俺が倒れたって?」
「あ、うん。そうそう、塩田君知ってるかと思ったよぉ〜。刹那も反省してるらしくてさぁ、クラスのみんなに説明しといてって言われたよぉ〜。怒っちゃ駄目だよぉ〜」
口を滑らせた事を誤魔化すように無理やり笑う阿部さん。
「…………怒る訳、ないよ」
刹那が料理を苦手としているというのは初耳だった。
全てにおいて完璧とされていた刹那のそんな噂は聞いた事が無い。
それは仲のいい友達しか知らない事。
維持していた殻の一つ。それを惜し気も無く、俺の為に。
きっとそうだろう。
「ん〜まぁそれはそういう事なんだけどさぁ……聞いたぁ? 山崎君のことぉ」
「……山崎? 誰だっけ? 最近見かけない若手芸人かなんかだっけ?」
唸りだした俺を見た阿部さんは話をわざとらしく切り替えてくれた。それを察した俺もおどけながら乗らせてもらう。
「えぇ〜? ははは〜、違うよぉ! 塩田君の目の前の席の山崎君だよぉ? 山崎渉君、ちょっと変態チックなお馬鹿行動が残念な山崎君だよぉ〜?」
渉、哀れなり。
「いやいや、もちろん冗談だけどさ。渉がどうかしたの?」
とりあえず渉の基本スペックは変態だと再確認も出来たので、話を戻す事にした。
「山崎君って昨日来なかったでしょ〜」
「うん。どうせまたサボりなんじゃないの? テスト終わった〜って感じでさ」
「いやいや、違うんだぁ。山崎君、入院しちゃったかも、らしいんだよぉ」
「――えっ!」
な に ?
「なんかねぇ〜、けっこう酷い怪我しちゃったらしいんだよぉ〜」
渉、渉が入院。怪我、酷い怪我、大怪我。
事実の整理を試みようとするが頭の中には嫌な事ばかりが駆け巡る。忘れられない俺の記憶が強制連鎖する。
「でも、あくまで噂で、実は大した……って塩田君?」
「えっ? ああ、うん……」
声にハッとして取り繕うが体中の血液が急速に冷めていくのがわかる。阿部さんは続けて何かを言っているが、その声も頭には入らない。
渉、どうしたんだ?
事故?
何かに巻き込まれたのか?
「オッハヨォーーッ!!」
「だぁー! うっせー渉! いい加減下りろよな!」
「…………」
割り込んできた能天気な声に反応する前に阿部さんを見てみる。
「……ははは〜」
何とも迷惑そうな表情の阿部さんと目が合った。
いつもの事ながら登場するタイミングだけは正に天下一品。いや、敢えて言おう、間が悪いと。
「十八! この馬鹿を何とかしてくれ!」
「お前ら何やってんだよ?」
意味不明なテンションで教室に入って来たのは瞬と先ほど話題にしていた渉だった。
心底迷惑そうな表情の瞬は何故だかいつも通り無邪気に笑う渉をおんぶしている。
「コイツ……ッ! 怪我してるからって昇降口から俺の背中に飛び乗ってきやがってよ! 離れねーんだよ!」
「何言ってんだよっ親友っ! 親友なら親友のピンチに体を張るのは当然じゃんっ!」
そしてまたぎゃあぎゃあと馬鹿騒ぎを再開しやがる。よく見ると二人の言う通り、渉の体にはあちこちに包帯が巻かれている。
しかし、話題に出ていた入院という程にはとても見えない。
「ははは……」
俺は思わず笑ってしまった。
「と、十八! ウケてないでひっ剥がしてくれ!」
「あ、ああ。渉、もう教室に着いたんだから下りてあげなよ」
「おっ、シオ〜っ! 発覚した虚弱体質はもう大丈夫なのっ!?」
興味が俺に移ったらしい渉。瞬の背中からあっさり離れてスタッと着地した。
傍若無人とはちょっと違う、無邪気な小学生といった感じだろうか。あまりに渉らしくて無性に照れくさい。
「あー、ああ。もう大丈夫だよ。っていうか渉だって人の事言えないじゃないか」
「あっ、これっ? この怪我なら大した事ないよっ! どうしてこんな怪我してるかってっ? よく訊いてくれたっ!」
そこまで訊いた覚えは無い。
「テスト休み中のとある夜。一人で寮にいたんだっ。深夜といってもいい位の時間だったよっ。するとねっ、突然っ女子寮の方から悲鳴が聞こえたんだっ」
「「「…………」」」
嘘くせぇ。
「もちろん俺はすっ飛んで行ったさっ。そしてこのカモシカのような足で辿り着いた女子寮。そこには黒タイツ集団にさらわれそうなかわい子ちゃんがっ!」
「おはよう十八、阿部ちゃん」
「瞬君、おはよぉ」
「おはよ。散々だったな、瞬」
「さぁっ! この山崎渉の後ろに(以下略)」
「十八の事もあったからと思って、少しでも心配した俺が馬鹿だったよ」
「面目ないよ、瞬」
「そこら辺にあったホウキを手にした俺は(以下略)」
「いや、蒸し返すつもりはなかったんだ。すまない。まぁ今週さえ乗り切っちまえば後は冬休みだからな。のんびり行こうぜ」
「そっか。もう冬休みになっちゃうんだよね」
「はうぅ、冬休みだよぉ」
「こうなったら変身(以下略)」
「えっと……だから……」
「あ、ああ……」
「宇宙剣士WATARU(以下略)」
「「…………」」
「テーテッテーテーテッテーテーテーテー(WATARUのテーマだと思われる)」
「「い、いい加減にしろっ! 色々とめんどくせぇっ!!」」
結局ツッコんでしまう俺と瞬。朝一から渉ワールドに呑まれてしまった。
いつもの事だが渉は俺の心情なんか完全無視だ。わざとやってるとしか思えないテンションで俺を引っ張り上げてしまう。
……心から笑っちまうじゃないか。
「……良かったね、塩田君」
昼休み。
「ぃよーしっ! ご飯っご飯っ! ほらほらっ! テストも終わったからねっ、三人で久々に学食行っちゃうっしょっ!?」
チャイムが鳴った瞬間、先生の了解も得ていないのに騒ぎ出す渉。まぁ慣れた物なのか、特に気にするでもない先生やクラスメイト達は流石だ。
とりあえず三人で学食に向かう事にした。
「今日のお前のテンションは何なんだよ?」
「いやぁーっ! ちゃんとアピールしとかないと忘れられちゃうからねっ!」
誰に?
「俺はお前がこんなに疲れるヤツだったのかと問いたいぞ」
「同感だよ、瞬」
ぷくーっとなった渉に苦笑する瞬を見て俺も笑ってしまう。
やっぱりこの三人でいる時はいい。テストの時の余波を残しているからなのか、そう思えて仕方がない。
「おい、十八」
「うん、なに?」
「あれ……」
立ち止まった瞬が意外そうな表情で前方を促す。
瞬の示す先、階段前の廊下にはぼぉ〜っとした海老原さんがいた。
かわいい柄のハンカチに包まれた四角い包みを二つ持った彼女は誰かを待っているようにも見えた。
「キターーーーーッ!!!」
ガッツポーズを取りながら叫ぶ渉。
「間違いなくお前じゃないから安心しろ」
渉の叫び声のお陰か、こっちに気が付いた海老原さんは遠慮がちに駆け寄って来た。
「海老原さん、刹那とご飯? 俺達は学食だから……って、えっ?」
真っ直ぐ俺の前に来た海老原さんは四角い包みの内の一つを俺の前にグイッとした。
「…………」
グイグイッ
「えっ……俺?」
カクンカクン
俺に『お願いします』みたいになってる海老原さんは何度も頷く。
いや、流石の俺でもわかる。
海老原さんが持っている四角い包みが世の中の健全な男子高校生なら誰もが憧れるであろう、あの『手作り弁当』である事を。
「じゃ、じゃあ……」
いつまでもそんな体制にさせておく訳にはいかない。とりあえず受け取っておく。
「えーと……これってお弁当でしょ? いいの?」
カクン
「あ、あ、ありがとう」
で、何となく無言で見つめ合ってしまう俺達。
「…………」
じぃ〜
「…………」
えーと……俺はどうしたらいいんだろう?
「はぁ……渉、行くぞ」
「えっ? ちょっと瞬っ?」
呆れたようなため息を漏らすと渉の背中を押す瞬。
「十八は海老ちゃんと二人で食べるらしい。俺達は邪魔だからさっさと学食行くぞ」
「「なにぃっ!!」」
渉とハモった。
「十八まで何言ってんだよ……早く二人で屋上でも何でも行って来い。昼休み終わっちまうぞ?」
継続中の呆れ顔の瞬はため息混じりにぼやく。
じぃ〜
「あ……いや、あー」
そりゃあ俺だってそうは思ったけどさ、まさか二人っきり? これも刹那の画策?
「シオッ! いつの間にぃっ!」
「黙れ。Aランチ奢ってやるから来い」
「マジでっ? って、いやっ! くうぅっ! くうぅっ!」
葛藤しているらしい変な顔で連行されて行く渉を無視しながら海老原さんを見やる。
じぃ〜〜
ガン見である。
「……屋上、行こうか?」
カクンカクン
一年二年校舎の屋上。
四階建ての一年二年校舎の最上部に位置していて、校内では時計棟にある時計塔の次に高い場所である。敷地総面積640平方メートル。緑地があるどころかちょっとした庭園がある。
そんな癒し要素満点の屋上は昼休みになれば、たくさんの生徒達で賑わう。弁当組や購買組は寒かろうが暑かろうが屋上に群がるのが定番らしい。
「さむっ!」
開放された屋上に出た途端、縮こまってしまう俺。晴れてはいるが今は12月中旬、当然といえば当然である。
「海老原さん、寒いよ!?」
カクンカクン
なんで楽しそうやん?
とにかく、突っ立っていても仕方ないので、適当に良さげな所に落ち着く事にした。
屋上はどこもかしこも男女一組の二人組。それは俺達も変わらない筈なのだが、非常に落ち着かないので、たまたま空いていた端っこのベンチをゲット。
微妙な距離を置いて座ると早速頂く事になった。
「うおっ!」
かなり遠慮してしまいながらお弁当箱を開けた俺は驚く。
今回は重箱ではなく普通のサイズのお弁当箱。しかし、前回のものが凝縮されたみたいに凄い内容だった。ちっちゃいハンバーグとか、フライとか、ポテサラとか、なんかもうとにかく美味そうだ。
「……今度は……洋風……」
ぱこっと自分の分のお弁当箱を開けながら言う海老原さん。
じぃ〜
そして凝視開始。
「い、いよーし。いただきま〜す」
きっと俺が箸を付けないとずっと凝視継続に違いない。若干息巻いて箸を割る俺。
「じゃあ今回も入ってる玉子焼きから行くよ?」
視線が熱すぎていちいち報告してしまう。
しっかり咀嚼、よく味わって、ゴックンする。
美味い……というか、俺好みの美味しさというか……ホッとするみたいな不思議な感覚というか。
じぃ〜
凝視は継続中。いかんいかん。こういう場合に感想を伝えるのは一つの礼儀だった。
「とっても美味しいよ。前にも思ったけど、この甘い玉子焼きは大好きだよ」
「…………」
あれっ? 止まっちゃったぞ?
「海老原さん?」
「…………」
あっ! 顔だけ凄い紅くなってる。
そんなこんなの昼食だった。