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063 第二章曜子06 遊離


 前も本、後ろも本。右も左も本。見上げても本、目に見える物のほとんどが本、本、本。


 三階建ての図書館棟。中央には三階まで吹き抜けた円筒状のホール。そこから円筒に沿って延びる巨大な螺旋階段。それらは西洋風に造られた建物と相俟って別世界の空間を演出している。


「く、首が痛いっ!」


 螺旋階段を目で追いながら、どこまで本棚だらけなんだよ!とか言う前にグギッてなるし。


 海老原さんの話ではその溢れんばかりの本はジャンルや年代ごとに区画分けされ、宗教、哲学、歴史、社会、自然、技術、産業、芸術、言語、文学、等、あらゆる書物が揃っているらしい。


 その海老原さん。何やらほくほくな雰囲気で解説してくれている。どうやら楽しいみたいだ。


「……一階には……自由閲覧区画……新聞、雑誌の新刊、縮刷版……など……バックナンバー、多数なの……」


「へぇ〜」


 うぅ……さっきは海老原さんを気遣ってああ言った訳だし、楽しそうに解説する彼女の手前、申し訳ないのだが…………ぶっちゃけ全く興味がねぇっ。


「……どのジャンルも……新刊は……ここに並ぶの……」


 ほくほく


 なんて効果音が出そうなくらいにご機嫌な様子の海老原さん……の説明がほとんど頭に入ってない俺。あぁ、土下座してしまいたい。


「……これ……蔵書検索……できるの……」


 閲覧区画の脇にズラリと並ぶPC、それで館内の本を検索できるらしい。そりゃぁ200万冊も本があればこの手の設備は必要不可欠だろう。


「ほぅほぅ……じゃぁさ、ちょっとやってみてよ、海老原さんっ」


 特に興味があった訳ではなかったが、楽しそうな海老原さんが嬉しかった俺はわざわざ頼んでしまう。というより俺の興味がずれただけ。

 対して海老原さんは俺の申し出を聞いた途端、ピタリと動きを止めてしまった。


 なんだ? 俺ってまた変な事言っちゃったのか?


「……パソコン……苦手……」


 ???


「あれっ、そうだっけ? よく来てるみたいだし、執行部の活動でも使ってるっぽかったからさ、いつも使ってるのかと思ったよ」


 ふるふる


「……必要、ない……」


「えっ、と、そう……なんだ」


 ……うーむ、なんて会話の難しい子なんだろう。別に急いで返事が欲しい訳じゃないが、間が空くと俺が変な事でも言っちゃったような気分になってしまう。


「どうして、かな?」


「……全部……覚えてる……」


「ん?」


 覚えてる?


「もしかして、館内の本の配置を全部覚えてるって事かな?」


「…………」


 カクン


「――って、すごーうぃっ! こんなに広いのにーっ!」


 おおーって感じで感心した俺のオリャオリャテンションが復活。その俺に驚いたような海老原さんは困った表情を隠すように俯いてしまった。


「……い、いつも……来てるから……覚えちゃった……だけ、なの……」


 ちょっと必死そうに謙遜する海老原さん……なんかかわいいっ! けど、あんまり褒めすぎるといつかのように大変な事になってしまいそうだ。


 と、その時。


「――海老原さんっ! 海老原さん! いるんですか!?」


 入り口付近から大きな声が響いた。


「……折原……さん……」


 確認するように呟いた海老原さんは小走りで入り口の方に駆けて行く。恐らく図書委員が登校して来たのだろう。


 ……それはいいんだが。


「……なんだ、いるんじゃないですか。いるならいるでわかる所にいてください! そう伝えておいた筈ですよ!」


 おいおい。そういう話になってるならなってるでいいとは思うが……これって怒鳴ってる、よな?


 海老原さんに追いついて見た図書委員は度の強そうな眼鏡を掛けた女子生徒だった。制服の青いリボンから同じ二年生だとわかる。


「なんですか、アナタは?」


 その図書委員、海老原さんの後ろにいる俺を確認すると訝しげに尋ねてくる。俺の知名度の低さはどうでもいいが、不審者扱いはちと困る。


「……同じ……執行部の」

「図書館棟はまだ開館していません! 関係者以外の入館は罰せられますよ! 館内から速やかに退館しなさい!」


 館が多すぎる! だいたい遅れて来たのはそっちな訳だし、こっちの言い分聞いてから怒ればいいじゃねーか。


「あーあー、すいませんっスよー。俺が海老原っさんにー、我が儘言っちゃったもんでー、悪いのは俺なんっスよー。いっやぁー、すいやっせーん」


 わざとムカつく言い方をする。この人には悪いが矛先が俺に向くように失礼をさせて頂いた。


「ちょっとちょっと!? 海老原さん!? この冴えないのはアナタの彼氏か何かですか!?」


 ん?


「……ちが」

「即刻別れなさい!! このようなまともに日本語も扱えない非国民など、論・外!! ですよ! 海老原さん!」


「ちょ」

「――いや、わかりました! アナタは海老原さんのストーカーですね!? あんな事やこんな事で海老原さんの弱みを握った、変・態・男!! なのですね!?」


「――な!」

「早く出て行ってください! 大きな声を出しますよ!」


 いやいや、十分デカいって! 反響しまくってるって! というか一人で盛り上がりすぎだって!


「……折原、さん……落ち着いて」

「海老原さんは下がってください! 私こう見えても運動神経がいいんだから!」


「いい加減に」

「――きゃあああああぁぁぁぁっ!!!」


 だぁっ! もうっ! 聞いてよっ!





「という訳で、生徒会図書委員、副委員長の折原栞(おりはらしおり)です」


「という訳って、何がどういう訳なんだ?」


 いろんな物を端折りまくってからそんな事を言われても困るぞ。


「いちいち細い事を気にしますね、この男は。それでよく会長補佐が勤まります」


 だから少しはこっちの話も聞いてくれ。


 まぁ、海老原さんのお陰でどうにか治まってくれたその折原さん。俺のオリャオリャテンションなんか遠く及ばない大きな声と特有すぎるマイペースの持ち主だった。


「……私達……もう、行くから……」


 一方的な自己紹介を聞いた所で呟く海老原さん。俺達から微妙な距離を保ったままでモジモジしながらだった。


「今日は借りて行かないのですか? 端末を立ち上げてしまえばすぐに借りられますが、後にしますか?」


 ふるふる


「……先に、鍵……開けないと……だから……」


 ちらっ ちらっ


 言いながら俺をチラチラ見てくる海老原さん。……なるほど、俺に気を遣っているのだろう。


「俺が」

「ソイツに行かせればいいんじゃない?」


 おい。


 本人の意志を尊重しようとかは思わんのか。まぁ若干納得いかないが、俺も意見には賛成なんだけど。


「そうだな、いいよ。正直言うとちょっと息苦しかったんだよね。本だらけだからかな、はっはっは〜」


 うわ、やっぱり俺ってこういうの下手くそ! バレバレっぽい。


「ほら、やっぱり目的は海老原さんじゃないですか……文学を学ぶ事を知らない輩は出て行くがいいのです」


 フォ、フォローしたのに……っ! 


 じぃ〜


 海老原さんもそんな悲しそうな瞳を向けんで!






 半ば強引に、いや、かなり納得いかない状況のままで時計棟にやって来た。

 海老原さんはいない。折原さんの提案通りに俺だけで鍵を開けに来ていた。


 時間は8時少し前、いつもなら丁度刹那が登校して来るくらいの時間だった。


 しかし、時計棟昇降口には誰もいない。


「…………」


 海老原さんに預かったキーリングから時計棟の鍵を探しながら考える。



 この奇妙な朝。刹那の計いで海老原さんと二人で過ごした朝。


 海老原さん、彼女は本当にいい子だ。俺を心から気遣ってくれているのがわかる。


 馬鹿げた醜態を晒す俺も、仮初の時間を貪る俺も、風穴を押さえ付ける俺も……いつも気遣ってくれている。


 刹那に何を言われたのかはわからないが、今朝もそうだろう。


 一生懸命、たくさん喋ってくれていた。


 きっと始めから俺の空元気なんかお見通しだったんだろう。俺の今までの醜態も全部見ていたのだろう。


 彼女が誰にでも優しいのもあると思う。けど、それだけじゃない。


 彼女は俺に優しいんだ。


 ……どうして?



「あれっ?」


 考えながら鍵を一個一個見ているが、どの鍵も同じシリンダータイプ。幾つか付いてるプレートにも『時計棟』と印された物なんか一つも無い。リングを一周してしまった。


 って、これって一個一個試すしかなくないか?


「まぁいいけどさ……」


 落胆しながらもチャラチャラと鍵を試す作業を開始してしまう俺。独り言を言ってしまうのも、細い事を気にしないのも、一人暮らしの悲しい習性である。


「……違う……それじゃない……」


「えっ?」


 鍵を抜き差ししている俺の小脇から、にゅっと伸びてきた手が鍵の一つを指差した。


「……こっちの鍵……」


「わっ! 海老原さん、いつの間に!」


 いつの間にか俺の真横に、というかほとんど密着した状態の海老原さんがいた。当然のように俺の体は膠着する。


「……ごめん……わかり辛くて……言えば、良かった……」


 言いながら正しい鍵で扉を開錠する海老原さん。


「あ、いや……別に大丈夫だったよ。それにしても早かったよね? 本は借りて来なかったんだ?」


 自分のカバン以外は何も持っていない海老原さん。元々パンパンだったカバンに借りた本は入らないだろう。


「……十八の、方が……大事……」


「そうなん…………ダァッ!!」


 ちょちょちょちょ!! ちょっと待て! これってかなり凄い事言ってないか!? でも海老原さんの表情はいつも通りの無表情だぞ? そういうもんなのか?


「……鍵……困ってるって……思ったから……」


 全く表情を変えずに補足する海老原さん。


「……なるほど」


 俺の早とちりが炸裂しただけでした。すいません。なんだか猛烈にすいません。


 扉を開放した海老原さんは時計棟の中に入って行く。


「他の所の鍵は? 開けに行かなくていいの?」


「……教室、行く前で……いい……」


 そういう事なら一度落ち着いた方がいいだろう。いつまでもカバンを持ったままでは疲れてしまう。


「そっか。じゃ、とりあえず事務室行こっか?」


 カクン


 そして、ようやくいつものように時計棟に入る事が出来た。


 なんだかドッと疲れてしまった気がする……気苦労というか、気苦労されて気苦労というか。あっちもこっちも気を回したみたいな感じというか……。


 上靴に履き替えている海老原さん。おたおたと危なっかしい彼女の姿をどうしても目で追ってしまう。


「……あ……」


 重そうなカバンを抱えながら靴を履き替えていたからか、体制を崩してしまいそうになる海老原さん。


 しかし、そうなる事を何となく予測していた俺がその背中を難なく受け止める。


「大丈夫?」


「…………うん……」


 全く、この子は今まで大丈夫だったんだろうか? 怪我とかしちゃってたんじゃないか? 危なっかしくて目を離せないじゃないか。


「……ごめんね……」


「いいよ……」


 体制を立て直した海老原さんはせっせと履き替える作業を再開する。俺はまたバランスを崩さないようにカバンを支えてあげた。


 俺はそのままの体制で息を吐くと視線を外へ向ける。ジッと見てるのも悪いと思ったし、開放された扉の向こうから流れて来る冷たい風に誘われたのもある。


 その視界の中心。


 そこには虚ろな瞳で俺達を見つめる刹那がいた。


 目が合ったのは一瞬だったと思う。でも俺にはその一瞬がとても長い時間に思えた。


 肌を撫でる風が。


 通り過ぎる視線が。


 ……痛かった。


「曜子、おはよー」


 視線で俺を追い越しながら駆け寄って来る刹那。先ほどの表情が嘘のように眩しい笑顔だった。


「……おはよ……」


 しっかり上靴を履き終えた海老原さんが応える。


「ついでに十八も、おはよ。曜子、ちょっとちょっと」


「あ、ああ、おはようって、あれっ」


 俺の側にいた海老原さんの手を引くと少し離れた所に誘導する刹那。そのまま海老原さんにヒソヒソと耳打ちを始める。


 俺は軽く呆気に取られたように惚けてしまった。自分の思考が考えようとする物を自分自身が否定するみたいに思考が働かない。


 俺を冷やかすように、楽しそうに笑う刹那。


 何処か恥ずかしそうに笑う海老原さん。


 惚けた俺の頭でも、とても微笑ましい光景に思える。


 俺が望んだせっちゃんの無邪気な笑顔に懐かしい嬉しさを覚える。




 でも、俺の胸は苦しいだけだった。









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