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061 第二章曜子04 余蘖


 俺を取り巻くものは変わり行く。

 俺が取り巻くものが変わり行く。


 大切なものが移ろい行く。


 何処へ――。


 失ったもの。取り戻したもの。新しいもの。生まれたもの。


 今の俺を取り巻くものは変わった。変わって行く。


 誰のもとへ――。







「おぉい塩田ぁ? 聞いてっかぁ?」


「えっ?」


 ……永島さん?


「ライムが切れそうだから持って来てくれっつってんだろぉ? どおしたぁ?」


「あっ……あっ、ハイ! すいません!」


 グラスを拭きながらぼぉ〜っとしてしまっていた俺。その俺を覗き込んでいる永島さん、怒っているというよりも怪訝そうな呆れ顔だった。


「久し振りの仕事で忘れちまったのかぁオメェ。せっかく復帰したんだから頼むぜぇ」


「い、いやぁ……すぐに取って来るっスよ」


 俺がいない時の苦労話がねちねちと始まりそうだったので、俺は慌てながら倉庫に急ぐ。


 テスト休み明けの今日は三週間振りのleafの出勤日でもある。確かに長期休暇明けの仕事で多少は戸惑ったのかもしれない。しかし、俺がボケていたのは久し振りの仕事だからだけではなかった。


 ついさっきみんなで行った『家族』のところ。


 それと先生の事が原因だった。




 ……


 …………


「塩田君……佐山さん達も一緒でしたか……」


 西日を背負った先生は俺達を、いや、俺を見つめながら言った。


「どうして先生がここに……?」


 あまりに意外だった為か、俺は考えるよりも先に訊いていた。


 そう、意外だった。今日ここに訪れるという事、それは塩田家に所縁があるという事。先生が俺の事を知ってるのはわかるけど、どういう事なのか。あまりにも意外だった。


「塩田君は……不思議な方ですね……」


「えっ……と?」


 言葉とは沿わない悲しそうな表情の先生は質問に答えてくれなかった。当然、俺は戸惑った。


「…………一方的ですが、私はあなたを五年前から知っているんですよ」


「――えっ!?」


 心臓が跳ね上がった。


 ここに来るという事で、自分の中に準備していた記憶が一気にこんがらがった。


「ちょっと先生。それはどういう事ですか?」


 刹那が俺に並びながら先生に詰め寄る。


「…………」


 刹那に、瞬に、視線を彷徨わせた先生は俺を再び見つめる――いつかの贖罪のような表情で――。


「……僅かの期間だけでしたが、膨大に誇張された報道は凄惨でした……それに私はその時には既に教師でした……ですからあの嘆かわしい事件は印象が強かったんです……」


 俺達から視線を逸らしたまま言った先生の言葉は俺の胸を浅く抉り取った。



 当時、あの事件の直後、この片田舎に位置する久住市は全国的に注目されたらしい。テレビ、新聞、週刊誌、あらゆるメディアでごった返していたという。

 今でこそ語る人はいないが、この町であの事件を知らない人の方が稀だ。俺達はもちろん、関わりの無かった人々にも忘れたくても忘れられない傷跡なのかもしれない。



「――先生!」


 刹那は叫ぶ。


「ごめんなさい……佐山さん。でも、だからこそ私は……塩田君を放って置けないんです」


「だからって今言わないでください」


「刹那、もういいよ、ありがとう」


 まるで自分の事のように先生を引き止めてくれていた刹那を制する。十分だった。


「先生、ありがとうございます。でも大丈夫、刹那や瞬がいるし、五年も前の事です。あんまり気にしないでください」


 俺は吐き出すように言った。きっと笑えるくらいに棒読みだっただろう。


「十八……」


 不安そうに俺を呼ぶ刹那。……そうだろう、俺は嘘を吐いたのだから。刹那や瞬にわからない筈がない。


「そうそう、あの生徒会窓口のアレ、俺、引き受けるんで」


 俺は言葉を続ける。放課後に言うつもりではあったが、今言うべきではなかったのかもしれない。しかし、俺は言った。先生に考える隙を与えないように。


「塩田君」


「いやははっ、俺じゃあ荷が重いかもだけど、瞬に甘えながら頑張ってみますっ」


 先生が何かを言う前に被せる。瞬には悪いが、形だけでも付き合ってもらう。


「わ、私も手伝います」


 捲し立てる俺に刹那も乗ってくる。って、刹那がこれに関わっちゃってどうだろう? なんだけど、仕方ない。


 その刹那のお陰だろうか、先生は言葉を呑んでいる。考えるように俺を見つめ、


「……わかり、ました……。明日、詳しくお話しましょう」


 了承してくれた。


 その後、先生は『たいへん邪魔をしてしまいました』と謝罪を繰り越しながら行ってしまった。


 優しくて丁寧でいつも相手の事を考えて話をしてくれていた徳川先生。今の先生はらしくない、というか、無理をしていたように思えた。


「……先生」


 刹那も俺と同じような心境なのだろう。


 いつかの贖罪のようだった先生。小さくなっていく先生の背中を見送りながら、どうしてもその姿を思い出してしまった。




 ……


 …………


 刹那と瞬と別れて数時間、そのまま出勤したleafでも俺の心は浮き沈みを繰り返していた。


 そんなこんなでディナータイムを乗り切ると、三週間前と同じように伊集院さんが来店してきた。


「高校のテストなんてほどほどでいいのよ〜。勉強は社会人になってからか、専門的な分野に携わってからで十分なんだから〜」


 なんとなく出たテストの話題に食いついてきたほろ酔い伊集院さん。それにしても、現役高校生のやる気を根こそぎ持っていくような事を言う社会人さんである。


「シオ君は赤点ばっかの補習王!って感じだと思ったのにな〜」


「し、失礼な! 久し振りに会えたってのにひどいっス!」


「うそうそ、あはは、かわいいなぁ〜。嬉しいこと言ってくれるしね〜」


 伊集院さんの独特のテンションに付き合ったお陰か、少し沈んでいた俺の気持ちが緩んでくれていた。


「でもやっぱりさ、えーと……刹那ちゃんだっけ? いつだかシオ君を訪ねてきた子でしょ? その子の為に頑張ったのかな〜」


 ニヤニヤとしながら言う伊集院さん。完全に俺を酒の肴にする気満々みたいだ。


「永島君から情報はだだ漏れよ〜。めちゃくちゃかわいいらしいじゃな〜い」


 デヘヘ、みたいな表情でいつもの知的な雰囲気が台無しである。


「はあ……そうですよ、全部刹那の為です」


 これ以上エスカレートすると厄介だし、否定するのも嘘を吐くのも御免なので断言しておく。


「…………」


 と、俺の断言が面白くなかったのか、伊集院さんはデヘヘ笑顔を絶妙に引きつらせる。……いや、真面目に答えましたよ?


「随分とご執心なご様子で、何より何よりじゃないのさ」


 一気に不機嫌っぽくなってしまった伊集院さん。フンッてしてそっぽを向きながらマティーニを一気に(あお)った。って、それアルコール30度近くあるからっ!


「まぁ、アタシには関係ないけどさ」


「い、伊集院さん?」


「お代わりよ」


 ぶつぶつ言いつつそっぽを向いたままグッとグラスを押し付けてくる。


「いつものヤツでモスコミュール」


「ちょっ! いつものって、アレはヤバいっスよ。伊集院さん、明日も仕事なんじゃないんすか?」


 いつものヤツ、アレとは"スピリタス"というポーランド産の世界最強ウォッカの事である。そのスピリタス、アルコール度数が実に96度という凄まじい物で、俺なんて匂いを嗅いだだけで卒倒しそうになる。当然のように火がつくし、もはやウォッカというより精製アルコールなんじゃないか、とか思う。そんなもんで作るカクテルなんて危ないに決まってる。


「うるっさいなぁー! シオ君には関係ないじゃん!」


 完全にやってられっか状態の伊集院さん。なんでやねん、とかツッコむ前にこうなってしまっては、もう俺の手には負えない。


「店長っ、店長っ!」


 とりあえずチクっておこう。




 ……


 …………


 先生を見送った俺達は、そのままの状態でしばらく立ち尽くしていた。自分で言ったことに後悔する俺、不安そうな刹那、学校を出てから一言も発しない瞬。誰も口を開かない。


 しかし、太陽が稜線に掛かった頃。


『十八、先生には気をつけた方がいいかもしれないな』


『『えっ?』』


 酷く冷たい一言を発したのは瞬だった。ずっと沈黙していた瞬の意外な言葉に俺も刹那も驚いた。


『先生には気をつけろ。刹那もだ』


 冷徹に、苛立ちを露にして言った瞬。


『ちょっと、瞬』


『今の先生、俺と刹那がいなかったら十八に何かを話そうとしていた。俺と刹那に聞かれたくない話をしようとしていた』


 俺と刹那を斜に見据える瞬は刹那の制止に応えるように言った。言い方は冷徹そのもの、嫌悪すらしているように見えた。


『そんな、そうだとしても、何か事情があるに決まってるわ』


 先生を擁護しているが、完全に否定をしない刹那。つまり、先生が俺に何かを話そうとしていたのは刹那も感じていたのだろう。


 ……俺も刹那と同意見だった。


『事情ってなんだ? この場所で十八に話す事なんて十八の家族の事に決まっている。それを俺達に聞かれたくないってなんだ?』

『――瞬っ!』


 俺は叫ぶ。


 瞬らしくないむき出しの感情、それは俺の為、俺の家族の為。俺と同じように先生を信じようとする刹那。根本的な部分はそんなにも優しいのに、膨れ上がるのは嫌な感情ばかり。俺はこの場所がそんな感情に包まれていくのがたまらなく嫌だった。


『俺がそういうの大嫌いなの知ってるだろ、瞬。……頼むからやめてくれよ……!』


 俺の叫びに絶句した二人は続く言葉に苦悶の表情を揃える。特に瞬からは激しい後悔の念を感じる。


『……すま、ない、十八……刹那も……』


 唇を噛む瞬。縋るような視線を向ける刹那。


『……とにかく、先生のことはいいからさ。日が落ちる前に、なっ?』


 半ば強引な俺の一言で、俺達は本来の目的に戻った。





 ……


 …………


「じゃ、お先です」


 店長になだめられながらも俺に散々絡んできた伊集院さんから開放された頃。少し残業となりながらも上がりの時間になっていた。


「お疲れ様、十八君。久し振りなのに残業させちゃって悪いねぇ」


 連休明けという事で申し訳ないのは俺の筈なのだが、店長は笑顔で俺を労ってくれた。


「そんな事ないですよ。ガンガン働くんで、よろしくって感じです」


 店長は本当にいい人だ。俺の事情もあらかたは知っているし、いつも俺を気遣ってくれる。ナイスミドルな雰囲気には憧れてしまいそうである。


「……十八君、悠達のところには行ったのかい?」


 笑顔を軽く引き締めると、優しい声で尋ねてくる店長。


 悠、父さんのこと。命日である今日、その父さんの眠る場所に行ったのか、という事だろう。


「もちろん行きましたよ。友達と一緒に」


 俺は不自然な位に明るく言う。


「……そうか。俺も昼に行ってきたけど、しっかり管理しているみたいだね。しかし……うん。……十八君、ちょっといいかい?」


 困ったように唸ったり納得したように頷いたりすると、更に表情を引き締めた店長は言った。


「……はい?」


 俺はたじろぎながらも続きを促す。


「何があったかはわからないが、一人で抱え込むのは良くないな。その友達たちも、俺も、永島君も、伊集院君だってそう、みんな君が心配なんだよ?」


「店長……」


 俺の強がりも、考えている事も、店長には全部お見通しらしい。


「十八君に関わっている人全員はきっと君を慕っているよ。みんな君の側にいたいんだと思う。悠の息子なんだ、俺が保証する。だから、もっと周りに甘えなさい」


 言い終わるとニッコリと微笑む店長。


「……はい、ありがとうございます」


 大きな自信を持って言ってくれた店長。その言葉を受け止めよう。心からそう思えた。




 leafを出て歩く帰り道。


 いつものようにゆっくり歩きながら、俺は思う。


 あれから五年。


 失ったもの。取り戻したもの。新しいもの。生まれたもの。

 今の俺を取り巻くものは変わった。俺を取り巻く人達は変わってしまった。もちろん、変わっていなかった人もいる。刹那や瞬、おじさんやおばさん、佐山の家の人達は何も変わっていない。


 しかし、俺と刹那が確認したように、足りないものがある。


 だから、俺を取り巻くものが変わった、そう認めなくてはならない。


 店長……わかってるんです。五年前の『俺達』がそうであったように、みんな信じよう……それは揺るがないんです。いや、迷った時もある。でも、あいつのように……人を信じることを忘れたくないんです。


 根拠なんか無くったっていい。伝わらなくったっていい。例え裏切られたっていい。どんな時でも、信じたいんです。



 誰にでも、どんな時でも、そうだった遥のように――。



 足を止め、星空を見上げる。


 刹那、瞬、俺、遥。いつでも一緒だった俺達四人の幼馴染み。


 今日、五年振りに四人が集まった。


 ……その時、既に太陽は隠れてしまっていた。刹那の表情も、瞬の表情も、自分の表情さえも、わからなかった。


 刹那は何を思っただろう……。


 瞬は何を思っただろう……。


 俺の想いは届いただろうか……。


 遥……俺達の声は届いただろうか……。


「…………」


 ……おとぎ話みたいに星空に遥の姿が浮かぶことなんかない。寂しさは募るばかり。


 満天の星が瞬く寒空の下、独りぼっちで歩く帰り道――ゆっくり歩く癖は治らない。歩幅を併せて歩く癖は治らない――。


 凍える寒さの中で彷徨う俺の右手――落ち着かない右手はポケットに仕舞う事が出来ない。俺の右手はぬくもりを求めて彷徨う――。


 ……わかってる……変えられないものだってある。


 五年前。


 あの時までいつも一緒にいた『友達』は刹那だった。あの時以降は瞬がいつも一緒にいてくれた。でも、一番多くの時間を分け合ったのは遥だった。どんな時でも一緒にいたいと思ったのは遥だけだった。


 その思いは今でも変わらない。刹那も、瞬も、一緒にいたいと思う。でも、叶うなら……遥の側にいたい……。それは俺が俺である限り、変わることは無い。



 ――待ってよぉっ!――



 幻聴に振り返る。


 無意識に差し延べた右手。


 重なる掌。重なる笑顔。重なる鼓動。全て俺達は一緒だった。加速する妄想はわかっていても止まらない。



 ――エヘヘ……ありがとう、お兄ちゃんっ――



 遥。


 塩田遥。


 ……俺と遥は血の繋がった実の兄妹。瞬や刹那と同じ。同じ日に生まれた双子の兄妹。


 俺が大好きだった人はたった一人の妹だったんだ。









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