060 第二章曜子03 予兆
「やっぱりやるんだよな?」
時計棟から教室に向かう途中、隣に並ぶ瞬が言った。
「ああ。テストが終わった時はうやむやになっちゃったけど、ちゃんと返事して引き受けるよ」
目安箱の件。テスト終了まで返事をする筈だったが、俺の自分勝手な行動のせいでうやむやになってしまった。しかし、テスト期間中にルナちゃん達も調べてくれたその"仕事"を俺はどうしてもやりたかった。
「…………」
俺の返答を聞いた瞬は歩きながら俺に鋭い視線を寄越す。
俺らしくない決意めいた口上に瞬は少し怒った様子だった。普段の瞬なら俺がこんな事を言ったら逆に喜ぶ所だっただろう。
「……すぐに元に戻すからさ。もう少し頑張らせてくれよ……」
俺の強がりなんか瞬にはお見通しだろう……。でも、俺が刹那の居場所を奪った以上、刹那の側にいる事を選んだ以上、地盤は固めなくてはならない。
「……絶対に無理はするな。それだけは"約束"しろ」
俺は立ち止まる。
瞬も立ち止まる。
一二年校舎と三年校舎を繋ぐ渡り廊下。始業時間直前である今の時間は教室へと急ぐたくさんの生徒達が行き交っている。
立ち止まっているのは俺達だけだった。
「……瞬」
『約束』、瞬はわざと強調して言った。
俺をあの時に引き戻すキーワードの一つ。俺が瞬に打ち明けたトラウマの一つ。瞬が知る俺のタブーの一つ。
しかしここ最近、生徒会というぬるま湯に浸かった俺はその重さを忘れていた。いや、忘れた訳ではない。俺の中の順序が曖昧になっていた。
それが瞬の口から発せられた事で露呈した。
「…………」
黙り込む俺に瞬は鋭い視線を変わらずに寄越す。
「……わかった……約束する」
最近の俺ならこうして口にしなければ、躊躇うことすらしなかったかもしれない。だが約束という言葉を口にするだけで全てにおいての重さが増す。
「……そうか。なら俺はもう何も言わないよ……頑張れ……」
鋭い視線を柔らかく細め、瞬は嬉しそうに微笑む。それだけで俺は重みを受け止める力を得たような気がした。
「瞬……ありがとう」
本当に、いつも。
「はは……じゃあ、教室行くぞ」
言いながらまた教室に向けて歩き出す瞬。俺も続こうと足を進めようとするが、俺は無意識に後ろを振り返ってしまった。
俺の全てだった世界を確認するように。
「――えっ?」
失い、誤魔化し、夢見た世界。それを見る事は二度と叶わないと認めた世界。
実在して、いる?
「――――」
俺を呼ぶ声?
教室へと続く渡り廊下、辺りを行き交う多くの生徒達、振り返ってぽかんとしている瞬、正面には…………。
「せんぱい?」
「ルナちゃんやないけぇっ!」
渡り廊下の向こうから駆けて来たのはルナちゃんだった。驚いている俺を不思議そうに見やってくる。
「おはようございますです」
「お、おはよぉ〜」
瞬との会話からの流れとはいえ、思くそ間違えてしまった俺。ちょっと気まずい。
「元気、ですか? せんぱい」
少しぎこちない笑顔で言うと遠慮がちに近付いてくる。
「あ、ああ。元気、かな? ……って、あわわわわ?」
ルナちゃんの様子にギクシャクしながら言うと……俺に絡み付いてきた! いつものように俺の右腕をギュッとしてきたってばよっ!
ざわ……ざわ……
周りの生徒達の視線が凄い事になっているぅ!
「せんぱいは刹那先輩の……彼氏さんなんですか?」
「だぁっ!?」
周りのざわめきも気になるが、何を言い出すんだ! ルナちゃんは!
「ななななななっ!? ななななんだってそんなっ!?」
色々とテンパってしまう俺。
「だって……あんなに無理してたし……あの生徒会長さんと仲良しさんだし……再会した幼馴染みとか、凄い"しちゅえーしょん"だし……」
ウルウルしないでぇっ! 周りの生徒達の視線がヤバくなるからぁっ!
「い! いや! ……刹那はさ、彼女さん……ではないよ?」
慌てて弁解したが、自分で言って自分で傷付いてしまった。
「……本当?」
むんぎゅっ
「――ハゥアッ!!」
俺は条件反射みたいに奇声を上げながらカクカクと首が折れそうな位に頷いた。だって、遠慮がちに掴んでいた俺の右腕をむんぎゅってしながら見上げられたんだもん!
ざわっ! ざわっ!
「そうなんだ……エヘヘ……」
ホッとしたようにいつもの百パーセントな笑顔になるルナちゃん。同時にむんぎゅっがパワーUPした。
いや……なんか、わかりやすすぎる? 刹那も瞬も言っていたが……マジすか?
ざわ!! ざわ!!
「授業、始まっちゃうですね……またです!」
周りのざわめきなど微塵も気にしていないっぽいルナちゃんは名残惜しそうに離れる。
「バイバイですっ!」
そのままほんわか笑顔でルナちゃんは駆けて行ってしまった。
「ははは……」
しこたま残った余韻に引き締まらないアホ面で手を振る俺……の周りのざわめき、っていうか殺気が凄いっ!!
「い、いやぁ……ルナもそうだろうとは思っていたけど……ありゃぁ間違いないなぁ」
ぽかぁんと傍観していた瞬も流石に引きつった笑顔で言う。
「いやいや…………って、いや、その前に逃げていいかな?」
瞬の冷やかしに否定するに否定できないよ、とかいう前に俺にビリビリと注がれる殺気が大変な事になりそうだった。
「その方が良さそうだな」
俺達は教室に向けて猛ダッシュした。
海老原さん。
ルナちゃん。
自惚れるつもりなど微塵も無いが、二人とも俺に好意を持ってくれているのは明らかだと思う。
彼女達とはまだ知り合って一月ちょっと……嬉しくは思うが、戸惑ってしまう。
彼女達が知っているのは表面上の俺だけだからだ……本当の俺という物をほとんど知らないだろう。
知っているのは瞬と刹那だけ。いや、瞬も、刹那も、俺の全てを知っている訳ではない。
全てを打ち明けるのは簡単だ。しかし、二人は俺を気遣うだろう。もう隠すつもりは無いが、俺はどうすればいいのかわからない。
もう俺達の関係を、時間を失ってはいけない。俺にわかるのはそれだけ。
刹那……君はどう思っているんだ……?
その日。久し振りに行われた通常通りの授業ではテストが次々と返却された。
地理、化学、現国、今日返って来たこれらのテストは平均点を大きく上回る結果を見せてくれた。今までの俺からすれば、快挙とも言える結果だった。
保健体育……再テストを宣告されたそれ以外は……。
「……田君? 塩田君?」
「えっ……あっ、ハイ!」
呼ばれていた事に気が付いて慌てて返事をする。
「塩田君、どうぞ」
教壇に立つ徳川先生が用紙を持って俺を呼んでいる。
「あっ! すいません」
テストの返却なのだと気付いてすぐに駆け寄って先生の側に行く。すると先生はテスト用紙を俺に……渡さずに見つめてきた。申し訳なさそうな表情で……。
「塩田君……がんばりましたね……」
表情はそのままに言う。
「……テスト前とはいえ、あまり目を掛ける事が出来ませんでした……申し訳ありませんでした……」
目安箱の件で俺を追い詰めた。先生はそう思っているのかもしれない。
有り得ない。
「違いますよ。先生のせいな筈ないです」
言いながら俺は先生が差し出す前のテスト用紙をヒョイッと受け取る。下手くそなのはわかっているが、明るい表情と声を意識してやった。
「……塩田君」
相変わらずの表情で俺を見つめている先生にもう一度笑顔を向けてから自分の席に戻る。
先生のせいなんて有り得ない。たとえ俺をつき動かした要因の一つであったとしても、全て俺のせいなのは間違いない。俺は先生に少しでもそんな表情をさせてしまった自分が許せなかった。
テストを見ると、96点。俺が高校で取ったテストの最高点だった。
……俺は直前まで頑張る事が出来ていたみたいだ。
五限目の数学を終え、六限目の英語も再テストを宣告された。
自分の不甲斐なさを受け止めつつも、やるべき事に立ち向かうのだと自分を無理やり奮い立たせた。
「失礼します」
放課後が始まってすぐ、俺は二学年の職員室に来ていた。
「Mr.塩田。どうしタ?」
入室した俺に気付いて対応してくれたのは、ついさっきまで俺達のクラスの授業を終えたばかりの英語のレイチェル先生だった。
「徳川先生に用があるんですけど、いらっしゃいますか?」
「Miss.徳川は五時間目の後に早退してイル。急用なのカ?」
「い、いえ、大丈夫です。明日でも平気なんで」
「そうカ。明日は再テストを行うゾ。忘れるナ」
「はい。失礼しました」
レイチェル先生に挨拶をして職員室を出る。……徳川先生は早退してしまったのか。五限目が終わった時点で言えば良かった、と思ったが、仕方ない。
「……十八」
外で待っていた刹那が声を掛けてくる。隣には瞬もいる。
「先生は早退しちゃったみたいなんだ。明日また出直すから行こう」
俺を気遣っている様子を拭えない二人と一緒に学校を後にする。
向かう場所は学校外。今日も生徒会活動はあるが、海老原さんと一年生達に任せて俺達は行かなくてはいけない場所に向かった。
夕暮れに染まる少し前の時間。
俺達が訪れたのは郊外の外れにあるお寺。しん……と静まり返るその空間を前に俺達は立ち止まっていた。
「刹那は初めて、だよね?」
「……うん……ごめん」
今朝の元気な姿を少しも感じさせない刹那は俯く。
「謝ること無いよ。刹那は今、ここにいるじゃないか」
なるべく明るく言った俺の声も静けさに飲み込まれていく……刹那の表情は晴れてはくれなかった。少し後ろにいる瞬も雰囲気に逆らわないように静かにしている。
俺達は学校を出てからずっとこの調子だった。
今日は12月13日。
今日で『あの日』から丁度五年。つまり今日はみんなの命日だった。
刹那とはテスト最終日の時に、瞬とはテスト休みの時に、一緒にここに来ようという事を…………いや、特に予定を立てた訳ではない。俺達の意識が強まった事を一人一人が意識したのだと思う。だから俺達はしてもいない約束通りにここを訪れていた。
そうだろう。
俺達の時間を取り戻すには、俺達三人が、この日、この場所に来なくてはならないのだから。
じいちゃんの知り合いでもある住職さんに挨拶を済ませた俺達はみんなが眠っている墓前へと進む。
刹那は初めて、瞬も俺が知る限り数えるくらいしか来ていないと思う。だから数え切れないくらい足を運んだ事のある俺が二人を引き連れて墓地を進む。
見慣れてしまった光景。夕映えの空の下の光景は寂しく、儚い雰囲気を演出している。吹き付ける冷たい風も、不自然な位の無音も、嫌になる位に見合っている。
皮肉にも俺達の気持ちと今日という日にぴったりだった……。
――あれ、と思った。
眩しい西日を受けてシルエットのように佇む人影。俺達の向かう墓前には先客がいた。
儚い雰囲気に溶け込むような物憂げに佇む女性には見覚えがあった。
「先生……?」
夕映えの光に染まる女性は徳川先生だった。