049 第一章刹那37 掩蔽
テスト準備期間が始まって一週間。
刹那は意気込み通りに毎日勉強会を開催してくれた。時計棟の会長室や事務室や刹那の家、時間を見つけてはそれらで刹那が熱心に勉強を見てくれた。
放課前や放課後の生徒会活動でも会長補佐である俺は常に刹那の傍らにいた。もちろん通常通りに行われる授業は別だったけど、昼休みや長い休み時間はほとんど一緒だった。
目の回るような慌ただしさで過ぎる毎日は正直いって気の休まる隙なんて無かった。
小さい時にいつでもみんなの中心にいたせっちゃん。
一緒にいてわかる。生徒会というこの学校の中心にいる刹那はやっぱりみんなの中心だった。
気が付けば俺も刹那の輪の中にいた。
浮かれていたのか。
懐かしさから、また錯覚していたのか。
忘れるなんて有り得ないのに。
……俺は後ろを気遣う事が少なくなった事には気付けなかった。
どっきんこどっきんこ
アホな効果音で誤魔化したくなるが、さっぱり誤魔化し切れないマイチキンハート。
放送施設用の小窓から様子を窺うと、今か今かと待ち焦がれる群衆の熱気に目眩すら覚えた。
「あなたの出番なんか一瞬よ。そんなに緊張してどうするのよ」
「い、いや……」
背後からの声にこれ以上ないくらいにみっともない表情で声にならない声を返す。それを見た声の主の刹那はがっくりと頭を押さえながらため息を吐いた。
「だっせぇな、先輩、別に先輩の事なんか誰も期待してねぇよ。出てっても誰アレって感じでお終いだし、退場する頃には忘れられてっから緊張なんか意味ねぇって」
カチーン
「うるさいなぁ、俺と同じで今日やる事がほとんど無いお前に言われたくないんだよ」
続いた声には強気で言っておく。自分の威厳やら尊厳やらはどうでもいいが、途端にムキーってなったコイツにはどうしても反発してしまう。コイツとはもちろん執行部の中の俺的最後の砦、橘である。
「開会1分前だ」
進行役を勤める親友の声にドキリとした。落ち着かない挙動でおたおたと見回してしまう。
「あなたの出番は一番最後よ。カチカチのままでいいから進行は見届けるのよ?」
呆れたようにそう言うと舞台へと歩いて行ってしまう刹那。俺はカクカクと頷くのが精一杯だ。後ろで笑いを堪える橘に文句を言う余裕もない。
さっきから俺は何に緊張しているのか。それはこれからここ多目的ホールにて始まろうとする恒例行事、12月の生徒会説明会に対してである事に他ならない。
ただの説明会であれば流石の俺もここまでは緊張しない。しかし、意外な人物ののほほん発言からそれは始まった。
今朝の説明会の打ち合わせの時。
『いつも任せきりで申し訳ないです。佐山さんも皆さんも……』
心底申し訳なさそうにそう言ったのは、久し振りに時計棟に顔を出してくれた徳川先生だった。
『いえ、任せて頂けるのは信頼してくれている証拠ですし、私は好きにやっているだけですので先生が気になさる事はありませんよ』
打ち合わせも無事に終え、俺はそんな風に謙遜しあう多忙な二人を眺めていた。しかし突然先生が俺を見てハッとしたように言った。
『そういえば……! 塩田君のお披露目をしなくてはいけないのでは……?』
『は?』
もはやビックリしたような先生の発言に俺は首を傾げるだけだった。お披露目? 俺の?
『お披露目……』
先生の発言に対して刹那は顎に手を当てて考えるような仕草でその言葉を繰り返す。すると刹那はニヤリと俺を一瞥した。
俺はその微笑にゾクリと身を強張らせつつ引きつった。とぉ〜っても嫌な予感がしたからである。
そんな訳で説明会のプログラムに急遽組み込まれる事になった俺のお披露目、もとい新役員の紹介並びにご挨拶。俺の感じた嫌な予感は見事に的中してしまったのである。
ため息すら出ない状況で舞台を窺うと、凛々しい姿の刹那を捉える。説明会も中盤へと差し掛かったのだろうか、彼女は大きなホワイトボードを使って12月の行事や予定を公示していた。観衆は直接、スクリーンの映像越しにと、食い入るように彼女に目を奪われている。
凄い。そう思った。
今まで、俺がこの生徒会に籍を置く前、静かに耳を傾ける観衆の一人として彼女を見上げていた時。ずっと遠く、手が届かない、いや、声すらも届かないと思っていた時。それはついこの間のこと。
そして今。俺が彼女と肩を並べてから。雲の上だと思っていた場所に来てから。
生徒会。そこに降り立ってから。
そこに俺が携わってまだ僅かな時間しか共有していない。俺はまだその雲の上を知り得ている訳ではない。しかし、まだ片足を突っ込んだばかりの俺でも理解できる。遠くから見上げていた時とは違う凄さを知り得てしまう。
刹那だけではない。瞬も、海老原さんも、橘を含めた一年生達も、雲の上に降り立った事でみんなの凄さは日々痛感している。
毎日が自分の小ささを確認しているような、そんな感覚で自身を見下ろしてしまっている。
刹那は素行不良からの出向と言った。けれど俺もいた観衆の中には俺よりも優れた人はたくさんいると思う。きっと俺よりも彼女達の手助けが出来る人がたくさんいるだろう。きっと観衆が、同世代の仲間達が、全校生徒みんなが願う毎日の手助けを出来る人が、数多くいるだろう。
立場が近いとはいえ、目に映る光景は遠い。
……いや、近いからこそ遠くに見えてしまう。
『――12月の要項、行事のお知らせは以上になります。通例に倣いまして、質問、要望などございましたら各クラス委員、もしくは生徒会執行部まで提示して下さい』
あ、終わっちゃった。って事は……。
『続きまして、11月より新しく我が生徒会執行部に就任した役員の紹介並びに挨拶へと移らせて頂きます』
進行役の瞬の声に代わり、打ち合わせ通りに会が移り変わる。
あわわ……た、た、確かここで舞台に上がればいいんだったよな。刹那の隣に立って、刹那が紹介文を読み上げて、俺が挨拶を言えばいい筈だだだだだ。
「ほ、ほ、ほらっ! で、出番だぞ! いいか? 目の前の生徒達はカボチャだ! ジャガイモだ! そ、そ、そう思ってりゃ緊張なんか、し、しねぇ!」
ドンッと背中を押す橘。
っていうかお前が緊張してどうする? そんな上擦った声で送り出されても余計に緊張するわい!
……と、押し出されて数歩あゆみ出して気付く。見渡さなくてもわかるくらいに一気に広くなった視野。思考が追い付いてくればくるほど高鳴る鼓動。
そう、俺はもう大観衆の衆目に晒されていた。
――だあぁぁぁっ!! 橘ぁっ!!
ぱくぱくと声にならない声を出しながらも橘の言っていたカボチャとジャガイモを心の中で連呼する。それのお陰だろうか、足は止まらずにカクカクと刹那の元へと進んでくれていた。
長い。たった30メートルくらいの道のりなのに何倍にも感じる。急遽きまったという事もあるが、ぶっつけ本番だから突き刺さる視線はもちろん初体験。球技大会の時は瞬に隠れていられたけど、今は一人だし、俺って一応これから主役だし。
ガッ
「――あ痛ぁっ!」
上履き越しに激痛。目の前には壇上中央に設置された演台。前も見えていなかった俺は当然のように前方不注意で自爆した。
カボチャやジャガイモ達からクスクスという笑い声が聞こえて来る。それに釣られて俺は正面、観衆へと視線を移してしまった。
「――――!」
人、人、人。何処を見ても人。知ってる人もいる筈なのに誰の顔もわからない。カボチャやジャガイモじゃないが誰の顔もわからない。
更に続く観衆からの囁き声。
目の前が真っ白になる。ついさっきの痛みも何処かに吹き飛んでしまった。弾かれたように俺は俯いてしまう。身を焼くような恥ずかしさで顔が熱い。
尚も続く観衆からの囁き声。
向いてない。俺には向いてない。俺はここに立つ気概も心意気も持ち合わせていない。逃げ出したい衝動に駆られるが足が竦んで動かない。
『――静粛に願います!!』
ハッとしたように顔を上げる。
瞬、瞬の声。飽きるほど聞き慣れたその声の主は瞬。マイクを通した声とはいえ、それはホールの隅々まで行き渡る澄んだ声。ホールを埋める1500人を超える全ての人達が一斉に静けさを取り戻す。
声に釣られて見た舞台脇には進行役を勤める親友。気楽に行け、とでも言いたそうに肩をすくめて微笑んでいた。
あまりに瞬らしくて心の中で苦笑してしまう。こんな状況にいるのにニヤけてしまいそうになる。
視界をずらせば刹那。すぐ隣の彼女は情けない姿で進行を妨げる俺を見ようとはしない。正面の観衆に視線を留め、凛々しい姿を維持していた。
――ふわりと俺の右手が覆われた。
演台に隠すように刹那の左手が俺の右手に触れていた。握られた訳ではない、あてがうように触れただけ。刹那の視線が俺に向けられる事もない。凛々しい姿で正面を捉えたまま動いていない。長時間に渡って長い口上を読み上げていたせいか冷えきっていた彼女の掌、それは羞恥から火照っていた俺の熱を冷ますには十分だった。俺の意識を覚ますには十分すぎるぬくもりだった。
俺は彼女に倣うようにゆっくりと正面を見据える。
観衆の最前列より前には説明会の詳録を担当している海老原さん。姿は見えないが音響や映像の裏方を担当しているルナちゃんと進藤さん。背中を押してくれた橘。俺を見守っていてくれているであろう瞬。導いてくれた刹那。
俺には1500人よりもその存在の方が遥かに大きかった。
大観衆の視線は少しも気にならなくなっていた。
「せ〜んぱいっ! お疲れ様です〜!」
生徒の退場が終わった瞬間、舞台袖に引っ込んでいた俺に突撃して来たルナちゃん。
「よいしゃあぁぁっ!」
当然そのやわっこいチャージは核兵器並の威力。役目を終え、一度は解けていた緊張が一気にぶり返してハジけた奇声を上げる俺。
「ははは〜っ、な〜んかかわいかったですよ〜せんぱ〜い」
ツインテールをひゅんひゅんいわせながら腕に絡み付くルナちゃん。先ほどの俺の大醜態に満面の笑顔でフォローしてくれた。
「い、いんやぁ……みっどもねぇだげだったベよぉ〜」
掴まれている腕を中心に急速に癒されてしまう俺。多分はたから見たらブっ飛ばしたい男ナンバー1だろう。
「くっくっく。名前を言って、よろしくお願いします、の挨拶だけなのに噛みまくっていたけどな。というかなまりまくっていたけどな」
「アイタァ!が笑えた。あれは保存版だ。あーっはっはっ!」
にこやか笑顔で俺の醜態をほじくり返しつつ現れた進藤さんと橘。言いながら二人で左右からひょいっとルナちゃんを俺から引き剥がす。顔は笑ってるけど笑ってません。はい、すいませんっした。
「とにかく、どうにか無事に終わったな。一番の目的は全校への顔見せだったんだ。上出来だったよ」
延長コードをクルクルしながら瞬が嬉しそうに登場した。その後ろには海老原さんも。
『――あ痛ぁっ!』
は?
何やら忘れたいフレーズがリプレイされた気がしたんですけど……そう思いながら視線をやると、
『――静粛に願います!!』
親友の声もリピートされてます?
「……保存版……なの……」
そう言いながら携帯を構える海老原さん。そして、その携帯には壇上で哀れな一人漫才をやってる俺が映っていた。
「――ヲイィィッ!!」
ムービー撮ってたのかいぃぃ! 海老原さぁんっ!
「……かわいかったの……」
ほんのりと顔を紅く染めて呟く海老原さん。ってそんなのかわいくもなんともないよぉ! 消して消して!
「はっはっは、今日の主役はばっちり十八だな」
ぽんぽんと肩を叩く瞬が苦笑して言う。
「こんなんで目立って嬉しい筈ないだろ……」
「あーら、じゃあもっと別のところで目立っちゃいましょうか?」
トホホと脱力しようとする俺に超攻撃的な声が掛かる。
「…………」
そりゃあこの流れなら落ちはあると思ってたし、やたらと登場を引っ張るなぁ〜とか思ってたけどさ。
「期末テストでランキング入りすれば、もう目立っちゃってしょうがないんじゃないかしら! そうに違いないわ! やるしかないわね! 今日は耐久模擬テストをやるしかないわね! 三部作のハリウッド映画の日本語訳を一人でやってみるとかもいいわね!」
なんでそんなに怒ってるんだよぉぉっ!