042 第一章刹那30 依拠
俺が辿って来た道がある。
俺が出会った人達がいる。
家族。友達。先輩。後輩。先生。親しい人。触れ合った人。言葉を交した人。立ち止まった人。すれ違った人。
一緒にいた人。再会した人。
失った人。
俺が辿り行く道がある。
そこに見えるもの。
もうすぐ12月。
冷たい潮風に乗って遠くから波の音が聞こえる。足元の至る所には水溜まり。映し出された太陽がそれを避けながら歩く俺を照らす。見上げれば青。眩しい位に輝く青。足元から照り返す光よりも、顔を出して間もない光よりも眩しい青。
雨は上がっていた。
緩やかな坂道。始業時間の一時間前。俺はゆっくり、ゆっくりと歩く。
部活へと急いでいるのか駆け上がって行く生徒達が俺を追い抜いて行く。急ぎ行く彼、彼女達の向かう場所には待っている人がいるのだろうか。先生? 友達? 先輩や後輩達だろうか?
「…………」
ポケットの中の携帯を握り締める。無意識に浮かび上がる。僅かな時間に触れ合った出来事が揺らめく。おぼろげだった思い出が揺らめく。忘れる事が出来ない思い出が霞んで行く。
気が付くと自分の足が逸っていた。止まらない。
時計棟を視界に捉え、自然と息を吐く。自分でもわかる程の大きな安堵の息を吐く。
「……十八……」
小さな声が掛かる。
「…………」
俺は息を吐く。先ほどよりも大きな安堵の息を吐く。
「……おはよ……」
言葉は続く。
突然の声ではあったが、驚く事は無い。声に優しい気遣いが含まれていたから。とても臆病だけど俺を気遣ってくれていると知っていたからだ。
他愛の無い朝の挨拶。それが俺の深いところにに染み込んで行く。
「……おはよう。海老原さん」
自分の出来る限りの優しい声で挨拶を返す。自分の出来る限りの自然な笑顔を添える。
「……十八……ご機嫌……?」
「えっ?」
両手に数冊の本を抱えた海老原さん。首を傾げながら訊いて来る。
ご機嫌?
「……すごく……嬉しそう……」
首を傾げたまま言う。
どうやら俺の自然な笑顔はかなり不自然だったらしい。
「いや。えー……、朝一から海老原さんに会えてさ、嬉しくてさ……」
ん? 俺って今なんつった?
自分で言っておいて自分にツッコミたくなる。本心からの言葉だが、あまりにストレートに言い過ぎじゃなかったか?
「…………」
本を抱えたまま固まっている海老原さん。俺のバカな発言でドン引きさせてしまったか?
「あ、あの……? 海老原さん? とりあえずその本、持つね?」
海老原さんの持つ数冊の本をひょいっと受け取る。
「…………」
本を持っていた体制のまま膠着を続ける海老原さん。
「……あの?」
「――!」
少し心配になって顔を覗き込もうとするとバッと同じ体制で後退る海老原さん。ってちょっと傷付くってそれ。
じぃ〜
俺から距離を取った海老原さんがいつもの凝視で俺を見て来る。何やら両手で口許を隠す仕草をしながらなので、とてもかわいい。
「海老原さん?」
「――!?」
近付こうとしたらびくっとしたように体を引いて時計棟入り口に走って行ってしまった。
「えええぇぇ」
本を抱えたまま唖然としてしまう俺。マズった、と思ったけど追うに追えなかった。
生徒会長室。
大分早い時間にそこに来た俺は掃除、備品整理、お茶汲みの準備を済ませて刹那を待っていた。
8時前、もうすぐ刹那が来る。ポケットの中の携帯を握る。非常に落ち着かない、そわそわする。実は刹那より早く来たのが初めての俺は色々と構えてしまっていた。どう挨拶しようとか。勝手に備品整理すんなとか言われたらどうしようとか。かなりテンパっていた。
「あなた……何やってるの?」
何って落ち着かないんだよっ。落ち着かなくて落ち着かないんだってば。そうだ、事務室にいる海老原さんに来てもらおうか? 二人で刹那を迎えようか? いや、決して刹那に会うのに緊張している訳ではない。ただ、なんつうのか昨日の盛り上がった俺の行動を思い返すと不安っていうか、怖いっていうか。
「ちょっと!? 十八!」
「えっ!?」
突然の大声に反応すると訝しげな表情の刹那が……。
「って、せつにゃんっ!!」
「せつにゃん言うな!」
ビシッと喉元に抜手でツッコまれる。当然『ぐえっ』ってなる。
「あっ! ごめん、十八っ」
咄嗟に痛がる俺を気遣うせつにゃん、いや刹那。……って刹那? 近くない? 喉を抑えて固まる俺の目の前に俺を不安そうに窺う刹那。これは本当に『目の前』という意味、俺と刹那との距離は10センチ無い。遊園地の時の距離よりも全然近い。
「せ、せ、刹那……大丈夫やから……」
近すぎる刹那を直視できない俺は視線を逸らす。顔が熱い。かなり紅くなっているに違いない。
「あ……」
俺の行動を見て刹那も自分の状況に気付いたのか、視線を逸らして俺から離れる。
「「…………」」
無言。沈黙。
いやいやいやいや!! 冷静になれよ俺! 勘違いするな!
「おちゃ、おちゃ、お茶ぁ淹れて来るだぁよ」
上手い口実を見つけたので慌てて立ち上がると逃げるように会長室を出る。
「十八」
と、部屋を出ようとすると声が掛かる。
「な、なに……?」
ドアに手を掛けた体制で聞き返すがヘタレなので振り返れない。
「……おはよう。十八」
背後から続く刹那の言葉。おはよう。朝の挨拶。一日の始まりの言葉。さっきまで俺が勝手に勘ぐっていた不安要素。
俺だけに向けられた言葉。
俺は振り返ると刹那と視線を戻す。
「おはよう。刹那」
交差した刹那との視線。不思議と照れくさいと感じる事は無かった。
朝の生徒会を終え、HR前の教室に入る。
???
俺の前の席の渉。俺の隣の隣の席の瞬。二人とも遅刻しないで来ているようだが……。
「おはよう、阿部さん。ねぇ、どうしてコイツらって寝てんの?」
そう。瞬と渉は自分の机に突っ伏して爆睡していた。瞬はともかく渉が朝一からこんな状態なのは珍しい。
自分の席である俺と瞬の間の席に着いて携帯をいじくっていた阿部さんに訊いてみる事にした。
「おはよぉ、塩田君。なんかねぇ、瞬君が言うにはねぇ、夜中まで電話で山崎君に文句を言われてたらしいよぉ。文句ってなんの文句なのかなぁ?」
「ふーん。文句ね〜」
思いっ切り心当たりがある。瞬……すまん。
「まぁいいか。ところでさぁ、今日からテスト準備期間だよねぇ……やだよねぇ〜」
「えっ? ああ、そうだね」
瞬達の話題をあっさり終了させた阿部さん。新しい話題を振って来る。
阿部さんの言う通り、今日から期末テストに向けて二週間の準備期間に入る。即ち二週間後の今日から二学期末考査が始まる。曲がりなりにも進学校を謳うクズ校は二週間も前から一部を除いた部活動も活動禁止になる程の徹底振りなのである。
「あたし中間で赤点あったから期末は頑張らないとヤバいよぉ」
ガクーッと机に突っ伏しながらぼやく阿部さん。元気系の阿部さんは勉強があまり得意ではないみたいだ。
何やら突っ伏した三人に囲まれながら考える。
二学期末考査準備期間。生徒会の活動も休止してしまうのだろうか……テスト自体は少しも嫌ではないが、心の中にもやもやと不安が湧き出していた。
昼休み。
ぶるるるる
昼休み開始のチャイムと同時にポケットの中の携帯がブルッた。
着信 橘巴
「やっぱりお前なのね……」
思わずツッコんでしまいながら通話ボタンを押す。
「第一学食だかんな! 急いで来いよな!」
ツーツー
「…………」
まぁ、とりあえず急ごう。
「あれっ? シオってば、どこに行くのっ?」
くっ……渉。バレる前に教室を出てしまおうとしたが見付かってしまった。
いつもなら俺と瞬と渉の三人はだいたい昼休みの行動を共にしている。渉がこう聞いて来るのも仕方ない。しかしこういう時の渉は何故か鋭い、下手な言い訳をしてもねちねちしつこそうだ。
どうする?
1 たたかう
2 にげる
3 なかまをよぶ
「瞬っ! 何も聞かずに渉をどうにかしておいてくれっ!」
速攻で3を選択する俺。
「……なんだか知らんが了解だ! 十八!」
午前中の授業を全て寝て過ごした瞬。昼休みが始まっても机に突っ伏した体制で寝ていた。だが俺の声を聞いた瞬間、ガバッと起き上がる。
「えっ? ちょっとちょっとシオっ?」
「ついでに学食にも来させないでくれっ!」
「任せろっ!!」
「意味わかんねぇってばよぉぉっ!」
そして学食到着。
とりあえず速攻でサンドイッチとコーヒー牛乳を買った俺はキョロキョロと学食を見渡す。しかし昼休み開始直後のくせに学食は既に超満員で溢れ返っていた。とてもじゃないが簡単に見つける事は出来そうに無い。電話を……。
「せ〜んぱいっ!」
ムギュゥッ
「……は?」
ぼぉ〜っと学食を見渡す俺の右腕がとてつもなくやわっこい感触で包まれる。
「こんちわです!」
「…………」
はい、右腕に核が投下されました。
「にゃふふふふふっ! るるるるなななな」
テンパって口が回りません。
「こっちです! せんぱい!」
壊滅的なほどに紅潮している俺を引っ張って行くルナちゃん。超満員で溢れ返る学食中の生徒の視線が俺に集中放火。
「連れて来たよ〜」
なんて言いながら俺を引っ張り続けるルナちゃんの向こうには第一学食のVIP席と名高い窓際のテーブル。そこに座る橘と進藤さんが居た。
「ちっ。バカ丸出しの変態面で登場すんなよな。先輩」
呆れたような表情で俺を見やる橘。イラッと来るが今の俺の状態を見れば言われても仕方ない。
「…………」
うぅ……進藤さん。今まで通りの鋭い視線……昨日とのギャップからなのか怖い。
「ルナ達の四時間目は体育だったです。クラスのみんなにお願いして片付けの途中で抜けさせてもらったです」
ルナちゃんが橘の隣のイスに座りながら言う。
「だからこんなVIP席をゲット出来たんだね」
「まぁそういう事だ。先輩。とにかく座ったらどうだ?」
白メガネモードを解除した進藤さん。薄く微笑みながらそう言うと自分の隣のイスを引く。
「……うん」
ギャップ? ついさっきの自分のバカな考えを激しく後悔した。当然、俺の心が暖まったのは言う迄も無い。
「じゃあ先輩。昨日の先輩の恥ずかしい話を全部暴露してもらおうか」
俺が席に座った途端、何やら不機嫌そうな橘が言う。
「はあ?」
この子はいきなり何を言い出しやがる。
「くっくっく、先輩。違うんだ。昨日私がそういう風に話してしまったからなんだ。すまないな」
隣の進藤さんが言う。
???
「『行けなかった』二人に昨日の話をしてあげたいんだ。この配置で座ったのもその為だぞ?」
にこやかに言う進藤さん。
俺はハッとした。今進藤さんが言った『行けなかった』。昨日進藤さんが言った『絶対に行けない』。瞬の言っていた毬谷家の話。
正面のルナちゃん。見て取れる程に期待の籠った表情で俺を見つめいる。母親におねだりをする小さな子供のように……。橘もいつも通りに見えるが俺の話を聴く気は満々だ。
彼女達の実際の事情がどうかなんか俺にはわからないし聞こうとも思わない。
でも、
「あんまり笑っちゃ駄目だよ……?」
昨日の俺が感じた優しさを少しでも聞いてほしかった。伝えたかった。
「はいっ!!」
俺の声に元気に返事をしてくれるルナちゃん。ルナちゃんに釣られてか橘の表情も綻んでいた。
いただきます。で始まった俺と進藤さんの他愛の無い話。
進藤さんにいじられて、橘に大爆笑されて、ルナちゃんにもやっぱり笑われてしまったけど……。
嬉しかった……。
自分の現実が歪んでしまったのはわかってる。
彼女達に追い付いてはいけないのもわかってる。
でも自分の想いを否定したくなかった。
妄想じゃない。
幻想でもない。
たった一欠片の現実でいい。
彼女達が分けてくれるたった一欠片の優しさでいい。
俺は思った。
『ここ』にいたいと……。