036 第一章刹那24 覆轍
日曜日。
待ち合わせの久住ヶ丘駅南口。俺はその駅前にあるヘンテコなオブジェの前で佇んでいた。
俺たちの住むこの久住ヶ丘駅の周辺は、駅を挟んで馬鹿でかい豪邸が立ち並ぶ高級住宅街と俺ん家もある昔ながらの住宅街に別れている。
俺が今いる南口は高級住宅街側、何をイメージしたのか分からないが、統一した造りの建物やレンガ造りの歩道はおしゃれっぽい気がする。leafがあるのも南口なので毎日のように来るけど、こうして立っていると凄い落ち着かない。
この駅の待ち合わせ場所の定番という事で、オブジェ前に集合になったのだが、うんざりしてしまっていた。
時計を見てみると9時20分。待ち合わせの時間は9時30分。
しかし何を血迷ったのか俺は8時からここにいる。朝のバイトは休みなのに、遅れる訳にはいかないと同じ時間に起きてしまった(3時起床)。
もうすぐみんな来るだろう。そわそわする俺は自分の服装チェックをする。ちなみにこの行動は本日10回目である。
くたびれたような皮のブーツ(そういう仕様らしい)。ちらほら穴が空きそうなトコがあるGパン(そういう仕様らしい)。用途不明のベルトがたくさん付いたライダースジャケット(そういう仕様らしい)。一応瞬に選んでもらった服だから大丈夫だと思うけど……不安だ。
うんざりの理由が周りの景色だけじゃないのは言うまでも無い。
待ち合わせ時間の少し前。
「おーっす! 十八、おはよう」
声が掛かる。瞬である。刹那も一緒だった。
「おっ!! ……瞬……刹那……おはょぅ」
ガバッと声に反応するが、返した挨拶は途中から小さくなって送った視線も逸らす俺。
私服の刹那。白いのブーツに膝上丈のチャコール小花柄のひらひらワンピース。前を開けた白いコート、首回りに黒いストール。そしてブーツとスカートの間に見えるのは網タイツ。……もう一度言う、網タイツである。
「…………」
地味な色で統一されてるのになんだこの着こなしは? いちいちエロくねえか? いちいち俺にツボってねえか? やべぇっ! 直視出来ねぇよっ!
「おはよう、十八」
あ、挨拶されちゃったよ!
「ちょっと? 聞いてるの?」
黙って俯くだけの俺の反応で怒らせてしまったのか、刹那はムッとしたような声と共に俺の顔を覗き込もうとする。
「いや!! いやや!!」
両手で顔を覆いながら叫ぶ俺。
「はは、刹那の私服がかわいいんだってよ」
暴露する親友。高校生のくせにトレンチコートなんか着こなしてやがる。
「あら、当然だわ。そう思うならいくらでも見ていいから、ちゃんと挨拶しなさいよ?」
当然と来たよ、この子は。
そして待ち合わせ時間ジャスト。
「……おはよう……」
海老原さんと、
「おはようございます。先輩方」
進藤さん。結局、更に呼ばれた三人目は進藤さんだった。
ここでまた解説しよう。
私服の海老原さん。黒いブーツ、しっかり閉じられたベージュのダッフルコートにチェックのマフラー。普段以上に幼い印象だが、海老原さんのイメージにぴったりだと思う。
進藤さん。上下黒のジーンズ。アウターにミリタリージャケット。いつもの縁無しメガネではなく黒縁メガネを掛けている。……ぶっちゃけ凄い地味だった。見た目だけなら清楚で優等生タイプの進藤さんのイメージとは掛け離れている。
まぁ二人とも普通レベルを大きく逸脱したかわいさであるのは間違いない。
それにしてもよく進藤さんが渉の相手をオッケーしたなと思う。
3分後。
「放置ね。行きましょう」
待ち合わせ時間を過ぎても現れない渉。仕方なく待とうと言って1分後に放置を決定した刹那。
「ちょ、ちょっと。もうちょっとだけ待ってあげようよ。電話してみるからさ」
と、俺がフォローしつつ携帯を取り出そうとすると、
「――おっ・まっ・たっ・せーーっ!!」
狙いすましたように馬鹿が来た。
「いっやーっ! 主役だから遅れちゃったよーっ!!」
戯言は後にして、とりあえず遅れた事を詫びるべきである。
「瞬っ! シオっ! おはようっ! そしてぇっ! 俺のエンジェル達おっはよーーーっ!!」
馬鹿の咆哮が続く。
俺を含めた全員が真顔で宇宙馬鹿を見やる。
「さぁ、渉は来ないみたいだから行こう」
瞬が言う。
「賛成だ。渉の事だからうっかり寝坊してるんだろう、放置だね」
俺も続く。女の子達も馬鹿を見ないようにしてついて来る。
という訳で、俺達5人は遊園地へと向かう為、改札に向かったのである。
「えっ? ちょっとちょっとちょっと!! ごめごめごめんっ!!」
放置である。着ている服も知らんのである。
遊園地は久住ヶ丘駅から6駅を越えた『御美ヶ浜駅』にある。
この御美ヶ浜、『おうつくしがはま』と読むのだが、漢字が悪いのか多くの人に『ゴミ浜』と呼ばれている。その御美ヶ浜市にあるのが今回行く遊園地、『御美ヶ浜遊園地』、そのまんまである。
移動中の電車、日曜日の電車はガラガラで全員座っていた。
「進藤さん、よくオッケーしてくれたよね?」
隣に座る瞬にひそひそと話し掛けてみる。
「ああ、俺も意外だったよ。ダメもとで会計の三人に振ったんだが、まさか進藤とはな……橘ならまだわかるが」
ダメもと……そういえばどうして瞬はルナちゃん達は来れないような事を言っていたのだろうか?
「十八が訊きたい事はわかるぞ? ルナの家、つまり毬谷家の事だが、どうも厳しいらしくてさ。あまり外出が許されていないらしいんだ……。一緒に住んでる橘や進藤も似たようなものらしいぞ」
毬谷家。久住市、いや、恐らく日本でも有数の大富豪の家。あまり気にしていなかったがルナちゃんはそこのお嬢様だった。
それにしても橘と進藤さん、ルナちゃんと仲がいいとは思っていたが、一緒に住んでるとはな。そう思いながら進藤さんの方を見てしまう。女の子達は少し離れた席で三人で固まりながら談笑していた。こちらの会話は聞こえていないだろう。
「まぁ、どういう訳か、進藤が来てくれて助かった。『あの馬鹿』の相手はかわいそうだが、面子が揃ってくれたのは実に有り難い」
言いながら視線を隣の車両に続く通路に移す瞬。そこには戯言のペナルティーとして同じ車両に乗る事を拒否された渉がいた。渉は車両を隔てる扉の窓越しにこっちを羨ましそうに見ている。
「ちょっとかわいそうだな」
見た感じあまりに不憫過ぎる。
「あの勘違い馬鹿の事はいい。十八、お前の今日の目的は刹那なんだぞ?」
「えっ? あ、ああ……」
軽く呆れたような表情で言う瞬に気の無い相槌を返してしまう。
瞬の考えているような付き合うとかくっつけるとかいう事はともかく、俺は刹那と仲良くなりたいとは思ってしまっていた。せっかくみんなで遊びに行くのだから楽しければいいとも思ったが、瞬に任せる事にした。
御美ヶ浜駅で電車を下りて更にバスで10分。御美ヶ浜遊園地に着いた。
「イヤッホウッ!! 着いたよっ!! ほらほらっ!」
着いた早々にはしゃぎ回る渉。その無駄に高いテンションにみんなで疲れた気分になってしまう。
「じゃあ俺はチケットを買って来るよ」
瞬が苦笑しながら言う。
「俺も行くよ」
なんでも任せっきりじゃ流石に悪い。
「いいって。みんなに変な事しないように渉を見といてくれ」
冗談とも本気とも取れる指令を残して駆けて行く瞬。
「先輩を遥かに陵駕したあの愚物はなんですか?」
瞬を見送ってすぐ、真顔の進藤さんが言う。頼むから『愚物』の基準を俺にしないでもらいたい。
「山崎渉。俺と同じクラスの友達なんだ。ちょっと変だけどいいヤツだよ」
このままだと渉の一日が終わる気がしたので、とりあえずフォローしてやる。
「ほう、確かに副会長も生徒会以外の友達と言っていたらしいな。しかし、会長はどうする? 恐らくかなりご立腹だぞ?」
そう言って少し離れた所に立つ刹那に視線を促す進藤さん。刹那は見るからに不機嫌な様子で馬鹿騒ぎする渉を見ていた。
「い、いや……どうしよう……」
進藤さん、渉を頼むよ……とは言えず、情けない事を言ってしまう。
「くくくっ、悪いが私には無理そうだ。よって私は知らん。塩田先輩と副会長でどうにかするんだな」
含み笑いでそう言うと刹那の所に行ってしまった。
それを見送ると、刹那の視線を追う。はしゃぐ渉越しに遊園地の正門、奥に見えるアトラクション。御美ヶ浜遊園地は国内でも有数の巨大テーマパーク、加えて日曜日というだけあって家族連れやカップルで行列が出来ている。俺達のようなグループもたくさんいる。
誰もが楽しそうに笑い合っている。
「…………」
ふと隣に視線をやると海老原さん。相変わらずの無表情でぼぉ〜っと正門を眺めている。
「海老原さんは遊園地好き?」
話題を振ってみる。
カクン
恒例の相槌。
「……わくわく……」
「いや、わざわざ口に出さんでも……」
どうやらかなり好きらしい。
「…………」
俺も好きだけど、あまり来た事が無い。
最後に来たのは。
そう、小学校六年の夏休み明けの日曜日。
刹那と瞬。
俺。
……そして、母さんと来たんだ。
遥は季節外れの風邪を引いて来れなかったんだよな……。
『ほらほら〜トヤ君! 早く早くっ!』
『痛いよ、せっちゃん! どうせ行列が出来ているんだからすぐには入れないよ!』
遊園地とかが大好きだった刹那。あの時は着いた早々にはしゃぎ回っていたのは刹那だった。
『早く並んで少しでも早く入るの!』
『わざわざ走る事ないよ。僕は母さんとゆっくり行くから瞬ちゃんと行きなよ』
保護者として一緒に来てくれていた母さん。本音を言えば俺も刹那と一緒にすっ飛んで行きたかったが、母さんを置いてまで行きたくなかった。
『十八。私の事はいいから、せっちゃんと瞬ちゃんと一緒に先に行きなさい』
『でも……』
『お願い、十八。私もみんなが楽しい方が嬉しいの』
大好きだった笑顔を添えられてそんな事を言われて断れる筈なかった。
病弱で体が弱かった母さん……。
優しくて暖かかった母さん……。
「――十八? 十八? どうした?」
突然の呼び掛けにはっとする。
「えっ? あっ、いや、なんでもない……大丈夫」
あぶないあぶない。ちょっとトリップしてしまった。
苦笑しながら前を見ると、みんなが怪訝そうに俺を見ていた。
???
いや……刹那。
すぐに逸らされてしまったが、みんなの一番後ろにいる刹那だけは違う表情だった。
いつかも見た表情。
見間違える筈なかった。
刹那は泣きそうだった……。