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032 第一章刹那20 羈絆


 何をやっても楽しかったあの頃。


 自然と集まる仲間、友達。


 一緒に走り回って、笑い合って、楽しかったあの頃。


 駆け足で過ぎ去った時間はもう、戻らない。




 5人対4人の野球もどき。活発でいつもみんなの中心にいた刹那の影響でよくやった遊びの一つだった。


 小学校六年の春先のとある日曜日。その日はいつもの野球もどきではなく地元の草野球チームと『野球』をやった。


 他の草野球チームと対戦を予定していたその地元草野球チーム、相手チームにキャンセルを食らってしまったらしく、たまたま遊んでいた俺達に『遊び』で野球をやろうと持ち掛けて来た。もちろん俺達は二つ返事で了承した。


 最初は胸を貸す位のつもりだったのか、ニコニコと手を抜いてくれいた草野球チームの大人達。しかし、試合が進むにつれ、俺達の実力が分かったらしく容赦が無くなって来ていた。俺と瞬と刹那がいるんだ、当然だった。



『はるちゃん、行ったよ!』


『うわぁ! 捕れないよぉ!』


 草野球チームの打った打球に追い付いた迄は良かったが、グラブで弾いただけで取り落とす遥。俺達とは違い、どんくさい遥は何をやらせても駄目、仕方がないと外野に追いやられても、やっぱりみんなの足を引っ張っていた。


 しかし俺がそれを見過ごす筈が無い。


 俺の守備位置はセンター。もちろんライトを守る遥をカバーしやすい為だった。


『良く止めたぞ遥。任せろ!』


 遥の取り落としたボールを走りながら利き腕で拾い上げる、足は止めずに振り向きながらホームベースを視認。前のヒットで塁に出ていた二塁ランナーが三塁を蹴ってホームに駆けている所だった。


『瞬ちゃん!』


 振り向いた勢いを使い、キャッチャーの瞬目掛けて腕を振り抜く。


 バシィッ!!


『ナイスボール! トヤ君!』


 アウト。ランナーがベースに辿り着く前に余裕で届いた俺のバックホーム。


『余裕!』


 ずっこけたままの遥にVサインと笑顔を送る。


『えへへ! 余裕!』


 膝を着いた体制のまま、満面の笑みとVサインで応えてくれる。コケたからか土で汚れてしまっている遥の顔。無邪気とはちょっと違うただのおっちょこちょい。でも失敗を誤魔化すような作り笑いじゃない。俺だけに向けられた嬉しそうな心からの笑顔。


 その日、俺は遥のその笑顔が嬉しくてやたらと張り切っていた。





 ……


 …………


「――塩田? 塩田!?」


「えっ? は、はい?」


 呼び掛けられた声にはっとした。突っ伏していた顔を上げる。


 どうやらうたた寝をしてしまっていたらしく視界が安定しない、頭もぽや〜ってする。


 ぼやける視界の中心には怪訝そうな表情の青葉先輩がいた。見渡すと執行部テント。先輩は長テーブルを挟んだ俺の反対側のイスに座っている。テント内には突っ伏している瞬だけで他のみんなはどこかに行ったらしくいなかった。


「……あれ? どうして先輩が?」


 はっきりしない意識のまま訊く。


 次の試合までの空き時間は少ない筈、恐らく俺は数10分と寝ていないだろう。しかし相当熟睡していたらしい……驚いたのに寝ぼけたような感覚が抜けない。


「……どうしてって、いや、それよりなんなのよ。アンタ達の格好」


 俺のしている格好を嫌そうに見る先輩。


「い、いや、これは……」


「はあ……わかってるわよ。どうせまた刹那の悪趣味でしょ? 全く……。まぁいいわ、はいこれ」


 がっくり呆れた表情の先輩にグイッと何かを押し付けられる。紙袋に入ったそれを見てみると俺のジャージだった。


「ああ……わざわざ洗って返してくれたんですか?」


 俺のジャージから洗い立てのいい匂いがしたっぽいので、余計な事を言ってしまった。


「――んなっ! おばか! 当たり前でしょう!」


 あたふた照れる先輩。


「ははは……すいません……」


 先輩のかわいい反応に嬉しくなるが、俺は心から笑う事が出来ない。


 自分の中にある他の感情が邪魔をする。


「……あなた……大丈夫? 顔色悪いわ」


 俺の暗い反応に先輩は不安そうに顔をしかめる。律義にも気遣ってくれる先輩はやっぱりいい人だ。


「寝起きでボケてるだけですよ。心配してくれてありがとうございます」


 そう言いながら立ち上がると先輩の頭をなでなでする。


 ???


 なでなで?


 ……あれっ?


「――なっ!! ちょちょちょちょちょっと!! 何しているワケ!?」


 一瞬で真っ赤になった先輩にぶんぶん振り払われる。


「い、いや、あれっ? ……つい?」


 いやいや、ついっつーか、いや、なんでだろ?


「ついじゃないわよぉっ!! ばかばかぁ!!」


「いや、痛っ! すいませ――痛っ! ちょっ痛っ!!」


 真っ赤っかの先輩は目を瞑ってぶんぶん腕を振り回してぶってくる。素で痛い。


「……あー……取り込んでるトコ悪いけど、そろそろ決勝戦始まるから行くぞ?」


 酷く冷静な第三者の声に先輩の攻撃が止まる。見てみるとニコニコと微笑む瞬、後ろには怪訝な表情を揃えた執行部のみんなもいた。いつの間にか戻って来ていたらしい……。


「イチャつくのはいいが試合が終わってからにしような」


 何かが嬉しいらしい瞬、ニコニコ笑顔で爽やかに言う。


「い、いや……」


 口籠る俺と恥ずかしさからか俯く先輩。


 瞬のひやかしとみんなの視線がすんごい恥ずかしかった。先輩と瞬のお陰で沈み切っていた気持ちがかなり回復してくれたらしい。


 でも……、


「刹那と橘は?」


 みんなの中に二人の姿が無かったので訊く。


「刹那先輩はトモちゃんを捜しに行ったです。ルナ達も捜してたんですけど、もうすぐ試合が始まっちゃうから……」


 明らかに俺に気を遣っているルナちゃんが言う。橘の事も心配なんだろう、見るからに元気が無い。


「そうか……」


 回復か。


 執行部に入った俺、刹那との関係、橘が嫌悪した俺という存在。


 根本は何も変わっていない。いや、何も始まっていないのかもしれない。


 決勝戦、たくさんの人が集まるだろう。全てを晒す訳にはいかない。しかし、晒すには格好の舞台かもしれない。


 ずるずると引き摺り続けた俺への報いだろうか……。







 球技大会最後の試合。生徒会執行部VSソフトボール部。


 ソフトボール部なんてずるい、って思うけど仕方ないらしい。


 その試合開始少し前。


「皆さん、申し訳ありません! 大変遅くなってしまいました」


 徳川先生だ。なんでも球技大会は三年生の進路指導も同時に行われているらしい。だから先生が来れないのは仕方のない事なのに先生は酷く申し訳なさそうである。


「決勝戦進出! 素晴らしいですね、皆さん。先生頑張って応援しますからねっ!」


 にこやかな笑顔と共に両手を胸元でぎゅってやる先生。対峙する執行部の面々、いや、俺を含めた男四人がほんわ〜ってなる。


「痛っ!」


「いてっ!」


 隣に並んでいる藤村と河本から声が上がる。二人の隣に並んでいるのはそれぞれ桂と八神さんである。自業自得である。


 ちなみにルナちゃんに半ば無理やり連れて来られた青葉先輩もベンチでの応援をしてくれるらしい。




「ハッハッハッ!! プレイボール!!」


 何故か主審を務めるマッチョ先生の声と共に試合開始。


 結局、刹那と橘は戻って来なかった。


 仕方がないのでオーダーが変更されている。


 一番センター俺。

 二番サード桂。

 三番キャッチャー藤村。

 四番ショート瞬。

 五番ピッチャールナちゃん。

 六番セカンド河本。

 七番ファースト進藤さん。

 八番レフト八神さん。

 九番ライト海老原さん。


 後で刹那に何を言われるか分かったものじゃないのであまりオーダーをいじらない事になった。八神さんは嫌がっていたがどうしようも無いので無理を言ってお願いした。外野に打球を運ばれたら非常にやばい布陣である。



 第一打席、執行部からの攻撃。バッターは俺。


 ソフト部のピッチャーは同じ二年生。ジャージではなく俺達と同じようにユニフォーム姿だった。


 ズバァーンッ!!


「ストライーク!! ハッハッハッ!!」


 驚いた。スリークォーターから投げられたボール。恐らくストレートだがゴツ男と比べても明らかにレベルが違う物だった。


「ストライクバッターアウト!! ハッハッハッ!」


「く……っ!」


 刹那や橘がいないからと真面目にやらなかった訳では無い。普段は下手投げの筈のソフト部のピッチャーが投げるボールは今までとレベルの違いが歴然だった。



 ピッチャーだけではなかった。


 狙い打ちされたような打球は外野にばかり飛んで来た。ぽろぽろボールを取り落とし、送球も大暴投ばかりの俺。どうしても反応がワンテンポ遅れてしまう海老原さん。どうやら運動があまり得意じゃないらしい八神さん。流石に瞬のフォローも圏外らしく、フライすら捕れない外野三人は正にザルだった。


 ソフト部は早々に執行部の『穴』を見出し、的確にそれをつついて来た。


 ボールに慣れているからか、ルナちゃんの変化球もほとんど通用しない。加えて弱点を的確につつくソフト部の攻撃に執行部は為す術も無かった。




 そして、最終回である五回の表。


 0対7。執行部劣勢。


 俺は三打数0安打2三振。俺以外でもまともなヒットを打っているのは瞬のみ……完全にレベルが違う。



 バッターは桂から。


 最初は湧いていた会場も既に決まってしまったような試合展開からかおとなしい。


 刹那と橘が戻って来る前に終わってしまうのか……。


「由ー! 打てー!」


「「由ちゃーん!!」」


 ギャラリーからの声援。見てみると昔よく遊んだ土屋義人(つちやよしと)を始めとしたB組の連中がいた。


「ははっ、由! 俺がホームに帰してやるから頑張って打て!!」


 土屋達の声援にネクストサークルの藤村も乗る。それに対して桂は、


「うん!! 任せて!!」


 目を輝かせてばっちりやる気になっている。藤村の鈍感も変わっていないようだが、桂の分かりやすい感情も変わっていないらしい。


 キィン!!


 センター前ヒット。スリーボールからの甘い球ではあったが、きっちりセンター前に運んだ桂。そういえば桂は女の子とはいえ、小学校の時は刹那に次ぐ運動神経の持ち主だった。それも変わっていないようだ。



 続くバッターの藤村。


「ストライーク!! ハッハッハッ!!」


 ツーストライクノーボール、桂に言った事とは裏腹に追い込まれた藤村。大きく言ってしまった手前、焦っているように見える。


「恭介〜!!」


 再びギャラリーから土屋の声。


「店の電話〜!!」


 そう言って携帯電話を構える土屋。


 ???


 なんだ? 意味わからんぞ?


 カッキィーンッ!!


「はっはっは!! 愛は勝つ!!」


 は?


 レフトオーバーのスリーベースヒット。


 桂がホームへと帰って1対7。


 後から聞いた話だと、自宅の店で働く彼女の応援を土屋の携帯のスピーカーから聞き取ったらしい。……有り得ない位の聴力だ。



 ネクストバッターは瞬。


「十八……」


「えっ?」


 バッターボックスにいる筈の瞬に話し掛けられてしまった。


「ち、ちょっと瞬?」


 親友の不可思議な行動にもちろんツッコミを入れる。


「十八。試合、続けてもいいんだな?」


「えっ……?」


 俺の慌てたツッコミに対して冷静な言葉を続ける瞬。表情は真剣だった。


「続けても、いいか?」


 言葉を繰り返す瞬。


 続けてもいい? その台詞と表情。生まれた時から瞬と親友やってる俺にわからない筈なかった。


「……もちろん。刹那も橘も今のままじゃ納得しないよ」


「了解だ」


 笑顔でそう言い残してバッターボックスに走る瞬。


 全く……俺の親友は本当にお節介らしい。


「ありがとう……瞬」





 しばらくして、刹那と橘が戻って来た。


「お待たせ……やっと我が儘娘を見付けて来たわ。試合は?」


 誰にでも無く訊く刹那。


「1対7。私達の劣勢です、会長」


 進藤さんが答える。


「あら……何やってるのよ、瞬もいるのに」


 はあ、とため息混じりに呆れる刹那。


 そう、瞬。瞬がいるのに『未だ』1点というのは確かにおかしい。


 規格外の運動神経を誇る瞬。先ほど俺にお節介な言葉を残してバッターボックスに向かった瞬。刹那達が戻って来たのは瞬がバッターボックスに向かってから実に『10分』以上経ってから。ただ今のカウントはフルカウント、しかし、実際にファールを数えたなら打った打球は三十球以上。明らかに時間稼ぎをしてくれている瞬。打ち頃の直球も、鋭い変化球も、大きく外れたボール球も全てファール。


 プライドからか敬遠しないソフト部のピッチャーも大したものだが瞬はもっと凄い。


 その瞬が変化を現す。


 ドグワッキィーーンッ!!!


 思いっ切り引っ張った特大ホームラン。


 がっくり膝を着くソフト部のピッチャー。よく勝負してくれたと思う、瞬の思惑通りに刹那達が到着するまで試合を引っ張る事が出来た。……気の毒だけど。


 3対7。



 続くバッターはルナちゃん。


 ソフト部打線にボロボロに打たれてしまったからか、酷く疲れた様子でバッターボックスに向かう。バッティングでも0安打、気落ちしてしまうのも無理は無いだろう。


「毬谷……」


 心配そうに気遣う青葉先輩の声。


 小さな幼い女の子のようなルナちゃん。その割に運動神経は優秀みたいだがあくまで一般レベル……瞬や刹那と比べるのはあまりに酷である。


 ピッチャーで五番という期待。俺と似ているのだろうか……。


 カキィン!


 打った。しかしサード正面に転がる内野ゴロ。……仕方ない、頑張っても駄目な時もある。


 軽快に捌くソフト部のサード、明らかにルナちゃんは間に合わない。でもルナちゃんは走っている。必死そうに、一生懸命に、走っている。


「毬谷!!」


 急いで!って感じで叫ぶ先輩。その声が届いたのか僅かに逸れた送球。捕球の為にファーストがベースを一瞬離れた隙にベースを踏むルナちゃん。


 セーフ。


 少しでも走るスピードを緩めていたら間に合わなかっただろう。


「…………」


 凄いな、ルナちゃん……。ルナちゃんに限らないが、どうしてみんなはあんなに頑張れるのだろうか……?


「先輩」


「えっ?」


 突然の呼び掛けは橘。グラウンドに固定していた視線を移すと真顔の橘と目が合う。


「先輩……さっきは……悪かったね……。はっきり言ってあたしは全然納得してないけどルナの為に謝るよ」


 言葉の通りに全く悪びれた様子は無い。


「会長さんに言われたよ。アンタ、小学校の時に大怪我してから体が思うように動かないんだろ?」


 少しだけ表情を歪ませると俺を見据える橘。


 考えてみれば当然の事だが、やっぱり刹那は俺の体の事をちゃんと知っているらしい。



 そう……小学校六年の冬。


 俺が終わった日。


 橘の言う通り、俺の後天性の運動音痴はその日の怪我が原因だった。



「……ああ、橘の言う通りだよ」


 隠すつもりは無い。


 その日の事……つまり『あれ』に結び付いてしまったとしても、この球技大会で自分の醜態は晒すつもりだった。


 ただ、上手く晒す事が出来なかった。


「そうかい……それに関してはあたしも余計な事を言い過ぎたよ、悪かったね……。でもね先輩。こうして先輩の事情を知った上でも言うよ……『真面目にやれ先輩』ってね」


 真顔、というより真剣な表情で俺の目を真っ直ぐに見つめながら言う橘。


「ルナはね、学校が大好きなんだよ。この球技大会だってずっと前から楽しみにしていたんだ。球技大会に限る訳じゃないけど、毎日がルナの大切な思い出になるんだよ。……だからあたしや円も練習に付き合ったり、今日だってあたしなりに頑張ってるつもりだよ……さっきはカッとなってつい見失っちまったけどな」


 少し苦笑するが、真摯な態度は変わらない。


「先輩。別に活躍しろって事じゃない。失敗してもいいから笑えよ。間違っててもいいからルナの笑顔に応えろよ。ルナの思い出を暗くすんじゃねぇよ」


 ゆっくりと俺に言い聞かせるように言う橘。


 いつもの怒っているような橘じゃない。俺に一語一句を丹念に懇願する。


「…………」


 橘の言葉を聞いた俺は自分で自分に憤慨した。


 ……橘の言う通りだ。俺は決して振り払えない妄想にばかり囚われていた。


 絶対に忘れる事は出来ない……けど『それ』を周りに撒き散らすなんて絶対に間違ってる。


「その通りだ……ありがとう、橘」


 自然と感謝の言葉が漏れていた。橘の真摯に応えるように、しっかり橘の目を見据える、真剣に精一杯の感謝を贈る。


「えっ? あっ、いや、別にお礼を言われる事じゃないけど……それにあたしだって人のこと言えないからおあいこだよ……。まぁ、いや……どう致しまして」


 俺のド真面目な言葉が意外だったらしく、おたおたする橘。


「ほら、試合は? 先輩にわかってもらっても試合が終わっちゃったらしょうがないよ」


 変に慌てる橘は無理やり話を終わらせんばかりにグラウンドの方を促す。


「「「なっちゃ〜〜ん頑張れ〜〜!!」」」


 それにつられて視線をやった瞬間、ギャラリーからやけに息の合った声援が上がる。


 橘と話している内に試合は進んでいたらしく、バッターボックスには八神さんが立っていた。八神さんの友達らしいギャラリーの女の子達はきゃーきゃー言いながら八神さんに手を振っている。


 一塁二塁にはいつの間にか進塁したらしい河本と進藤さんがいる、三塁にはルナちゃん。満塁のチャンスだった。


「うっさいわ! だぁーっとれや!!」


 顔を真っ赤にしながらギャラリーに毒を吐いた八神さんは短く持ったバットを構えてピッチャーと対峙した。


 八神さんはこれまで2三振。ルールが分かっていなかったのもあると思うがバットを振ってすらいない。しかし、この打席、何やら雰囲気が違う。明らかに打つ気満々でしっかり構えている。


 一球目、二球目ともに空振り。全然タイミングが合っていない。


 三球目……空振り。


 三球三振。しかしアウトを宣告されても八神さんは構えたまま。ソフト部の連中もギャラリーの連中も怪訝そうな表情で八神さんを見やる。ひそひそと何かを囁く声も聞こえる。


 次のバッターの海老原さんも動けず、ネクストサークルに向かう俺も動けなかった。


 マッチョ先生に言われてようやくベンチに戻って来る。やはりルールがよくわかっていなかったのだろう。


「なっちゃんドンマイ!」


「頑張ってたよ! かっこ良かったよ!」


 とぼとぼ歩く八神さんにギャラリーの女の子達から声が掛かる。でも八神さんは女の子達に応えず、慌てたように顔を伏せるとベンチに走って行って奥に隠れてしまった。


 すれ違った時に少し見えた。


 八神さんは泣いていた。悔しそうに、泣いていた。


 友達の期待に応えたかったのだろう。口では毒を吐いてはいたが応援が嬉しかったんだろう。



 それを見た俺の憤慨した心に更なる火が灯った。



 ワンナウト。


 続くバッターは海老原さん。


 海老原さんも未だ0安打。今日一日を通しても俺と同じ0安打。バッターボックスに入っても、ぼぉ〜っとピッチャーを眺めるだけでバットを振ってすらいない。


 八神さんと同じか、違うのか。


「海老原さん! 頑張って!!」


 八神さんを見て再燃した俺の心が叫んでいた。自然と出たエールだった。


「…………」


 じぃ〜


 ピッチャーから視線を外した海老原さんはいつものように俺を見つめる。


 カクン


 頷くとピッチャーに視線を戻す。


 一球目、空振り。初めてバットを振った海老原さん。ふにゃふにゃした力ないスイング。


 二球目、空振り。全く合っていないタイミング。それに海老原さんのスイングでは当たったとしてもまともに前に飛ばないかもしれない。


 三球目、空振り。辛うじてわかる位の小さな動きで肩を落とす海老原さん……。



 俺の心は爆発寸前だった。


 憤慨した心が激しく燃え上がっていた。



 バッティングの時は立っているだけでいい。


 恐らく海老原さんは刹那にそう言われていたと思う。元々不得意な物を刹那が強要するとは到底思えない。


 ……俺の声なんかでそれを曲げた海老原さん。




 俺が嫌だと認識していた学校行事。最初から間違っていたんだ。自分が思うものも、周りから受けるものへの認識も。


 俺は初日。していたじゃないか、瞬と渉に、クラスメイトに――期待を。


 二日目。していたじゃないか、執行部のみんなに、青葉先輩に――応援を。


 そして今日。知っているじゃないか、他ならない自分自身が――分かち合う辛さも、嬉しさも。




 入れ違いに海老原さんとすれ違う。


「頑張ってくれてありがとう。俺も頑張って来るから見ててね?」


「……? ……? ……?」


 首を傾げるような海老原さんを微笑ましく思いながらバッターボックスに入る。


 迷いなんか吹っ飛んでいた。


 だから俺が入ったバッターボックスは左。前の打席までは右だった。



 当然だ、俺は元々『左利き』だからだ。



 小学校の時に負った大怪我。俺はその影響で体に幾つかの障害を持つ。


 disability(ディスアビリティー)

 能力障害、事故や病気による心身の機能障害で能力が低下する。


 左手の握力がほとんど無い。右利きを演じている俺がボールを取り落とすのはその為。


 左目が全く見えない。右目だけで捉えるボールは当然遠近感が狂う。


 俺の持つ障害は他にもあるが今回邪魔をしているのはその二つ。


 右バッターボックスで左手と左目が使えないのは致命的だが、俺がこれを隠すのには理由はある。右利きを演じる理由がある。


 でもそんなもの、今は関係ない――。




 3対7。2アウト満塁、一発出れば同点。


 ピッチャーと対峙する前に一瞬だけベンチや塁に出ているみんなを見る。


 瞬。一度も触れて来ないが、俺の体の事は当然察しているだろう。俺の馬鹿げた演技に付き合い、俺を気遣い、体まで張ってくれた。


 俺の目を覚ましてくれた橘。分かち合う大切さを教えてくれた八神さん。俺に応えてくれた海老原さん。知っていながら何も言わない藤村と桂と河本。みんなへ送る応援と同じものをくれる先生と青葉先輩。橘と同じ心を持っていながら何も言わない進藤さん。沈む俺に常に笑顔をくれたルナちゃん。


 そして、刹那。刹那は最初から俺に期待なんかしていない。


 いつかの草野球チームとの野球。結局負けてしまったが刹那は言っていた。


 『ま、いっか。トヤ君が張り切ってたから楽しかったし――』


 今更その意味を理解した。


 だから贈ろう。


 遥に贈ったものと同じものを。




 対峙したピッチャー。ほぼ一巡投げ切っているからか、疲れが見える。しかし俺をなめているのだろう、表情から安堵が感じ取れる。


 満塁、大きく振りかぶった一球目。


 ズバァーンッ!!


 見送ったストレートはストライク。


 これでいい。いくらバッターボックスを変えたところで俺が隻眼なのは変わらない。


 だから俺に残った『別の』能力を使わせてもらう。


 ズバァーンッ!!


 続く二球目もストレートのストライク。今までノーヒットの俺はストレートだけで十分と思っているのだろう……やはりなめているらしい。助かる。同じ物なら鈍った感覚でもどうにかなる。


 三球目。振りかぶるモーション、一球目、二球目から弾き出した答えを変わらずにトレースするピッチャー。


 俺の残った能力。じいちゃんが残してくれた技の一つ。嫌という程たたき込まれた『塩田家』の技の一つ。


 余程の実力者ではない限り、人間の動きには法則がある。同じ動き、違う動き、投球であれば指先以外にも必ず変化がある。


 二球あれば十分。


 大袈裟で単純なモーションから読む予測は容易い。


 次もストレート。球威と球速もほぼ同じ。来るのは間違いなくストライクゾーン。


 タイミングも覚えた。


 それさえ分かれば錆びた体を動かすだけ。既に振り出したバット。


 残りカスの俺の全力で――!


 振り抜く――!!










 ……


 …………


 夕暮れの校庭。


 誰もいない校庭はやけに寂しかった。球技大会という祭りの後だからだろうか。


「終わっちゃったわね」


「……ああ」


 球技大会を終え、後片付けも終えた俺は片付けが翌日に持ち越しになった執行部テントに来ていた。


 何故かついて来た刹那と二人で校庭を眺めていた。


「負けちゃったわね」


「……ああ」


 優しげな刹那の声。


 そう。刹那の言う通り、決勝戦は3対7で執行部が敗退した。


 最後の俺の打球はセンターフライだった。


 ……刹那も、みんなも……誰一人俺を責めなかった。


「悔しい?」


 刹那の声は続く。


 刹那の問い掛けに俺の心に燻っていた物が再び熱を持つ。しかし火が灯る事は無い。ぶつける物が無いからだ。


 でも……、


「悔しい! 悔しいよ……! 刹那!」


 俺は心の熱を漏らしていた。自分の感情のまま叫び、校庭を見ていた視線を刹那に移す。


「そうね、私も悔しいわ……。ふふっ、私は見ていただけだけどね」


 今更熱くなる俺を見つめた刹那は微笑む。



 何故か熱くなった心が沸騰した。


 いや、違う……これは別の熱だ。


 俺だけに向けられた刹那の笑顔。懐かしい嬉しさが酷く心地よい。


 憤慨した自分の心の余韻からか、いつものように自分を否定できない。恥ずかしくて視線を校庭に戻しても熱は冷めない。隣にいる幼馴染みの存在が暖かい。


 遠い昔にいつも感じていた安心感に包まれる。


 遥に感じていた安心感に包まれる。




 その日の俺は『人間』に戻っていた。











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