031 第一章刹那19 虚構
カキィン!!
高くまで突き抜けるような快音。
「いよっしゃぁ!」
やたらと威勢のいい声と共に一塁へと駆ける橘。帽子を被るからか、いつもならポニーテールにしている髪を襟足の所でまとめている。でも活発そうな雰囲気はそのまま、いや、いつも以上な気がする。テニスの時にも感じたが橘は体を動かすのが大好きなようだ。
橘の出塁でワンナウト一、二塁。バッターは瞬。
瞬がバッターボックスに入ると会場が湧く。黄色い声援があちこちから木霊する。きゃー瞬くぅんかっこいい、瞬くぅんあのゴッツいの退治してぇ、などなど……ちょっぴりゴツ男がかわいそうになる位の大声援だった。
見るからに怒りの表情で瞬を睨み付けるゴツ男。対して瞬はギャラリーに手なんか振ってる。おいおい、余裕かまし過ぎじゃないか?と、俺が心配した通り、まだ構えていない瞬を無視して投球モーションに入るゴツ男、審判も黙認してるっぽい。ギャラリーからそれを伝える声も上がるが瞬はお構いなしで手を振り続けている――って、あっ! 投げた!
グワッキィーーンッ!!!
は?
手を振っていた筈の瞬がバットを振り終えた体制で空を見上げている。
ホ、ホームラン?
明らかに投手が投げ終えるまで明後日を向いていた筈の瞬。その瞬が打ったらしい打球は遥か遠くへと吸い込まれて行った。ガクッと膝を着くゴツ男……かわいそうに、瞬に真っ向勝負(?)を挑む時点で間違っていたんだ。
その後、五番のルナちゃんがフォアボールで一塁へ。六番の河本がサードライナーでツーアウト。七番の進藤さんもフォアボールで一塁へ。
ネクストバッターは藤村。
カッキィーーンッ!!
「はっはっは! 小さい時には久住ヶ丘の扇風機と呼ばれていたこの俺を!」
走者一掃ツーベースヒット。
打った後に昔言われていた皮肉を公言していたあたりがマヌケっぽいが、なんか凄い。
「なんかさ……みんな、凄くない?」
ルナちゃんの時はストライクゾーンの小ささを利用したフォアボール。進藤さんの時はファールで粘ってのフォアボール。河本のライナーだって痛烈だった。そして藤村のタイムリーツーベースヒット。
「はは、俺のはまぐれ当たりだよ。結局アウトだったしね」
謙遜する河本。……チクショウ、かっこいいじゃねぇか。
「よくわからんけど竜一だけダッサいのはなんとなくわかる」
野球のルールがよくわからないということでスタメンから外れた八神さんが言う。かっこよく謙遜していた河本がずーんってなっていた。
「十八。次のバッターだろ? ネクストサークルに行かないと」
「あっ、そうか、そうだった」
瞬に言われて慌ててバットを持つと、そこで『チェンジ』と審判の声。
「あれっ?」
ベンチを出ようとした体制で固まっていると、海老原さんが戻って来る。
「……ごめん……見送り……三振、なの……」
おお、海老原さん。申し訳ないが親近感を覚えてしまうよ。
一回の裏、ラグビー部の攻撃。
守りとなる執行部。遅れながらここでオーダーを発表しよう。
一番センター俺。
二番レフト桂。
三番キャッチャー橘。
四番ショート瞬。
五番ピッチャールナちゃん。
六番セカンド河本。
七番ファースト進藤さん。
八番サード藤村。
九番ライト海老原さん。
である。
ピッチャーのルナちゃんが投球練習を始めている。って、アンダースローだし! 結構速いっぽいし!
「オッシャァ!! しまって行こうぜぇっ!!」
三球の投球練習を終えるとキャッチャーの橘が叫ぶ。スゲェ様になっている。
一球目、コンパクトな投球フォームでボールを投げるルナちゃん。ゴツ男に比べると球威は無さそうではある、しかし外野手である俺の遠目からでもやはり様になっているように見える。
一球を見送った二球目、ラグビー部のバッターがフルスイング。ガキッという音と共にボテボテと転がるボール。どうやら引っ掛けてしまったようだ。サードの藤村が軽快に捌いてワンナウト。
二番、三番、同じようにルナちゃんの投球に翻弄されていた。
三者凡退、チェンジ。早いって! 俺、突っ立ってただけだし!
二回の表、執行部の攻撃。
バッターは俺。
今度こそしっかりやらないと……。当たらなくてもバットを振って三振しないといけない。上手くやらないと……。
「ストライク! バッターアウト!」
「く……っ!」
三球三振。
駄目だ……。どうしてもベンチを意識してしまう。
俺が打てないのは当然の事。晒している醜態は今までと同じ。掛けている迷惑も今までと同じ。
しかし今の俺は違う。己の立場が違う。受ける期待が違う。
自分の能力の限界は知っている。しかし俺はそれを晒していない。忌まわしい過去のしがらみが俺の邪魔をする。
いつものように『上手く』出来ない。
自分の口で一から十まで説明した方が早いんじゃないか? 無理して行動で示さなくても刹那は分かってくれるんじゃないか?
俺に期待しないでくれ……そう言ってしまえばいい筈だ……。
試合結果は9対0で執行部の圧勝だった。
俺は5打数0安打5三振。最悪だ……。
結局、刹那にも何も言えていない。何も出来ない、何も言えない……自分に呆れてしまう。
試合後の執行部テント。
俺はみんなで戻って来たと同時に給湯室へと逃げ出した。馬鹿げた被害妄想で落ちた自分を見られるのが嫌だった。優しいみんなの同情が嫌だった。楽しそうなみんなの気分を害すのが嫌だった。……刹那と顔を合わせるのが嫌だった……。
しかし、いつ迄も給湯室に引き籠もっているのも不自然……戻って来るしかなかった。
「はい、どうぞ……」
少しでも刹那の機嫌が良くなるようにみんなの紅茶を淹れて来て……。
最低だな、俺は……。
「あら、ありがと」
テントのど真ん中に座っていた刹那は紅茶を確認するとお礼を言ってくれる。機嫌は……わからない。刹那をまともに見れない俺は彼女の表情がわからない。自分がどんな表情でいるのかもわからない。
「十八……?」
「……えっ? なに?」
条件反射で刹那の顔を窺ってしまった。
「……いえ、なんでもないわ……」
俺と顔を合わせると疲れたように視線を逸らす刹那。
「…………」
呆れてしまったのか……それとも刹那も俺に同情しているのだろうか……。
その後みんなにもお茶を配ると昼食となった。
俺は瞬と藤村と河本の男四人で食べていた。一緒に昼飯を食べるなんて、かなり久し振りだったので談笑しながらの昼食だった。
「あの毬谷さんは凄いな。カーブなんか凄い曲がってたぞ」
「そうだな。なんでも、ちょっと前から練習していたらしいぞ」
「それにしても完封だかんなぁ」
先ほどまでの試合の話で盛り上がる三人。輪に入ってはいるが俺は聞き役に徹していた。試合の話をする三人だが不自然な位に俺の話題に触れない。本当に俺の周りの連中はいいヤツばかりだと思う。
しかし、
「野球なんて久し振りにやったよ。授業以外だと小学校以来だよな?」
河本が何気なく言った。
「ああ。よく昔はみんなで集まって野球もどきをやってたもんな」
藤村がその懐かしい話題に乗る。
瞬だけは俺を不安そうに窺っていた。
そう、瞬の危惧した通り、俺は二人の話に息苦しさを覚えていた。
小学校の時。たくさんの友達が集まると公園や河川敷に行って遊んだ。
刹那を筆頭に俺と瞬、藤村と桂に今日は来ていない土屋、よく弟を連れて来ていた河本。
もちろん遥もいた。
だから苦しい。
『またはるちゃんが余っちゃったな』
『うーん……ジャンケンする?』
どんくさくて足手まといの遥、遊びのチーム分けをするといつも余ってしまっていた。
『なんでいつもボクをのけ者にするんだよぉ』
『あっ、いや……えーと、ほら、シオとはるちゃんはセットって事で』
すぐに泣きそうになる遥、みんなはそういう時に必ず俺に振ってきていた。
『でも……』
『そうだよ遥。藤村の言う通りだよ。僕と遥はセットだろ?』
みんなに気を遣って言った訳ではなかった。俺がそう言うのは当然だった。振ってくれた藤村に感謝した位だった。
『……ぁうぅ……うん』
俺のその言葉に恥ずかしそうに顔を隠して頷く遥。俺も恥ずかしくて、とても嬉しかった。
あの時の俺は自信に満ち溢れていた。
遥の側にいる事にも、遥を守る事にも、俺にしか出来ない事だと信じて疑わなかったんだ。
「……十八? ……十八?」
「えっ?」
「大丈夫か?」
俯いていた顔を上げると俺の顔を心配そうに窺う瞬と目が合う。後ろの藤村と河本も同じような表情だった。
俺は少し物思いに耽ってしまっていたようだ。
「大丈夫って……何が? 別になんともないよ?」
なるべく平静を装いながら取り繕った言葉を返す。
「……十八……」
心配そうに窺う瞬の表情は晴れない、やはりお見通しらしい。藤村も河本も同じだった。当然だろう、自分でも自分が酷い状態であるのはわかる。
「とにかく飯は食っておけよ? な?」
「……ああ」
最悪だな……俺。
午後、準決勝。対戦するのは空手部。
昼食は食べたが、俺の気分は落ちたまま。みんなに掛けた迷惑、これから始まる試合、刹那……遥……酷く、憂鬱だった。
「カマして来い! 十八!」
わざとらしいにゃはは笑いで送り出してくれる瞬。その笑顔に苦笑を返しながらも少しだけ気分が浮き上がった気がする。感謝した。
振り返る間際、視界の端に刹那。
一瞬だけ合った視線。たわめた眉、引き絞った唇。歪ませていた綺麗な顔。
俺の勘違いだろうか? 俺に懇願するように、不安そうに、俺を心配してくれているような視線だった。
気にはなった。しかし、俺はすぐに外してしまった視線を戻す事は出来ず、バッターボックスに向かった。
プレイボール。
空手部のピッチャーは小柄な一年生だった。
俺を見据えた一年生ピッチャーは振りかぶる。俺もバットを握り直し、構え直す。自分の持てる最大限の能力に意識を凝らす。
……よくやる。
応えられない期待を真に受けた馬鹿な男。
這いつくばるのに慣れた男が懲りもせずに這いずり回っている。
無駄なのに……さっさと逃げ出せばいいのに……。
もはや滑稽ですらない……無為を繰り返すだけの物体だ……。
試合終了。
4対1で執行部の勝利。
俺は4打数0安打2三振。どうにか当てた打球も全て内野ゴロだった。守備でも俺の逸らしてしまったフライを桂にフォローしてもらったりなど目も当てられない。
みんなの活躍で勝ち取った勝利。
俺はただのお荷物だった……。
「なぁ! 先輩よぉ!」
テントに戻った途端、俺を呼ぶ橘。
……そろそろ来る頃だと思っていた。いや、よく今まで我慢してくれたと思う。
「先輩さぁ! 会長さんになに期待されてんだか知らないけどさ! 真面目にやってくんないと気分悪いんだよね!!」
向き合った俺を睨み付けながら激昂する橘。
「トモちゃん! やめて!」
すかさず止めに入るルナちゃん。何事かと周りのみんなも注目を寄せてくる。
「いや! 悪いけど言わせてもらうよ! いくらただの学校行事だからってダラダラやってる先輩にはアッタマ来たからねぇ!」
割って入ろうとするルナちゃんを片手で制しながら怒りを吐き出す橘。
「なんとか言えよ! 先輩!」
黙り込む俺が気に入らないのだろう、橘の激昂は激しさを増している。
橘が怒るのは当然だろう。恐らくルナちゃん達一年生や海老原さんは『あれ』を知らない。俺の中学時代を知らない。いや、俺を知らないだろう。
ただの愚図な男にしか見えないだろう。
「ごめん……」
他に何を言えばいいか分からなかった。
しかし、俺の情けない言葉は橘の怒りを逆撫でしただけだった。
「な……! ごめんだと! こんの野郎! 見損なったぜ先輩! このあたしに意見出来る大したヤツだと思ってたけど……ただの雑魚じゃねぇか! ……くそっ!!」
怒りを通り越して不快すら覚えたのか、嫌な物でも見たように表情を歪ませる橘。俺の取った態度は彼女にとって最悪だったのかもしれない。
苛立った様子もそのままに、橘は一人でどこかに行ってしまった。
「十八、気にするな」
複雑そうな表情で言う瞬。
「無理だよ……それは」
ごめんな、橘……。
「せんぱい、ごめんなさいです……」
酷く申し訳なさそうで元気の無いルナちゃん。
「橘の言った事は的を射ているよ。橘はもちろん、ルナちゃんが謝る事はないんだ……」
それっきりみんな黙り込む。海老原さんも進藤さんも、藤村も桂も、河本も八神さんも……ばつが悪そうに俺に気を遣っている気がする。
せっかく決勝戦進出を果たしたのに、俺のせいでぶち壊しだ。
みんなの視線が嫌だった。嫌な方にばかり考えてしまう自分が嫌だった。今すぐ逃げ出したかった。
みんなの視線……違う、俺が恐れているのは一つだ。
刹那。
彼女の表情だけは見れなかった……。