029 第一章刹那17 縁故
朝から酷く憂鬱だった。
球技大会、三日目。部活対抗戦。
今日行われるそれを思うと初日のサッカー以上に気分が落ちる。
俺が惨めな姿を晒すのはわかっている。みんなに迷惑を掛けるのはわかっている。
それらは俺が慣れ親しんでしまった自己嫌悪を通り越した恥部でしかない。割り切ってしまった常識の筈だ。
……いつも以上の憂鬱に拍車を掛けているのは俺の下らない自尊心。
それと彼女の存在。
一番センター塩田。
滑稽だ……声に出して自分を嘲笑ってやりたくなる。自分の下らない自尊心を踏みつぶしてやりたくなる。
そうして、いつものように自分自身への蔑みを繰り返しても心のどこかで見栄を張ろうと燻る自尊心は晴れてはくれない。
……彼女の期待を裏切る事が嫌だった。
「はぁ……」
やはり俺の思考の果てには嘆息がある。
せめて準備だけでも頑張ろうと早めに学校に来てみたはいいが、執行部は誰も来ていないし準備が始まる様子も無い。
仕方ないので温かい飲み物でも飲みながら待つ事にする。
校庭近くの自販機でいつものカフェオレを買う。このお気に入りのカフェオレ、俺的には美味いのだが校内ではこの自販機でしか売っていない。
飲みながら執行部テントで待とうか、と考えていると。
「ああぁーー!!」
何か凄い物でも見付けたみたいな声が上がる。
軽く驚きつつ視線をやると、先ほど俺が買った自販機の前に女の子がいた。
「ざっけんなや! こんな朝一から売り切れになるなんてアホな事あるかい!」
何故か女の子は自販機に文句を言っていた。どうやら買いたい飲み物が売り切れていたらしい。気の毒に、この自販機はマニアックな飲み物ばかりな為か、業者がたまにしか入らない。何が飲みたかったのか分からないが諦めるしかないだろうな。
「おい」
ん?
「おい!」
もう一度聞こえた声に周りを見渡すが誰もいない、俺だけである。
「えっ? 俺?」
「おめぇしかいねぇだろが!」
な、なんだこの子は……やたらと上から目線だぞ、ちっちゃいけど……。
「俺に何か用?」
なんだか嫌な予感がするが訊いてみる。
「用ってかなんてうか、ほれ」
何かを渡された。
???
120円?
「えっ? えっ?」
「悪いな」
ひょいっとカフェオレを奪い取られる。おかしな発言に気を取られ過ぎて油断してしまった。
女の子は俺のカフェオレを持ってたったかと走って行ってしまった。
???
「えっ?」
その後、俺は状況を理解するのに数分を要した。
しばらくして登校して来た瞬と一緒に作業に掛かる。
今日の作業は初日と同じく校庭のライン引きだった。
「今日もいる気がするな……」
ぼそりと呟く瞬。何の前振りも無く振られた話だったが瞬の表情を見てピンと来る。
「多分いるね、アホだから」
そう言って校庭を見回すと初日と同じど真ん中になんかいた。
「どうする? 絡むだけで後悔するのは明白だが、ほっとくか?」
迷惑そうな表情はそのままに訊いてくる瞬。
「今日もわざわざユニフォーム着てるっぽいからちょっとだけ絡んであげようよ」
流石に全部無視はかわいそうなのでネタだけでも聞いてあげた方がいいだろう。出番少ないし。
「そうだな、面倒だけど仕方ないな」
本当に面倒くさそうな瞬。
「渉、おはよう」
近付いて挨拶してみる。
「えっ、ああっ! 瞬とシオっ! おはようっ! 今日もいい天気だねっ! ベースボール日和だねっ! イヤッホウッ!」
挨拶と共にウザイハイテンションを(中略)渉の格好は野球の(以下略)。
「何やってんだお前」
若干棒読みな瞬。
「何をやってるって何を言ってるんだよっ! おとさんっ!」
おとさん?
そう来たか……。
「君となら海堂を敵に回すのも面白いっ!」
手に持った(以下略)。っていうか主人公のセリフじゃないし。
「十八、もういいだろ……早く作業を始めよう」
「ああ、何か悪かったな……瞬」
やっぱり瞬の言う通りほっとけばよかった。
「えっ? 嘘? もう行っちゃうの? 俺ってしばらく出番なくなるっぽいんだけどっ!」
以下略!
作業を終えて執行部テントに戻ると既に執行部全員が集まっていた。みんなは輪になって何やら議論しているみたいな様子だった。
「どうしたんだ?」
輪の中を覗き込みながら訊く瞬。俺には女の子だけの輪に突撃する根性は無い。
「瞬……困った事になったわ」
言葉の通りの表情で輪を開ける刹那。輪の中には俺達の名前が書かれた今日のメンバー表が置かれていた。
「補充要員が一人来れなくなってしまったのよ」
はぁ、とため息混じりの刹那。
今日の部活対抗戦の野球。執行部の部員数では足りないからと刹那が確保した補充要員。
確か三人だった筈だ。
「一人来れないって残りの二人は大丈夫なの?」
と、俺が訊いた瞬間、
「瞬ぺーとシオっち〜、おっはよ〜」
「「は?」」
何やら聞き慣れない呼び名で呼ばれた? 瞬と二人で声を合わせてしまう。呼ばれた方を見てみると小学校も中学校も一緒だった桂由がいた。
「えっ?」
なんで?
「もしかして補充要員って……」
「補充要員一番の桂由さんよ」
刹那が何故か誇らしげに紹介する。
「もう一人は、ほら、あっちでつまんなそうに座ってる」
刹那の示す方を見てみる。テント内の隅っこにはダルそうな女の子が座っていた。しかも俺はその子にも面識があった。
「カフェオレ!」
女の子は間違いなく今朝俺のカフェオレを持って行ったヤツだった。
「なに? 知り合い?」
怪訝そうな表情の刹那が訊いてくる。
「いや、今朝自販の」
「誰だおめぇ」
「…………」
カフェオレの無念は俺の胸にしまっておこう。
「まぁとにかく、彼女が補充要員二番の八神棗さんよ。とりあえずこの二人は参加してもらう事は確定だわ」
やはり何故か誇らしげに紹介する刹那。
「よろしく〜」
何故か楽しそうな桂。
「ちっ」
不機嫌そうに舌打ちする八神さん。
「瞬……」
俺は頭の中に浮かんだ疑問を瞬に尋ねてみる事にした。
「ああ、十八の言わんとしている事はわかる。桂もあっちの八神も恐らく成績不良の帰宅部だろう。それで刹那は補習免除とかを条件に今日だけ仮入部させたんだろうな」
「でもどうして……」
女の子ばかり?って言おうとするが、瞬はわかってるって感じで俺を制した。
「直接訊いてやるよ」
そう言うと刹那を呼んだ。
「また女の子ばっかり……補習免除を希望する帰宅部は男子もいただろう?」
わざとらしく呆れた口調で訊く瞬。
「嫌よ、男なんて。いいじゃない、かわいいんだから」
ふんって感じで言う。
かわいい?
「瞬?」
「ああ。男が嫌だってのもあるだろうが、一番の理由はかわいいから……たぶん来れなくなった三人目も女の子だった筈だ。……つまり刹那はかわいい女の子が大好きなんだって事だよ」
言い終わると、とても疲れたようにため息を吐く。
瞬は自分の姉が男嫌いでかわいい女の子大好きな事に呆れているみたいだ。なんか瞬も人の事言えないと思うのは俺の勘違いだろうか?
「……三人目……どうしよう……」
海老原さんの呟きで話題が戻る。
「やっぱり会長が出るしかねぇんじゃないか?」
橘が言う。確かにその通りだ、刹那が出ればぴったり9人である。
「女子部が相手ならいいけど、それ以外は絶対にイヤ!」
うわぁ……ただの我が儘だし。桂達を含めたみんなも、うわぁ、って顔してる。
「ねぇねぇ、帰宅部ならいいのかな?」
何か思い付いたらしい桂が訊く。
「まぁ、ね。この際仕方ないわ」
全然納得いってなさそうな表情で答える刹那。
「じゃあヒマ人連れて来るよ〜」
そう言ってたったか駆けて行く桂。
「あたしも当てがある」
小声で言うと楽しそうに携帯を操作しだす八神さん。
しばらくして。
「連れて来たよ〜」
「おい! 由! 痛ってぇって! わかったから引っ張んなよ!」
桂に手を引かれて、っていうか引き摺られて連れて来られたのはやはり同じ小学校で同じ中学校だった藤村恭介だった。
「あれっ? 瞬とシオじゃん? えっ? 何この集り」
全く理解してないっぽい藤村、瞬と二人で苦笑で応えておく。
「おい! そっちやないわ! こっちやんボケカス!」
藤村の登場に驚いていると後ろからデカい罵声が聞こえてくる。振り返ってみるとまたもや知ってる顔が恐る恐るといった感じで歩いて来る。
「おっそいんじゃ! ヘッポコうさぎが!」
ヘッポコうさぎ?
「棗が急に呼ぶからだろ? まさかこんな所にいるなんて思えないしさ」
どうやら八神さんに呼ばれたらしい男子生徒は藤村達と同じように小中一緒だった河本竜一だった。
「まぁ仕方ないわね……残りの補充要員はその二人でいいわ……」
かったるそうに投げ遣りな感じで言う刹那。
藤村も河本も小学校からの知り合いの筈なのに刹那は嫌らしい。
「えーと、もしかしてさ……部活対抗戦に出るの?」
未だ状況を把握していない河本が訊いてくる。
「残念だが諦めてくれ」
ひたすら苦笑いの瞬は申し訳なさそうに言う。
「まぁやるしかなさそうだし、いいけどさ。しかし驚いたな、シオが執行部に入ってるなんて知らなかったよ」
「あっ、俺も驚いたよ」
藤村と河本、二人して意外そうに訊いてくる。
「いや、ついこないだにさ、成り行きで入ったんだよ。はは……」
実は二人と話すのは酷く久し振りだった。少し気を遣って話してしまう。
八神さんは違うが、桂を含めた三人は小学校の時はよく一緒に遊んだりした事もあった。ほとんど変わっていない懐かしい顔ぶれに俺はほんのり嬉しくなってしまっている。
懐かしい……ずっと一緒の学校だったのに懐かしい……。
刹那と同じ。
『あれ』以来めっきり話す機会が無くなったからだ。
いや、そうではない。やはり刹那と同じように俺が周りから距離を置くようになったんだろう。瞬だけは別だったが俺から離れたんだ。
藤村も河本も桂も『あれ』を知っている。
遥を知っている。
みんな俺を気遣ってくれていた。俺はそれからひたすら逃げ続けていた。
周りの優しさが怖かった。堕ちた自分を見られるのが嫌だった。
遥を知ってる人が怖かったんだ……。