022 第一章刹那10 開幕
曇一つない晴天だった。
球技大会当日。黒に青いラインが入った学校指定ジャージを着込んだ俺はグラウンド前の広場に来ていた。時間はまだ始業前、今日の場合は球技大会の開会前である。
「私達は第一から第三までグラウンドのライン引きと来賓席のテント設営作業よ」
俺と同じように指定ジャージを着込んだ刹那が朝の仕事の内容を言う。刹那に向かい合うように並んだ俺を含めた執行部の部員達も同じように地味な指定ジャージ姿である。
「何か思ったより地味な作業だな」
ジャージも地味だが指示された作業内容も地味極まりないものだった。刹那には聞こえないようにひそひそと呟いてみる。
「俺達がやる当日の作業なんてこんなもんだよ。十八のいた体育委員の方がよっぽどメインの仕事をしてただろうさ」
隣に並ぶ瞬がひそひそと返答をくれた。
「ふぅん」
「ちょっと! お喋りしないの!」
刹那の注意の声が上がる。
「ご、ごめん」
聞こえないように話していたのに。刹那は地獄耳と、覚えておこう。
それにしても刹那、張り切ってるなぁ。
ウチの学校の校庭は五つ。今回使うような土のグラウンドが三面、サッカー部専用の芝のグラウンドが一面、陸上部専用のウレタン製の全天候グラウンドが一面。今日のクラス対抗戦も決勝まで上がればサッカー部専用の芝のグラウンドでプレイ出来るらしい。
俺と瞬は二人でグラウンドのライン引きを受け持つ事になった。他のみんなは体育委員と共にテント設営やイス並べだ。
右手に石灰の詰まった赤いラインカーを引き擦りながら校庭に下りてみた。
「あれっ?」
見回した校庭に違和感がある。
人がいた。校庭のど真ん中に背中を向けた人が佇んでいた。
「執行部ではないし、体育委員でもなさそうだ、誰だろうな」
そう呟く瞬と共に近付いてみる。
「あれ? 渉じゃん?」
近くに寄って見てみるとその人物は見慣れた後ろ姿をしていた。渉は何故か小脇にサッカーボールを抱えている。というか白い半袖半ズボン……ユニフォーム?
「渉……?」
呼んでみる。
「えっ? ああっ! 瞬とシオっ! おはようっ! 今日もいい天気だねっ! サッカー日和だねっ! イヤッホウッ!」
いつもの事だがいきなりウザいハイテンションを撒き散らす渉。振り向いた渉の格好は正にサッカーのユニフォーム姿だった。
「何やってんだ? お前」
とても疲れたように尋ねる瞬。
「何をやってるって何を言ってるんだよロベ〇トっ!」
ロ〇ルト?
何を言っているんだ? このアホは。
「ボールは友達さっ!!」
小脇のボールをぐいっと俺達に誇示しながら爽やかに微笑む渉。
めんどくせぇ……。
「十八……。ほっといて作業に掛かろう……」
「ああ……」
どっと疲れてしまった俺達はアホを放置して作業に取り掛かる事にした。
「あれっ? ちょっと、二人ともっ? ねぇっ!」
無視!
ライン引きを終えた俺達は広場に戻って来ていた。元体育委員であった俺や瞬の手際の良さのお陰でライン引き作業は早々に終わってしまった。
広場には先ほどまで無かったイベント用のテントがずらりと設営されている。テントには『久住ヶ丘高校』と仰々しい書体で書いてある。その一画のテントに何やら雰囲気の違いを感じる。明らかに雰囲気の違うそのテントには『生徒会執行部』とある意味仰々しいものが書いてあった。
「あなた非常に遅いわ!」
そのテントの下、設置された長机の向こうに並ぶ折り畳みイスに座る刹那の声。いつものゴージャスな会長机ではなく簡素なテーブルとイスに座った刹那、堂々とした態度や凛とした表情はいつもとなんら変わらない。
「俺?」
かなり早く作業を終えた筈なのに刹那はお怒りのご様子、なんでやねん。
「十八、お茶よ」
「…………」
うわぁ……怒ってる理由ってそれかい。瞬と二人、絶句した。我が儘にも程があると思いますよ。
「聞こえないの? 十八!」
「あっ、いや、了解だよ」
場所が変わろうがイベントだろうが何だろうが俺の仕事の基本がお茶汲みなのは変わらないらしい。
始業の時間と同じ時間に開会式となった。
俺は今までとは違い、2年F組の列ではなく生徒会執行部の列に並んでいる。三年生を除く全校生徒1000人に向かい合う形である。もちろん非常に落ち着かない。
「……以上を守り、正々堂々球技大会を楽しみましょう。では各クラスの体育委員の指示に従い、所定の場所に移動してください」
おっと、刹那の開会の挨拶が終わったみたいだぞ。
「俺達はテントの下でいい筈だ。行こう」
瞬が俺だけではなく執行部のみんなに言う。瞬がいると長年付き合って来た気兼さから緊張が和らぐ、それにこうして率先して間違いないように引っ張って行ってくれるから楽、というより安心する。
「せんぱい! せんぱい達のクラスの試合はいつ頃ですか?」
ルナちゃんである。並んでテントに向かう途中にルナちゃんが隣に並んで話し掛けて来た。
「F組は第一グラウンドで三試合目だよ」
クラス対抗戦はあまりにクラスが多すぎるせいかトーナメント制である。総当たり戦をやっていると一日二日じゃ絶対に終わらないからだろう。クラスのみんなには悪いけど俺的には一回戦敗退したいと思っている。
「ルナ達のクラスとは被ってないです。トモちゃんと円ちゃんと三人で応援に行くです!」
「えっ? 俺らの?」
「当然です!」
そう言うとむぎゅっと俺の腕に抱きつくルナさん。
???
「は、は、は、はわにゃふっ! 何をやってるの! ルナっしゃん!」
「しゃん、ですか? あはは! わかんないけどせんぱいおもろいです。とにかく応援は任せるです! 盛り上げるですよ!」
そしていつかのように肩越しにかわいすぎる笑顔をくれるルナちゃん。
「う、うん、あり、がと、頼む、よ」
「はい!」
元気な返事と共に俺の腕から離れるルナちゃん。とててっと駆けて行くルナちゃんの背中をほんわ〜と見送る。
「――って、えっ?」
ルナちゃんが駆けて行った先には瞬。その瞬の腕にむぎゅっと抱きつくルナちゃん。
「えええぇぇぇーーーっ!!!」
なんだろう、なんだろうなんだろう! 何故だか納得いかない!
「くあーっはっはっ! な〜に期待してたんだか知らねーけど残念だったな先輩よぉっ!」
狼狽える俺に大爆笑の橘が立ち塞がって来た。
「ルナには引っ付き癖があんだよ! 別に先輩だからって訳じゃねぇっての! えぇーっ! じゃないって先輩! あっはっはっ!」
「なっ! えっ! くっ!」
これみよがしの橘、悔しいが何も言い返せない。
「くっくっくっ」
いつの間にか背後にいたらしい進藤さんの嘲笑。橘に笑われるのも悔しいが、この子の方が地味に傷付く。
引っ付き癖。
あの見た目でそれは反則だろ。
第一試合。対抗戦は各校庭で三つの試合を一辺にやる。その中の2年A組対2年E組。刹那のクラスと海老原さんのクラスの試合である。
瞬と観戦しに行く事にした。
「どう? 見える?」
ギャラリーの人垣に混ざって見回すが俺にはよく見えなかった。クラス対抗戦のサッカーは通常の一チーム11人ではなく、男子8人女子7人の15人。女子も混ざってのサッカーだからだろう。既に始まっていた試合を見てみるが、あまりにもみくちゃで意味がわからなくなっていた。
「あっ、いたいた、海老ちゃんはベンチにいるな」
瞬が海老原さんを発見した。大きめの指定ジャージを着込んだ海老原さんはベンチの端っこに座ってぼぉ〜っとフィールドを眺めていた。
「刹那は?」
フィールドを走り回っている生徒達やA組のベンチも見てみるが刹那らしき人物はいない。
「刹那は、まぁ、いないだろうな」
ぼそっと呟く瞬。
「はあ?」
「十八は刹那が授業免除なの知ってるか?」
授業免除。いつだか刹那が言っていた。
「ああ。ちょこっとだけ聞いたよ」
「刹那のヤツ、少しでも男が絡む授業とかにほとんど出ないんだよ」
「えっ! そうなの?」
「ああ。刹那は大の男嫌いなんだよ」
そういえば前に阿部さんがそんな事を言っていた気がする。昔はそんな事はなかった筈だ。
「俺は姉弟だからだろうけど、どうやらお前も平気らしいな。良かったな十八」
にぃ〜って笑う瞬。
俺はどうしても照れてしまう。執行部に入ってからの刹那の我が儘な態度もなんだかどうでも良くなってしまった。
「まぁ刹那がその授業免除を維持する為には会長で在り続ける事と、全ての定期テストで一番を取り続けないといけないらしいけどな」
「マ、マジかよ」
凄ぇ。刹那が執行部の仕事を張り切るというかしっかりやるのはそのせいもある訳か。
なんだってそこまでやるんだろう?
「おっ、海老ちゃんが交代するみたいだぞ」
「えっ?」
審判の体育委員に指示されたフィールドに立っていたE組の生徒がベンチに走って行く。その生徒に代わるように海老原さんが立ち上がって待機していた。
「海老原さんって体育とか、どうなの?」
実際どうかは分からないが細くて低めの身長でおとなしい海老原さん、失礼だが俺と同じようにこの強制メンバーチェンジは辛いのではなかろうか。
「海老ちゃんはもうびっくりする位の文系だからな、十八の思っている通りだよ」
「…………」
やっぱり。
ああ、心配になってきた、心配になってきたぞ。
海老原さんがフィールドに立つと試合再開となった。E組のゴール前、A組のフリーキックから始まるらしい。海老原さんはゴール前の密集ではなく少し離れた所でぼぉ〜っとボールを見つめていた。
ホイッスルと共にA組の男子生徒がボールを蹴る。直接狙ったらしいボールは両チーム密集の頭を越え、枠内を捕えるがキーパーに弾かれて海老原さんの方に……えっ?
「海老原さんっ!!」
思わず叫ぶ俺。
それほど勢いの無かったボールは数回のバウンドを経て海老原さんの足元に辿り着く。海老原さんはほとんど動かずにボールをキープしてしまった。
じぃ〜
やはりほとんど動かずにボールを見つめる海老原さん。両チームのプレイヤー達がハイエナの如く海老原さんに、いや、ボールに群がって行く。
「海老原さん! 早く早くっ!!」
若干テンパり気味の俺の声が届いたのか、くるっと俺達の方を向く海老原さん。『……なに……?』って感じでのんびり首を傾げるだけだしっ!
「違うって! ボール! 海老原さん危ないってぇっ!! ほらほらぁっ!!」
身振り手振りを混ぜて必死にアピールする俺。
もうダメだ!と目を瞑ろうとした時。ピン!としたように頷きながら相手ゴール側にボールを蹴ってくれた海老原さん。ボールはハイエナ達をすり抜けて相手ゴール方向にいたE組の生徒の足元に転がって行った。
A組を散々引き付けた海老原さんは結果オーライになったようだ。
「……ふぅ……」
自然と安堵の息を吐いてしまう。なんか知らんがどっと疲れてしまった。
「ぷっ! くくくっ! 十八、やっぱりお前最高だよ」
「えっ?」
隣の瞬。何かがツボにはまったのか堪えられない笑いを必死に堪えているように見える。腹まで抱えて涙まで溜めている。
???
「な、なんだよ! 俺ってなんか変な事やったか?」
「い、いや、ごめん。海老ちゃん危なかったもんな! くくくっ!」
「なんだよぉ! 笑うなよな!」
俺の必死さが面白かったのだろうか? 笑いまくる瞬に非常に納得がいかない。
結局のところ、試合は2対0でA組の勝利だった。