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020 第一章刹那08 返照


 ねぇねぇ。


 声が聞こえる。俺を呼ぶ声が聞こえる。いつも、いつでも、どんな時でも、一緒にいた女の子の声が聞こえる。


 温もりがある。俺の手を包む温もりがある。その子の体温と俺の体温が混ざり合った温もりがある。


『どうした? 遥』


 俺は当然、応える。名前を呼ぶ。


 すぐ隣、お互いの息が掛かる距離、お互いの鼓動が聞こえそうな距離。


『へへ〜、なんでもないよ』


 笑顔、すぐ隣の彼女が近い距離を更に縮めながら笑う。繋いだ手はそのままに、俺の腕を空いている手で包む、悪戯っぽい無邪気な笑顔が更に近付く。


 心から嬉しそうに笑う。


 俺も笑う。嬉しいから。隣で笑う女の子の全てが大好きだから。


 無駄に高いからぼそぼそと喋っていた声も。

 右に跳ねるから伸ばせないと悩んでいた黒い髪も。

 いつも自信なさそうに伏せ気味だった眉も。

 悲しくても嬉しくてもすぐに涙で濡れてしまう大きな瞳も。

 子供っぽい低い鼻も。

 軽く開いてしまう癖がなかなか直らなかった唇も。

 みんなに虚弱の見本とまで言われていた華奢な体も。

 俺が側にいないと俺の手を探して落ち着かない小さな手も。

 クラス一鈍足の細い足も。

 気にしていた低い身長も。


 みんなみんな大好きだから。


『ねぇねぇ』


 再び声が掛かる。距離はそのまま、体に伝わる温もりの面積もそのまま。


『どうした? 遥』


 やはり俺は応える。


『――えっ?』


 ???


 遥?


 えっ?


「あれっ?」


 温もりが消えていた。目に映る光景が変わっていた。


 遥が消えていた。


「シオ君? どうしたの?」


「えっ? い、伊集院さん?」


 目の前には伊集院さんがいた。隣には誰もいない。


 見回してみると、leaf? そうだ、俺はバイト中だった。


「シオ君さっきからぼぉ〜っとしちゃってさ、いくら呼んでも返事してくれないんだもん」


「あ、あ、すいません……」


 どうやら俺は妄想の世界に旅立っていたらしい……。こんな事は初めてだ。夕方の事もあって俺は相当参っているのかもしれない。


「別にいいけどさ……それよりシオく〜ん?」


 何やら為てやったり的な含み笑いの伊集院さん。


「な、なんすか?」


「遥って誰よ?」


「――えっ?」


 遥?


「彼女かなぁ?」


「……は、るか……?」


 俺の一番大切だった人の名前。恐らく俺が生まれてから一番多く口にした名前。瞬以外の人からこの名前を聞いたのは酷く久しぶりだった。


 ???


 伊集院さんが遥を知っている筈がない。


「ち、ちょっとシオ君? どうしたの?」


 からかうような含み笑いから一転、酷く慌てたような伊集院さん。


「伊集院さん? 遥を知ってるんですか?」


 何やら俺を気遣ってくれている伊集院さん。しかし自分の状況なんかよりも、とにかくそれが気になった。


「いや、さっき自分で言ってたじゃない。どうした? 遥? って」


 自分で?


 …………そうか。馬鹿げた妄想を現実にまで引っ張り出したか……本当に俺は酷い状況みたいだな。本当に馬鹿げている……。


「十八君、ちょっといいかい?」


 カウンターの中に立つ俺に声が掛かった。ハッとして反応すると、店長だった。


「どうしたんですか?」


「十八君にお客さんだよ」


 自分の背後、店の入り口付近を立てた親指で指差しながら言う店長。


「お客さん? 俺にですか? あっ!」


 刹那? 薄暗い店内越しに見える人物は間違いなく刹那だった。刹那は何故か店内の様子を窺うように入り口から半身を出して見回していた。


「ど、どうしたの? 急にこんな所に来て」


 どうして刹那がここにとか、明日も学校で会うのに何の用なんだとか、色々と気にはなったが、とりあえず駆け寄って訊いてみる。すると刹那は不思議な物でも見たみたいに俺を凝視した。


 ???


「ちょっと来なさいよ」


「えっ? ぐえっ」


 ネクタイを掴まれて店外に引っ張られる。


「店長、ち、ちょっと抜けます」


 呆気に取られたような表情の店長と伊集院さんに見送られながら、ずるずると出入り口から引き出されてしまった。


 強引な刹那がちょっと懐かしかった。






 店の前、何やら不機嫌そうな刹那に睨まれる。刹那は制服姿だったが、いつもは着ていない黒いコートを着ていた。なんだろう、訳が分からない。ついさっきの夕方に一緒に帰ってはいたが普通に別れた筈なのに。一応引いてはくれたみたいだが、やはり夕方の事が気に入らなかったのだろうか?


「何よ、その格好」


「えっ、あ、うん、変かな?」


 俺のしている格好を見て目を細める刹那。俺はスラックスに革靴、Yシャツにベストといった如何にもウェイターといった装いである。自分でいうのもなんだが、かなり似合っていない。


「別に変じゃないけど……って違う、そうじゃなくて、十八」


「な、何?」


 困ったような悩んだような表情で俺を見定める刹那。言い辛い事を打ち明けるみたいに唸っている。


 ???


 なんだ? なんとなく怒っているようにも見えるけど……。


「……ごめん」


 ぼそっと聞こえた言葉。


「は?」


 ごめん? 謝られた? 言った事が俺の頭の中の検索にあまりに一致しないので俺の頭の上に疑問符が浮かぶ。謝られる意味がわからない。


「瞬に散々言われたわ……え、と……あの後の十八の事を知りもしないのに無意味は酷いって」


「…………」


 そうか……瞬。俺の、いや俺達の普通を願ってくれた瞬。夕方の刹那の言葉は俺だけではなく瞬にとっても重い言葉だったのかもしれない。


「私ってね、無駄とか余計とかが駄目なのよ。それに言いたい事ははっきり言っちゃうし、私の考えが間違ってるとか思ってない。でもあんたにだって自分の考えがあって譲れないものがあるのは、わかる……。さっきはちょっと平気そうで気に入らなかったけど謝らなくちゃいけないのも、わかる……」


「……刹那」


 刹那が自分を晒してくれている。瞬の指摘があったとはいえ、俺なんかに自分を晒してくれている。


「……ごめん」


 再び俺への謝罪の言葉を漏らす刹那。


 ……自分が嫌になる。自らを晒し、必要ない謝罪までくれた刹那。俺は偽ってばかりなのに……。


「…………」


 何を言えばいいのかわからない。刹那の謝罪に何を返せばいいのかわからない。偽り続けた俺には自分の惨状の晒し方がわからない。……どうやっても刹那を傷付けてしまいそうなんだ……。


「用はそれだけよ。私は帰るからあなたも中に戻りなさい」


 何も喋らない俺を待つ訳ではなく、気持ちを切り替えたような刹那、今まで通りの口調で言う。


「……ああ」


 項垂れたまま、どうにか相槌を返すだけの俺。本当に自分が嫌になりそうだ。


「じゃあ十八、また明日ね?」


「えっ?」


 印象が強かった言葉だからか、聞き返してしまう。


「十八、また明日」


 しっかりと俺を見据えた刹那、再び同じ言葉をくれる。


「…………」


 頭の中がめまぐるしく廻る。


 思考が廻る。


 夕方の一件が廻る。


 遠い昔の刹那が廻る。


 遠い昔の遥が廻る。


 今度は逡巡じゃない……葛藤だった。


「十八、また明日」


 三度目の同じ言葉。


 外していた視線を合わせると俺の目を見つめた刹那と目が合う。先ほどとは違い、俺が返す言葉を待っている。真っ直ぐな視線を俺の瞳に合わせて、待っている。


「……うん、また、明日……」


 言ってしまった。三度目に迷う暇なんて無かった。


「はい、またね」


 そう言うと踵を返す刹那。振り返ること無く行ってしまう。駅前の片隅のleafから続く煉瓦造りの歩道を歩いて行く刹那。


 外の空気は冷たい、早く中に戻らないと俺のしている格好では凍えてしまいそうだった。


 でも、俺の足は動かない。動けない。


 彼女を追う俺の視線は彼女が見えなくなるまで外せなかった。








 帰り道、寒空の下をいつも通りにゆっくり歩いている。


 いつものように星が綺麗だった。


 いつものように月が綺麗だった。


 いつものように僅かに輝く町のネオンが綺麗だった。


 いつものように見るもの全てが眩しかった。


 しかし……いつものように辛くはなかった。


 『じゃあ十八、また明日ね?』


 彼女の言葉が俺を暖めてくれている。誰もいない家に戻る帰り道をこんなに軽い足取りで辿るのは初めてだった。



 その軽い足取りが嬉しくてゆっくり歩いていたが、僅か15分足らずの帰り道。気が付くと家の門が見えてきていた。


 ポケットから家の鍵を取り出しながら顔を上げて少し驚く。


 家の門の前…………。


「……瞬」


 瞬がいた。冷たい空気に体を丸めた瞬が門に寄りかかるように立っていた。


 ポケットに両手を突っ込んだ瞬は俺を見付けると口を開く。


「……おかえり」


「…………」


 とても自然で優しい言葉だった。……なんだろう、胸が熱い。


「……ただいま」


 言葉を返す。同時に胸の熱が増した。……この言葉を返す事がこんなにも嬉しい事だなんて知らなかった。


「ほら、早く中に入ろうぜ? さみーよ」


 いつもの瞬。わざとらしい位にいつもの瞬。


「……うん」







 もう深夜といってもいい頃。俺は自分の部屋で瞬と布団を並べていた。


 後は寝るだけ。


 照明と暖房を落とした暗闇。布団の温もりと隣の布団にいるヤツの温もり。念の為言っておくが直接感じている訳ではない、布団は別々である。……とてつもない安心感がある。この安心感のお陰だろうか、瞬が泊まりに来てくれている時、俺は悪夢を見ない。


「十八、寝ちゃったか?」


 暗闇の中、瞬の声が俺に届く。布団の衣擦れの音は無い、瞬は横になったままだろう。


「起きてるよ、何?」


「怒らないで聞いてほしい……遥の事なんだ」


 低い声のトーン。それだけで瞬の心境が感じ取れる。



 遥の事。『あれ』以来、間違いなく瞬がその話題を振るのは初めてだ。


 考える。瞬が泊まりに来てくれた理由。一つは落ち込む俺を気遣って。もう一つはこれを訊く為。何故訊くのか? いや、考えるまでもない……全て俺の為だろう。



「怒る筈がないよ……。なに? 瞬」


 だから俺は瞬の話を聞かなくてはいけない。


「……わかった、じゃあ訊く。遥、いや、ハルちゃんとお前はどんな約束をしたんだ?」


「…………」


 約束。


 遥と俺が交した約束。


 俺を蝕む傷痕が痛みを帯びる。


「……俺なんかにお前が背負っているものの重さは計り知れない。けど十八……やっぱり知りたいよ」


 暗闇に乗せて続く瞬の言葉。心からの言葉だろう。


「……瞬」


 遥は瞬にとっても深い繋がりを持った存在だった。そして瞬の中に在る俺という存在……俺の中に広がる嬉しさが溢れてしまいそうだ……。


「…………遥ってさ、何をやっても駄目だったろ?」


 自然と語り出していた。


「…………」


 瞬は何も言わない。でも無言の相槌を感じ取る。長い俺と瞬の親友という関係。稀に言葉が要らない時がある。


「俺と瞬、刹那と遥。いつでも一緒だった。いつもみんなの中心の刹那は何だって出来た。瞬だってそうだ、何だって出来た。俺もあの時は何だって出来た。……でも、遥は違ったろ?」


 俺達四人の幼馴染み。刹那、瞬、俺、遥。


 いつも中心にいたのは刹那、俺達どころか学校全体の中心だった。

 いつも刹那や俺に流されて行動していたけど何でも出来た瞬。

 刹那に真っ先に引っ張り回されていた俺、後ろの遥を気遣いながらもあの時の俺は平気でついて行っていた。


 遥は違った。


 いつでも一緒にいたけど、明らかにみんなの足を引っ張っていた。自分に自信が無くて隠れてばかりいた。泣いてばかりいた。何も出来ない自分が大嫌いだと言っていた。



「だから俺は……遥は俺が守るって……約束、したんだ……」



「…………」


 瞬は何も言わなかった。いや、言えないのかもしれない。俺がこの約束を守れなかったのは瞬も知っているから……俺が地獄に堕ちた瞬間も知っているから……。




 もう寝よう、俺のその言葉を最後に暗い部屋は静寂に包まれていた。


 俺は瞬のお陰で安心して眠れる筈なのに眠れなかった。瞬も同じなのだろうか、いつもの静かな寝息が聞こえて来ない。時計の音が気になる。瞬が泊まりに来てくれた日にこの音が気になったのは初めてかもしれない。



 その時計の音が気になってどれくらいの時間が経ったか考えようとした時。


「十八」


 やはり眠っていなかった瞬、俺の名前を呼ぶ。俺が眠っていないのも気付いていたらしい。


「……何?」


 俺は静かに応える。きっと瞬はさっきの話に対しての言葉をくれるだろう。しっかり聞かなくてはならない。



「俺は、いや、俺と刹那はハルちゃんの代わりにはなれない……。けど十八、忘れないでほしい……俺達は十八の傍にいる……」



「…………」


 静寂を取り戻した暗闇。


 瞬はそれっきり何も言わなかった。


 上手く見えない天井がどんどん霞んでいく、滲んでいく、瞬がくれた言葉が俺に染み込んでいく。隣にいるヤツが道の逸れた俺を呼んでくれている気がする。




 今の瞬の言葉。さっきの刹那の言葉。二人の言葉が頭から離れない。


 俺は遥に縋る人の大切さを嫌というほど教わった。誰かの為という事がどれだけ大切かを知っている。


 遥が俺に縋ってくれたように……俺も縋っていいのだろうか……?



 遥……俺はもう少しだけ『あっち』に残ってもいいのだろうか?








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