019 第一章刹那07 離隔
放課後の生徒会事務室。
昨日に引き続き、今日も球技大会へ向けての生徒会活動中である。
それはいいんだけど……、
「ちょっと十八!? まだ終わらないの!?」
「あっ、いや。ごめん」
「あはは〜、慣れていないからしょうがないですよぉ。せんぱぁい、こっちは終わったから手伝うのです」
「甘やかせたらダメよ! ルナ」
生徒会執行部。こいつらはとんでもない。
刹那は常に学年トップの成績、瞬と海老原さんも刹那に次いでトップを争う仲らしいし、ルナちゃんだって一年生でいつもトップ、橘はわからんけど進藤さんの成績もトップクラス。
なんでこんな超人軍団に俺が混ざってるんだ?
まったく仕事についていけません!
「……塩田……手伝う……」
自分の分の仕事を終えたらしい海老原さんが手伝いを申し出てくれた。
「あぅぅ、すいません」
情けない。
生徒数1500人で催される球技大会に向け、生徒会事務室はもう戦場である。
コンコン
入り口を叩くノックの音。誰か来たみたいだ。
「失礼」
堂々とした態度で女生徒が入室してきた。
「ああ、青葉先輩。どうしたんですか?」
瞬が対応する。
女生徒は元風紀委員長の青葉先輩だった。先輩は瞬を無視して何かを探すみたいに事務室をキョロキョロと見回している。
なんだろう?
「新しく執行部に入った生徒がいるらしいじゃない」
誰に問い掛けるでもなく言う。というか俺の事っぽいし。
「あら先輩、受験生なのにヒマねぇ」
作業の手を止めた刹那が言う。というかやたら嫌味っぽくて挑発的だよぅ。
「うるさいわね刹那! 私は推薦狙いだから大丈夫なの! ……で、もしかしてコレ?」
入り口近くにいた俺を指差しながら言う。座っている俺を立っている青葉先輩が上からかったるそうに指差す。なんだろう……すごいつらい。
「あっ、あっ、と、塩田十八、です」
やたらと自信満々気な青葉先輩に気圧されてしまったのだろうか、声が上擦ってしまう俺。
「何よ、この冴えないのは……ずいぶん思い切った事したわね刹那?」
チクッとした。
「仕方ないでしょ! 人手不足だったんだから!」
グサッとした。
おいおい、何かフォローしてくれよ。
「俺の親友なんですよ、先輩」
とっさに親友がフォローしてくれた。
「あっそ。それにしても、少数精鋭が刹那のやり方じゃなかったの? それともコイツって実はすごいの?」
しーん
「……瞬?」
少し考えるような素振りの後、瞬に振る刹那。
しーん
「……十八?」
少し考えるような素振りの後、俺に振る瞬。
???
「えっ? 何か無いのかよっ!」
って、あっ!! 二人して微妙な顔しやがった!
「……まぁいいわ、せいぜい球技大会では失敗しないようにね」
とてもつまらそうな表情でそう言い残すと、散々人の事を罵倒した青葉先輩は行ってしまった。
「ははは、散々言われちゃったね十八」
苦笑の瞬、こんにゃろ。
「あの先輩は暇人なのよ、気にしたら負けよ、十八」
それは無理ですわい。
「どんまいです、せんぱい!」
笑顔のルナちゃんのフォローが余計にイタかった。
すっかり暗くなった頃に解散となった。
「バイトの時間大丈夫か?」
帰りの道中、一緒に帰っている瞬が言う。
「あ、ああ」
気持ち上の空で返事をしてしまう。瞬と肩を並べて帰るのはいい、生徒会の無い日はいつも一緒に帰っていた。それは普通なんだが……。
隣を見やる。
「…………」
ぶすっとした刹那がいた。
作業を終えて解散した後、瞬と一緒に時計棟を出ると刹那に出会した。特にそうしよう、などと言い合った訳ではないが、一緒に帰る事になった。瞬と刹那は同じ家、俺も途中までは同じ道。俺達の関係なら一緒に帰らない方が不自然だった。
俺を挟むように右に瞬、左に刹那……わざわざこんな風に並ばなくてもよかったろうに、とも思うが、これには理由がある。
ずっと小さい時から一緒だった俺達。昔から並んで歩く時の立ち位置は決まっていた。
俺がいて、左に刹那、右には遥、更に右には瞬。
時計棟を出た俺達は無意識にこの構図で並んでしまった。
……もちろん遥はいないが……。懐かしさからか右手が落ち着かない。遠い昔に繋いでいた小さな手の温もりを思い出す。
学校からしばらく歩いているが、今さら立ち位置を変えるのもおかしいので、そのまま通学路を辿っている。刹那は何やら仏頂面だが、瞬はどこか嬉しそうに歩む足を弾ませているように思える。瞬の気持ちはなんとなくわかる、瞬が望んでくれた『普通』。形だけかもしれないが実現してくれた。
決定的に足りないものはある。
しかし、この状況に喜びを感じる気持ちは分かる。いや、喜んでくれる瞬が堪らなく優しい。
大した会話も無く、瞬と弾む足を合わせていると刹那は口を開いた。
「十八、leafのアルバイトはいつから始めたの?」
何故だかむくれたような表情はそのままに言う刹那。ずいぶん急な質問だった。
「leafのバイトは春からだよ」
今年の春、じいちゃんが亡くなってしまってから。じいちゃんの葬儀に来ていた店長の優しさを受け取った時から……。
「そう、新聞配達は?」
???
なんだろう? やたらと質問してくるな。
「新聞配達は高校に上がってからずっとやってるよ」
「ふーん……」
納得したというより知っていた事を確認したような刹那、やっぱりね、といった感じだ。
「何? どうしたの?」
訳がわからないので自然と訊いてしまう。
「別に……いえ、十八、アルバイトをしないと生活は難しいの?」
並んで歩く刹那、前を向いたままで言う。俺に問い掛けてはいるが不自然なほど俺に目を合わせる事は無い。反対側の瞬が表情を強張らせたのがわかる。
「……そんな事はないよ、じいちゃんの遺してくれたお金もあるし、俺一人だけだから生活費だけなら新聞配達だけで十分だよ」
偽るつもりは無い、有りのままを言う。
「だったら夜のアルバイトを辞める事は出来ないの?」
やっぱり……刹那の話振りからして予想していた通りの問い掛けだった。刹那は俺を気遣って少し遠回しに訊いてくれたのだろう。
しかし、俺の返答は一つだ。刹那には悪いが、こう言う以外に無い。
「辞める事は出来ないよ」
刹那が息を呑んだのが分かる。
「どうして?」
やはり前を向いたままで再び問い掛けてくる、声の感じから苛立ったのがわかる。
どうして? そんなの決まってる。
もう俺には時間が無いからだ。
leafは俺の欠かせない『居場所』の一つ。店長、永島さん、伊集院さんを始めとした出会った人達……絶やす訳にはいかない。
「刹那、もう止めろ。十八にだって事情があるんだ」
瞬が言う。
「事情って何よ? 無意味なアルバイトに時間を費やす十八の事情って何?」
無意味。その言葉がゆっくりと俺の胸に染み込んでいく、毒のように……。
今の刹那の言葉が昔の俺を気遣っている。今の俺ではない。隔たりの時間があったとはいえ、一番身近だった幼馴染みが発した言葉が俺の意識を急速に冷ましていく。いつでも一緒にいた幼馴染み、お互いを知り尽していたあの頃が嘘のようだ。
「刹那、もう止めろって」
明らかに苛立った声を上げる瞬。
「わかったわよ……」
口ではそう言うが、全然納得いってなさそうな刹那。しかし、とりあえずは収まってくれたらしい。
俺は心の中で安堵すると、二人の間から離れる。
「「えっ?」」
二人同時に振り向き、小さな驚きの声を漏らす。
「俺、こっちだから……」
数歩離れた位置から二人に向けて言う。
二人の家は真っ直ぐ。俺はバイトがある為、駅への道へ逸れる。
「あ、ああ、もう別れ道か」
瞬。
「十八……?」
刹那。
「じゃ」
別れの挨拶を残して駅への道へ歩く。
「と、十八!」
酷く慌てたような刹那の声。
「どうしたの?」
慌てた様子の刹那に反して俺は冷静だった。呼び掛けに反応を返すが、あまり興味が無かった……早くこの場を立ち去りたかった。
「……あ、いや、また明日……」
刹那の口から漏れた再会の言葉。
いつか俺から刹那に送った言葉である。その時、返事を貰えなかった言葉をその刹那から聞けるとは思わなかった。
少し嬉しく思いながらも気付いてしまう、これもある意味『約束』。
逡巡。
しかし、それも一瞬。
「バイバイ、瞬、刹那」
同じ言葉を返せなかった。
どこか悲しそうな表情の二人と別れる。……逃げるように。
ふと思う。
――別れ道。並んで歩いていた道。進むべき道が逸れてしまった。
胸が締め付けられる。あまりにも自分と重なってしまう。
二人の悲しそうな表情が頭から離れない。小さい時にたくさん見てきた二人の笑顔が思い出せない。
五年前。さっきみたいに学校が終わって一緒に帰った後にいつも交していた言葉。くたくたになるまで遊んで一緒に帰った後にいつも交していた言葉。
――バイバイ、瞬ちゃん、せっちゃん――
何百回と交した言葉。あの時は再会の約束なんか必要なかった。別れが来るなんて夢にも思わなかった。バイバイで終わる事の悲しさなんて知らなかった。
視界がぼやけそうになる。俺には必要ない感情が溢れそうになる。
右手が妄想で包まれる。ある筈のない温もりに包まれる。
ああ、そうか……遥は『こっち側』だったな……。
少しだけ軽くなった心を頼りに駅への道を辿る。すっかり寒くなってきた外の空気、自然と体を丸めてしまう。
左手はポケットの中。
右手は外。
歩幅を合わせてゆっくりと歩いていった。