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015 第一章刹那03 揺籃


 五時間目、数学。


 数学は比較的得意な方である。いくつかの方程式さえ覚えておけば割と解ける問題は多い、問題の傾向にもよるがテストでもだいたい平均点以上は行く。何より得意になれた一番の理由は授業のわかりやすさである。二年生A組〜F組担当数学教師の徳川先生は教えるのがとにかく上手い。先生のお陰で中学までお手上げだった数学が今では好きな教科になってしまっていた。ちなみに瞬はもちろん得意らしい。どうでもいいが渉はもちろん問題外らしい。


「皆さん、お疲れ様です。今日の授業はここまでにしておきます。チャイムが鳴るまでは教室を出ないようにお願いします」


 ???


 五時間目終了までまだ5分くらいあるのに終わってしまったぞ?


「塩田君」


「えっ」


 教室を出ようとする先生に呼ばれた?


「塩田君、少しお話があります。廊下に出て頂けますか?」


「は、はい」


 数学の徳川先生。一緒に廊下に出る。


「あのぅ、なんでしょうか?」


 多分だが呼び出されるような事をした覚えは無いので訊いてみる。


「生徒会長さんから聞いていませんか? 生徒会顧問の徳川です。今日も放課後には顔を出せないのでご挨拶をしておきたいと思いまして」


 生徒である俺と対峙している筈なのにまるで目上の人を敬うような丁寧な物腰の先生。


 生徒会顧問。そういえばせっちゃんがそんな事を言っていた気がする。


「は、はい、こちらこそ」


 先生の丁寧すぎる態度にもちろん俺は恐縮してしまう。


 徳川志乃先生。腰まで届く長くて綺麗な髪がさらさらのつやつやで眩しい。はっきり言って物凄い美人である。二十代後半だが歳相応に見える時もあれば、年下に思えてしまう事もある。


「会長補佐への就任でしたね、正式な内定は後日になってしまいますが、よろしくお願いします」


 深々と頭を下げてくれた。


「あわわわわわ、よよよよよろしくお願いします」


 俺も慌てて先生に倣う。


「では、失礼します」


「ははい!」


 ぐわあぁ〜緊張したぁ。




 六時間目、物理化学。


 化学室にての実験授業。二人一組に別れ、各々のペアごとに実験をしている訳なんだが俺はちんぷんかんぷんである。この教科は選択教科、なぜこんな教科を選択してしまったのだろう?


「十八? どうした?」


 実験の手を止めた瞬が俺を心配そうに窺う。……まぁこの教科を選択したのはコイツがいるからだろうな。


「何でもないよ」


 特に何かを考えていた訳ではない。この授業への愚痴は今に始まった事ではない。いつもの事。瞬への相槌もいつもの事。しかし、瞬の手は止まったまま。どうやら瞬は勘違いして捉えてしまったらしい。


「十八……執行部はどうだ?」


 少し遠慮がちに訊いてくる。


 生徒会執行部。どうだと言われても正直言ってわからない……。生徒会という環境だけを考えればはっきり言って不安だらけだ。


 それ以上に不安なのは人間関係。


 せっちゃん。

 海老原さん。

 ルナちゃん。

 橘。

 進藤さん。


 俺にとっての不安は環境の変化や『俺自身』が感じる人間関係への不安ではない。


 『彼女達』の中に俺という存在が根付いてしまう事への不安だった。


 でも……。


「瞬……」


「なんだ?」


「成り行きだけどさ……入って良かったかも」


 矛盾。


「何がだ?」


 既に俺の言いたい事がわかっているような瞬。続きを促すのではない、俺が話しやすいように誘導してくれる。


「生徒会……」


 矛盾している。


 わからないとか不安だと言っておきながら俺の中には幾つもの膨れ上がる感情が芽生えていた。


 懐かしさ……安心感……責任感……。


 大きな不安に襲われながらも、大きな期待を膨らませている。


 不安と期待は隣り合わせであると痛感した。


「へぇ……十八らしくないな」


 とても興味深そうな瞬。


「そう、かな?」


「そうだよ。どうだ? 刹那とまた仲良くなれそうか?」


 困ったような顔で言う。


「わからないよ。せっちゃんの考えも、わからないし。これからどうなるかなんて、わからないよ……」


 俺のこれから。そんなものは考える必要は無い。しかし、生徒会執行部に籍を置いてしまった以上、『俺以外』の人達のこれからを考えなければいけない。


「十八。深く考えるな。俺はいい機会だと思うぞ? お前にとっても、刹那にとってもな。だからお前の思ったように行動してみろ。俺がいるんだから安心して、な?」


 おどけたような言い方だが、瞬らしい優しさが痛いほど伝わってくる。


「ありがとう、瞬」


 だから俺も大切な言葉を伝える。


「とにかく、実にいい機会だぞ? 前にも言ったけど、頑張って刹那とよりを戻しちまえよ」


「な、何だよ……よりって」


 馬鹿丸出しで照れてしまう俺。別に俺とせっちゃんは付き合っていた訳ではない。だいたい小学校の時の話だし、俺もせっちゃんもそういう意識は皆無だった筈だ。


「ははっ、冗談だ。まぁ別に刹那じゃなくてもいいんだぞ? 海老ちゃんでもルナでもいいし、橘や進藤でもいい。お前も高校二年になったんだから彼女の一人でも作っちまえって事よ」


 にゃははと笑いながら言う、これは瞬の楽しい時の特徴である。ちなみにこの心からの笑顔は俺にしか見せないらしい。前にわざわざ言われた事がある。


「いや、それはまぁ、置いておいて。なんつぅのか、せっちゃんがいて、海老原さん、ルナちゃん、橘に進藤さん、徳川先生、そんでお前もいてさ……楽しくなりそうだ……」


 自分でも驚いてしまう。明日への期待をここまではっきりと口にしたのは初めてだった。


「……そっか。お前ってさ、今まで何でもめんどくさいとか、今のままがいい、って言ってただろ?」


「……? ああ」


「今回の事はお前には丁度良かったんだよ。まぁちょっとばかり俺の計画とはずれちまったけどさ……。刹那が何を考えているのかは俺もさっぱりわからない。でも、お前が少しでもやる気になったのは本当にいい傾向だぞ?」


「そ、そうなんだ」


「ああ。何か寂しいけど、刹那じゃなくてもいいから彼女作っちまえ!」


 そう言いながら、再びにゃははと笑う。


「や、いゃ、どうなるかはわからないけどさ……」


「はは! 頑張ろうな」








 放課後。


「じゃあ話してもらうよっ!」


 目の前には渉。俺は自分の席に座らさせられ、渉も自分の席である前の席に後ろを向くように座っている。


「いや、だからさ……俺は素行不良の生徒として執行部に接収されちゃったんだよ」


「何だよそれっ! 素行不良でしょっぴかれるなんておいしいにも程があるよっ!」


「おいしい?」


 訳がわからん。


「生徒会執行部に入部できるなんて夢みたいじゃんかっ! 超美人の生徒会長を筆頭に周りには美少女達がひしめきあってるんだぞっ!」


 興奮状態の渉。訳のわからん身振り手振りのジェスチャーをしながら捲し立ててくる。ハァハァしながらだから凄いキモい。


「それはわかるけどしょうがないじゃん」


「うっきーっ! シオ〜! 羨ましすぎるよぉっ! 入部希望者は問答無用で門前払いの筈なのにぃっ!」


 うっきー? というか入部希望者が門前払い?


「執行部の精鋭の中にシオが混ざるなんて凄い違和感だろっ?」


 変な顔の渉が更に変な顔で言う。よっぽど気に入らないらしい。


「失礼なヤツだな。しょうがないって言ってるだろ?」


 埒が明かない、しつこすぎる。


 困り果てていると、臨時放送のチャイムが鳴り響いた。ぴんぽんぱんぽんの定番のヤツだ。


『2年F組塩田十八。2年F組塩田十八。至急、時計棟校舎、生徒会長室まで来なさい。繰り返す。2年F組塩田――』


 スピーカーから流れた放送の声はせっちゃんだった。淡々とした口調だが何やら怒っていそうな気がする。


「えっ、と。俺?」


 思わず渉に訊いてしまう。


「知るかよっ! くうぅそぉ〜! 俺も呼び出されたいよぉっ!」


 またハァハァしながらぷるぷるする渉。いい加減めんどくなってきたので放置して時計棟に向かう事にした。







「あなた非常に遅いわ!」


 会長室に入った瞬間、せっちゃんに怒鳴られてしまった。


「ご、ごめん」


 俺は条件反射で謝ってしまう。


 会長室には執行部の全員が集合していた。


「早速だけど塩田十八。みんなのお茶を淹れて来なさい」


「えっ、あ、ああ。えーと、紅茶でいいかな?」


「そうよ。紅茶がいいわ。みんなも紅茶でいいわよね? いいみたいだわ。ほら、早く早く!」


 ふんって感じだけど、何だかそわそわしてるせっちゃん。一人で喋るせっちゃんにみんなもぽかんとしてる。





「――予算ですが運動部、文化部、併せて大きなマイナスはありません。先週から平行線を辿っています」


 大急ぎでお茶を淹れて来ると、ルナちゃんが何やら報告らしき書類を読み上げていた。


 ???


「今日は金曜だろ? 毎週金曜の放課後は各部所の報告があるんだ」


 隣に来た瞬が教えてくれる。


 なるほど。


 とりあえず、みんなにお茶を配って回る。せっちゃん以外は全員立っているので、みんなが囲んでいる会長の机に置かせてもらう事にした。


「……ありがと……」


「あっ、ありがとうですっ」


「サンキュ」


 海老原さんとルナちゃんと瞬がお礼を言ってくれた。橘と進藤さんは全開で無視。せっちゃんは既に砂糖の投入を完了していた。


「ルナ。残りの報告は?」


 カップを手に添えながら訊くせっちゃん。


「後は同好会の予算だけです」


「来週に持ち越し、報告終わり。さっ、みんなでティータイムよ」


 かなり適当に切り上げると紅茶を飲み始めるせっちゃん。さっきの怒っていたような余韻は全く無く、見るからに上機嫌である。何だかみんなも呆気に取られている。


「塩田十八の分は?」


「えっ? ああ、みんなでティータイムとは思わなかったから淹れて来てないや」


「馬鹿ね、そんなに堅く考えなくても平気よ。みんなでゆっくり頂いてるから淹れてらっしゃい?」


 物凄い優しい口調で言う。


「あ、ああ。ありがとう、せっちゃん」



 ピシッ



 ぴし? 何かがヒビ割れたような効果音が聞こえなかったか?


「塩田十八」


 ゆらりと俺を見据えるせっちゃ……って怖! さっきまでの上機嫌が嘘のようだ!


「ふふ、まさか小学校の時のあだ名で呼んで来るとはね……ちょっと慣れ慣れしいにも程があるわ。ふふふ、調子乗ってるわ」


「あっ、いや。その」


「ふっ、ふふふ……。今日は解散よ。みんなも後始末して上がりなさい」


「あ、あのっ、会長さんと塩田せんぱいはどういった関係なんですか?」


 ルナちゃんの質問。


「別に、ただの昔馴染みよ。瞬の友達として面識があるだけ、生徒会への加入だって瞬にとって良かったと思っただけ」


 不機嫌な様子もそのままに捲し立てる。


「…………」


 ……俺はショックを受けてしまった。


 口を滑らせてしまった事は確かだが、ここまで機嫌を損ねるとは思わなかった。気兼ねなく呼び合ったあだ名も彼女にとっては煩わしいものなのだろうか……。


 せっちゃんはカバンを持ってさっさと出て行ってしまった。


 呆然と見送る俺。周りのみんなも呆然と佇んでいた。


「ルナ……余計な事を言ってしまったですか?」


 しょんぼりとしてしまったルナちゃんが呟く。


「君は関係ないよ」


 どうにかフォローする。


「新入りのくせに慣れ慣れしいからじゃないですか?」


「――橘!!」


 ここぞとばかりに口を挟んだ橘に怒りの声を上げる瞬。


「す、すいません……」


「いいよ。今のは俺が悪かったんだ……」


 場の雰囲気が悪くなりそうだったので橘にもフォローする。


「俺もバイトあるし帰るわ。食器、頼むね?」


 いづらい雰囲気に堪えきれそうにないので退散させてもらう事にした。……というよりこれは間違いなく逃げだろうな。







 夜、10時半過ぎ。


 バイトを終えてようやく帰宅した。憂鬱なまま仕事は出来ないから空元気で頑張ったせいかいつもより疲れた。


「いきなり気まずくなっちゃったなぁ」


 独り言を呟く。


 自分という存在が馬鹿らしく思えてしまう。せっかく懐かしい優しさに触れる事が出来たのに……せっちゃんの言う通り調子に乗っていたのかもしれない。


 そうだろう……五年も経っているんだ。


 変わっていたと思っていたせっちゃん。変わっていなかったせっちゃん。


 せっちゃんはせっちゃん。瞬は瞬ちゃん。俺は『トヤ君』。


 遥だっていない……。


 昔の通りにはいかない。


「……はあ」


 お決まりのため息。


 ピリリリリ


 携帯が鳴った。瞬? いや、知らない番号だった。


「もしもし?」


「…………」


「あれっ? 瞬……?」 


『…………あの、私……刹那』


 せっちゃん?


「せっちゃ、さ、さ、佐山さん?」


 当然テンパる。


『……今日は、ごめんなさい。番号、瞬から聞いて』


 テンパる俺を気にする風ではなく、明らかに低い声のトーン。昔、親に怒られて気落ちしていたせっちゃんを思い出してしまった。


「えっあっうん。俺も昔みたいなノリで、ごめん」


 俺は突然のせっちゃんの謝罪についていけない。


『うん。あの、さ……私……』


「…………?」


 とても、長い沈黙があった。


『…………嫌われてないよね?』


 ???


「えっ? 嫌われてるって? 誰に?」


『塩田十八に……』


 ???


「えっ? 俺? 何で? 意味がわかんないよ?」


『だって中学くらいから避けられてるから』


「――なっ!! 避けてないよ! ただ……あの、時から……何か気まずかったていうか、なんつうか……」


『そう、なんだ。私お見舞いにも行かなかったし……。塩田十八、大変だったのに……』


「いいよ、そんなの。瞬がいつも来てくれてたし。そんなの気にしないでくれよ」




 小学校六年の冬。


 俺は事件に巻き込まれて重傷を負った。


 五ヶ月入院していた。


 退院と同時に入学した中学ではせっちゃんは素気無くて、よそよそしくて……何処か遠くに行っちゃったみたいに……。




『そう……なんだ……良かった……』


 電話越しでもわかる安堵の声。


「……俺も」


 恐らく似たような声の俺。


『私の事、刹那、呼び捨てでいいから。せっちゃんはちょっと恥ずかしいし』


「わ、わかった」


『この電話の番号、私のだから』


「お、おぅ、登録しとく」


『じゃあ、月曜日の朝も生徒会あるからね? ……おやすみ、なさい』


「わかった。おやすみ……」


 ツーツー


「…………」


 正直いって会話に頭がついて行ってなかった。上手く返事を出来たかわからなかった。




 でも、刹那の言葉一つ一つが頭から離れなかった。


 ……心から嬉しかった。


 心臓がはち切れんばかりに高鳴っていた。


 「刹那……」


 虚空に語り掛ける。




 沈みきっていた心は穏やかに凪いでいた。













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