014 第一章刹那02 隔意
四間目、体育。
E組との合同授業である。移動教室の後に体育かよって感じ、着替えたら休み時間ないじゃんって感じ。
「ハッハッハッ! 今日は男女合同でソフトボールをやりますよー」
心の中でぼやいていると、くそ寒い校庭なのになぜかタンクトップに短パンのむさくるしいマッチョ体育教師が今日の授業の内容を言う。
男女合同とは珍しい、それにソフトボールとは中々いいぞ。あの体育教師のスポーツの授業は絶対に試合形式だ。校庭に取れる野球場は面積的に二面、二クラスでしかも男女合同なら必ず人数的にあぶれる。ギャラリー兼球拾いをゲットすれば俺の運動音痴を発揮しないで済むかもしれない。
そして、授業開始。まんまと外野の更に外野の球拾いをゲットした俺。
そこで意外な人物にエンカウントした。
「よぅ」
声を掛ける。
「…………」
カクン
頷く海老原さん。相槌なのだろう。
「そういえば隣のクラスだったんだよね。知らなかったよ」
「……私……知ってた……瞬の、友達……だし……」
「なるほど」
納得と同時に意外に思った。俺と渉、それにせっちゃん以外で瞬を呼び捨てにした人を初めて見た。ちなみに瞬はF組Aチームのピッチャー、渉は同Aチームのセカンドである。
「……それに……」
じぃ〜
そう言うと恒例となった俺の凝視を始める海老原さん。
??? 何だろう?
「それに?」
俺を見つめる海老原さんに、小さな子供の相手をするように訊く。なぜだろう……海老原さんはとても話しやすい。学校内で異性とまともに会話をした事が無い俺がだ。どこか一生懸命に話してくれるような海老原さんだからだろうか?
「……朝……新聞配達……やってる……でしょ……?」
「えっ、あっ、うん。よく知ってるね。そうだよ、今朝もあったんだよ」
意外だったので少し感心したように言ってしまう。
「……朝……見た事、あるし……ウチも、頼んでる……いつも……ありがと……」
俺を真っ直ぐに見つめたまま言う。
「う、うん。こちらこそ」
「……うん……」
不思議な子だと思った。話しているとなぜだか暖かい気持ちになれた。話していても緊張しないし……せっちゃんやルナちゃんは緊張するのに。
昼休み。
「じゃあ海老原さん、またね」
四時間目の授業を終え、クラスの違う海老原さんと別れる。
カクン
例の如く頷いてくれた。
行ってしまった海老原さんを見送っていると、背中に嫌な気配を感じる。
ゴゴゴゴゴ
「シオぉー! 貴様ぁー! 二年生の俺的隠れ美少女NO1の海老原曜子ちゃんまでぃ! 口惜しいヤツめぃ!」
「うわぁ! なんだなんだ! 渉?」
いつの間にか後ろにいた渉がぷるぷるしてた。
「瞬ならいざ知らずシオまでぃ!」
今にも掴み掛かって来そうな渉。
「だ、だから執行部で一緒なだけだってばぁ」
「だからそれが分からんっつーのっ! なんでシオが執行部にいるんだよっ!」
あっ……そういえば渉に何も言ってないや。
「いや、なんか俺さ、執行部に接収されちゃった」
自分で言うとなんかシュールだな。
「はあ〜? なにそれ?」
変な顔の渉が変な顔で首を傾げる。かなり意味不明なんだろう、って、こんな事してる場合じゃないじゃん! 昼休み始まってるし、会長室行かないとだし。
「渉、ごめん! 後で話すから!」
「えっ? おいっ! シオっ!」
放置!
しばし後、時計棟会長室。
コンコン
「入りなさい」
ノックの直後に中から不機嫌そうな声が返ってくる。ちなみに今は昼休み開始から7分後。大急ぎで着替えて購買に寄らずに来たが間に合わなかった。……かなり怒ってそう。
「し、失礼しま〜す」
緊張というより、軽く戦慄しながら入室する。
俺に見向きもしないせっちゃん。机に座ってカタカタとパソコンを打っていた。
「え、えーと、遅れてごめん」
とりあえず謝らないと始まらなさそうだ。実際、申し訳なかった。
「いいわ。体育でしょ? 窓から見ていたから知っているわ」
タイピングを止めずに言う。窓? せっちゃんの後ろの窓からは校庭が見渡せる、まさかとは思うけど。
「窓ってここの?」
訊いてみる。
「そうよ」
あっさり肯定。いやいや、おかしいじゃん!
「授業は?」
更に訊いてみる。
「私、免除だから」
パソコンのディスプレイを見たまま、やはりタイピングは止めずに言う。
免除?
「とりあえずお茶を淹れてちょうだい。階段脇に給湯室があるから」
話の続きではなく用事を言い渡すせっちゃん。どうやら今の話は彼女には余計な事だったらしい。
「……わかった」
いろいろとわからない事だらけだけど、最初の内は流されておこう。
給湯室。普通に立派な流し台と冷蔵庫、趣味で集めてるとしか思えないようなティーカップの群れが並ぶ食器棚。間違いなく俺んちの台所よりグレードが高い。
まぁそれはともかくと、必要な物を漁らせてもらった俺は慣れない手付きで紅茶を淹れる作業を開始する。せっちゃんのご所望は紅茶だった。
軟水のミネラルウォーターを沸かして、カップとポットを温めて、ポットの中で茶葉を踊らせて、冷めないように布で覆ってから放置して、後は最後の一滴までしっかり注げば……。
……完成?
なんとなく記憶していたうろ覚えの知識で淹れてみたが、何だか順番が無茶苦茶だった気がする……大丈夫か? 全く自信が無い。
実は俺は紅茶が嫌いなのである。好き嫌いはほとんど無いつもりだが、唯一として紅茶が苦手だった。ちなみに好きなのはコーヒー飲料。コーヒー牛乳だろうがブラックだろうがコーヒーは何でも大好きである。
「お待たせ」
「ありがと」
会長室に戻るとせっちゃんは出た時と同じように高速タイピングでパソコンと睨めっこしていた。邪魔にならないように机の端っこに紅茶を淹れ、置く。
「塩田十八はそこの書類を片付けてちょうだい」
そう言うと来客テーブルの方に一瞬だけ視線を移すせっちゃん。高速タイピングはやっぱり止まらない。
「えっ?」
テーブルの上にはどっさり書類が積まれていた。ってマジで?
「大丈夫よ。書類の頭に書いてあるクラス毎に分けるだけだから簡単だわ」
俺の驚愕を察知したのか補足するせっちゃん、俺の方を全く見ていないのに的確な補足だった。……一番の驚愕の理由は内容よりも量だったんだけどね。
タイピングの音だけが響く会長室で作業を開始する。確かに作業自体は実に簡単だった。生徒会管轄の委員会やらの書類らしく、その委員会毎の書類を各クラスに振り分けるだけだった。そのお陰か、どうしてこんな事になったんだっけ……とかは考える暇も無く作業に集中できた。
どうでもいいけど腹減ったなぁ……。
とか思った時、タイピングの音が止んだ。
思わずせっちゃんの方を見てみると、紅茶に口を付けていた。……俺はさりげなく作業に戻る。ちゃんと出来たか自信が無いので少し後ろめたい、いや、けっこう後ろめたい。
「おいしいじゃない。塩田十八」
「えっ? マジで?」
そんな馬鹿な、あれだけ適当に淹れた紅茶が美味い訳ないぞ?
「どうしてあなたが驚くのよ……。まぁでも、料理が出来るとも言っていたし、一つくらい取り柄みたいなものはあるものね」
誉めてるんだかけなしてるんだかよく分からん事を言うせっちゃん。好感触だったようで何処となく表情が柔らかい、笑顔とも取れる優しげな表情。
懐かしいせっちゃんがだぶった。
適当な淹れ方だったけど、余程上手い事ハマってくれたのか紅茶は美味いらしい。せっちゃんはかなり上機嫌である。その表情を見て、俺も思わず顔が綻んでしまった。
「……ねぇ、塩田十八?」
「うん? 何?」
呼ばれて、せっちゃんを見て、気付く。優しげな彼女を前にして、懐かしむあまり勘違いをしていた事に気付く。思わず出た返事も慣れ慣れしいにも程がある。
しかし、せっちゃんは気にした素振りは無く、真剣そうな、いや、どこかばつが悪そうな、俺に気を遣うような……そんな表情で俺を見据えていた。
「……おじいさん……。亡くなった、のよね?」
俺から僅かに目を反らした彼女は消え入りそうな声で言う。
瞬間に彼女の心情を察知した――せっちゃんはずっとこの事を訊く機会を窺っていたんだ――。
俺のじいちゃん。塩田時貞はせっちゃんも知っている。ずっと小さい時から仲良しだった俺と瞬とせっちゃん。俺との繋がりから佐山姉弟はじいちゃんの柔術道場に通っていた。俺と……遥も含めていつもみんなでじいちゃんにしごかれていた。
小学校卒業前まで。
「……ああ。春に、ね」
それ以上言葉はいらなかった。
「そう……」
視線をパソコンのディスプレイに戻すがタイピングの音は聞こえて来ない。昼休みの喧騒も届かないのか、嫌に静かだった。
懐かしさのお陰で少しだけ昂ぶっていた気分が急速に冷めた。
目の前にいる懐かしい人よりも、既にいなくなってしまった懐かしい人の記憶が俺の頭の中で揺れる。
でも、その冷めきった頭の中ででも……懐かしい人の記憶が揺らめく中でも……。
俺は大きく安堵していた。
変わっていたせっちゃん。
変わっていなかったせっちゃん。
彼女の心に俺の大切な人が残ってくれていた事が嬉しかった。
自己堅持欲が強くて自意識過剰で我が儘なくせに、いつも他人の事ばかり考えていたせっちゃん。
一番大好きだったところは少しも変わっていなかった。
俺を気遣ってくれた彼女が優しかった。
嬉しかった。
例え『今』の俺が彼女の中にいなくても……。