013 第一章刹那01 胎動
俺は諦念していた。
過去、尊いもの。人が人でいる為の全てだと言ってもいいと思う。
自分の記憶、他人の記憶、使ってきた物、物や人に遺した痕跡、写真、ビデオ、まだまだあるが、全て過去だ。
過去が有るから現在がある。過去が有るから未来がある。過去が有るから希望がある。過去が有るから絶望がある。
過去、変えられないもの。
現在、移ろうもの。
多分。かもしれない。是か非か。否か応か。
誰にもわからない。自分自身だってそう、人の心だって移ろうもの。
未来、想い馳せるもの。
後で、明日、明後日、来月、来年、誰もがそこに望みを掛ける。
希望、欲望、志望、願望、要望、抱負、期待、それらが行き着くところ。
……本当に人が人である為に必要なのは未来へ望む心なのだろうか。
……現在が移ろうのも先に望むものがあるからだろうか。
望むものが無ければ。
行き着く答えを知っていたら。
ただの幻に過ぎない。
俺は諦念していた。
坂を上る。
緩やかな坂道。頂上まで絶え間なく続く桜の木のアーチ。残念ながら今は冬、青く茂る葉も無ければ淡い色で咲く花も無い。ちらほらと残る枯れ葉が少し寂しい。
しかし、周りにはそれを気にしているような人はいない。急いでいるのか駆け上がって行く人。楽しそうに談笑を交す人達。自然と俺の気持ちも軽くなってくれる。同じ目的地を目指して肩を並べて坂を上る、周りの人達と時間を共有している。皆それぞれの幸せや大切なものがあるだろう。その人達と同じ目的を持って一緒に坂を上るだけで……嬉しい。
俺はおかしいのだろうか……?
「だるぅーっ! だるいよーっ! シオーっ!」
隣から聞こえてきた声に、いい感じに膨らんでくれてた軽い気持ちが萎れる。
「何だよ渉。朝一からお前らしくないな?」
反対隣から俺越しにツッコミが入る。
「だってさぁ〜、毎日毎日、朝から坂を上ってさぁ〜、だるいっしょぉっ!」
ほっぺを膨らませてぷんぷんする渉。野郎がそんな顔しても可愛くもなんともない。
「そんな子供みたいな事言うなよ。しょうがないだろ? 学校なんだから」
律儀にも渉のわがままに更にツッコミを入れる瞬。
「わかってるよ。多分みんなが思ってるだろうなぁって事を言ってみただけだよっ! シオもそう思うっしょ?」
瞬に邪険にされたからか、今度は俺に振ってくる。
「俺は……けっこう好きかも。だって唯一の入り口の正門に続く坂だろ? みんな一緒ってなんかいいじゃん。今日なんて、ほら、俺達も三人一緒だぞ」
そう、今日は珍しく坂下寮の前で三人が鉢合わせた。そのまま三人で校門に続く坂を上っていたりする。
「「…………」」
二人とも俺を見て唖然としている。俺も言ってから気付いたがちとキモかったか?
「うん、いいかも……」
「十八……」
唖然とした表情から一変して笑顔になる二人。
えっ? ……なんだ?
こうして、普段とはちょっとだけ違う形で始まった日常。
でも本当に違う日常はこれからだった。
一時間目、現国。
俺は必死にノートを録っている。勉強は苦手だがサボりは絶対にしない。
じいちゃん。亡くなる前に学校の授業料を卒業まで全て払ってくれていた。サボるなんて馬鹿馬鹿しいし、何よりじいちゃんに申し訳ない。身寄りも無く、養ってくれる人もいない俺が就職もしないで学校にこだわる理由の一つがこれだ。
それに授業は嫌いではない。苦手な教科もあるけど勉強自体は好きなので授業は楽しかったりする。
苦手なのは体育。体を動かす事自体は別にいい。しかし、団体でやらなくてはいけないスポーツなどはことごとくみんなの足を引っ張る。ぶっちゃけると俺は運動ができないのだ。球技なんかはもちろん、走るだけでもずっこけまくってしまったりする。情けない……。
と、そこで授業終了のチャイムが鳴り響いた。
「今日の授業はここまで。ノートは録っておけよ〜」
そう言ってさっさと教室を出て行ってしまう現国の先生。
ヤバイ。考え事してたらノートがまだ録り終わってない。せかせかと黒板写しを再開する。
「塩田十八」
ん? 今呼ばれたか? 瞬か? 女の声だった気もするけど。
必死に走らせていたシャーペンを止め、きょろきょろと見回すが瞬は自分の席で寝てるし、渉もどこかに行ってしまったようでいなかった。
「塩田十八っ!!!」
「ハイッ!!」
再度聞こえた声に条件反射で勢いよく振り向く。ついでにクラス全員振り向く。
声のした教室の入り口にはせっちゃんが体半分だけ出してオイデオイデしていた。
「せ、せっ、佐山さん。どうしたの?」
急いで駆け寄って訊いてみる。当然、背中にクラス全員の視線が突き刺さってくる。
「塩田十八……あなたは雑用なのよ。雑用なのに今朝時計棟に来ないのはどういう訳?」
駆け寄った瞬間、凄い不機嫌になった気がする。ちょっとだけ傷付いてしまった。
「ご、ごめん。えっ、と、知らなかったよ」
怒ってるみたいだし素直に謝る、しか無いでしょ。
「……まぁいいわ。えー、替わりのペナルティーとして、昼休みに時計棟に来なさい」
よその教室の入り口付近であるにも拘らず、やたらと堂々とした態度で言うせっちゃん。周りの視線を気にもせず『来なさい』の辺りで長めの髪をふわっさぁってやった。どっかで見た気もするけど、なんかかっこいい、っていうか凄いいい匂いがした。
「もちろん、いいよ」
ペナルティーって辺りがちょっとだけ納得できないけど、断る理由も無いので了承しておく。
「そう、昼休み開始のチャイムから五分以内に会長室をノックしなさい」
俺が了承するのは当然って感じ、やたらと高圧的。
「あ、ああ」
「じゃ」
って言って行ってしまう。せっちゃんはA組である。
「…………」
振り返るのが怖い。
ひそひそ声が凄い。
と、そこで2限目開始のチャイムが鳴り響いた。俺はしめた、とばかりにみんなの視線を交いくぐって席に着いた。
二時間目、世界史。
「今日は世界史の先生が病欠なので自習でーす」
委員長がそう言った瞬間。
ガタタッ!!
俺の席にクラス全員が群がって来た!
「今の会長でしょ? なんでなんでなんで?」
「待ち合わせみたいな事言ってたな? 時計棟? どういう事だ?」
「付き合ってるのかっ?」
「っていうか塩田君って執行部だっけ?」
「あわわわわわっ」
「なっ? 十八っ? どうしたっ? 十八っ!」
ほとんど話した事も無いようなクラスメイト達に物凄い勢いで詰め寄られてしまう。なんか胸ぐら掴まれてるし、っていうか掴んでるの渉だし。騒ぎに目を覚ました瞬もパニック状態である。
「おいっ! ちょっとみんなやめろよ! 刹那は俺の姉弟なんだから十八が知ってるのは当然だろ!」
瞬が仲裁しようとしてくれるが、あまりにももみくちゃなので流石にどうにもならない。
「でも、話してるの初めて見たぁ」
「付き合ってるのか?」
渉しつこい。
「違うって! 執行部を手伝ってるだけだって!」
みんなのハイテンション振りに俺も必死。
「お〜い。ちょっとうるさいぞ〜」
隣のクラスの担当教師が注意に来てくれて、ようやく解放された。
「ふぅ……」
静かになってくれた教室で息を吐く。
「塩田君って刹那と仲良しだったんだねぇ」
「えっ、あっ、うん」
突然の声に思わず肯定してしまった。まぁ、『だった』ってのは間違いない。声の主は隣の席の阿部さんだ。
「あたし一年の時に刹那とクラス一緒で仲良しだったんだよぉ。今もだけどねぇ」
とても明るい印象の阿部さん。まともに話すのは初めてだった。
「そうなんだ」
「でも意外だなぁ。刹那がさぁ、瞬君以外の男の子とまともに話してるの初めて見たよぉ」
「そ、そうなんだ……」
なんか独特の雰囲気のある子だな。
「そうだよぉ。刹那、男嫌いで有名だよぉ」
「へぇ〜」
はっきり言って俺もまともに扱われてない気もするけど、どうなんだろう。
「でも塩田君もあの執行部にいたんだねぇ。意外だよぉ」
入ったのは昨日からなんだけどね。
三時間目、化学。
移動教室中。
「本当に付き合ってないのかっ?」
「だから違うって言ってるだろ!」
渉がウザイッ!
「あっ、せんぱぁい。こんにちはです〜」
声に反応すると、正面の一年生集団の一人がめっちゃ笑顔で駆け寄って来た。
「ま、毬谷さん」
「せーんぱい! ルナの事は『るな』でいいですよ」
とか言いながら俺の腕を取る毬谷さん。
って……えっ?
「ま、ま、毬谷、さん?」
なんか俺の腕をぎゅぅってしてる毬谷さんにツッコむ。
「だから違うです! る・な・です!」
俺の肩越しに見上げる形でそう言う。俺の腕を掴んでいるのだから当然の構図である。っておい。これはかわいいなんてレベルじゃないぞ? これは兵器だ。
「……る、るな……ちゃん」
俺の理性が辛うじて呼び捨てを回避する。
「はい!」
同じ構図で笑顔の元気な返事。兵器が核クラスに……。
「せんぱいはお昼ご飯はどうするですか? 学食ですか?」
笑顔のまま訊いてくる。
「えっ? あっ、うん、いや。今日はパン、かな、ちょっと予定があって時間が無いん、や」
昼休みはせっちゃんに呼び出されている。昼休み開始5分前までに行かなくてはいけないので学食で食べる時間は無い、今日は弁当も持って来ていないし、購買に寄ってパンを買って行ってギリギリだろう。
「そう、ですか……。良かったら今日も四人で一緒に食べれたらなって思ってしまったです。用事があるならしょうがないです……」
と、俺の腕を掴んだまま、しゅんと項垂れてしまったルナちゃん……の後ろから物凄い殺気が膨れ上がる。
「ふ、ふふふ……ルナの誘いを断るとはね。くくく……」
やはり不可思議にも白くなった眼鏡の奥で怪しげに笑う進藤さん。
「あー、殴りてー殴りてー殴りてーなー。レディの誘いを断る下衆を殴りてーなー」
最早、殺る気満々な橘さん。
「でも仕方ないです。また今度です」
殺気の立ち込める中でそう言いながら顔を上げるルナちゃん、元の笑顔だった。
「う、うん」
どうにか返事を返す俺。
「じゃ、またです。バイバイです」
俺の腕から離れて行ってしまうルナちゃん。
「ふ……」
進藤さん。
「けっ!」
橘さん、いや、コイツはもう『さん』は要らねぇな。橘。
「バイバ〜イ……」
と、三者三様の三人を見送ると、またしても背中に痛い視線を感じる。今度は瞬も先に行ってしまっていないし。
「シオ〜! 貴様ぁ〜っ! 今のは一年生美少女四天王の一人、俺的美少女NO1の毬谷るなちゃん……。実は眼鏡萌えのスキルを持つ俺には堪らない進藤円ちゃん……。ツンデレにしたい萌えポニテNO1の橘巴ちゃんじゃないかぁ〜っ!!」
ゴゴゴゴって効果音が聞こえて来そうな感じで言う渉。
「そ、そうなんだ。い、いや、っていうか執行部で一緒なだけだってば!」
全くなんなんだ……。
渉がウザイのはもちろんだが、何だかおかしく思える一日。
怠惰だった筈の日常の変化はまだまだ始まったばかりだった。