~ドライブ②~
翌日はドライブ日和の晴天だった。
真っ白なワンピースの香枝は、助手席に座っている。
俺は香枝に目的地を言った。すると、いつもと同じように香枝は復唱して、目的地を登録してくれた。
「登録完了だね。よし! 出発するよ」
「はい。10メートル先、を、左、です」
「了解!」
アパートの駐車場から出ると、香枝はいつもと同じようにナビゲーションを始めた。
「信号、を、左、です。青信号、に、なるまで、止まって、いて、くだ、さい」
「そうだね。赤で渡ったら危ないからな」
あたり前のことを言われても、香枝なら楽しい。
大通りに出ると、車の流れに乗るようにアクセルを踏んだ。
「スピード、が、出すぎて、います」
「香枝、確かにスピード違反かもしれないけど、あまり遅くてもみんなの迷惑になるんだよ」
いつものことなのだが、香枝には臨機応変ということがわからないらしい。どんなにドライブを重ねても、同じことを気にするのだ。
「スピード、を、出すのは、危ない、です」
何度も同じことを繰り返されると、アクセルを踏む足が緩む。
「わかったよ。そうだね、急ぐ旅でもないしな」
「たび? なんです、か?」
「んー、そうだな。旅行かな」
「旅行、するの、ですか?」
「日帰りでも、旅行気分だから。プチ旅行だね」
「日帰りも、旅行、ですね」
わからない単語があれば聞いいてくる。そして、学習するのだろう。しかし、そのやりとりが楽しい。だからこそ、もっといろいろなことを教えたくて、いろいろな場所へ行こうと思うのだ。
「1キロ、先を、右、です」
「1キロ先だね」
「車線、変更を、して、くだ、さい」
「1キロもあるから、もっと先でよくない?」
「転ばぬ、先の、杖、です」
使い方がかなり違うが、2~3日前に教えた言葉だ。
俺はおかしくて、吹き出してしまった。
「なぜ、笑うの、です、か?」
「いや、香枝が可愛いから」
「可愛い、と、笑う、の、です、か? 100メートル、先を、右、です」
「そうだね。可愛いと笑うな」
「そう、です、か。可愛い、と、笑う、の、です、ね」
「うん、そうそう」
「あ、は、は、は。30メートル、先を、右、です」
「今のは、なに?」
「笑い、まし、た」
「なんで笑ったの?」
「可愛い、から。次の、信号を、右、です」
「何が可愛かったの?」
「カエ。そこを、右、です」
俺は、ハンドルを右へ切った。
「香枝が可愛いのか」
「はい。カエは、可愛い、笑う、の、です」
こんな会話が永遠に続くのだ。
楽しくないはずがない。
ゆっくりと走り続け、目的地へと到着したころには、昼を回っていた。
蕎麦が美味しい土地らしく、あちこちに蕎麦屋の暖簾がかかっている。
俺は、香枝と蕎麦屋の暖簾をくぐった。
いつものことで、人型ナビを連れて店に入ったところで、珍しいこともない。
俺の他にも、ナビを連れて食事をしている人は多々いるのだ。
人型ナビが出る前は、一人でドライブに行ったり、その先で食事をしたりするのも、どことなく気恥しかったり、周りが家族連れやカップルだったりすると、面白くないという気持ちが湧いてきたものだ。
ところが今の俺は、全く周囲が気にならないのだ。
それどころか、香枝というナビと一緒にいる自分を誇らしくさえ思える。
きっと、他の人たちも同じ気持ちなのだろう。
今日も、蕎麦屋に入ると、店内にはナビだとわかる人型が何体も席に座っていた。
俺は、店員に一人である旨を伝えると、席へと案内された。もちろん、二人用のテーブルで、俺の前には香枝がいる。
俺は、自分の食べたいものを注文すると、香枝に蕎麦というものについて説明を始めた。
香枝は、蕎麦という食べ物を記憶していった。
他のテーブルでも同じように、ナビに話かけている人がいる。その誰もが楽しそうに笑っているのだ。そして、人型ナビを持たない人たちが、羨ましそうに俺たちを見ているのだった。
食事を終えると、俺は近くにあるという滝を見るために歩き出した。
店の人に聞いたところ、その店から30分ほど歩いたところに、滝の入口があるという。
俺は、香枝と散歩するつもりで、歩き出した。
(これが、人間の香枝だったら……)
比較するつもりはないのだが、つい考えてしまう。
これが人間の香枝だったら。
『30分も歩かなくちゃならないの? 冗談じゃないわ! なんで、そんなことをしなくちゃならないわけ? 私に疲れろって言うの? 嫌よ! 滝を見せたいなら、滝をここに持ってきて!』
そう言って、俺が謝るまで文句の嵐になるだろう。
それでいて、ショッピングだと何時間でも歩き続けるのだ。
「香枝は文句を言わないからな」
「文句? なん、です、か?」
「いや、いいんだよ。今のままの香枝がいいんだから」
「はい、カエは、可愛い。あ、は、は」
めちゃくちゃな登録のされ方になっているが、それもまた楽しい。
何もかもが楽しいのだ。
人型ナビが開発されてから、観光地には週末になると人が流れてくるようになったと聞く。もちろん、一人で来る人が大多数なのだが。それでも、全く人が来なかったりした場所などは嬉しい限りだろう。
高速道路にしても、今までより使用車が増えているらしい。
確かにそうだろうと思う。俺でさえ、毎週のように高速道路を使って走りまわっているのだから。
それほど、人型ナビという存在が、現代の人間たちに潤いを与えているという証なのだろう。
「高い買い物だったけどな」
俺は自嘲的に言った。
「高い? 買い物? です、か?」
「あ、違うちがう。いいんだよ」
看板を目当てに、ゆっくりと歩き続ける。
俺たちの他にも、同じようにナビと楽しそうに笑いながら、歩き続けている人がいる。
(今が一番幸せだな)
俺は、香枝を連れて森林の奥へと、看板を頼りに歩き出した。
森林の中は涼しく、時折鳥の声が聞こえてくる。




