002
陽気な昼下がり。
俺は何気無く、職員室の窓から空を見上げる。
室内にいることがバカらしくなるほど、青々とした空が広がっていた。
昨日の夜が霊障駆除実習だったから、公園の芝生とかで昼寝したら気持ち良さそうだな。
「おい、鬼灯。先生の手前だ。よそ見をするな。少しは緊張しろ」
「……なずなちゃん相手に緊張するのは無理っすよ」
聞こえてきた女性――玄谷なずな教諭の声に返事をしてから、俺は視線を窓から職員室の室内に戻す。
俺の視線に映るのは、閑散とした職員室と椅子に座るというより乗っかっていると表現している方がしっくりくる幼女……ではなく、なずな教諭。
自称身長百四十三センチ。推定身長百三十八センチ。
大きな瞳と肩口まで伸びた少しウェーブがかった亜麻色の髪が印象的だ。
何も知らない第三者がなずな教諭を見れば、中学生ぐらいの美少女と思うはずだ。
今は違和感が半端ないスーツ姿だが、私服で街中を歩けば必ず警察に補導されかけるらしい。
ただ、見かけに反して性格はガサツで男勝りな部分が多々ある。
年がら年中、幼く見られた結果、荒んでしまったのだろう、と生徒たちは噂している。
「鬼灯、次の霊障駆除実習を再試にするぞ」
「望むところっすよ。再試なら一人でやれるだろうし、気楽でいいから。さらに報奨金は一人占めでウハウハじゃないっすか」
「……チッ、これだから規格外のヤツは面倒だ。普通の生徒なら、即座に謝るぞ」
「なずなちゃん、それは職権乱用ってやつじゃないっすか?」
「生徒と教師の立場の違いを教えてやっているだけだ。教師らしく振舞っただけで職権乱用なんざ言われる覚えはない。あとちゃん付はやめろといつも言ってるだろ」
「なずなちゃんは、なずなちゃんが一番しっくりくるんっすよ。別に舐めているわけじゃないっすよ」
「舐める舐めていないの問題じゃない。先生と生徒の立場というものがあるだろう」
「女子生徒も結構ちゃん付してるじゃないっすか。それは注意しないんですか?」
「あいつらは、アタシを姉のようにしたってくれている。だから有りだ。だが鬼灯、お前はダメだ。いまいち慕ってる感が薄い」
「うわ、それは差別っすよ。俺も、なずな先生を慕ってるっすよ。ただ、なずなちゃんから威厳を感じることは無――」
「あぁ?」
低い声とともに、なずな教諭の大きな瞳が鋭く細められる。
なずな教諭の視線が物理的な圧力を伴って俺を射抜く。
職員室の蛍光灯が点滅し、窓ガラスがガタガタと音を立てる。
なずな先生の琥珀色の瞳が淡い燐光を帯びていた。
ヤバい、と俺は内心呟いてしまう。
なずな教諭は若手でありながら、霊障駆除実習の担当を任せられる実力者。
感情の起伏でチカラがこぼれることは、内包するチカラの大きさを表す。
本気をだした俺が負けることはあり得ないが、無傷で制圧することは難しい。
一部では『破壊魔』とか言われて恐れられているらしい。
まあ、そもそも俺には女性に手を上げる趣味はないので、なずな教諭と一戦交わることはあり得ないんだけどな。
「ちょっと口が滑りました。今の発言は無かった方向で」
「……霊障駆除実習の評価、マイナス一点で勘弁してやる」
「ありがとうございます」
俺はぺこり、と頭を下げる。
ぶっちゃけマイナス一点なんて評価に影響しないレベルの罰だ。
「だいぶ話が脱線したが、なんで職員室に呼び出されたのかわかるか、鬼灯?」
「わからないっす。いや、わからないことにさせてください。三回目なんで……」
「察しているなら、話は早い。実習には記録のために式神を生徒に同伴させているのは知ってるよな?」
「はい。事前の説明で毎回言ってますよね。公正さと安全のためにつけさせているって」
「ああ、不正する生徒は稀だが、霊障駆除対象が、事前の想定を超えることは多々あるからな。生徒の手に負えない規模になることも年に一、二回はある。で、呼び出された理由はこれだ」
嘆息しながら、なずな教諭は右手を眼前あたりに持ち上げる。
一呼吸置いて、手のひらに映像が描き出される。
それは昨晩、ついてきていた式神が記録した映像で、梓が俺の腹に一撃を叩き込んだ姿がリピート再生されていた。
「なぜ神代は鬼灯に一撃を叩き込んだんだ? セクハラでもしたのか?」
「するわけないっすよ。明らかに俺は被害者じゃないっすか。俺を呼び出すより、梓を呼び出して理由を聞き出してくださいよ」
「それが出来るなら、初めからしている。神代は優等生だが扱いにくさは鬼灯以上だ。いや、鬼灯絡みだと扱いにくいが正しいな」
「どういうことっすか?」
「言葉通りの意味だ。鬼灯が絡むと途端に思考回路が狂う。それにすでに神代から事情聴取済みだ。神代は鬼灯がいきなりプロポーズしてきたので、どうしていいのかわからず、一撃を叩き込んだんだと言っていたぞ」
「ちょ、ありえねぇっすよ。つーか音声ですぐバレるじゃないっすか」
「すまんな。鬼灯と神代なら、霊障駆除の規模がデカくても問題ないと思って省エネモードにしていた。音声は一切入っていない」
「職務怠慢じゃないっすか」
「一度に十数体の式神を使役するのは疲れるんだ。何処かで手を抜かないと、いざという時、余力がなくなるだろ」
腕を組んでウンウンと頷く、なずな教諭。
妙に愛くるしい姿に俺は抗議する気力が削がれてしまう。
「まあ、神代が適当なことを言ってることは間違いないと思うが、真実を口にする可能性はゼロだ。だから鬼灯を呼び出した。鬼灯が戦おうとしたから神代が止めた、というのがアタシの予想だが、間違っているか?」
「その通りっす」
「……つまらんな。予想通りとは」
「予想通りなら俺を呼び出さないでくださいよ」
「仕方ないだろう。あくまでも予想だ。面倒でも確証に変える必要があるんだよ」
「面倒っすね」
「ああ、面倒だ。だが、ちゃんと教師らしいだろ」
ぐっと親指を立てる、なずな教諭。
教師の威厳はゼロで、ただただ可愛い。
なずな教諭ファンクラブの気持ちが少しわかる気がする。
「とりあえず、用件はそれだけだ。鬼灯、前に本気を出したのはいつだ? 三年前の『朱い聖夜』が最後か?」
「……そーっすね。それ以来、邪魔ばっかされてますね」
「腕は錆び付いていないのか?」
「元々、錆びつくような腕は持ってないですよ。むしろ今の方が体術とかは上だと思いますよ」
「そうか。ここ最近、地脈の乱れた地域が多く目に付く。用心と覚悟だけはしておけよ」
「用心と覚悟っすか?」
「ああ、世の中、ままならないことが多いからな。これで話は終わりだ。霊障駆除実習の疲れが多かれ少なかれあるだろ。帰ってゆっくり休めよ」
若干の引っかかりを覚えながら、俺は職員室を後にした。