竜王様に求婚されました
「結婚しないか、シェリー」
唐突に訪れた、銀細工のような男は言った。
シェリーことシェルシア・モント侯爵令嬢は混乱する。
「な、なぜ陛下が私の愛称を……?」
そんな気軽に呼ぶのだろう?と首を傾げる。
銀細工の男もとい陛下とは、リードレント国王ラクディス・フィオナ・リードレント。
そんな男の特徴である銀糸のような長い髪と紫水晶のような瞳は王族のしるしだった。
現在王族の男性でその色は国王しかもっていない。つまり、まごうことなき国王陛下である。
「何故も何も……いや、私がわからないのか?」
あきれたような表情を隠しもせず国王は言った。
「解らないもなにも、陛下のご尊顔をこんなに間近で拝見いたしましたのは今日が初めてでございます」
彼女は戸惑いながらも言い募る。
「寒々しい言葉遣いだな」
彼は肩をすくめた。
「髪と瞳を変えれば人は解らなくなると聞いたが本当だったのだな」
国王が指をパチンと鳴らすと、銀の髪がじわじわと黒い茶色になり、瞳の色が緑になる。
「これでも知らないと言うか?」
呆然と見ていた彼女に言う。
「……え……うそ……」
その姿はどう見ても、王立学院に通っていたときのライバルであったラス・アルジェン。
アルジェンという、王族の血筋だが遠すぎる血筋で、没落寸前である伯爵家の長男だったはずだと彼女は記憶している。
嫌味なくらい気障なしぐさと美貌で女子達はのぼせあがっていたし、それでいて成績優秀・文武両道で男子からもそれなりに支持を得ていた嫌な男。常に自分の前にいた、邪魔な男だった。
「うそおおおおおおおおおおおおおお?!?!?!」
シェルシアは屋敷全体に響きそうなくらいの大音声で叫んだ。
* * * * * * * * * *
王立学院は貴族であろうが平民であろうが門戸を開き、様々な分野の勉学ができる教育機関。
大体5歳から通い、15歳で卒業するか専門の院へ進み17、18歳で卒業する。
シェルシアとラスことラクディスもそこへ通っていた。
二人は成績を良く争っており、常にラクディスが首席として存在していた。
そんな男に負けないように、また家から負けるんじゃないぞという声援にシェルシアは努力をしていたのだが、どうしてもラクディスには勝てなかった。
随分と悔しい思いをさせられたのは成績だけではない。
初めて出会った舞踏のレッスンの時間には散々怒られた。
曰く
「優雅さが無い」「音楽を聴いて動け」「足を踏むな」「力を抜け」「いい加減に口を閉じて集中しろ」
だ。
文句を言う彼に反抗したのだが、彼は本気で彼女を叱った。
「貴方って口うるさいわね。まるで小姑みたいだわ」
とレッスンが終わったと同時に言ったのだが、鼻で笑われる。
「運動神経が良いくせに、文句ばかりで舞踏できない令嬢を教えていれば小姑にもなる」
そう言ってさっさと消えてしまったので、彼女は非常に頭にきたのを良く覚えている。
その後も何故か、パートナーを必要とする授業で彼とあたってしまい、お互いため息をついたものだ。
「そもそも授業でなんで馬に乗りあう練習とかわけの解らないものがあるのよ……」
乗馬の授業の一環で、何故か男女一組で馬に乗る練習というものがあった。
女は横乗り、それを支えるように男が手綱を握って馬を走らせるのだ。
「俺もそれは疑問だな。どんな状況でも一人で走れる練習をした方がよっぽど有益だ」
「同感」
二人は馬の背に揺られながら教師に聞かれないようにぼやいた。
周りの生徒がなれない状況の中、二人だけは優雅に馬を走らせている。
「意識してるからぎこちないのよねー。落ちたらいっしょに引きずり落としてやるくらいに考えて、馬の付属品だと思えばあんな危なっかしくならないでしょうに」
シェルシアは危なっかしい組を見ながら飽きれたように言う。
「誰もが自分と同じようにできると思うな。ましてや同じ生き物だと思うな」
ラスの馬鹿にした声にカチンとくる。
「なにそれ、私が人間じゃないとでも言うの?」
「流石にそこまでだとは思ってない」
「じゃあ何よ」
「女と思っていない」
「なによふざけ――もごっ」
叫びそうになったのを、ラスの手が口を塞ぐ。
「静かにしろ。目立つだろう」
何を今更、と彼女は思った。
「ふざけてなどいない」
塞ぐ手を戻し、彼は馬の腹を蹴って走らせる。
授業の二つ目、二人のまま障害物を避ける。軽い段差をひらりと越す。
切る風が気持ちいい。そう思っていると、彼はさらに馬を早め中級の障害物を攻略しに行く。
「ちょ、なにやってるのよ?!」
さすがに驚いて彼を見上げると、彼はとても楽しそうに――それはもう楽しそうに黒く笑っていた。
こいつは悪魔か。整った顔に浮かぶ微笑を見て思う。
「落ちたくなければしっかり捕まっていろ」
そう言って彼は勢いをつけて散々中級・上級の一人でも難しい障害物をこなしていく。
彼女はそのたびひやひやしてラスにしがみついたが、浮かび上がった瞬間の浮遊感に快感を覚えてしまう。
教師達に止められてようやっと帰ってきたとき、彼は彼女にささやいた。
「あれで悲鳴を上げない女を女とおもえるか?」
こいつ殺す。彼女はそう思った。
その後も似たようなことが何年も続き、二人は喧嘩ばかりしていた。
最後の卒業式の後のパーティでは首席と副首席が男女ということもあって、二人が舞踏を披露することになった。
二人は聞かされた別々の場所で同じように苦虫を噛み潰したような顔になる。
初めて出会った舞踏の授業。その頃よりも上達していたし、もう馬鹿にさせないわと彼女は意気込んだ。
予行演習として二人は練習室を借りて練習していた。もちろん、教室の外側には大勢の出歯亀がいたのだが。
「驚くほどカンがよくなったな」
「もちろんよ。あれから何年たってると思うの?」
二人はくるくると踊りながら会話する。
「そうだな。五年くらいだったか」
「そうよ。五年も同じ授業が続けば上達もするわ」
「壊滅的なヤツもいたがな……」
「まぁ……それは言わないであげてよ」
五年も続く必須教養課程の舞踏の授業では殆どの者が上達し、ほぼ完璧で卒業していく。
シェルシアの友人に一人、ラスの知り合いに一人、壊滅的な人間が存在したのである。
その二人も本人なりに必死だったので慰めてやっていた。
が、壊滅的な舞踏を披露する二人は男女だったこともあり、気づいたら恋人どうしになっていた罠が存在する。友人達はそれにはもう匙を投げ、好きにしろという心境だ。
「アンタは嫌味なくらいエスコート上手よね。学院中の女子が目の色変えてるわよ」
「男の仕事の一環だからな。体に慣れさせておけば暫く忘れないだろう」
「嫌な発想ね」
「事実だ」
「アンタの中身を知ったら皆悲しむわねー」
夢見る乙女達の姿を思い出し、思わずぼやいてしまう。
「どうせ関わることのない者達だ。夢で終わるなら幸いだろう」
どこまでも女性に冷たいラスに呆れてしまう。
「女で苦労でもしたの?若いのに」
「女に限ったことじゃない」
言葉の最後を無視して眉根をよせる。嫌な思い出でもあるのだろう。
「え?同性からも?」
無いとわかってても浮き立ってしまう悲しい乙女心で聞くと、ラスは心底嫌そうな顔で舌打ちした。
「否定はしないし出来んな」
「貴族の子息様は大変ね。その顔じゃ余計大変でしょう」
「貴族の子女でその顔が何を言う。同じようなものだろう」
「生憎、私はアンタほど人気は無いのよ」
やさぐれたように言うと、彼は呆れた顔をする。
「無自覚とはとんだ迷惑なヤツだ」
「な、なによ無自覚ってどういうことよ」
「さっきまでの会話から推測しろ」
二人とも踊りながらの会話である。部屋の中を覗き見しているものたちにはこの会話は聞かれていない。
「ところで、アンタはこのまま院へ進むの?」
「……いや、やるべきことがあるからな」
ラスの顔が一瞬固くなる。
「そう。もったいないわね、首席とあろうものが院へすすまないなんて」
意外といえば意外だったが、没落寸前とはいえ伯爵家の長男だ。きっと家を支える為に帰るのだろう。
「そうだな。そういうお前はどうなんだ?」
「院へ行きたいところだけど、家の都合で暫く家で花嫁修業ね」
はぁ、とため息をつく。
この頃、国内が非常に不安定だった。王や一部の貴族たちの横暴によって国が乱れていた。
それだけでなく、言いがかりのような理由で他国に小さな戦を仕掛けては負けたり勝ったりとなにかと疲弊しいている。王や貴族たちを諌める者は良くて左遷、悪くて処刑だ。
心ある貴族たちは水面下の情報戦を行い、自分を守ることに専念しつつ隙をうかがっている状態だ。
それを解っているから、シェルシアはおとなしくすることにした。
「そうか。売れ残るかもしれんが、二、三年は結婚しない方がいい」
「いきなり何よ、売れ残るとか失礼ね」
彼女は唐突な言葉に驚きながらも嫌な顔をする。
確かに可能性が無いわけではない。今のところ相手がいないからだ。それでも他人に言われるのは楽しくない。
「自分の平穏を守りたいならそうしてくれ」
真剣な目で彼は言った。緑の瞳は厳しいが、どこか己を責めるような光があったので、シェルシアはそれを否定せずに頷いた。
「解ったわ。でも、売れ残ったら責任取りなさいよね」
「何故だ」
「" お願い"を聞くんだからそのくらいいいでしょう。あくまでも売れ残ったら、よ」
「お願い、ではないんだが……いいぞ」
「やけにあっさりね?」
「なに、将来の利害の一致でもある」
「なにそれ、可愛くないわね」
「可愛い理由が必要か?」
「……アンタに限ってはいらないわ」
考えるだに恐ろしい、という風にシェルシアは言ったものだった。
卒業式も終わり、夜会で二人はとても注目の的になったのは言うまでもない。
それから8年近く経って。
ラクディス王子が自らの生誕を祝うパーティーで王の首を刎ねた話が国中に広がった。
王宮に巣食う害虫の駆除として粛清が行われ、他国を退けつつだんだんと平和を取り戻していく。その手腕に一切の容赦は存在しなかったといわれる。
銀の髪に白い肌、そして深い紫の瞳という、冷酷な美貌を持った王は恐怖政治などを一切行わず、国益だけを考えて動いていた。そのおかげか、改革が大々的に行われたにも関わらず数年で持ち直し今の国内は戦禍の地意外は平和そのものだった。
シェルシアの家は早くから王子派であったため無事であり、モント侯爵は宰相の一人として任命されている。
粛清された貴族たちがことのほか多く、侯爵は「急いで娘の縁談を決めなくて本当に良かった」と内心思っていたが、「娘の嫁ぎ先はあるのだろうか」と遠い目になったのも事実。
そう、残念ながらシェルシアは国の混乱も手伝って、恋人もなく婚約者もなく家の仕事を手伝っていたのだ。
それから更に数年経ち、今現在国王に求婚されている。
「言っただろう、責任は取ると」
ラス・アルジェンの姿をした国王陛下はにやりと笑った。
「い、い、言ったけどっていうか私がそんなことを言った覚えはありますけども!!」
シェルシアの混乱にラクディスは満足そうに笑うと、もう一度指を鳴らして魔法を解いた。
彼女は学院にいた頃と全く変わっていないと彼は嬉しく思う。
「というより貴方なんでこんなところにいらっしゃるんですか?!どうやってきたの?!どういうことなの?!」
口調が定まっていないところに混乱振りがうかがえる。
「というより何故学院にいらっしゃったんですか?!」
最早そこからか、しかしそう思うのはもっともな事だったので彼は説明することにした。
「城だけでは学べないことが多いからだ。父は子供に無関心だから気にしなかったのだろう。流石にこの姿では目立つから、名前も姿も変えさせてもらったが」
それは目立つという理由だけではない。アルジェン伯爵子息という立場は「王子」では見えないつながりも観察することができた。一種の社会勉強もしていたのだ。
「外の暮らしも必要なことだった。傾きかけたこの国を直すには、どうしても自分の目で見る必要があった。まぁ、犠牲は大きかったが……」
ラクディスは自嘲の笑みを浮かべる。
そう、最愛の弟を亡くし腹違いとはいえ銀の髪をもつ妹を隣国へ嫁がせなければいけなかった。
それらだけが彼の心に圧し掛かる重しだった。
第二王子の死は国民にも知らされている。表向きは生来の病弱さに病が重なって亡くなったという。
実際は父王に虐待されていた王女を助けようとして死んだのだ。
それらの暗い思いを頭をふって消し去る。今は必要の無い感情だから。
「それから、ここに来たのはラス・アルジェンの格好をしてきた。護衛は外に待っている。それで?答えをもらおうか」
律儀に答えたラクディスだが、シェルシアのほうはそうもいかない。
「護衛は外ですか……ってそんなことではなくて!答えってなんでしたっけ?!」
あーもー、訳がわからないよーと頭の中がぐるぐるとまわる思考においつけていない。
「約束どおり君を嫁に貰いに来た。結婚してくれ」
「あれは冗談です!若気のいたりです!そもそも国王陛下いえ、あの頃は王子殿下とはいえ知らなかったので気安い冗談を言ったというか……!!」
今更ながら、学院での彼への対抗心からでた言葉達がかなりの無礼であったことを思い出す。
「知られていたら大問題だ。私では不満か?」
余裕の笑みを見せる彼に、ラスの面影が被る。
「不満も何も……」
そういう問題ではない。
容姿も地位も最高の男だ。仕事に関しては言うことなしだろうし、その性格も少しながら知っている。
だが、あんな冗談で結婚してしまうような地位にいる男ではない。
ラス・アルジェン伯爵としてならまだ結婚できたと思うが、目の前の男はこの国の王なのだ。
「恐れ多すぎてお受けできません。あの時のことも、どうかお忘れになってくださいませ」
ラスだとしても、素直に結婚しただろうかと彼女は思った。
ただ、なんだかんだと言って彼は嫌なところは突いてくることは無かったのだから信用はしていた。
だからこそ「売れ残ったら責任を取れ」と冗談も言えたのだ。
「血塗れの竜王では結婚もしたくはないか」
肩をすくめて彼は言う。
竜王とは、竜の血を強く引く銀髪紫眼の王を指す言葉だ。血塗れは王から貴族、それにぶら下がった商人全てにいたる粛清からきている。彼は影でそう呼ばれていても特に気にしはしていなかったが、貴族や平民達にとってその名前は畏怖の表れでしかない。
「恐れながら、あの頃乱れに乱れた治世を正すには、血を流さずにはいられなかったと思います。それを恐ろしいとは……確かに恐ろしいですが、言い切ってしまうには陛下の成されたことは民を思ってのことですのでつまりええとそれは実際は愛称と化しているというか平民達の間では血塗れですらステータスになっていると申しますか……」
シェルシアはどう着地していいかわからず言葉を濁した。
「つまり陛下は国民に愛されているので問題ないと思います!」
違う、そういう話をしていたんじゃない。シェルシアは言い切ってからハッと気づく。
「……っ……」
ラクディスは口を覆い、顔をそらし肩を震わせている。
流石に自分の言葉が恥ずかしくなり、彼女は顔を真っ赤にしていた。
「私が問うてるのは国民のことではなくて君のことなんだがな?」
はぁ、と一息つき、それでも笑いをのこして彼は言う。
ですよねと彼女もなんだか情けない気持ちで考えてしまった。
「それでも私でなくとも血も美貌も頭脳も持っている方はいらっしゃると思いますし、国外の姫などの外交的な面も必要かと」
「残念ながら、利害の一致という点で君が最も相応しいのだよ」
「いえいえ、そんなことはありませんわ。えぇ、ありませんとも。サーミス公爵のお嬢様やカルド伯のお嬢様が今一番、巷で"正妃候補"に挙げられてる年齢もそこそこな美姫でいらっしゃると聞きますが!そこのところはどうお考えでしょうか陛下」
シェルシアは私のことよりそっちに行けば良いと言う気持ちで言ったのだが、彼は聞き分けの無い子を諭すような笑顔だ。
「まず国外から姫をもらう、というのは無い。クレーズには妹が嫁いでいるし、サラジェーナの姫は従妹にあたるからもらうには血が近すぎるし、まだ幼い。クレージェントの巫女姫殿はすでに伴侶をお持ちだし、その他の国にしろ縁組をしても得にも損にもならん。国内に約束があるならそちらに越したことはなかろう?」
「いえですからあの約束はワスレテクダサイ……」
若干遠い眼をしてしまう。
「次に国内だが、サーミスとカルドも身分や血統だけを見れば悪くは無いが、あんな脳の空っぽな女貰っても害にしかならん。それに父親達の態度が少々よろしくない」
「確かに害にしかならなそうというのは同意いたしますが……」
「その点、君の父上は素晴らしい人材だと思っているよ。見る目もあるし、仕事もそつがない。かといって増長もしないし領民にも慕われている。彼が私についてきてくれたのは本当に感謝している」
父親が国王に褒められるのはとても嬉しい。だが、問題は――
「そんな人間の娘なら、妃に相応しいと思うんだがな?」
「父親が人格者であってもその娘がそうあるとは限らないと思いますが」
過去を見てもそんな例はごまんとある。賢王と呼ばれる王の娘が浪費家で脳内お花畑だとか、堅実な貴族の娘が色事に夢中になったりだとかは良くある話だ。
シェルシアは自分はそうならないようにしているつもりだが、周りにとってどう思われるかは見ている人間によるのだ。そんな不安定要素は無い方がいいだろうと思ってのことだったのだが。
「そうだな。良くある話だが、君はそんな中には入らない」
王はさらりと流す。
「断言はよくないと思われます!」
「本人が言うことでもないと思うが?」
呆れたように言われるが、そこで肯定できるような彼女ではない。
「それでもです」
「それでもか。個人的に君を好きだと言ってもか?」
「はい。……はい?」
あっさりと流しそうだった言葉にシェルシアは聞き返す。
「今、とんでもない言葉を聞いたような気がするんですけども」
「君が好きだと言ったんだ、シェリー」
あっさりと言われ、彼女は硬直する。
「ししししかしでもうえええ?!」
「混乱しすぎだろう、少し落ち着け」
落ち着いてきたから言ったものの、どうやらまだ混乱の最中だったらしいとラクディスは悟った。
「すきってど、どういうことですかどういうことなの?」
そろそろ脳の許容量がいっぱいいっぱいな彼女は機械のように問い返す。
「もちろん異性としての、だ」
「そんなばかなことがあるはずない」
最早考えるより口が先に動いている。
「じゃぁこれで信じるか?」
と言うと彼女の手をとり手のひらにキスをした。
――ひゃあああああああああああ!!!!!
内心で悲鳴を上げる。実際はあまりのことに声を奪われ唖然としているのだ。
軽くつかまれている手のひらが熱い。
男性に対してあまり経験のないシェルシアでも、手のひらにキスをされる意味は知っている。
懇願のキスであり、この国では求婚の意味も入っている。
どうしよう、どうしようどうしよう……それだけが頭を回る。
国王という天上にして唯一なる方であり、幼い頃のライバルであったラクディスがまさかこんなことをしてくるなんて二重で心臓が痛い。
そして、さらに心臓が止まるのではないかというくらい彼は彼女に近づき、唇を重ねてきた。
――おとうさま、おかあさま、わたしはここでしぬみたいです。
何をされたか解ったシェルシアは真っ白な頭の中で遺言じみた言葉を浮かべた。
「おい、大丈夫か」
流石にシェルシアの混乱振りにラクディスもあせってきたようだ。
「もうだめです」
「駄目になる前に答えを聞こうか」
「え、なにそれ鬼ですねこの鬼畜陛下」
先ほどからとはいえ、最早国王陛下に対する言葉遣いではない。
「何とでも呼べ。それで?」
「おことわりします」
「ほほぅ?」
にやり、とあの乗馬の授業のときのような黒い笑みを見せる。
「ひっ……んぅ」
悲鳴を上げたときにはもう遅く、再び唇を重ねられる。
しかも腰に腕を回され頭を軽く抑えて逃げられないようにされてしまった。
何度も押し付けられ、逃げても逃げても押さえつけられているうちに唇の中に舌を入れられ、ついには絡ませられた。
今までこうした色事を経験せずにいたせいかシェルシアは抗えない。平手をだしたくても深いキスが段々と気持ちよくなってきてしまったのだ。
気づけば平手を出そうとしていた腕はしっかりと彼にしがみついており、端からみれば恋人同士だ。
ようやっと開放されたときにはぐったりとして彼に寄りかかってしまった。
「さて、答えを聞こうかな?」
耳元でささやかれる声は甘く、吐息がくすぐったい。
「え、あの、おこと――」
「寝室まで行くか?」
今度は腰が砕けそうに甘く低い声。男性に免疫のない彼女は崩れ落ちそうになるが、なんとか耐える。
「それは、遠慮したい、ところです」
「今か先かの問題だがな」
「いっ――」
「答えは?」
「……おうけ、します」
それ以外、シェルシアに残された道はなかった。
国王は満足して頷くと、シェルシアの唇に啄ばむようにキスをする。
「また近い内にな」
と言ってまたラスの姿になると、侯爵家をあとにする。
暫く呆然としていたシェルシアはゆっくりと倒れてしまい、音を聞きつけた使用人が走ってきた。