ウザい
「おや、充君はお早いお帰りでございますこと」
食卓でノートパソコンを開いた母に声を掛けられたのは、夜の九時を過ぎていた。公園で女の子と何やらして遅くなった後ろめたさは、そのまま仏頂面の返事だ。父はまだ帰宅しておらず、僕は黙って炊飯器の蓋を開けた。
「覚えちゃったものは仕方ないけど、避妊だけはちゃんとするのよ」
衝撃的な言葉と普段どおりの母の表情に、僕はうろたえた。
「そんなことしてねえよっ!キモいこと言ってんじゃねえっ!」
大きな声を出すことは事態を認めている証拠だと思うには、僕はあまりにも幼かった。母はノートパソコンの画面を指差した。
「中学生って、本当にバカ。全世界に自分が誰とエッチしたか叫ぶ必要はないって、あんたの彼女に言っとけ」
口調も変わらず別に怒っている様子はなかったが、見せられた画面には、その時間まで僕が一緒だった女の子の名前があった。
それはその当時流行し始めた「プロフ」と呼ばれるサイトで、流行モノの好きな女の子たちがこぞって登録し、日記や写真をせっせと携帯電話からアップしていた。僕の相手の女の子も、そのサイトを得意気に見せてくれたことがある。
「ラブラブだのエッチ何回目だのって、実名で世界中に見せたがる人の気持ちはわかんないけどね。頭悪いったら」
そう言いながら母はパソコンをシャットダウンした。自慰を覗き見られたような羞恥と逆上を、汲んでもらえるだろうか。
「わざわざ検索したのかよっ!ウザい、キモい、死ねっ!」
「わざわざじゃないよ。中学校の予定をダウンロードしようとしたら、検索で引っ掛かったの。同じクラスの名前があるなーと思って見たら、あんたのフルネームがあったわけ」
逆上しすぎて食欲は失い、残りの夕食をかきこむようにしたためると、僕は食卓を蹴立てた。
「死ねよ、おまえ」
「母ちゃんが死ぬと、困るのはあんたでしょ?」
「別に困んねえよ。キモい」
母は気を悪くした風もなく、洗い物を始めた。
「箸箱、出すの忘れないで頂戴ね」
「女の子と遊ぶのも結構だけどね、受験だってちゃんとわかってる?」
「おまえに関係ないだろ」
「お金出すのはこっちだからね、高校に行かないんなら話は別だけど」
売り言葉に買い言葉で、高校には行かないと答えようとしたところで、玄関の開く音がした。父の顔も見たくない俺は、自室に引き上げて寝転んだ。
受験だと言われてもまったく現実味はなく、普段遊んでいる友達も特に気にしてはいない風で、夏休みの宿題は図書館でテキストを回しながら写しあい、終わらせていた。
親も学校も一生の選択だと言うけれども、ありきたりに生活するしかないのならば、努力をするのは億劫だ。
さて、Pちゃんの話に戻る。
Pちゃんの母親が妹を連れて生まれた国に帰ってしまったと知ったのは、夏休みの終わり頃だ。毎年夏休みには戻っていたのだが、一月たっても戻ってこない。慌てて電話した父親に、そこで子供を育てたいからPちゃんも寄越せといったそうである。
「やだよ、俺、言葉もわかんないところに行くのは」
Pちゃんの母の実家は比較的裕福で、それでも妹を育てるためには毎月金を送らなくてはならず、失業したPちゃんの父親は、ハローワークに通いつめている。退職金というものがどれくらいの額であったのか、僕たちは未だに知らないが、そんなに大金ではなかったのだろうと予測がつく。少なくともPちゃんが私立高校を諦めたのは、夏休み中だった。
受験について甘く考えていた僕が少数派だと知ったのは、夏休み直後の試験だ。僕の偏差値は一気に15近く下がり、その前まで提出していた志望校の合格率は20%に落ちた。その時は調子が悪かったのだと思ったのだが、その後の学力試験でも普段通りの勉強で普段通りの点数だった僕は、クラスの中で下層部になっていた。
根拠のないプライドはあっさりと砕け、僕の志望校は選択の幅がひどく狭くなっていった。
担任は「やる気を出せば挽回できる」と何度も言ったが、やる気はどこかに落としたらしく、僕の生活はまったく変わっていかなかった。