つまんない
中学校三年生の僕はもう既に女の子と寝ることを日常にしており、教室の中の誰それが可愛いだのアイドルの誰だかがタイプだのと騒ぐクラスメイトたちを、ちょっと小馬鹿にして斜め上から見るような、早熟なガキだった。部活動は夏休み前に引退し、ぽっかり空いた夏休みに夏期講習に行くこともせず、朝から晩までゲームとコミック誌で過ごして、誘われれば家の人が留守の女の子の部屋に上がり込んだり、近くの小学校の校庭でサッカーに興じたりした。
将来の展望などどこにもなく、従って行きたい高校なども見当たらず、行動の基準は「面倒か面倒でないか」「愉快か不愉快か」の選択しかなかった。
「今は何も浮かばなくても、何かしたいと思ったときに、学力がなくてはできないものもあるのよ」
母に散々言われた言葉だ。父とは数ヶ月に一度しか口を利かなかった。絵に描いたような平凡なサラリーマンの父は、世界一ダサイ男に見えた。休みの日は緩んだ身体をテレビの前に横たえ、趣味もなく、友達もいないようだった。時々僕に向かって開く口から出る小言は前世紀の遺物のような精神論で、それが自分に活かせていれば、あんたの人生はここになかっただろうと、僕は心の中で悪態を吐くのに忙しかった。
将来を問われても父と母の地味で繰り返しの毎日しか浮かばず、あんな生活ならば今現在持っているものの継続だけで充分だと思う。名の通らない大学を卒業して名の通らない企業に勤める父と、家計を支えるためにパート勤めの母が、精一杯の努力をして築いた生活がこの程度なのだとしたら、そこには夢も希望も見出せないではないか。
時々ミュージシャンやらスポーツ選手やらと言う友人もいた。そんな人たちは全体の中が一握りにも満たないことはもう知っていて、それには特別な才能や桁はずれた努力が必要なことを知らないほど、幼くはない。努力して何も得られないのなら、努力することを放棄するのが悧巧な人間だと思う。
なるべく不愉快になることをせず、苦痛を伴う努力を放棄し、死ぬこともせずに生きていく。
これが中学校三年生の僕の信条であり、生き方だった。
教室には色の浅黒い小柄なクラスメイトがいた。通称「Pちゃん」は本名浦上誠という。何故Pちゃんか、実はPhilippinesのPだ。母親がフィリピン出身で、彼女自体は大学を卒業して商社で父親と知り合ったらしいが、中学生にそんなことは関係ない。ある固有のイメージで胡散臭いものとして扱われ、Pちゃんは成績優秀な努力家であったにもかかわらず、常に一段下に見られる厄介な立場だ。
Pちゃんの父親が勤める商社が大々的なリストラをして、Pちゃんの家庭事情が大きく変わったのは、夏休みの少し前だ。むろん僕たちにそんな話はリアルじゃないし、まして「高校に行けないかも知れない」なんて事情は想像外だ。Pちゃんはもう地域では学力の高い私立高校の内定が出ており、それを蹴っても公立の高校に行くのだろうと友人全員が考えていた。
夏休みに会うたびにPちゃんの顔は翳りを帯びていたが、「深刻になりやがって」と揶揄する者がいるほど、僕たちには遠い話だったのだ。