第二十八話
意識がホワイトアウトし、因果の濁流に呑み込まれた感覚が去ったとき、私の鼻腔を突いたのは情報の焦げた臭いではなく、夜の山特有の湿った土と雨の匂いだった。冷たいアスファルトの感触に目を開けると、私は暗い山道に横たわっていた。
「ソウ、しっかりして。戻ってきたのよ」
隣で私の手を握りしめていた美鶴が、震える声で私を呼んだ。私たちは、あの二十四年前の迷宮から生還したのだ。立ち上がって周囲を見渡すと、そこには見覚えのある二〇二四年の、合宿の出発地点にいたあの時刻の風景が広がっていた。
「先生、ですか?」
私の視線の先には、洋館の前に佇む滝音二郎の姿があった。しかし、そこには右腕を刺され血まみれで倒れていた姿はない。
老いた二郎は美鶴に話しかけた。
「私は、北山に消されるところだった。君たちが過去で動いたおかげで、私の『死』の運命が僅かに後ろにずれたようだ」
彼は何事もなかったかのように、平然とした様子で時計を確認している。
「吉川君、三島君。田口君と大内君は食材の買い出しで少し遅れると言っていた。さあ、夜は冷える。早く中に入りなさい」
二郎の言葉は、第一話のデジャヴそのものだった。私の脳内には、二〇〇〇年での凄惨な殺害現場、内藤の全裸遺体、そして北山乙子との命懸けの対局の記憶が鮮烈に残っている。しかし、目の前の現実はあまりにも平穏だった。北山乙子の野望も、時空のずらしも、すべては幻だったというのか。
美鶴が洋館の重い扉のノブに手を触れた。その瞬間、異変が起きた。扉の周囲に、不気味な緑色の光の渦がわずかに発生し、空間が薄氷のように震えたのだ。美鶴は驚いたように手を離し、自分のうなじを抑えて激しく喘ぎ始めた。
「美鶴、どうした!」
私が彼女の肩を抱き寄せると、彼女の肌は火傷しそうなほど熱くなっていた。彼女が自らブラウスの襟元を広げると、白磁のような肌の上に、あの赤龍の痣が鮮烈な紅を放って脈動していた。それは単なる痣ではない。彼女の心臓の鼓動と同期し、血管が浮かび上がるほどに激しく波打っている。
「ソウ、わかるわ。歴史は書き換わったはずなのに、この洋館にはまだタキオンの残滓が色濃く残っている。そして、私の身体がそれを求めているの。北山を消し去っただけじゃ、この呪われた連鎖は終わっていない」
美鶴の瞳は、情欲とも焦燥ともつかない、見たこともないほど妖しい光を宿して私を見つめた。雨に濡れた彼女のブラウスは肌にぴたりと張り付き、豊かな乳房の形をあられもなく晒している。冷たい雨に打たれているはずなのに、彼女の身体から立ち上る熱気は、私の肌をじりじりと焼くような錯覚を覚えさせた。
「私、タイムリープを繰り返す中で本能的に理解してしまったの。この赤龍の痣を完全に活性化させ、タキオンを制御するには、ただ渦の中にいるだけじゃ足りない。私の身体を極限まで熱くし、発汗させ、そして何より、あなたと私の快感を脳の奥底で完全に共鳴させなきゃいけないの。それがタキオンを爆発的に増殖させる唯一のトリガーなのよ」
美鶴の指先が、私の胸板に触れた。その指先は驚くほど熱く、吸い付くような弾力を持っていた。彼女の熱い吐息が耳元にかかる。
「ソウ、もっと私に触れて。あなたの手で私の脳を快感で埋め尽くしてくれないと、因果の渦を回すエネルギーが足りない。これからはお遊びじゃないわ。あなたが私を愛撫し、私たちが一つに溶け合うことが、歴史を正しく導くための戦いそのものになるのよ」
彼女は私の首に腕を回し、潤んだ瞳で私を射抜いた。
「美鶴、お前、何を言って」
「言葉はいらないわ。私の身体が、あなたの熱を欲しがっている。エスカレートしていく私の要求を、あなたはすべて受け入れなきゃいけない。さあ、洋館へ。誰もいないあの場所で、私たちのタキオンを、愛の快感で爆発させるのよ」
私は彼女の腰を抱き寄せた。濡れたワンピース越しに伝わる、彼女の柔らかな肉の弾力。桃色の小さな乳首が、私の肌を突き刺すように硬くなっている。因果律の歯車が再び回転を始め、私たちは雨に煙る洋館の闇へと足を踏み入れた。私たちの「本当の合宿」は、ここから始まるのだ。




