第九十二話 淑女教育と、廊下の攻防
王立学園の午後。窓から差し込む柔らかな陽光は、磨き上げられた大理石の床に白く反射し、教室に上品な明るさを与えていた。ここは特別教室――上流貴族の令嬢が「立ち居振る舞い」「礼儀作法」「舞踏」など、淑女としての素養を徹底的に学ぶ場である。
「では皆さま、ティーカップの持ち方をご覧くださいませ」
優美な笑顔を浮かべた女性講師、マダム・カトリーヌが、実演を交えて解説する。栗色の髪をきちんとまとめ、淡い青のドレスに身を包んだその姿は、まさしく淑女教育の手本といえるものだ。
教室の最前列には、アリアが座っていた。金の髪をふんわりと揺らしながら、真剣な顔でカップを両手に持つ。彼女の隣には、同年代の侯爵令嬢クラリッサや、穏やかそうな子爵令嬢マルグリットが座り、同じように見本を真似していた。
「小指は立てません。手首を固くせず、やわらかに――」
カトリーヌ先生の声に従い、アリアも優雅に……のつもりでカップを持ち上げる。が、指先に力が入りすぎてしまった。
――カタッ。
ほんのわずかな音だが、教室にいた令嬢たちが一斉にアリアを見た。アリアは小さく「えへへ……」と笑ってごまかす。
その仕草に周りの生徒たちは「かわいい……」とため息を漏らした。なぜか叱られるどころか愛らしさで場が和むのが、アリアらしい。
「アリア様、ほんの少し指の力を抜かれるとよろしいかと」
隣のマルグリットが、そっと耳打ちする。
「ありがとう、マルグリット!」アリアは小声で元気よく返事。教室にまた柔らかな笑いが広がった。
一方その頃。廊下。
「お待ちください! レイフォード様方!」
慌てた声で走り寄るのは、アリアの担任、マクシミリアン先生である。
理知的な瞳を持つ彼は、廊下を行く二人の少年を必死に止めていた。
「妹が淑女教育を受けていると聞いた!」
先頭に立つのはノア。十九歳の長兄で、剣術にも優れた秀才。だが妹のこととなると冷静さを失う。
「そんな大事な場に、俺たちが顔を出さずにどうする!」
隣を歩くのはレオン。十七歳の次兄で、普段は明るく社交的だが、やはり妹のこととなると人が変わる。
「なりません!」マクシミリアン先生は両腕を広げ、通せんぼするように立ち塞がる。「淑女教育の場は女性講師と女子生徒のみ! いかにご兄弟といえども、男性の立ち入りは規則で固く禁じられております!」
「規則よりも妹の安全だ!」
「妹が困ってるかもしれないだろ!」
同時に声を上げる兄ィズ。
廊下に緊張感が漂い、近くを通りかかった使用人たちが思わず立ち止まる。
「……全く、この兄弟は」
マクシミリアン先生は額に手を当てた。教師として冷静であろうとしても、アリアの兄たちの情熱には毎度のことながら振り回される。
教室では授業が続いていた。
「次は舞踏のステップを確認しましょう」
カトリーヌ先生が優雅にステップを踏むと、令嬢たちがそれに合わせて真似をする。
クラリッサは堂々とした足取りで、マルグリットは少しおずおずとした様子で。
そしてアリアは――
「えいっ……っと、あれ? あれれ?」
ステップが合わず、裾をふんわり踏んでしまう。慌ててバランスを取る姿は危なっかしいが、見ている者には愛らしさしか感じさせない。
「アリア様、がんばって!」
「ほら、一歩ずつですよ!」
周りの令嬢たちが自然に声を掛ける。
いつしか教室全体がアリアを中心に柔らかい空気で包まれていた。
その和やかな雰囲気を打ち破るように――
「アリアは大丈夫かぁーっ!」
突如、廊下から兄の声が轟いた。
教室の窓際にいた令嬢たちがざわめき、カトリーヌ先生が慌てて扉を振り返る。
「お兄様……!?」
アリアは顔を真っ赤にしながら両手で頬を押さえた。
廊下では、マクシミリアン先生と兄ィズの押し問答が続いている。
「だから言ったでしょう! 中には入れませんと!」
「扉一枚隔てて妹の声も聞こえないなんて、兄としてどうすればいいんだ!」
「わたしたちが守らねば、誰がアリアを守る!」
その迫力に、廊下を通る下級生が目を丸くしている。
「おお……あれが“レイフォード家の兄様方”か……」
「すごい迫力……でも妹さん大変そう……」
ざわざわと噂が広がる中、マクシミリアン先生は一歩も引かず、理屈で押し返す。
「規則は規則です! 貴族のご子息であろうと例外ではありません!」
結局、その日の授業は無事に終わった。
アリアが教室から出てくると、廊下には兄二人とマクシミリアン先生が立ち尽くしていた。互いにまだ火花を散らしている。
「お兄様方!」
アリアが慌てて駆け寄る。
「アリア! 無事だったか!」
「変なやつに絡まれなかったか!?」
両側から抱きしめられ、アリアは顔を真っ赤にしてじたばた。
「ちょっ、ちょっと! 皆が見てます!」
周囲には同級生の令嬢たちが興味津々で見守っていた。クラリッサなどは「まぁ素敵なお兄様方」と残念な目をしている。
マクシミリアン先生は深いため息をつき、額を押さえる。
「……結局こうなるのか」
そんな中で、アリアはきっぱりと言った。
「お兄様たち、本当に……やり過ぎよ!」
その言葉に、廊下はしんと静まり返った。
ノアとレオンは顔を見合わせ、少しばつの悪そうな表情を浮かべる。
だが結局、二人は妹の肩を抱き寄せ、
「やりすぎても、妹を守れるなら本望だ!」
と声を揃えて叫ぶのだった。
マクシミリアン先生の嘆息と、周囲の令嬢たちの笑い声が混じり合い、学園の廊下には今日も平和な(?)ドタバタ劇が響き渡っていた。
新作書いてみました。
~理数女子の車中泊冒険譚~
懲りずに異世界転移のお話です。まあ、ゆっくり進めていくつもりです。
良かったら読んでみてください。




