第八十話 兄たちの“日常業務”とアリアへの全力サポート
秋も深まる頃、赤や黄金に染まった木々が屋敷の庭に影を落とす。アリア・リュミエール・レイフォードは、朝の柔らかな光に包まれて目を覚ました。窓の外に広がる庭園には落ち葉が舞い、遠くの山々が淡いオレンジ色に染まっている。
(兄さまたちは、今日も忙しいんだろうな……)
アリアは思う。レオンとノアは、二十四時間三百六十五日ずっと自分のそばにいるわけではない。伯爵家の令息として、家族の安全を守ることに加え、屋敷の管理や領地の監督、魔法防衛計画の調整など、責務は膨大だ。
朝食の席では、兄たちはいつも通りの真剣な表情を見せつつも、アリアにさりげなく気を配る。レオンは屋敷内の防衛魔法の微調整を計画し、ノアは領地の商業管理に関する書類を確認しながら、メモを取り続ける。表面上は娘の世話に手を割いているように見えるが、彼らの頭の中は複数の業務で埋め尽くされているのだ。
学院に向かう馬車の中、レオンは資料を広げ、ノアは地図を片手に領地の収支や予算をチェックしていた。馬車の手綱は御者が握り、兄たちは車内で指示を出したり書類に目を通したりしている。見た目には静かな移動だが、その背後には、数十キロ先の町や森の状況を即座に把握できる緊張感が漂っていた。
アリアは窓の外に目をやりながら、小さく息をつく。兄たちは表面上は自分の世話に集中しているかのように見えるが、実際は公務を同時に遂行している。安心感と頼もしさが胸に広がる。
学院では、授業や友人たちとの昼食、午後の講義と、日常の時間が静かに過ぎていく。アリアはいつも通り友人たちとおしゃべりを楽しむが、どこか心の片隅で不安を感じていた。
(何も起きないのに、なぜか落ち着かない……)
その気配を察してか、午後の授業中に窓の外を見れば、遠くの街道で兄たちの公式馬車が通り過ぎる。公務の一環として、領地視察や管理のために動いているのだ。二人の表情は真剣そのもので、馬車の中でも互いに議論を交わしている。
授業が終わり、アリアは帰路につく。馬車から街の通りを眺めながら、秋の香りと落ち葉の音を楽しむひととき。兄たちが側にいない時間も、彼らが自分のために何かをしてくれている――そのことが自然と頭をよぎる。
屋敷に帰ると、夕陽が庭の噴水や紅葉を黄金色に染めていた。普段なら兄たちは一日の公務を終えて屋敷内で静かに休んでいるはずだ。しかし、屋敷内に足を踏み入れた瞬間、目に飛び込んできたのはいつものハチャメチャぶりである。
「アリア、今日は問題なかったか?」レオンが駆け寄る。
「安全は確認済みか?」ノアも後ろから続く。
倒れそうな花瓶や魔法陣の微妙な乱れ、暖炉の火の粉の危険……。兄たちは次々と問題を処理しながらも、視線は常にアリアの方に向いている。普段は公務で忙しい二人だが、妹のためには何もかも後回しにする。
「こうしてくれるのは嬉しいけど、兄さまたち……やっぱりやりすぎよ」アリアは微笑むしかなかった。
晩餐の時間。屋敷の広間に並ぶ料理はいつも通り豪華だ。だが、兄たちは緊張を緩めず、周囲の警戒魔法や結界を確認しながら、アリアの座る席の安全を点検する。手元のナイフやフォークの角度、椅子の安定性、隣に座る使用人の動きまで、すべてがチェック対象だ。
アリアは穏やかな微笑を浮かべつつ、兄たちの行動を眺める。表面上は日常の世話に見えるが、その実、屋敷の安全と自身の幸福を同時に守っている――そんな二重の責務が、彼らの背中から伝わってくる。
食後、アリアは書斎で読書を楽しむことにした。兄たちはそれぞれの公務書類に目を通しつつも、窓越しに庭を見張る目を欠かさない。夜の闇に包まれる屋敷でも、二人の影は娘を守るために屋敷中を巡回していた。
(やっぱり、兄さまたちは頼もしい……)
アリアは心の中でつぶやく。表面上は自分の世話に専念しているようでいて、実は伯爵家としての仕事もきっちりこなす――そのバランスこそが、彼女にとって何よりの安心感だった。
秋の夜風が庭の樹々を揺らし、屋敷に柔らかな影を落とす。兄たちの仕事も、アリアへの全力サポートも、どちらも手抜きはない。こうして日常の一日は、穏やかでありながらも、どこかスリリングな緊張感を帯びつつ幕を閉じる。




