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第百四十六話 笑顔とは何か? 兄ィズ、貴族的スマイルを極める!?

 アルヴェリア王立士官学園、礼法特別講義室。

 朝の陽光が高い天窓から降り注ぐ中――そこには、ある意味“この世の地獄”が広がっていた。


「ノア様、もう少し口角を……ええと、左が上がりすぎです。いえ、右が下がりすぎ……ああ、どっちもです!」


 エリナ講師の悲鳴が、教室の壁に吸い込まれる。

 対面に立つノアは、完璧な金髪と整った顔立ちを持ちながら――その笑顔が、どこか恐怖を誘うのだった。


「ふっ、我が微笑みでこの場の者が身震いする……それもまた“威厳”というものではないか?」

「威厳じゃなくて“威圧”です!!」


 隣のレオンも、鏡の前で「ニカッ」と歯を見せて笑う。

 それは爽やかさよりも、狩人が獲物を見つけたときのそれに近い。


「どうだ、兄上! これぞ“戦場の笑顔”!」

「弟よ、それは敵兵を凍りつかせる笑みであって、淑女を安心させるものではないぞ!」


 講義室の空気が震える。

 エリナ講師は頭を抱えた。

 彼女は王都でも屈指の礼法教官として名高く、何百人もの貴族子弟を矯正してきた。だが――この二人は、規格外だった。


「なぜ……どうして“微笑む”ことがここまで難しいのですか……!」

「簡単だ、講師殿。笑顔とは心より自然にあふれるもの。我ら兄ィズの心が燃え滾るとき、それは戦場にある!」

「それがダメなんですって!!」


 机の陰、壁際のカーテンの影――そこには“裏メイド”たちの姿があった。

 アネットは静かに紅茶をすする。

 彼女の目は笑っていない。


「……進捗、報告」

「微笑み度ゼロ。講師の精神、残り三割」とアシュリーが淡々と記録する。

「前回の“礼法とは何か”講義では、五分で教壇が沈黙しました。今回は十七分。進歩といえば進歩ですね」

「講師の生命力が強いだけだと思います」とリリアが小声で補足した。


 背後でカティアが小さくため息をつく。

 彼女はメイド長代理として、同行メイドたちを統率する立場にあった。

 だが、表情は常に無表情。氷のように冷たい声で言う。


「……あの二人に“笑顔”を教えるというのは、雷に“穏やかに光れ”と言うようなものです」

「……なるほど。では、どうすれば?」とアネット。

「放っておけばいいのです。自然淘汰が教育より早いです」


 一瞬、誰も言葉を返せなかった。

 やがてアシュリーがぼそりと呟く。

「メイド長代理、さすがです……発想が裏界隈」


 その頃、講義室中央では――

「ノア様! “微笑み”とは、相手の心を和ませるためにあるのです!」

「なるほど……では、我が心を和ませれば良いのだな?」

「違いますぅ!!」


 ついにエリナ講師が悲鳴を上げる。

 レオンはというと、今度は「王都一番の笑顔」と自称しながら、壁の鏡の前で“決めポーズ”を始めていた。


「これぞ、アリアが見れば即座に涙する笑顔……!!」

「確かに泣くでしょうね、恐怖で」とメイドたちの声が重なる。


 やがて、講義終了の鐘が鳴り響く。

 エリナ講師は机に突っ伏したまま動かない。

「……私はまだ、敗北を認めていません……次回は“笑うな”の講義で、彼らの表情筋を封印してみせます……」

 誰も止めなかった。むしろメイドたちは心の中で「それが最善」と祈った。


 午後。

 寮の庭園では、ノアとレオンが自主練習を行っていた。

「“微笑み”とは、己の武器を隠すこと……そうだろう、レオン!」

「はい兄上! ならば我らは“笑顔の構え”を極めましょう!」


 そして二人は向かい合い、剣を抜く。

 ――笑顔で、斬り合いを始めた。


 庭の手入れをしていた使用人たちは全員、音もなく退避した。

 その屋根の上で、裏メイドたちが密やかに観察する。


「笑顔で剣戟……新手の狂気ですね」

「これを学園が“礼法の授業成果”として報告したら、アルヴェリア王家が震えます」

「でも……まあ、彼らなりに真剣ですよ?」

「真剣に間違ってるのが問題です」


 沈む夕陽の中、二人の剣がぶつかるたび、夕焼けがきらめいた。

 ――それはまるで、戦場の光。


 カティアが小さくつぶやく。

「“笑顔”とは、他人に安らぎを与えるもの。しかし、彼らのそれは……なぜか、他人の魂を試すように鋭い」

「つまり、“兄ィズ・スマイル”は新しい戦術兵器ですね」

「ええ、もしアリア様がご覧になったら――」

 リリアが肩をすくめた。

「十秒で“兄ィズ禁止令”が再発布されます」


 その夜、報告書が一通、アルヴェリア駐在のレイナ夫人宛てに送られた。

 アネットが封を閉じながら言う。

「“笑顔修行、未達。講師二名が泣いた。施設一部損壊”」

「追記を。――“本人たちは成果を確信している”」

「了解。……夫人、また頭を抱えられますね」


 報告を終えたメイドたちは夜の屋上に並び、風に吹かれていた。

 月明かりが彼女たちの姿を淡く照らす。

 任務は過酷、対象は厄介、だが誇りは揺らがない。


「……我らが仕えるのはアリアお嬢様。そのために、兄ィズを更生させることも任務」

「果たして、更生という言葉が彼らに通じるのでしょうか」

「ええ。けれど――だからこそ、面白い」


 アシュリーの微笑は、夜の闇よりも静かだった。

 その影が、月光に溶ける。


 ――アルヴェリア王都の夜が、再びざわめきを取り戻す。

 今日もまた、兄ィズの笑顔が一人の貴族を震わせた。

 そして裏メイドたちは、沈黙のまま新たな任務に備えるのだった。

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