第百四十五話 舞踏会は武闘会!? 兄ィズ、アルヴェリアを揺らす!
アルヴェリア王立士官学園、午前八時。
昨日の“礼法講義”から一夜が明け、学院は妙な緊張に包まれていた。
学生たちは囁き合う。
――昨日の転入生たちを見たか?
――いや、見てはいけない。目が合うと魂を抜かれる。
――妹の名を叫びながら礼をしたらしいぞ。
――なぜだか知らないが、講師が泣き笑いしてたらしい……。
そう、学院に伝説を刻んだのは、レイフォード伯爵家の双璧――
ノア・レイフォードとレオン・レイフォード。
彼らの“情熱的すぎる礼法”は、一夜にして王都の話題となった。
そしてその熱が冷めぬまま、二日目の課題がやってくる。
◆ 舞踏礼法の授業・開始
教室では、礼法講師のエリナ・フォン・ルミナが静かに立っていた。
昨日と変わらぬ冷ややかな笑み、しかしその奥の瞳は――どこか光っている。
「さて、昨日は“言葉と所作”を学びました。
本日はそれを応用し、舞踏礼法を実践します」
その言葉に、学生たちがざわめく。
「うわ、実技だ……」「相手、どうしよう」「彼らと組むのは嫌だ……」
視線は一斉に兄ィズへ。
当の本人たちはと言えば、すでに立ち上がっていた。
「舞踏、つまりは――戦場の呼吸だな!」
「兄上、理解しました! これは連携訓練ですね!」
「違う違う違う違う!!」
後方で五人のメイドが一斉に頭を抱えた。
カティア(メイド長代理)が即座に手帳を開き、冷静に記録する。
「予想通り、“礼法=戦闘”の解釈継続。進展なし」
アシュリーはこめかみを押さえた。
「誰か、今からでも止めろ……いや、もう無理だ」
リリアは袖を引っ張りながら涙目だ。
「エリナ先生、がんばってぇぇ……」
アネットは眼鏡を押し上げながら呟く。
「王都の外交が、今日滅びるかもしれません」
そして、補助メイドのミーナは小声でメモを取る。
『講師:覚悟完了。兄ィズ:笑顔。フラグ多数。』
◆ 舞踏、開始。
「では、ノア様、レオン様――。こちらへ」
エリナ講師はにこりと微笑み、二人を中央へ招いた。
音楽が流れ始める。
王都の舞踏会でも用いられる、穏やかなワルツ。
上級貴族たちは、その旋律の中で優雅に身を滑らせる。
……だが。
「兄上、敵の動きを読め!」
「了解、レオン!」
バァァンッ!!
床が鳴る。
優雅な旋回ではなく――回避。
軽やかなステップではなく――踏み込み。
腕を取る代わりに――牽制の構え。
「何故避けるのです!? 踊るのですよ!」
「なに、動きの予備動作を見て反射的に……」
「違いますのッ!!」
講師の叫びが響いた。
だが、彼らの脳内ではすでに変換されている。
『講師、戦意を高めている!』
『了解! 全力で応じる!』
――バッ!
ノアが回転し、レオンが反撃のように跳ねる。
華やかなワルツが、一瞬で戦場舞踏曲へと変貌した。
◆ 教室、阿鼻叫喚。
悲鳴が飛ぶ。
机が倒れ、カーテンがはためき、学生たちは避難する。
エリナ講師は額の汗を拭いながらも笑みを絶やさない。
(まさか、ここまで体力勝負になるとは……)
「兄上! 敵、回り込みます!」
「ならば合わせろ、レオン! 二の構えだ!」
――シャッ!!
二人が交差した瞬間、光が舞った。
周囲から歓声とも悲鳴ともつかぬ声が上がる。
それは、まるで戦場で舞う双翼。
……美しかった。
……が、完全に“舞踏”ではなかった。
「おのれ……! お二人とも、舞踏とは“共に動く”ものですのよ!」
「なるほど、連携攻撃の心得ですね!」
「違いますのッッ!!」
◆ 裏メイド・観察記録
◇観察報告:カティア・メイド長代理
・兄ィズ、舞踏=戦闘演舞と誤解。
・講師、体力と理性の消耗甚大。
・見学者、なぜか拍手喝采。
◇副隊長アシュリーのぼやき
「なんで、途中から“剣の舞”になってんだよ……!」
◇アネット・御者のコメント
「ある意味、美しいですね。混沌という名の芸術」
◇リリアの悲鳴
「止めてぇぇぇ! 先生が転がってるぅぅ!!」
◇ミーナの記録
『講師:倒れる。兄ィズ:勝利ポーズ。学生:混乱。教師陣:沈黙。』
◆ エリナ講師、覚醒す
しばしの静寂。
床に倒れたエリナ講師が、静かに立ち上がる。
頬に汗、瞳に炎。
「……なるほど。戦場を生き抜く貴族、ですわね。
ならば、私も王立士官学園の講師として、覚悟を示すまでです」
その瞬間、空気が変わった。
エリナの足元から魔力の陣が浮かび上がる。
舞踏――ではなく、戦闘礼法術式。
「礼法とは、動の中に静を見いだすこと。
あなた方の荒ぶる心、その中心に“品位”を刻みなさい!」
「来た! 兄上、これが真の実戦訓練だ!!」
「了解、礼法奥義――“紳士の構え”!!」
バァァン!!!
光と風が交錯し、教室が一瞬白く染まる。
見学していた学生たちは口を開けて固まった。
次の瞬間――
兄ィズ、床に正座。
エリナ講師、扇子を構え、静かに告げる。
「これが“王立士官学園式・礼法制圧”ですわ」
教室が大拍手に包まれた。
……一部、裏メイドの拍手音が特に大きかったのは言うまでもない。
◆ 夕暮れの反省会
その日の夕方、兄ィズの寮。
「兄上……我ら、敗北しました……」
「いや、学びを得た。我らにはまだ“静の舞”が足りぬ」
そう語る兄弟の前で、メイド部隊がずらりと並ぶ。
カティアが静かに書簡を読み上げる。
「エリナ講師より通達。“明日、特別補講を実施する”。内容:貴族的微笑みの訓練」
「むぅ、笑顔の訓練か」
「兄上、それは……戦士にとって最も難しい修行!」
「心得た、我ら全力で挑む!!」
メイドたちは一斉に天を仰いだ。
「……もう、先生がかわいそうです」リリアが泣く。
「この国の教育制度が揺らぐ日も近いな」アネットが真顔で言う。
「でも、なんだかんだで成果は出てるわ」カティアが微笑む。
「え、どこに!?」アシュリーが即ツッコミ。
「“正座”を覚えた」
「……確かに」
◆ 夜。アルヴェリアの風の中で
兄ィズは月を見上げる。
「アリア……我ら、今日も鍛えられた。
礼法とは、敵を倒すことではなく、自らを律すること――
そう、母上も仰っていたな」
隣でレオンが頷く。
「アリア、我らは遠く離れても、心は常にそばにある」
五人のメイドが小声で囁く。
「明日は……笑顔訓練、ですか」
「講師、たぶん泣くな」
「でも、少しずつ……本当に少しずつですが、変わってきてますね」
アルヴェリア王都の夜風が、穏やかに兄弟の髪を揺らした。
戦場のような一日を終え、ようやく訪れる静寂。
だが、静けさの中にも確かな予感があった。
――明日もまた、この学園が揺れる。




