第百四十三話 アルヴェリア王都・兄ィズ修行開始!? 初日からの文化衝撃(デカルチャー!)
陽光の角度が変わりはじめ、王都アルヴェリアの白い城壁が金色に染まり始めた頃――。
その城門の前に、一台の荷馬車が到着した。御者は額の汗をぬぐいながら、ため息をつく。
「……ついに、着いてしまいましたね」
馬車の扉が開く。
中から飛び出したのは、二つの誇らしげな声。
「ふははは! ここが異国アルヴェリアの王都か!」
「見よ、兄上! 我らが来訪を祝うように鐘が鳴っております!」
――いや、それはただの正午の鐘だ。
ノア・レイフォードとレオン・レイフォード。
かの“アリアの兄ィズ”が、いま異国の地に足を踏みしめた瞬間であった。
「我らは兄ィズ! 王都レイフォード伯爵家の守護者にして、妹アリアの盾なり!」
「おのれアルヴェリアの地よ、覚悟するがよい!」
門兵たちは、同時に一歩後ずさった。
この二人が“外交親善代表”だと、まだ信じられない。
その後ろで、深いため息をつく者たちがいる。
――レイナ夫人直属のメイド部隊、今回の同行監視班である。
黒いエプロンドレスに統一された五人のメイド。
その中央に立つのは、静かに冷気をまとった副隊長アシュリー。
彼女はアルヴェリア側の出迎え責任者へと一礼した。
「レイフォード伯爵家のノア様、レオン様をお連れいたしました。以後、教育および管理の一部を我々が担当いたします」
出迎えたのは、アルヴェリア王立士官学園付属・外交研修寮の教頭――レナルド・エル=アーデン氏。
彼は引きつった笑顔で頷いた。
「え、ええ……。お噂はかねがね。まさか本当に……その……“兄ィズ”とお呼びしてよいのですよね?」
「うむ! 呼び捨てでも構わんぞ!」
「いやいやいや、構う構う!!!」
アシュリーが即座に止めた。
同行メイドたちの背筋がピンと伸びる。全員、内心は“嵐の予感”でいっぱいだ。
王都アルヴェリア。
この国はレイフォード領とは異なり、整然とした石畳の街並みと、魔法と科学の融合が進む文明都市だった。
王立士官学園はその中心部にあり、貴族子弟や軍属候補、そして外交官志望者までが集う名門。
兄ィズたちは、ここでの短期修行――“国際礼法および外交儀礼課程”に組み込まれることになっていた。
だが、問題があった。
兄ィズがその“礼法”の意味を理解していなかった。
「ふむ。礼法とはすなわち、堂々と歩くことだな?」
「兄上、それなら我らはすでに完璧ではありませんか!」
「そうだな、胸を張り、目を逸らさず、笑顔を絶やさぬ。それがレイフォード流!」
――その直後、寮の食堂に入った兄ィズが、給仕の令嬢に「見事な茶器さばきだ!」と握手を求めて転倒させた。
騒ぎは数分で校舎中に広まり、担当教官のレナルドは頭を抱える。
「初日から……文化衝撃とは、まさにこのことか……!」
一方そのころ――
メイド部隊は彼らの寮部屋を整えていた。
アルヴェリア王立士官学園の外交寮は二階建ての瀟洒な建物。白壁に青い屋根、各部屋には簡易魔力遮断結界が施されている。
同行メイドはその隣室に配置され、監視と記録の両方を担当する。
――つまり、兄ィズの行動はすべてレイナ夫人のもとへ報告される仕組みだ。
「……報告第一号。ノア様とレオン様、初回の昼食において、ナイフとフォークを武器として扱いそうになったため、阻止」
「報告第二号。二人、学園の噴水を“神聖なる儀式場”と誤認。全身ずぶ濡れ」
「報告第三号。警備隊が出動しそうになったが、こちらで処理済み。以上」
報告書をまとめながら、アシュリーは小さくため息をついた。
隣のメイド、リリアがぼそりと呟く。
「副隊長……この方々、本当に“修行”に来たんでしょうか……?」
「ええ。“鍛錬”というより“社会化訓練”ね。……王都の民が無事であることを祈るわ」
夜。
寮の食堂は静まり返っていた。
兄ィズは夕食後、見知らぬアルヴェリアの生徒たちに囲まれていた。
「お、お前たちが噂の……“アリア嬢の兄”なのか?」
「妹想いって聞いたけど、まさか本当の意味で“守護神”とは……」
兄ィズは誇らしげに頷いた。
「当然だ。我らの妹アリアは天上の光。我らの使命はその光を陰から守ることにある!」
「異国に来ても変わらぬ忠誠、尊敬するぜ!」
――なぜか人気が出ていた。
学園生たちは彼らの破天荒さに呆れながらも、どこか憎めない。
そんな中、アルヴェリアの女子生徒たちがこそこそと囁く。
「ねぇ、レオン様って意外と整った顔立ちよね」
「ノア様の方がちょっと危なっかしくて好きかも……」
兄ィズが二人同時に振り向いた。
「ほう? 我らに興味を示すか?」
「妹以外には興味がないが、感謝の意は示そう!」
「兄上! 手紙を書いて差し上げましょう!」
「よし、百通だ!」
「多い!!!」
アシュリーの悲鳴が夜空に響いた。
その夜更け。
メイドたちはようやく落ち着いた寮で報告書をまとめていた。
窓の外にはアルヴェリアの満月。
街の灯がきらめき、遠くの塔の上で鐘が鳴る。
「……副隊長、明日から本格的な授業が始まるそうです」
「分かったわ。……その前に、護衛魔法陣を強化しておきましょう。念のため」
「念のため、ですか?」
「ええ。……“授業”という言葉に反応して、なぜか彼らは戦闘体勢に入る傾向があるの。初日の教訓よ」
窓の外、寮の中庭では――
兄ィズがすでに素振りをしていた。
木刀を振り回しながら、何かを叫んでいる。
「ふはははっ! アルヴェリアの夜風よ、我が修行の始まりを見よ!」
「兄上! 魔力の流れを掴みました! この気配、まさしく修行の風です!」
「それはただの涼風だ、静まれ!!!」
アシュリーの怒声が夜気を裂いた。
そして――翌朝。
アルヴェリア王都の新聞の片隅に、こんな記事が載った。
『謎の外国貴族兄弟、初日から王立学園を席巻!
“我らは兄ィズ!”の名乗りが話題に。
校内騒然、だが何故か人気上昇中。』
報告を受けたレイナ夫人は、紅茶を啜りながら小さく呟いた。
「……まあ、想定内ですわね」
そして、アリアの部屋。
その報告を聞いたアリアは、遠くを見つめながら肩をすくめた。
「……まあ、無事にしてるなら……いいか」
ほんの少し、笑みを浮かべながら。




