第百四十二話 兄ィズ、出国ドナドナ物語 ~留学は突然に~
翌日の午後。
王都のグランフィード邸の前庭には、見事なまでに物々しい空気が漂っていた。
荷馬車が二台。荷台にはトランク、剣、防具、そして――何故かノアの大事な「アリアの等身大クッション」。
その横で、裏メイド隊が軍事行動並みの統率で荷積みを進めていた。
アリアは窓辺で深呼吸をひとつ。
ついにこの時が来たのだ。兄たちの「短期海外修行」、すなわち王立学院推奨の留学プログラムである。
「……留学先でも、ちゃんと無事にね」
呟いたその声に、少しの寂しさと、かなりの安心が混じっていた。
何せ、ここ数日間――いや、正確には「留学が決まってから」というべきか――兄ィズ(ノア&レオン)の暴走は留まるところを知らなかったのだ。
逃亡計画。偽装病欠。荷造り妨害。
さらには「留学阻止のための連合蜂起(メイド長談)」まで計画していた。
――だが、裏メイド隊がそれを許すわけがない。
「目標A、確保完了」「目標B、荷物と一緒に拘束」「抵抗、軽度」「軽度……?」
裏メイドリーダーのアネットが淡々と報告する横で、アリアは思わず顔を覆った。
(……最後の“軽度”って、誰の判断なの?)
昨日の夜、寝室の外ではドタバタと激しい音がしていた。
兄ィズが“脱走用の秘密通路”を掘ろうとしていたらしい。しかも屋敷の床下を。
結果――掘り進んだ先で、母レイナの研究用地下室に突入。見事に逆捕獲された。
朝には、二人そろって荷馬車に縛られていた。
そんな“騒乱の翌日”、アリアはようやく静かな窓辺で深呼吸できたのである。
「兄上! 荷馬車が動き出しました! 我らは囚われの身ではないのですか!?」
荷台の上で、レオンが叫ぶ。
すでに両手は荷縄で固定され、横にはトランクがぎゅうぎゅう詰め。
「いや、違うレオン。これは“留学”という名の修行だ。――名誉ある派遣である」
ノアは胸を張った。
どこにそんな自信があるのか。
「しかし兄上、出国命令書に“強制的”という文字があったような……?」
「細かいことは気にするな。大事なのは心の在り方だ。アリアの笑顔のために、我らは強くならねばならん」
その言葉に、同行していたメイド部隊のひとり――マリーが、心の中で深い溜息をついた。
(……いや、あんたらが強くなる前に、アリア様の心が削られてたんですけど)
彼女たち“裏メイド隊”は、単なる従者ではない。
家の秩序を守るため、裏で暗躍する非公式組織であり――今回の留学作戦の実行部隊でもあった。
「目的地:隣国アルヴェリア王都。任務:対象の無事な到着と受け渡し」
「なお、途中の暴走防止のため鎮静剤および拘束具は携行済み」
あまりに淡々とした報告が飛び交う。
馬車の御者席でアネットが手綱を握り、荷台から響く兄ィズの叫びを完全スルーしていた。
一方、屋敷の中では――。
「ふぅ……これでようやく、静かになりますね」
メイド長のギャリソン夫人(※見た目は完璧に男性執事だが、内部コードネームでは“夫人”)が、ティーカップを片手に微笑む。
アリアは苦笑しながら頷いた。
「お母様も“彼らをこのままにしておくのは社会のためにならない”って言ってたし……」
「まさに至言でございます」
屋敷のメイドたちが「留学完了印」を記録簿に押していく。
王家の印章の横に、裏メイド印「完封済」の刻印が押される瞬間、アリアは小さくため息を漏らした。
「兄様たち……たぶん、行き先も知らないんだろうな」
案の定、荷馬車の中ではその通りだった。
「兄上、ところで我らはどこへ連れていかれるのですか?」
「ふむ、わからん。だが、どこであろうと我らはアリアの守護神。離れていようとその心は変わらん!」
「おお……兄上!」
二人は縄でぐるぐる巻きになったまま、感動の抱擁を交わした。
それを冷めた目で見つめるメイド部隊。
(この二人、ほんとに目的地知らないのか……?)
(いや、たぶん“知らされてない”の方が正しい……)
(……着いた先の受け入れ側が大丈夫じゃない気がする)
小声の囁きが交わされ、御者のアネットがぼそりと呟く。
「アルヴェリア側の教育担当……“本当に来るんですか?”って泣きながら確認してきたらしいですよ」
「“人としての常識から教える覚悟はあるか”って書類にも書かれてたとか」
「“人としての常識を教えるのが先なのか?”って……」
「……ああ、とりあえず祈りましょう」
その瞬間、馬車がガタンと跳ねた。
「兄上! この揺れは何かの罠では!? 敵襲か!?」
「落ち着け、レオン! こういう時こそ騎士の胆力を試されるのだ!」
(※ただの石ころです)
夕方。国境の見張り台にて。
出国手続きをするため、馬車が停まる。
衛兵が書類を確認しようとした瞬間――。
「我らは兄ィズ!! 王都レイフォード伯爵家の守護者にして、妹アリアの盾なり!!」
全力で名乗りを上げるノア。
つられてレオンも剣を抜こうとする。
その瞬間、左右からメイド二人が同時に制圧。
「ゴフっ……。」
くの字に曲がって倒れ込む、ノアとレオン……。
「ノア様、レオン様。これは“挨拶”ではなく“入国審査”です。静かにお願いします」
――ドサッ。
再び荷馬車の中に“戻される”兄ィズ。
衛兵は軽く敬礼しながら囁いた。
「……そちらさん、大変ですな」
「ええ、任務ですから」
アネットの笑顔が、やけにプロフェッショナルだった。
それから数時間。
馬車はいくつかの村や町を通り抜け、ようやく目的地――隣国アルヴェリア王都へ到着した。
日が沈む頃、馬車が止まり、ノアとレオンが目を輝かせた。
「兄上! ついに戦場に……じゃなかった、修行の地に到着ですね!」
「ああ、レオン。アリアの笑顔のため、我らはここで己を磨くのだ!」
背筋を伸ばす二人。その姿を見ながら、アネットは一言。
「――この勢い、三日もつかしらね」
後方のメイド部隊が無言で頷く。
新たな地での騒動の予感を、全員が無言で共有したのだった。
一方その頃、グランフィード邸の夜。
アリアは月明かりの下、窓辺でそっと呟いた。
「……ちゃんと無事にね、兄様たち」
裏メイドたちはその背後で静かに印を結び、報告書に一文を記す。
【任務:兄ィズの出国。完了。】
【副任務:屋敷の平穏。達成。】
屋敷の中に、ようやく訪れた静寂。
けれど――その静けさの中で、誰もがうっすらと感じていた。
――どうせ数日後には、また手紙やら通信やらで大騒ぎになるのだろう、と。




