第百三十三話 神獣エルダリオンの日常:顕現前の世界
光の渦が収まり、魔法陣が消えた瞬間、エルダリオンは見慣れた風景の中に立っていた。
ここはアリア・リュミエール・レイフォードの世界とは異なる、神獣エルダリオンの「本来の領域」である。
金色の鬣を揺らしながら、広大な草原を一歩歩くだけで地面が微かに震える。空は深い青、そして風は澄み切っている。
「……ふぅ、また戻ってきたか」
エルダリオンは深く息をつき、背中の翼を広げる。彼の瞳は黄金色に光り、周囲の光景を鋭く見渡した。
普段は神獣としての務めに縛られ、顕現の機会があるときだけアリアの世界に現れる。だが今日のように、突然「ハウス!」で強制転送された後は、この世界へ帰還するのが常だった。
風景と暮らし
この世界は、魔力に満ちた草原、澄んだ湖、点在する魔法樹林が特徴的だ。
エルダリオンは湖の水面に映る自分の姿を眺め、首をかしげる。
「ふむ、やはり顕現時よりこちらの方が落ち着くな……」
湖の水面を撫でるように翼を広げると、周囲に微かな光の波紋が広がる。魚たちは驚いて跳ね、水の上を小さな虹が走った。
神獣の一挙手一投足が、世界全体に微妙な変化をもたらす――それが、この領域の常識である。
草原の遠くには、エルダリオンの仲間たち――風の精霊や光の獣、古代魔獣などが集まる森が見える。
彼らもまた、エルダリオンの顕現を知ると、軽く挨拶を交わす程度に控えめにする。顕現の間は、神獣は「アリアの守護者」としての立場にあるからだ。
食事と日常
エルダリオンは大きな口を開け、草原の果実や魔力を帯びた小動物を捕食する。
とはいえ、この世界では飢えを満たすことよりも、栄養バランスを考えた摂取が重要だ。
「……うむ、今日の果実は少し酸っぱいな」
金色の鬣が揺れ、光を反射して小さな虹を描く。彼自身、時折この光景を楽しむのが日課である。
食後は湖畔で水浴び。水しぶきを大きく跳ね上げ、翼を広げると、周囲の魔力が微かに共鳴する。
これが、顕現前の世界での彼の日常であり、平穏でありながらも、神獣としての威厳を失わない重要な時間である。
過去の思い出
エルダリオンはふと、アリアと共に過ごす時間を思い出す。
あの子がどんな顔をするのか、どんな声を出すのか……すべてが鮮明に脳裏に浮かぶ。
「……やはり、顕現して守護するのは、ただの遊びではない」
顕現するたびに、アリアの安全を守る責任が重くのしかかる。
だが、同時に楽しみもある――兄ィズとの不毛な言い争いや、学園での大騒動もまた、彼にとっては不可欠なスパイスだ。
エルダリオンは銀色の雲が流れる空を見上げ、翼を広げてゆったりと飛び上がる。
顕現の準備
突然、風が強くなり、空が微かに光を帯びる。
「……そろそろか」
神獣としての感覚が告げる。アリアの魔力、学園の状況、兄ィズたちの騒ぎ――それらが波動として伝わってくる。
エルダリオンは地上に降り、静かに魔力を収束させる。
この領域で整える魔力の流れが、次に顕現する際の安定性を左右する。
だからこそ、彼はここで十分に休息と訓練を積む必要があるのだ。
湖面に映る自分を眺め、翼を一振りする。
空気が揺れ、周囲の草木が微かにざわめく。
「……よし、準備は完了だ。アリアの元へ行くときが来たか」
コミカルなひととき
とはいえ、エルダリオンも神獣。無表情で全てをこなすわけではない。
湖の水面に映る自分の姿に向かって、ふと小声で呟く。
「……俺って、少しはかっこよく見えるのだろうか」
金色の鬣を揺らし、頭を傾ける姿は、どこか人間じみている。
翼を小さく羽ばたかせ、湖の水しぶきに虹を作る。
これを見た森の精霊たちは、口々にくすくす笑う。
「……ああ、やはりお前は神獣でありながら、お茶目だな」
と、光の獣がつぶやく。
顕現前の決意
エルダリオンは湖畔で体を伸ばし、深呼吸をする。
黄金の瞳はどこか遠くを見つめ、思考を巡らせる。
「次に顕現する際も、アリアを守り、兄ィズたちの暴走も少し抑える……」
そう心に誓い、神獣としての尊厳を胸に、再び空を仰ぐ。
光と風、草原の香りに包まれながら、彼は次の戦い、次の顕現の時を待つのだった。




