第百十九話 砦での戦闘
黒い瘴気をまとった魔獣が咆哮を上げた瞬間、砦の兵たちは一斉に剣と槍を構えた。
その異形は狼のような体躯に、蝙蝠じみた翼、蛇の尾を持つおぞましい姿。
「ひ、ひるむな! 守りを固めろ!」
隊長の声が響くも、兵士たちの足は震え、汗が滴る。
だが、その前に割って出る影があった。
「アリアには指一本触れさせん!」
「そうだ! 妹に近づくな、この化け物め!」
剣を抜いて飛び出すノアとレオン。――そう、いつもの兄ィズである。
「お、おいおい待て! 突っ込みすぎだ!」
「俺たちは妹を守るためなら無敵だぁ!」
豪語するノアが剣を振るうが、魔獣の爪が軽々と受け止めた。
その反動でノアは尻もちをつき、レオンは横から斬りかかって盛大に弾き飛ばされる。
「ぎゃふん!」
「ぐわぁぁ!」
「……兄さまたち、全然無敵じゃないです」
アリアが呆れたようにぽつりとつぶやいた。
◆
魔獣の爪が砦の石壁をえぐり取る。
兵士たちは慌てて弓を放ち、火矢が闇を裂くも、瘴気の膜に弾かれてしまう。
「くっ、矢が効かん!」
「こいつ、普通の魔獣じゃないぞ!」
「ならば!」と、兄ィズがまた立ち上がる。
「俺たちの合体奥義を出すしかあるまい!」
「おお! あの伝説の!」
二人は互いに目を見合わせ、頷き合うと――。
「兄ィズ・ダブルスラァァッシュ!!」
気合だけは超一流。二人が同時に剣を振り下ろす。
だが、タイミングがずれてレオンの剣がノアの後頭部をかすめ、ノアは前につんのめった。
「いてぇぇ!」
「バカノア! タイミング合わせろ!」
「兄さまが遅いんだ!」
砦の兵士が一斉にズッコケた。
「な、なんだこの兄弟は……」
「いや、でも……あの気迫はすごいぞ……?」
「どこがだ!」
◆
そのとき、アリアの胸が熱く脈打った。
視界が白に染まり、耳の奥に声が響く。
(目覚めよ……我が器……)
「え……?」
彼女の周囲に淡い光が溢れ出す。
砦の兵も兄ィズも目を見張った。
「な、なんだ!? アリアが光ってるぞ!」ノア。
「まさか……妹は女神の化身だったのか!?」レオン。
「違うと思います!」と、セリーヌが全力で否定する。
光は形を成し、アリアの背に半透明の翼の幻影を広げた。
その瞬間、魔獣の動きが止まり、苦悶の咆哮を上げる。
「ぐおおおぉぉ!!」
アリアの瞳は淡く輝き、震える声で呟いた。
「……やめて……帰って……」
その声とともに、光は矢の雨のように魔獣を包み込む。
瘴気が裂け、異形はかき消されるように霧散していった。
◆
静寂。
砦の兵士たちは呆然と立ち尽くし、兄ィズは口をぱくぱくさせた。
「い、今のは……アリアがやったのか!?」ノア。
「すごい……すごすぎるぞ妹よ! 兄たちが敵わぬ化け物を一瞬で!」レオン。
アリアは膝をつき、肩で息をしながらかすかに答える。
「わ、わたし……わからないんです……でも……体が勝手に……」
兵士たちは次第にざわめき、やがて歓声が沸き起こった。
「救世主だ!」
「お嬢様のおかげで助かった!」
「レイフォード家万歳!」
「ふふん! 聞いたかノア! 俺たちの妹は救世主だぞ!」
「そうだ! つまり救世主の兄である俺たちも偉大だ!」
どや顔で胸を張る兄ィズ。だがすかさずセリーヌが冷水を浴びせる。
「いやいや、アンタらはただコケただけでしょ」
「ぐはっ!?」
「ひどい!」
こうして砦の戦いは幕を下ろした。
だが――アリアの胸に芽生えた“力”の正体は、まだ誰にもわからなかったのである。
―――
戦闘が終わり、砦には静寂が戻った。
外の黒い瘴気は消え去り、夜空には星が瞬いている。
空気は冷たいが、どこか清浄さも感じられた。
砦の兵士たちは依然としてざわついていたが、アリアと兄ィズ、そしてセリーヌは小さな控室で一息ついていた。
「ふぅ……やっと落ち着いたな」ノアが椅子にどかりと座り込む。
「アリア、怪我はないか?」レオンが心配そうに声をかける。
「だ、大丈夫です……でも……本当に、力が……勝手に……」
アリアは膝を抱えて、小さく震えている。
その瞳には、昨夜の魔獣に対して放った光の残像が映っているようだった。
「……妹よ」ノアがそっと膝に手を置く。
「落ち着け、俺たちがいる」
しかしその言葉にも、アリアは不安げに首を振った。
「でも……あの力、わたし……どうして出せたのか……わからないんです……」
レオンがため息をつき、肩をすくめる。
「……やれやれ、また始まったか」
「兄上、もう少し優しく言ってやってくださいよ」ノア。
「いや、優しくしたらアリアが余計に不安になるだろう!」
兄ィズのドタバタはいつものことだ。
セリーヌは静かに眉をひそめながら、そんな二人を眺めた。
「……落ち着きなさい、二人とも」
セリーヌの声には、不思議な落ち着きがあった。
「アリアの力は確かに異常だけれど、暴走したわけではない。今は少し休ませ、落ち着かせるのが先」
「……でも、どうすれば……」
ノアの声に、アリアは小さく顔を上げた。
「……セリーヌさん、この力、封じられるんでしょうか?」
声はかすかだが、どこか決意を含んでいる。
「封じる、というより……制御するのよ」
セリーヌが手をひらりとひらめかせる。
「あなた自身が意識を持てば、自然と力も暴走しなくなる。だから、まずは心を落ち着けること――そして信頼できる人と一緒にいること」
アリアは兄ィズを見た。
ノアは両手でアリアの小さな手を包み、レオンは少し離れて見守る。
その光景に、アリアの胸はじんわり温かくなる。
「……兄さまたち……」
「いつも守ってくれて……ありがとうございます」
兄ィズは顔を見合わせ、どちらも照れくさそうに頭をかく。
「べ、別に……いつものことだろ!」ノア。
「妹のために戦うのが兄ィズの使命だ!」レオン。
セリーヌは思わず吹き出しそうになりながらも、口元を手で押さえた。
「……相変わらず、無駄に熱いわね」
◆
夜は更け、砦の外から風の音だけが響く。
アリアは膝を抱えたまま、しかし少しだけ安心した表情を見せる。
胸の奥の力が静かに波打つが、兄ィズとセリーヌの存在がその揺れをやわらげているようだった。
「……わたし、この力、ちゃんと使えるようになりたい」
アリアの声は小さくても、強い決意に満ちていた。
「よし、それなら俺たちがつきっきりで教えてやる!」ノアが胸を張る。
「そうだ! 兄ィズがついていれば怖くない!」レオンも元気に叫ぶ。
セリーヌはため息をつきながらも、心の中で微笑んだ。
(……本当に、あの二人と一緒なら、アリアも安心して力を覚えられるわね……)
砦の夜は、戦いの疲れと緊張の余韻を残しつつも、静かに更けていった。
星空の下、兄ィズと妹、そして師匠――三人の絆は、ゆっくりと強まっていくのだった。




