第百一話 誕生日戦争・後日談編
秋の柔らかな光が、レイフォード邸の窓から差し込む。
誕生日会が終わって数日――屋敷には、ようやく静寂が戻りつつあった。
広間の花々はまだ鮮やかに咲き誇り、アリアが手にした温室の鍵は小さな秘密の庭への扉を開け放っている。
だが、その一方で、屋敷の奥深くでは――
ノアとレオンが、互いに険しい顔を向け合い、低く唸りながら小さな紙片を見つめていた。
「……兄上、母上の贈り物、あれは……」
「無理だ……あんなの、どうやって勝てと言うのだ……」
――二人とも、目の前の「秘密の庭」に、完全に心を奪われてしまったのである。
ノアは腕を組み、視線を庭の向こうに飛ばす。
あの温室の前で、アリアが笑顔で花を見つめる姿を思い出すたび、胸がぎゅうと締め付けられた。
「……ふう、どうすれば良かったのだろうか」
隣のレオンも、昨夜は眠れずに天井を見つめていた。
「兄上……俺は……負けた気しかしない」
「……いや、俺もだ」
二人は心の中で、母レイナの圧倒的策略に頭を垂れつつも、どこかで次の挑戦への熱を燃やしていた。
「……次こそは、俺たちの計画で、アリアの笑顔を独占する」
その誓いは、まるで嵐の前の静けさのように、屋敷内にひそかに響いた。
父アレクシスもまた、リビングのソファに座り、深く息をついていた。
誕生日当日のケーキ作りも、兄ィズの贈り物も、母レイナの一撃によってすべて塗り替えられてしまった。
「くっ……レイナめ……」
父は呟きながら、心の中で静かに次の策を練り始める。
次はどのようにして、屋敷の“愛の主導権”を握るのか――その野心は誰にも止められない。
だが、アリアの安全と幸福が最優先であることは忘れてはいけない。
父もまた、母の策略を見極めつつ、娘の笑顔を守るべく奮闘するのであった。
一方、アリアは朝から新しい温室で花を眺め、庭を歩き回る。
兄たちの過保護ぶりや、父母の騒動はすでに忘れたかのように、純粋に花の香りと色に心を奪われていた。
「……わあ、まだ咲いてる」
その声に、遠くの部屋からノアとレオンの視線が注がれる。
兄ィズにとって、アリアの一瞬の笑顔が何よりも価値あるものだった。
「……ふむ、あの笑顔がある限り、我々は負けられぬ」
「同意だ……いや、絶対に負けない」
二人の目は熱を帯び、静かに燃え上がっていた。
母レイナはその様子を、微笑みを浮かべながら窓辺で見守る。
「ふふ、二人とも、本当に熱心ですこと」
扇子を優雅に開閉しつつ、彼女は内心で思う。
「……まあ、彼らが頑張るのは娘のためだから、見守るだけで十分。余計なことは口を出さなくても、勝手に熱中してくれるもの」
母レイナの目には、全てが掌中にあるように映った。
――さすがの父アレクシスも、この“母の掌握力”には一目置かざるを得ない。
屋敷内では、使用人たちも誕生日戦争の余波をまだ感じ取っていた。
「ご主人様方の熱意は理解しておりますが……毎回あの兄たちの暴走には、こちらも振り回されますね」
「でも、アリアお嬢様の笑顔を見ると、つい許してしまいますわね」
厨房では、誕生日の賑わいが去った後、普段通りの整然とした光景が戻っていた。小麦粉や果物の散乱もすでに片付けられ、料理人たちはほっとした表情で後片付けをしている。
庭でも、誕生日用の装飾や荷物は片付けられ、使用人たちは落ち着いて剪定や掃除に取り組んでいる。兄たちも今は静かに書斎で作戦を練るか、屋敷の奥でひそかに策を考えているだけで、戦場のような騒動はすでに過去のものだ。
廊下を歩く使用人たちの表情も、あの日の戦慄は薄れ、微笑みや冗談を交わす余裕が戻っている。
それでも心の片隅には「次の誕生日にはまた何かあるかも」という微かな戦慄が残っており、静かな日常の裏で、屋敷全体が少しだけ緊張感を帯びている。
夜になると、ノアとレオンは書斎にこもり、次回の作戦会議を開始した。
父もまた、暖炉の前で密かに策を練っている。
「次は、母上の策略を上回る計画を立てねば」
「我々の威信にかけて、絶対に……」
だが、その決意の裏には、アリアへの愛情が根底にある。
――過保護な兄たちも、父アレクシスも、母の策略に敗北したのは確かだが、娘の笑顔を守りたいという気持ちは誰にも負けない。
翌朝、アリアは窓辺で小鳥のさえずりを聞きながら、庭の花に囲まれた温室で新たな一日を始めた。
兄ィズも父も母も、すべての騒動は彼女の幸福のため。
「……やっぱり、わたしはみんなに囲まれていると、幸せだわ」
アリアの瞳に浮かぶ光は、兄ィズや両親の苦労を全て報いるように輝いていた。
しかし、レイフォード家の戦いは終わらない。
――母レイナの策に敗北した者たちは、次なる挑戦を密かに誓うのだ。
「次は負けない……必ず、次こそは」
ノアとレオン、そして父アレクシスの背後に、未来の小さな嵐がほのかに漂っていた。
こうして、アリア八歳の誕生日は、愛と騒動に満ちた一日として幕を閉じた。
兄ィズのやり過ぎも、父の裏工作も、すべては娘の笑顔のための戦い。
そして母レイナの圧倒的手腕が、家族全員に「愛とはこういうものか」と教えた一日であった。
――レイフォード家における誕生日戦争は、こうして静かに終わったかに見えた。
だが、屋敷の奥深くで兄ィズと父は、すでに次なる“戦略”を練っている。
アリアの幸福は、まだまだ戦場の中心にあるのだ。




