第百話 誕生日戦争・当日編
◆ レイフォード邸の朝
秋の澄んだ空気が、白亜のレイフォード邸をやわらかく包み込んでいた。
いつもよりも早い時間から、屋敷の中はそわそわと落ち着かない。
召使いたちは慌ただしく廊下を駆け抜け、庭師たちはまだ朝露の残る庭に花を植え直している。
――今日は、アリア・リュミエール・レイフォードの八歳の誕生日。
レイフォード家にとっても一大行事であるその日は、朝から熱気に包まれていた。
「……アリアの部屋の前、警備はどうなっている?」
低く、しかし鋭い声を発したのは長兄ノアだ。十九歳の彼はすでに父の補佐を務める若き騎士であり、妹を過保護に守る兄ィズの一人でもある。
「万全だ、兄上!」
胸を張って答えるのは次兄レオン、十七歳。訓練場で鍛え抜いた腕を誇示するように剣を腰に下げ、既に戦場に赴く兵士のような気迫を漂わせていた。
二人は揃って、まるで「王城の要人警護」でも行うかのように妹アリアの部屋の前に立ち、鋭い視線を廊下に投げる。
「父上からも言われただろう?“今日だけは失敗は許されん”とな」
「もちろんだ、兄上。だが俺たちがいる限り、この屋敷に近づく怪しい影など一人たりとも通さん!」
――まるで戦争前夜である。
妹アリアは、寝台の上でその騒々しい声を聞きつけ、小さくため息をついた。
「……お兄様たち、また朝から……」
寝起きの金色の髪をふわりと揺らし、アリアは枕に顔を埋めた。
今日一日くらいは普通に過ごしたいと願う彼女だったが――どうやらそれは、最初から叶いそうもなかった。
◆ 兄ィズの誕生日作戦
廊下に集まった兄たちは、それぞれ秘密の計画を抱えていた。
ノアは「絶対防御作戦」。
今日、妹のもとに寄る客人のすべてを監視し、不審な挙動があれば即刻排除するという。
レオンは「贈り物作戦」。
誕生日プレゼントを渡す順番や演出を細かく決め、アリアを最高に喜ばせるという大真面目な計画である。
だが、二人の作戦には致命的な欠点があった。
――その過保護さが、妹にとっては「重すぎる」のである。
「兄上! まずは来客の動線を制御しましょう!」
「ふむ。だが贈り物の搬入経路も確保しなければならん……」
二人が地図を広げて真剣に議論している様子は、どう見ても軍議のそれであった。
そこへ――
「お前たち、分かっているだろうな!」
低く響く声。振り返れば、父アレクシス・セラフィム・レイフォードが腕を組んで立っていた。
「今日が何の日か、言わずともわかるだろう!」
「「当然です!!」」
兄ィズは即座に直立し、声を揃えて返答する。
「アリアの八歳の誕生日だ! 何をどうすれば良いか、心得ているな!」
「「イエス・サー!」」
……その場の空気は、既に“戦場”と化していた。
◆ 母レイナの登場
緊張に包まれた空気を切り裂くように、バンッと後ろの扉が開き廊下にあらわれたのは。
そこに現れたのは――母レイナ。
紅いドレスをまとい、優雅に扇子を開閉しながら、淑女の笑みを浮かべて立っていた。
「まあ……朝から勇ましいこと。まるで戦争でも始めるおつもり?」
その声音は穏やかだった。だが、その場の男たちは一斉に背筋を凍らせた。
父アレクシスでさえも、苦笑を浮かべて目を逸らす。
「……レイナ、これはだな」
「いいえ、何も言わなくて結構ですわ。――ただし」
パチン、と扇子が閉じられた。
「アリアの誕生日を“戦い”にしてはなりませんわよ。お祝いは心を込めて、静かに優雅にするものです。……よろしいですね?」
「「「は、はいっ!!」」」
父も兄ィズも、完全に頭が上がらなかった。
妹アリアは、部屋の扉の隙間からその様子を覗き見し、思わず小さく笑ってしまった。
――母はやっぱり最強だ、と。
◆ 誕生日会の幕開け
やがて、屋敷の大広間は華やかに飾られ、客人たちが集まり始めた。
煌びやかなシャンデリアが光を放ち、絢爛たる花々が卓を彩る。
「アリア嬢、本日はおめでとうございます」
「まあ、ありがとうございます!」
次々と祝福を受けるアリアは、少し照れながらも嬉しそうに微笑んだ。
その中に――王太子アルヴィン=レグニス・ルシアス殿下の姿もあった。
白い礼服に身を包み、優雅にアリアへ歩み寄る。
「アリア嬢、誕生日おめでとう。君の笑顔が、今日という日を一層輝かせている」
さらりと差し出されたのは、薔薇を象った宝石細工。
「わあ……きれい……」
アリアが思わず見とれると、背後からギリリと歯ぎしりの音が響いた。
ノアとレオンである。
「おい、兄上……」
「ああ、分かっている……」
今すぐ飛びかかりたい衝動を、母レイナの冷たい視線が押し留めていた。
「――お二人とも、笑顔をお忘れではなくて?」
にこやかに囁くレイナに、兄ィズは硬直した笑みを浮かべるしかなかった。
◆ 突き抜けた贈り物
贈り物の披露が続き、客人たちが次々にアリアへ捧げ物を手渡す。
兄ィズもまた、それぞれ準備していた品を差し出した。
ノアは銀細工の髪飾り。
レオンは宝石をあしらった特注のドールハウス。
「お兄様……すごい……」
アリアは感激して瞳を潤ませた。
兄たちは胸を張り、得意げに笑う。
だが――最後に現れた母レイナのプレゼントが、すべてを吹き飛ばした。
「アリア、これを受け取ってちょうだい」
そう言って差し出されたのは、小さな鍵。
「これは……?」
「庭園の奥に、新しい温室を建てましたの。あなた専用の、季節を問わず花を咲かせられる“秘密の庭”。いつでも好きな花を育て、好きなだけ眺められるように」
「!!」
アリアは息を呑み、そのまま母に抱きついた。
「お母様……ありがとう……!」
場の空気が一気に和らぎ、兄ィズも父も、完全に母レイナに敗北したのであった。
◆ アリアの幸せな一日
こうして誕生日会は華やかに幕を閉じた。
兄ィズの過保護も、父の張り切りも、すべて母の一撃で収束した。
けれどアリアにとっては――どんな贈り物も、どんな大騒ぎも、すべてが愛に包まれた証でしかない。
「……ふふっ。わたし、本当に幸せ者だわ」
夕暮れ、温室の扉を開いたアリアは、胸いっぱいに花の香りを吸い込んだ。
その笑顔こそが、レイフォード家の誰にとっても最高の贈り物であった。




