第九十八話 アリアの誕生日前夜、嵐の予兆
レイフォード邸の執務室は、重厚な扉で閉ざされていた。
父アレクシスは机に肘をつき、鋭い眼光で二人の息子を睨む。
「――お前たち、分かっているだろうな!!」
低い声に、兄ィズ――長男ノア(十九歳)と次男レオン(十七歳)は背筋を伸ばす。
まるで戦場に赴く将軍の前に立たされた若き騎士のように。
「当然です、父上!」
「心得ております!!」
二人の声が重なり合い、まるで軍の号令のように部屋に響いた。
「よろしい……」アレクシスは拳を机に叩きつけた。「もうすぐアリアの八歳の誕生日だ! 何をどうすれば良いのか、言わずともわかっているな!!」
「「イエス・サー!!」」
――その瞬間。
レイフォード家執務室の空気は、戦場の作戦会議と化した。
アレクシスの頭の中には、壮大な計画図が広がっていた。
それは――最愛の娘アリアの誕生日を、王都の歴史に残る一大イベントに仕立て上げるというもの。
だが、問題は常に一つ。
彼の妻、レイナ夫人の存在である。
「……ふふ、誕生日の準備か。相変わらず貴方たちは楽しそうね」
――扉が勢いよく開いた。
三人が一斉に振り向くと、そこには優雅な淑女の姿。
母レイナが微笑みを浮かべ、手には細い扇子を持っていた。
その扇子が、ぱちん、と音を立てて開かれる。
そして、また静かに閉じられる。
その仕草だけで、部屋の空気が凍りついた。
「レ、レイナ……!」
「お、母上!? なぜここに……」
父アレクシスと兄ィズの顔から血の気が引いた。
「ええ、ほんの偶然……。でも、聞こえてしまったわ。“戦いの火蓋”が切られた音が」
レイナの微笑みは優雅そのもの。
だが、アレクシスと兄ィズにとっては戦慄そのものだった。
「いいこと? アリアの誕生日を祝うのに必要なのは、派手な見せびらかしや、娘を取り合う騒動ではないのよ?」
扇子をぱちん、と閉じる。
その音は雷鳴のように三人の鼓膜を震わせた。
「必要なのは――“心からの思いやり”。」
「は、ははは……もちろん分かっているとも、レイナ……」
アレクシスは冷や汗を流しながら必死に笑顔を取り繕う。
「「も、もちろんです母上!!」」
ノアとレオンも声を揃えたが、どこか軍隊式の威勢が抜けず、余計に怪しい。
レイナはしばし彼らをじっと見つめ、やがてふっと微笑んだ。
「……まあいいわ。貴方たちに任せてみましょう。でも――」
扇子が再び開かれ、目の前でひらりと揺れた。
そのたびに三人はビクリと肩を震わせる。
「――もしアリアを泣かせたり、困らせたりしたら……どうなるか、分かっているわよね?」
「「「は、はいぃぃぃっ!!」」」
執務室には三人の情けない声が木霊した。
その夜。
兄ィズは自室で頭を突き合わせ、誕生日計画を立てていた。
「兄上、どうする!? レイナ母上が完全に監視しているぞ!」
「落ち着け、レオン! 我らはレイフォード兄弟だ! あの母上の目をかいくぐり、アリアを世界一幸せにするのが使命だ!」
ノアは真剣そのものの表情で拳を握る。
「だが、ただの贈り物や飾りでは母上に見抜かれる……! ここは我らの鍛錬の成果を――」
「披露するしかないのか……!?」
二人の瞳に炎が宿る。
――その瞬間、扉の外から気配がした。
「……全部聞こえているわよ?」
母レイナの涼やかな声が、壁越しに響いてきた。
「「ひぃぃぃっ!!」」
二人は同時に飛び上がり、顔を見合わせた。
「兄上……これはもう……」
「ああ……まさしく、アリアの誕生日を巡る――」
「「家族の戦いの始まりだ……!!」」
まだ誕生日までは数週間ある。
だが、レイフォード家の戦いは、すでに始まっていた。
――これは、アリア八歳の誕生日を祝うための、家族総出の大騒動のプロローグに過ぎないのであった。




