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第九十七話 秋のお茶会と王太子殿下

 夏の陽射しが過ぎ去り、王都の庭園を渡る風も、どこか涼やかな秋の香りを含む季節。

 レイフォード家の広大な庭も、赤や黄色に色づき始めた木々に囲まれ、落ち葉がさらさらと風に舞う光景が広がっていた。そんな中、今日ひときわ華やかな準備が整えられていた。


 ──秋のお茶会。


 社交界デビュー前のアリアが、学園の友人や一部の貴族令嬢たちを招いて開く、初めての本格的な「お茶会」である。

 花壇には菊やダリアが彩りを添え、白布を掛けた円卓の上には金縁のティーセット。焼きたてのアップルパイやカボチャのプディング、栗のタルトなど、秋の実りをふんだんに使った菓子がずらりと並べられていた。


「……緊張するわ」

 椅子に腰を掛けたアリアは、深呼吸をひとつ。

 小さな手を膝の上で組み、ふと視線を上げれば、紅葉の木々の向こうから小鳥の囀りが聞こえる。


 その横で控えていた母レイナ夫人は、いつもの涼やかな笑みを浮かべていた。

「大丈夫よ、アリア。お茶会はね、“楽しませたい”と思う気持ちがあれば自然と上手くいくものなの。……それに今日は、あなたの兄さまたちも大人しくしているはずですし」

 にこりと優雅に言い切る。


 ──その「はず」という言葉に、アリアは小さく苦笑した。


 一方その頃。

 邸の裏庭にある植え込みの陰。


「……殿下が来るとはな」

「まったくだ。アルヴィン殿下……我らのアリアに近づくなど、許されるはずがない!」


 小声で密談するのは、もちろんレイフォード兄ィズの二人。

 長兄ノア(十九歳)は眉間に皺を寄せ、次兄レオン(十七歳)はすでに剣の柄に手を伸ばしそうな勢いであった。


「でも兄上、母上に“出過ぎた真似は許しません”って、釘を刺されてましたよね?」

「……釘を刺されたのは確かだが、だがしかし! 妹を守る兄の務めは法律より重い!」

「兄上、落ち着いて……!」


 二人の密談は、植え込みの端から冷ややかに響いた声で遮られる。

「……そこのお二人、何をしているのですか」


 振り返れば、マクシミリアン先生である。

 学園でアリアの教育を監督している、眼鏡の似合う冷静な講師だ。今日も彼は「客人の案内係」として招かれていたのだが──その鋭い眼差しは、兄ィズを射抜いていた。


「お、落ち着いておりますとも! 我らはただ、アリアの無事を祈っていただけで!」

「そうそう、祈ってただけです!」


「……ふむ。祈りのつもりで邸の塀を乗り越え、庭木の陰に潜むとは。大層信心深いご兄弟ですこと」

「…………」

「…………」


 先生の皮肉に、二人は口をつぐむ。


「いいですか。今日はアリアさまのお茶会。主役は妹さんです。あなた方が影に潜んでいたら、せっかくの場が台無しになりますよ」

 そうぴしゃりと告げられ、兄たちは渋々うなずいた。


 やがて、招待客の馬車が次々と邸に到着し始めた。

 栗色の髪を編み込んだ子爵令嬢や、金糸の刺繍が施されたドレスを纏う侯爵令嬢。皆それぞれに秋色の衣を纏い、庭のテーブルに着いていく。


「まぁ……とても素敵なお庭ですわ」

「アリアさまがご用意されたのですの?」

「秋らしいお菓子まで……!」


 少女たちの目が輝き、アリアの胸も少しずつ誇らしさで満ちていく。

「みんな、来てくれてありがとう。今日はどうか、ゆっくり楽しんでいってくださいね」


 彼女の挨拶に、客人たちはぱちぱちと拍手した。


 ──その時。


「殿下、ご到着です!」


 門番の声が響き、一同の空気が一瞬で張りつめる。

 銀糸の髪を後ろに束ね、深い青の礼装を纏った少年が現れた。王太子、アルヴィン=レグニス・ルシアス。まだ十一歳ながら、既に端正な顔立ちと落ち着きを備えた若き王位継承者だ。


「アリア嬢、招待してくれてありがとう」

 微笑みを浮かべて差し出される手。


 アリアは一瞬、頬を赤らめつつもドレスの裾を摘まみ、礼を返した。

「お越しいただけて光栄です、殿下」


 客人たちがざわめき、秋風が庭を駆け抜ける。

 その瞬間──植え込みの向こうから、今にも飛び出しそうな二人の気配がむんむんと漂ってきた。


 庭の奥、兄ィズは必死に声を殺していた。


「おのれ殿下……妹の手を取るなど!」

「だめです兄上、飛び出したら母上に……!」

「わかっている……だが、あの距離感……!!」


 二人のこめかみから汗がつーっと流れる。

 それでもなお、彼らの目はアリアと殿下のやり取りを凝視し続けていた。


 一方でレイナ夫人は、全てを承知しているように涼やかに微笑んでいた。

「ふふ……本当に。どうして男というのは、娘を前にするとこうも落ち着きをなくすのかしら」


 ちらりと視線をずらせば、少し離れたベンチに座るアレクシスが、ひたすら大人しく紅茶を啜っていた。

 ──前回の“事件”の反省で、今日は一切口出ししないと固く誓っていたのだ。


 その姿を見やり、レイナは小さくため息を吐いた。

「いいえ……夫も息子たちも。まったく、アリアの周りは騒がしいこと」


 お茶会は穏やかに進んでいく。

 アルヴィン殿下は堂々とした態度で客人たちに挨拶し、アリアは淑女らしく振る舞いながらも、時折年相応の微笑みを見せて場を和ませていた。


「殿下、こちらのタルトはアリアさまが選ばれたのですよ」

「そうなのか。君の趣味は素晴らしいね」


 ──その言葉に、兄ィズの怒気がさらに膨れ上がる。


「アリアの趣味を褒めるとは……!」

「だめです兄上! だめですって!」


 二人が暴発するまで、あとほんの一歩。


 しかし次の瞬間。

「兄さまたち、そこにいるのでしょう?」


 不意にアリアの声が響き、兄ィズは飛び上がった。

 彼女は涼しい顔で、紅茶を注ぎながら呟いたのだ。


「母さまに見つからないうちに、おとなしくしていてくださいね?」


 ──完全に見抜かれていた。


 背後から、レイナ夫人の冷たい視線が突き刺さる。

「レオン、ノア。……後でお話がありますわ」


「「ひぃっ!!」」


 秋風がざわめき、紅葉がひらひらと舞い落ちた。


 その後もお茶会は無事に続き、客人たちは笑顔で帰っていった。

 最後にアルヴィン殿下がアリアへ深く礼をして去ると、兄ィズはようやく張り詰めた息を吐き出す。


「……妹よ。あんな危険な場に、二度と立たないでくれ」

「そ、そうだな。……母上のお仕置きより、殿下の存在の方が怖い」


 そんなことを口にする二人に、アリアは肩をすくめて笑った。

「もう……本当に、兄さまたちはやり過ぎ……。いえ、今回はよく我慢?出来たと思います」


 その声音には呆れと、ほんの少しの嬉しさが混じっていた。


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