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第九十五話 兄ィズが“母に鍛えられた成果”を披露する回

 それから一か月が過ぎた。

 アリアが学園で淑女教育に勤しむ日々の裏で――いやむしろその陰で、レイフォード邸の一角では別の地獄絵図が繰り広げられていた。


 父アレクシスの手をすり抜け、何度も学園に押しかけようとした兄ィズ――長兄ノアと次兄レオン。だが、とうとう母レイナに事実が知れ渡ってからというもの、二人の運命は大きく変わってしまったのだ。


 優雅な微笑みを浮かべながらも、決して逆らえない気迫を放つ母。

 その教育方針はシンプルかつ容赦なかった。


「娘を思う気持ちがあるのは分かります。ですが、淑女教育の場に乱入するのは以ての外。ならば、あなたたちには“別のかたち”で鍛錬を積んでもらいましょう」


 こうして始まったのが――レイナ式・家庭内更生計画である。



 最初は軽いものだった。

 庭の手入れや温室の掃除、朝の礼儀作法のやり直し。


 だが、日に日にレベルは上がっていった。


「ノア、背筋が曲がっているわ。貴族の長男として見苦しい姿勢は許されません」

「レオン、妹を思うならばまず自分を律しなさい。剣の腕ばかり磨いても、言葉遣いが粗野では淑女の前に出せません」


 昼は馬術訓練の復習、夜は舞踏会の模擬練習。

 さらには料理や裁縫、屋敷の使用人の仕事に至るまで――。


「お母様っ……! なぜ僕たちが裁縫を……!」

「ノア。あなたがアリアのドレスの裾を踏んで破ったらどうするの?」

「ぐぬぬ……」


「お母様、包丁は……その、武器ではなく料理に……?」

「レオン。お肉を切るのも野菜を刻むのも、基本は剣の扱いと同じよ」

「(ちがう、全然ちがう……!)」


 二人は何度も悲鳴を上げながら、母の笑顔に押し切られていった。



 そして今――一か月が経ち、久々に兄たちと顔を合わせた父アレクシスは、目を疑った。


「……お前たち、いったいどうした?」


 ノアは背筋を伸ばし、涼しい顔でティーカップを持ち上げる。

 レオンは優雅に一礼し、声を低く整えてから口を開いた。


「父上、本日の紅茶は香りが格別にございますね」

「そうですね兄上。お菓子も甘すぎず、口当たりが良い」


 ……誰だこの青年たちは。


 以前ならばアリアの名を聞いただけで立ち上がり、馬に飛び乗って学園へ直行するような兄ィズだった。

 それが今や、まるで王宮のサロンに招かれた紳士のように落ち着いている。


「信じられん……。レイナ、いったい彼らに何をしたのだ?」


 問いかけるアレクシスに、レイナは紅茶を口に含み、優雅に微笑んだ。


「ちょっと“母として当然のこと”をしただけですわ」



 学園から帰宅したアリアは、その光景にさらに驚愕した。


「に、兄さまたち……?」


 彼女の前でノアとレオンは立ち上がり、まるで舞踏会の挨拶のように丁寧に一礼する。


「おかえりなさい、アリア」

「今日も学園で立派に学ばれたことでしょう」


 ――誰!?


 思わず後ずさりしそうになったアリアは、じっと兄たちを観察した。

 確かに顔は兄たちだ。けれど、動きも言葉も、あまりに別人のように洗練されすぎている。


「え、ええ……ただいま。えっと……今日は舞踏の練習で……」

「そうか。それは素晴らしい」

「今度、我らもご一緒できれば光栄だ」


 ……無理。絶対におかしい。



 だが、その完璧な仮面は長くは続かなかった。


「アリア、あなたのドレスの裾が……」とノアが近づいた瞬間――。


 びりっ。


「――ああああっ! ドレスが裂けた!?」

「な、何をやっているんだ兄上!」

「ち、違う! これは偶然で……!」


 慌てふためくノア。

 その姿を見て、レオンもつい本性を現す。


「誰だ、アリアのドレスをこんな脆い布で仕立てたのは!? 直ちに呼び出して……!」

「レオン兄さま、落ち着いて!」


 瞬く間に兄たちは元通りの“暴走兄ィズ”へと逆戻りしていた。



 そんな二人の様子を背後からじっと見つめる存在――レイナ夫人。


「……ふふ、まだまだ鍛えが足りませんね」


 その笑顔に、兄たちは全身を震わせた。


「お、お母様!? い、いえ今のは……っ」

「違うのです、母上! これは不可抗力で……!」


 再び雷が落ちることを悟った兄ィズ。


 アリアはそんな兄たちを見て、つい口にしてしまった。


「……これでおとなしくなるはずがないわ」


 そして小声で、くすっと笑う。


「だって、やっぱり兄さまたちは兄さまたちだもの」



 アレクシスは頭を抱え、レイナはさらなる鍛錬の計画を練り、アリアは兄たちの暴走を予感して苦笑する。


 ――兄ィズが母に鍛えられた成果を披露しても、結局は空回り。

 それでも彼らの妹への情熱は、何よりも本物だった。


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