第9話 いじめ
「ふわぁ……」
あくびをしながら学院へと登校する。相変わらず、朝は本当に眠いな。基本的に休日は剣聖の仕事が入っているし、満足に睡眠できる機会はほとんどない。
あれ? 俺この世界でも社畜なのか……? と今更ながら思う。しかし、生きていくためには仕方がないことだからなぁ。
「見て、あれが」
「あぁ。あの平民に負けたっていう」
「うん。それに凄かったらしいよ、決闘」
「らしいね。あの人、めちゃくちゃボコボコにされたんでしょ?」
昨日無事にルイスに劇的な敗北した俺は、もうすでに学院中で噂になっていた。
なるほど。周りから厳しい目線が送られてくるが、これはある程度予想はしていた。この学院は貴族至上主義である。
たとえどれほどの才能が平民にあったとしても、貴族が敗北することは許されない。下級貴族出身の俺だったとしても、それは例外ではない。
ふむ。このウィルというキャラクターが主人公に負けてからどうなっていくのか。彼がどんな感情を抱いて、これからの学園生活を送っていくのか。
まさにそれに直面している最中だった。ま、いいさ。
今の俺は死亡フラグをすでに超えている。問題は何もありはしない。
そう思って教室へと入ると、頭から水が降り注がれた。
「……つめてぇ」
いや、なんだこれ。上を見上げると、そこにはバケツがぶら下がっていた。あぁ、なるほど。ドアを開けるとバケツが下に傾くようになっているのか。
教室内を見ると、びしょ濡れになった俺に対してクスクスと嘲笑する声が聞こえてくる。
「おっと。今日は雨だったか?」
俺の目の前に現れるのは、ケインだった。ニヤニヤと笑っているその顔はあまりにも歪んだものだった。なるほど、これがいじめってやつか。
しかし、俺は毅然とした態度でそれに応じる。
「雨? 普通に晴天だが」
「いやいや。雨だろう。家に戻って着替えてこいよ」
「あぁ。その心配はない」
俺はすぐに魔法を発動。火属性と風属性を組み合わせて、一瞬で俺は自分の髪と服を乾かした。簡単にいうとドライヤー的な魔法だ。
俺が発明したオリジナル魔法で、意外と使い勝手がいいんだよな。メイドのアイシアにこれを教えたら、いたく感動していたほどだ。
「は? お前、何をした」
「ただの魔法だ」
「……ちっ。まぁいい。お前は平民に敗北した。その事実に変わりはない。これからまともにこの学院で生きていけると思うなよ」
「……」
そう吐き捨ててケインは俺の前から去っていく。まぁ、こうなることは分かっていた。きっと原作ではここからさらに厳しい環境に追いやられていき、ウィルは主人公のルイスに憎しみを募らせていくのだろう。
この王国を揺るがすほどの大事件を起こすんだからな。ま、それも起きることはないので、問題はない。それに保険として剣聖と賢者の力は俺が手に入れている。
あとは俺がこの孤独を楽しめばそれでいいだけだ。
そして自分の机に向かうと──そこには何もなかった。
おい。机も隠しているのかよ! 全く、なんて陰湿なんだ! てか机に何かするんじゃなくて、机ごと隠すの逆に感心するわ! すごいな、貴族の陰湿ないじめ!
俺は内心で怒りつつも、別の空き教室にある机を持ってくることにするのだった。
「あ……あの」
「ん? あぁ、お前か」
昼休みになった。俺はいつのように屋上で黄昏ながら、パンを齧っていた。ここの購買のパンは非常に美味い。いちごジャムと組みわせるとさらに美味い。
このささやかな食事の時間が俺は好きだった。
そうして昼食を取っていると、ルイスがやって来た。
「怪我。大丈夫ですか?」
「問題はない。なんだ。負け犬の顔でも見に来たのか?」
「あ、えっと……! そんなつもりはなくて!」
分かっている。あれだけボコボコにしてしまったので、心配していたのだろう。原作でも割と派手にやられたが、俺はそれ以上の演出をしてしまったからな。
てか、途中から普通に楽しくなっていた。きっとスタントマンもこんな気持ちでやっているかもしれないな、とふと思った。
「あの」
「なんだ。まだ用があるのか」
「あの決闘……わざと負けたんですよね?」
え? バレてるの? しかし、ここでそれを認めるわけにはいかない。お前はこれから素晴らしい人生を歩んでいくんだ。
この貴族至上主義とされる学院で平民が成り上がっていくシンデレラストーリーはすでに始まっているのだから。
すでにお前の物語から退場したモブに構っている暇なんてないんだ。俺はテキトーにルイスをあしらうことにした。
「いいや。お前の実力だよ」
「僕は自分の実力を弁えているつもりです。途中で僕の魔法の出力が上がったりしたのも、ウィルさんの魔法ですよね?」
「はぁ? お前の才能だよ。他人の魔法を増幅するなんて無理だ。敢えて考えるとすれば、相手の魔法に介入して魔法式を書き換えているとでも言うのか」
「い、いや……流石にそれは……」
いや、そうなんだよなぁ。
俺は敢えて真実を言うことで、ルイスに否定させる。まぁ普通は発動した魔法に介入なんてことはできない。俺だからこそできる能力であり、おそらくはこの世界で俺以外にできる奴はいない。
魔法理論として確立されいるわけではないので、ルイスも否定するしかなかった。
「だろ。だからあれはお前の実力。これからも研鑽を重ねていけ。お前はきっと、素晴らしい魔法使いになることができる。敗北者にこれ以上は構う必要はない。前を向け。それに家族のために頑張るんだろう?」
「え……なんでそれを」
やっべ。その話を俺は聞いてはいなかった。原作の知識で語ってしまったので、俺は慌てて取り繕う。
「噂になってた……」
「そうですか……」
気まずい雰囲気が流れてしまったので、それはすぐにそれを断ち切る。
「ともかく、これ以上俺に構う必要はない。お前の才能は非常に稀有なものだ。それを伸ばしていけばきっと、更なる高みへと至ることができる」
俺はそう言って屋上を後にする。チラッと後ろを見ると、ルイスはぎゅっと両手を握りしめていた。
彼が今、どのような感情を抱いているのか。俺には全くわからない。
けれどきっと──彼にはこれから多くの祝福が訪れるだろう。この時はそう思っていた。
†
学院での生活を送っていくことに加えて、俺には剣聖と賢者の仕事がある。厳密には仕事ではないのだが、前世の感覚的にこれはもはやワンオペである。
そのため、どうしても仕事として考えてしまうのも無理はない。
そこは俺も調整はしてある。剣聖は積極的に活動し、賢者は消極的にする。そのようにして何とかバランスを取っていたのだが……俺はアイシアから悲しい報告を受けることになる。
「失礼します」
「あぁ」
軽くノックの音がして、室内にメイドのアイシが入ってくる。明日からは休日であり、俺は現在読書に夢中になっていた。久しぶりに夜更かしでもするか、というテンション感だった。
いや実際に休日の前ってどうしてこんなにもワクワクするんだろうな。そして、月曜日が直前になってくると、憂鬱になるんだよな……。
そんなことはともかく、アイシアが何も用無しにくることはない。
俺は彼女に用件を尋ねる。
「アイシア。何か用か」
「ウィル様。非常に心苦しいのですが」
「どうした。何があった」
この前置きからして、良い報告でなさそうだよな。嫌だなぁ……まさか、休日出勤じゃないだろうな。ははは、まさかな。
「賢者に対して魔法学会に出席するように、赤い手紙が届きました」
「うお……っ!? なんかすげー禍々しいな」
真っ赤に染まる赤紙はまるで鮮血がたっぷりと染み込んでいるようだった。もっとも、本物の血液ではないだろうが何処か不気味だ。
「今までは普通の手紙だったよな」
「はい。しかし、あまりにも欠席が多いので、魔法協会も痺れを切らしたのだと思います。このままいけば、最悪賢者の地位を剥奪される可能性も」
「それは流石にまずいな……」
賢者は引きこもりで、俗世になど興味はない。そのような設定にすればいけると思ったが、どうやら流石に二年も表舞台に出てこないとなると問題にはなるか。
「仕方がない。今回は学会に出席する。学会はいつだ?」
「明日です」
「……」
何だってこうも突然入ってくる仕事ってやつは、急なんだろうか。前世で社畜ワンオペをしている時と酷似した状況に俺は頭を抱える。
なんで俺の休日はいつも無くなるんだよ……もう何だか泣けてきた。ぐすん。
「大丈夫ですか?」
「あぁ。問題はない。それと学会にはアイシアは来る必要はないからな」
「え。なぜですか」
そう言った瞬間。アイシアの目が爛々と輝き始める。
いや怖いよ! 怖すぎるだろ!
「何か後ろめたいことでも?」
「いや、剣聖と違って賢者は人見知り設定なんだ。従者がいるのは変だろ」
「……ちっ」
え? 舌打ち。今舌打ちしたよね?
まさかのアイシアの態度に俺は唖然とする他なかった。
「分かりました。今回は譲歩いたしましょう」
「あ、あぁ……」
一体これではどちらが主人なのか分かったものではないが、アイシアも心配してくれているんだろうしな。
アイシアが俺の部屋から出て行き、俺は就寝することに。本当は夜更かしして本を読みたかったのに……泣。
そして俺は明日の学会に備えて、すぐに眠るのだった。