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有隣荘の住人達   作者: 小鳥のさえずり
第三章 有隣荘の新たな住人達
22/31

第22話 ムーくんと猫

4000字くらいです。ぜひ楽しんでいってください。

「ムー」

「ニャー」

休日の真っ白な木漏れ日がコラージュのように照らす、朝の共有スペースで、肥満男がどこからか迷い込んできた野良猫と会話をしている。隣に狩下さんが居て、肥満男に子供離れが出来ない母親のように説教をしている。

「猫は戦後に入ってきた外国の文化だから、猫なんか家に持って帰ってくるんじゃない!犬こそ日本の文化だ!」 

中田と田井中さんは偶然のその場に鉢合う。

「ねえ中田くん、この子、ムーとしか言わないし、名前も分からないからムーくんって呼ばない?」

「そうだね、おーい、ムーくん!」

迷い猫はどこかへ逃げていってしまう。肥満男は恨めしそうにこちらを睨む。

「ムー!」

「ごめんね、君をどう呼んだらいいか分からないのだけど、ムーくんでいいかい?」

肥満男は心底嬉しそうな顔でこちらに微笑む。それは太陽に照らされた真っ白いシーツのような笑顔だった。

「ムー!」

それから中田は暇があると、共有スペースにいるムーくんを観察するようになった。彼はご飯を食べたり、お風呂入ったり、トイレで用を足したり、基本的な事はちゃんと出来るみたいだ。ムーくんの隣にはいつもどこからかやって来た猫がいた。そしてその猫の数は日に日に増えていった。

「まあムーくんが幸せならそれでもいいんだけど、あんまり野良猫を連れてこられてもあちこちに引っ掻き傷ができたり、困るんだよねえ・・・。まあいいかふふふ」

大家さんもムーくんを見て、癒されているような節があった。ムーくんが共有スペースに居ると、示し合わせたわけでもないのに、必ず誰かが寄ってくるのだった。

「前澤先生!」

「先生だなんて呼ばなくていいよ。お互いご近所同士だろう?」

中田と前澤は夏休みの宿題をする友達同士のように一緒にムーくんを観察する。

「このアパートでは時々不思議なことが起こるんだよ。俺は一回過去にタイムスリップしたことがある。宇宙人くんからここには座敷わらしが住んでいるって聞いたこともある。」

「またまたあ。」

「猫と話せるムーくんは不思議だね。彼は一体どんな世界を生きているのだろう?俺らにそれが分かる日が来るのだろうか?」

その時、奥の暗い廊下から七星ひかりが共有スペースにやってくる。中田は彼女の眩しさに目が眩んでしまう。まるで金ピカの仏像のようだ。

「おはようございまーす!前澤さん!あなたは中田さんね。」

彼女が共有スペースに入ってくると猫がみんなバラバラに散って逃げてしまう。

「ムー!」

ムーくんが七星ひかりを天敵に威嚇する動物のように睨みつける。

「あ、ごめんなさい、ムーくん・・。」

その時、七福さんと、初目さんが競走馬のように言い争いながら、廊下からやってきた。

「量子もつれは愛なんじゃ!愛は光速さえも越えるのじゃ!」

「それはちゃんと証明された仮説なんですか?京都大学出身の僕に言わせるとナンセンスですね!」

「あ、ムーくん!」

「ちょっとは痩せた方がいいよムーくん。」

「ムー!」

中田はムーくんを観察するうちに、ムーくんが「ムー。」だけじゃなく色々な言葉を使って猫と会話していることを知った。

猫に餌をあげる時は「ムニャニャムニョ。」

猫の隣に友達のように一緒に寝転ぶ時は「ムニョムニョナー。ムームー。」

猫を撫でる時は「ニョーニョームニニノニ。」

中田はなんとかその言語を理解しようとした。そしてそうしているうちに猫の群れの中に、いつも必ずいるボスのような大きな黒い猫がいることに気づいた。その猫が中田の方をじーっと見つめているからだ。

ある日の深夜、中田はバイトの疲れもあり、家に帰って着替えもせずにすぐにベッドに飛び込んだ。そのまま気絶するように眠りに落ちた。そして少しおかしな、明晰夢を見た。

真っ白い上も下も水平方向にさえ何もない、永遠なのか無なのかよく分からない空間に、ポツンとあのボスネコがいた。中田はその前に居た。

「やあ、中田さん・・だっけ?」ネコが喋りかけてきた。

「あ、はい」中田は何が起こっているか理解できず、通り一辺倒の受け答えしか出来ない。

「簡潔に話すよ。この空間には座標がないから、あまり長くいると、自分がどこにいるのかさえ分からなくなってしまう。ムーくんと友達になってくれてありがとう。私はムーくんの親代わりと言っていいかな、ムーくんが幼児の頃から知っている、まあ君たちの世界で言う化け猫みたいなものなんだ。君の夢の中を利用させてもらった。不躾ですまない。」

「は・・はあ。」

「もし君がムーくんの事をもっと理解したいと願うのなら、私の目を通して、私たちの世界に招待しよう。ムーくんは人間だけれど、人間社会の言葉は理解できない。でも猫の世界のことは分かるんだ。そんな哀れで可愛い私の息子なんだ。どうだい?知りたいかい?」

「知り・・たいです」

中田は自分が何でそんなことを言ってしまったのか分からなかった。

「じゃあ、行こうか。」

目の前が暗転する。

中田は猫になっていた。自分の身体は黒い体毛で覆われ、周りにいる人間が巨人のように見えた。中田はとある知的障害者施設にいた。施設の周りは黒い森に覆われ、その中に何が居るのか分からない様な不気味さがあった。施設の中には奇声をあげる者、車椅子に乗り眠っている者、食事の介助をしてもらう者が居た。そこに疲れ切った高齢の夫婦に連れられた幼子がやってきた。両親はどちらも眼鏡をかけて痩せた真面目そうな風貌で、見た目が良く似ていた。中田はその幼子が、太っていて大きな見た目でムーくんだと分かる。職員さんが出迎える。

「あの、一昨日連絡した者ですけど・・・・。」

「あ、佐藤さんですね!ようこそおいでくださいました。ささっ上がってください。」

中田は彼らについていく。

「うちの子はもう4歳になるのに、言葉ひとつ理解できないんです。いつも猫や小鳥と戯れあってばっかりで、人間の言葉が分からなくていいなんて、そんなことないですよね。そんなことない・・・。」

奥さんの方が泣き出してしまう。

「だからこの施設に預かって欲しいんです。入所させて欲しいんです。ちゃんと定期的に面会に来ますから、決して見捨てるわけではないんです。」

夫の方も妻と肩を寄せ合って泣いてしまう。

「分かりました。ではこちらの書類に・・・。」

「ねえ、君はどこから来たの?」

中田は急にムーくんに話しかけられてびっくりする。思わず背中の毛が逆立ち、シャーっと威嚇してしまう。

「たっくん、猫と話すのはもうやなさいって言ってるでしょ!!」

母親が手をあげようとするのを、夫が何とか制止する。母親の顔が憎しみのような悲しみのような複雑な表情に歪む。

「もう限界なんです・・・。こんなはずじゃなかったのに・・・。はあ・・・。」

両親は帰ってしまう。

ムーくんは施設の様々な人に話しかけている。「ねえ、どうしてずっと寝ているの?」「ねえ君はどうして、そんなに走りながら叫んでいるの?」「どう、ここのご飯って美味しい?」

ムーくんはトボトボと歩いて中田の前にやって来る。

「やっぱり誰も僕の言うことを分かってくれないみたい。ねえ、君は猫だから分かるよね?僕の言っていること。」

「分かるよ。」中田は返答する。

「どうして誰も僕のことを分かってくれないのだろう。お父さんもお母さんも僕が何か言うと叩くんだ。幼稚園でも友達なんか一人も出来ないし、ここでもダメだし。」

「別に誰にでも理解されることってそんなに大事なの?」

「え?」

「皆は理解してくれなくても、僕はずっと君を相手してあげる。僕だけは友達になってあげるし、君の親がわりになってもいいよ。だから一緒に生きよう。世界の片隅で。」

中田はまるで自分に話しかけるように、本心を喋っていた。

「あ、ありがとう・・・。僕、ずっと不安だったんだ。何で皆と同じになれないんだろうって。普通になれないんだろうって。」ムーくんは泣きながら、中田を抱きしめる。

それから二人は仲のいい親子のように色々なことを話した。喧嘩もしたし、辛い時に励ましあったり、嬉しいことを共有したり。暖かい思い出に浸っているうちに、10年、20年と過ぎていった。障害者施設を転々としても、中田は必ず、ムーくんの側にいた。

そうして中田は目を覚ました。中田は自然に涙を流していた。ムーくんとその黒猫の一瞬のような永遠の様な、一生を垣間見たのだった。そこには確かに真実があった。真実はどこかにあるのではない。今ここにあるのだ。

中田が共有スペースに行くと、朝の白い木漏れ日が照らす中で、ムーくんがすやすや寝ていた。そしてその側で、黒猫が死んでいた。

そこには何故か田井中さんも、狩下さんも、前澤先生も、七星さんも、七福さんも、初目さんも居た。

「ねえ中田くん、私、その黒猫さんになって、ムーくんの人生を一緒に生きる様な夢を見たのよ」田井中さんが口火を切った。

「俺もそんな夢を見た・・」狩下さんも同じものを見ていた様だった。

「俺もだよ」

「私も」

「僕も」

「わしもじゃ」皆が続く。

ムーくんが目を覚ます。ムーくんは死んだ黒猫を見て堰を切ったように泣き出した

「ムー!ムー!」

僕らはその黒猫を有隣荘の庭に埋葬してあげた。そしてそれからといいもの、ムーくんは僕らの人気者になった。相変わらず彼が何を言っているかは分からないけれど、それを何とか理解しようと皆がムーくんを尊重する様になった。味方をしてあげる様になった。誰かの相手をしてあげることほど、簡単で難しいことはない。そしてそれは有隣荘全体の雰囲気を少しだけ暖かいものにしている様だった。


猫にじっと見つめられると、なんかこちらが色々と理解されている気がして怖くなります。

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