第19話 水無月ソラと頑迷寺重蔵
6500字くらいです。ぜひ楽しんでいってください。
水無月ソラは客席からの絶えない拍手に包まれながら、壇上から去る。舞台袖には水無月の身辺警護を務める頑迷寺重蔵という男がいる。彼は黒いスーツに身を包み、この世の黒を全て集めてきたかのような真っ黒な癖毛で、髪型は肩まで届くオールバックだった。身長は高く、筋肉質の色黒で、まなじりにナイフで切ったような小さな傷があった。彼も水無月ソラと同じくその顔立ちからハーフだということを匂わせた。
「やあ、待たせたね、重蔵。」
「スタジオの出入り口にいつもの通り、あんたの追っかけがいるぜ。でも今のところ怪しい奴はいないみたいだ。車の中からでいいから手を振ってやってくれ。」
「いつもありがとう。」
会場からはまだ拍手が鳴り止まない。
「今回も大盛況だったな。あんたの理想が実現する日もそう遠くないのかもしれない。」
「いや、僕のことを本当に分かってくれるのは君だけだ。」
二人は防弾仕様のベンツに乗り、水無月はスタジオの出入り口にいる追っかけに軽く手を振り、東京の街並みを横目に車は高速道路を走る。暗くなり始めた東京は、遠くにオレンジ色に輝く東京タワーが見える。
「なあ、重蔵。僕たちがあの頃誓い合った世界はもう近くまで来ているかな。」
「そうだなあ、世の中の常識があんたのおかげで変わろうとしている。日本政府は今度、児童ポルノ禁止法の法改正をするそうだ。うちの会社のショッピングモールも日本の全国区に拡がりつつある。未来を変えれば、過去さえも変えられる。あんたの口癖だったな。」
「ふふっそうだね。」
頑迷寺重蔵と水無月ソラは幼馴染だった。20年前、静岡の中堅都市の丘の上に大きな団地があった。そこにはその頃あまり見られなかった移民たちが集まってきていた。さながら様々な国の文化が集う、移民のるつぼだった。頑迷寺はその頃小学生で、背が高く腕っぷしも強いので、団地の中でガキ大将をやっていた。子分たちと山の中を駆け回ったり、移民をバカにする団地外の子供達とよく喧嘩したりしていた。ただ、その団地で一人だけ、頑迷寺の言うことを聞かない子供が居た。それが同い年の水無月ソラだった。
二人を比べると、その頃の頑迷寺は色黒で精悍な身体つきをしていた。対して水無月はひょろひょろで青白かった。
「おい、遊びに行こうぜ。山の中にみんなで秘密基地を作ったんだよ。」
「ごめん、僕はお母さんの看病をしないと。」
「へっそうかいそうかい。そんなにお母ちゃんが大好きなのかい。甘えん坊だねえ。」
水無月は黙っていた。
「ま、気が変わったら教えてくれよ。俺たちはいつでもお前が来るのを待っているぜ。」
「分かったよ。」
水無月は家に帰り、病で苦しんでいる母親のそばに行く。貧乏な母子家庭だったので、家の中にはあまり物がなかった。ただ、戸棚の上に母の故郷で家族全員が集まって写っている写真があった。
「お母さん、ただいま。」
「外から声が聞こえてきたよ。あんた頑迷寺さん家の子と付き合っているのかい?」
「うん、話してきた。」
「あそこの家はヤクザの家系なんだから付き合っちゃだめよ。多分重蔵くんもそのうちヤクザになるのだから。でも頑迷寺さんのところの奥さんは可哀想だねえ。いい人なんだけどねえ。夫がヤクザだってんで、毎日殴られて、それでも文句を言わずに夫を支え続けて、私が健康だった頃には、お互いに色々助け合ったもんさ。故郷が近いってのもあるけどね。」
母はベッドの横にかかっている世界地図を眺めやる。
母親が世界地図を指差す。
「ここが私の故郷ジョージア。そしてここが日本。こんなに遠くまで来てしまった。」
母は故郷を思い浮かべているのか涙ぐむ。
「いい?ソラ、あんたは世界を変えられる人になるのよ。お金持ちがもっとお金持ちになって、貧乏な人はもっと貧乏になる。そんな酷い世の中を変えられるとしたら、その変化はいろんな国から来た人達で出来たこの団地から起こるのだわ。だからここは約束の地になるべきのよ。だからお勉強を頑張って。今の世界に、現実に負けちゃダメよ。」
「うん、頑張ってみるよ。お母さん。」
その次の日、水無月が学校に行こうと家を出ると、マンションの前に頑迷寺の子分が二人立っていた。
「おい、オメーなんで隊長の言うこと聞かねーんだよ!」
「お母さんにつきっきりで甘えん坊でハズカチー!田舎者のお母さんだから、お前も田舎者の弱虫なんだ!」
水無月はカーッと頭に血が登って、二人に飛びかかっていく。
「お母さんの悪口言うなー!」
「お?やんのかやんのか、ほれ、ほれ、」
子分の一人は水無月のパンチをひらひらかわしながら、からかう。
「オラーっ!空手チョーっぷ!」
子分のチョップをくらい水無月は倒れ込む。二人の子分は更に追い打ちをかけて、何度も水無月を蹴り上げる。
「はあ、はあ。自分の立場がようやく分かったかこの田舎もん。」
「お前今日から俺たちのパシリな。」
「おい、お前ら何やってんだ。」
二人の子分が振り返るとそこには仁王像のように怒っている顔の頑迷寺が居た。
「た、隊長・・・。」
「いや・・・。俺たちこいつに立場を教えようと。」
「空手ちょーっぷ!」
頑迷寺に殴られて、子分の一人が3メートルくらい吹っ飛ぶ。
「う、うわあ、すみません、隊長!許してください!」
「立場をわきまえなさいよ。」
頑迷寺はもう一人の子分におもいっきりビンタをかます。子分は回転ドアのようにクルクル回りながら転ぶ。
二人はボコボコにされ泣きながら逃げていく。
「すみませ〜ん隊長〜。」
「おう、もう二度と来んなよ。」
頑迷寺は水無月に手を貸す。
「大丈夫か?」
「うん、ありがとう。」
二人は近所の遠くに海の見える公園でベンチに座りながら、うまい棒を食べていた。太陽が海に沈みそうな夕焼けがとても綺麗だった。
「俺は独りぼっちでも自分より強い奴に立ち向かっていく奴が好きなんだ。」
「ボコボコにされちゃったけど。」
「それでもお前は諦めなかった。誰にも媚びずに独りぼっちで。偉い奴だよお前は。」
「そうかな・・・。へへへ。」
「別に俺の言うことを聞いて欲しいわけじゃないけど、なんか困ったことがあったらなんでも言ってな。子分じゃなく、対等な俺の友達になってくれないか?」
「いいよ。友達になろう。君のお母さんと僕のお母さんも昔友達だったらしいし。」
頑迷寺の顔から生気が消え、表情が暗くなる。その瞬間太陽も海に完全に沈み、街灯の灯りがポツポツとつく。
「じゃあ、また明日な!」
「うん、また明日。」
二人は別れる。水無月は、頑迷寺くんはどうしてあんな暗い顔をしたんだろうと思いながら帰路につく。頑迷寺は家に急ぐ。マンションから二人の男が出てくる。
「おお、坊ちゃん、お帰りなさい。」
「お帰り、坊ちゃん」
「こんばんは。加藤さん、斉藤さん。」
一人は坊主頭に顔に大きな切り傷があり、もう一人は角刈りの頭に自己主張の激しい大きなサングラスをかけていて、二人とも明らかにカタギではない風貌だった。
「坊ちゃん、今日も俺らはオジキのお世話になったからな。ほれ、お小遣い。お菓子かなんか買いな。」
ヤクザが一万円を渡してくる。
「いいですよこんなにたくさん。申し訳ないです。」
「いいんだよ。坊ちゃんは将来俺らより偉いヤクザの親分になるんだから。出世払いで返してくれればいいよ。へへ。」
「ありがとうございます。」
頑迷寺は渋々そのお金を受け取る。彼は将来ヤクザになんかなりたくはなかった。
「じゃあね、坊ちゃん!」
「お元気で!坊ちゃん!」
「ご機嫌よう。加藤さん、斉藤さん。」
頑迷寺がマンション扉の前に立つ。インターホンを鳴らし「ただいま、お父さん、お母さん、重蔵です。」と格式ばって言う。
そうすると扉が開く。
「坊ちゃん、お帰りなさい。お父さんは居間で酒を飲んでますよ。」
「ただいま、伊藤さん。」
伊藤というのは頑迷寺の父の子分で、身辺警護も務めている。手には黒光りする冷たい拳銃が握られていた。
頑迷寺が廊下を歩いていくと、奥の暗い部屋から母が啜り泣く声が聞こえる。いつものことだ。
「ただいま、お父さん」
「おう帰ったか重蔵。」
重蔵の父は居間のテレビでプロレスを見ながら、日本酒を飲んでいた。今日はリラックスしている。よかった。
「重蔵、友達と喧嘩したんだってな。お父さんは鼻が高いぞ。取るか取られるかがこの世の中なんだから、それだったら他人から最初に奪い取る奴になれ。」
「うん、分かりました。お父さん。」
「もう行っていいぞ。重蔵。」
「分かりました。お父さん。」
重蔵は自分の父に心底うんざりしていた。軽蔑さえしていた。しかしそれを自分の宝物のように心の奥底に沈めた。自分の母の為に。
重蔵は奥の暗い部屋に行く。
「お母さん、ただいま。」
母は啜り泣いていた。
「・・・お帰り重蔵・・・。ごめんね今からお夕飯作るから。」
「また父さんに殴られたの?」重蔵は小声で聞く。
「シーっ!お父さんに聞かれたらどうすんの。」
「どうせ聞こえやしないよ。アイツには本当は何にも見えてやしないんだ。」
重蔵は部屋にかかっている世界地図を仰ぎ見る。
「お母さんはアゼルバイジャンってところから来たんだよね。こんな遠くの国まで。僕は将来ヤクザなんかにならないよ。この家から出て、独り立ちして、お金をたくさん稼いだら、きっとお母さんを迎えに行くよ。そこで一緒に暮らそう。」
「重蔵・・・。」
「ところでお母さん、お母さんは水無月君ところのお母さんと友達だったの?」
「ええ、そうよ。彼女はジョージア出身で、私は隣国のアゼルバイジャン出身で、普通隣国同士って仲の悪いものなのだけれど、彼女は私に優しくしてくれてね。二人でいろいろ助け合って、将来の夢を語り合ったりしたものよ。彼女が病気になってしまってからは付き合いはなくなってしまったけれど。今どうしているのかしら。」
居間で皿が割れる音がする。
「おーい、かかあ、酒がねえぞ、酒が、買ってこいよ今すぐ!」
「はーい、ただいま。じゃあね重蔵。お夕飯はもうちょっと待ってね。」
「僕も書道のお稽古があるから行かなきゃ。夕飯は自分で作るよ。無理しないでね。」
重蔵は自分の部屋に行き、使い古された書道セットを出す。頑迷寺家はそこそこ裕福で
、部屋には買い与えられたプラモデルやノートパソコン、ゲーム機、野球グローブやボクシンググローブ、サッカーのボールなどがあった。だがその書道セットだけは会ったこともない兄のお古だった。重蔵がまだ物心つかないうちにその兄は家出し、行方不明になったのだった。
重蔵は書道が好きだった。お手本をもとにして綺麗な線を引くために何度も何度も練習する。そのうちに筆と自分が一体化したかのような感覚になっていく。自分の身の周りの全てを忘れられる瞬間だった。文字が大切なのではない、文字によって自分が変わっていくことが一番大事なのだ。兄もそんな感覚になったことがあるのだろうか?
その夜重蔵はスタンドライトの灯りをつけて小説を読んでいた。彼は読書も好きだった。読書も自分を自分の知らない世界に連れて行ってくれる。自分を知らない世界へ拉致してくれる。自分と本が一体化して、自分はそこには居なくなってしまう。
翌日から水無月ソラと頑迷寺重蔵はよく一緒につるんで遊ぶようになった。水無月ソラは運動音痴で何にも出来なかったので、頑迷寺が色々教えてくれるのだ。火を起こしたり、木にぶら下がったり、カッターで枝を切ったり、秘密基地を作ったり、喧嘩したり、一つ一つ色々なことが出来るようになるにつれ、水無月の世界は色づいて、拡がっていった。いつか水無月は頑迷寺に憧れを抱くようになっていった。そしてある日突然二人の別れが訪れた。
「伊藤さん!それってどういうこと?」
「いや、朝からオヤジと連絡が取れないんです!絶対に1時間ごとに連絡し合うって決めてるんですけどね。どうしたらいいんだろう。でも俺は奥さんと息子さんを護らなきゃいけないんで、どうにもできないんです・・・。」
その時だった。
「ドカーン!」居間で爆発音が響いた。居間に手榴弾が投げ込まれたのだ。
「どうしようどうしよう。」
「奥さん、落ち着いて息子さんと押し入れに隠れといてください!ここは俺が!」
伊藤さんは頼りない小さな拳銃を持って家のドアをぶち破って出て行った。
「ダダダダダ、パン、パン、ダダダダ、ダダダ。」しばらく銃撃戦が続いた。
重蔵は父親のクローゼットにショットガンがある事を知っていた。それを取り出す。操作方法も父親からみっちり叩き込まれていた。
「ダメよ重蔵あんたは人殺しになっちゃ!」
「しょうがないよ、お母さんを護る為なんだから・・。」
そうこうしているうちに家の前に誰かが来たのを重蔵は気配で感じていた。敵か?撃たれる前に撃たなければ、奪われる前に奪わなければ!殺らなきゃ殺られる!
「重蔵大丈夫?ソラだけれど・・・。」
「ソラ!?何しに来たんだ?早く逃げろ!」
「いや重蔵のお家から大きな音がしたから、それで・・・。」
後ろから銃を持ったヤクザが邪魔な水無月を銃で殴ろうとしていた。頑迷寺は覚悟を決めた。
そのヤクザは血飛沫を上げながら階段を転がり落ちていった。頑迷寺の肩には、ビリビリと骨まで伝わる固い振動が、人を殺したという明確な実感を伴って感じられた。水無月は呆然としていた。
「うわああああああ!」重蔵は水無月の後ろから傾れ込んでくるヤクザをまるでゲームセンターのモグラ叩きのように次々と撃ち抜いていった。まるで銃と自分が一体化してしまったかのようであった。それ以外のことは考えられなかった。自分は自分の知らない世界に拉致されてしまっていた。
少年院から出た後、頑迷寺重蔵はすでに高校生になっていた。そしてヤクザの若頭になった。組の中に反対する者はいなかった。重蔵はイヤイヤながらも、人を殺してしまった自分にはもう社会に居場所はないこと、組員の自分に対する期待に応えなければならないという責任感を感じていた。
ある日頑迷寺は故郷の団地の海の見える公園に来ていた。事件があってから、団地の住人は減り続け、高齢化も進んでいたので、病院で死にそうな老人のようなその団地は取り壊されることになったのだった。そこで高校生になった水無月ソラと再開したのだった。
「ソラ!」
「や、やあ久しぶり、重蔵。」
二人はしばし再会を喜び合った。
「今お前はどうしてるんだよ。」
「アメリカに留学しようと思っているよ。色々あって、奨学金をもらえることになったんだ。」
「立派だなあ。俺なんて時代遅れのヤクザの若頭だぜ。」
「重蔵はやっぱりヤクザを継ぐんだ。」
「ああ、俺が継がないと組員がもっと悪いことしちゃうかもしれないだろ?」
「ははは、重蔵らしいね。ありがとう、あの時僕の命を助けてくれて。」
「それはこっちのセリフだよ。ヤクザが襲撃仕掛けてくるってのに、俺を助けようとそこに飛び込んでいけるやつなんて滅多にいないよ。」
二人は微笑みあう。
「僕、夢があるんだ。正しい目的で、正しい人材で、正しいやり方で、正しい競争をすれば、世の中の全員が幸せになれる。そう思っているんだ。そうすれば誰もが奪い合うことのない、争いあって、お金持ちばっかりお金持ちになって、貧乏な人はもっと貧乏になる。そんな世の中を変えられると思っているんだ。だから僕はアメリカに行くんだ。世界の中心から世界を変えてやるんだ。そうしたらきっと重蔵みたいなヤクザでも生きやすい世の中が作れると思うんだ。」
「大きく出たなおい!」
「だからその為には自由から僕らを守る仕組みが必要だと思うんだ。テクノロジーが必要だと思うんだ。そんな世の中が作れたら、きっと重蔵を迎えに行くよ。だから君も頑張ってくれよ!」
「そうだな!自由なんか糞食らえだ!敵と戦わないと成立しない自由なんて無くなった方が良いんだ。」
二人は対等な友達としてガッチリと握手する。
「またいつかここに戻ってこよう。」
「ああ、またいつか。」
二人は別れる。またも太陽は海の中に沈んでいく。
それぞれ違うタイプの幼馴染の二人が出てきました。一応どちらも敵役なのですが、私は書いているうちに二人のことが愛おしくなってしまいました。そういうことってありますよね?