第18話 救いと新たな主人公
6000文字くらいです。ぜひ楽しんでいってください。
前澤はあの高層マンションの中に入れてもらい、七星ひかりの部屋の前に立っていた。カンボジアに行き、彼女の故郷に訪れたことで、彼は自分を疑い始めていた。これまで先進国は人々が支払うべき犠牲を外注してきた。人件費の安い国に工場を作り、その商品を高く買ってくれるところに売る。その利鞘で商売を回してきた。しかしそれは本当に正しいことだったのだろうか?誰かを犠牲にし、自分は何の犠牲も払わない高みで見物。利益だけを掠め取っていく。幼少期の七星さんはそんな先進国の被害者だし、俺自身はどうだろう。運よく漫画家にはなれたが、それなりに努力はしたが、俺は本当に正当な犠牲を払ったと言えるだろうか。アパートのみんなはどうだろう。彼らはパラレルユニバースの甘言に唆され、犠牲を払うことなく利益だけを得ようとした。そうして俺と彼らの関係性は破綻した。自分は誰の犠牲にもなりたくない。そんな思いは誰もが抱えているだろうけど、それは、本当は弱さなんじゃないか?他人を信じられない弱さなんじゃないのか?
七星さんの部屋のドアは開いていた。部屋からは人の気配はしない。まるで空間が静止してしまったようだ。俺はそっと部屋に入る。部屋の奥から彼女がすすり泣く声が聞こえてきた。まるでカナリアの囀りのようだった。
「来ないで!」
彼女は部屋の中で俺を静止させた。その声には何とも言えない迫力があった。
「あなた私の故郷に行ったんだってね。それで私のことを分かったつもり?同情してくれるの?それであなたに何の得があるの?偽善者!人間が平等だと思っている偽善者!それとも私と一緒に異世界に行ってくれる?ねえ、どうなのよ。」
「俺は正当な犠牲を払おうと思うよ。」
「何よ正当な犠牲って・・・。」
俺は彼女に歩み寄る。
「来ないで!」
俺は彼女を後ろから強く抱きしめる。
「ちょっとやめて!」
「やめない。俺は君を信じようと思う。俺を犠牲にすることによって。もう俺は犠牲から目を背けない。異世界にも行かない。俺は俺の責任で君を抱きしめる。」
彼女は抱きしめられながら、大粒の涙を流す。もうそこにはアイドルとして天真爛漫な彼女も、俺とアパートの皆を陥れようとした悪意に満ちた彼女の姿も無かった。ただただ寂しい一人の少女がだだっ広い何もない部屋にポツンと存在していた。
「俺は君を救いに来たんだよ。本当の君に会いに来たんだよ。君に伝えたいことがあるんだ。それは・・・・。君は誰かを信じてみてもいいんじゃないかっていうことなんだ。」
ここまで付き合ってくれた読者には申し訳ないが、言いたいことは尽くされてしまったので、ここで新たな物語を展開するために、新しい主人公に登場してもらおうと思う。だからといってこれまでの物語が無駄になるわけではない。蝶が蛹から成虫になるように、これまでの物語は新たな装いで未来へ展開していく。未来へ羽ばたいていく。
「はあ!?どういうことだよこれ?」
「かずく〜ん、ご飯できたわよ!」
中田和宏はロリコンだった。だからといって法律に触れるようなことをするまでの度胸は彼には無かった。Yesロリータnoタッチを実践していた。いわゆる2次元での妄想に耽るのだ。このインターネット大航海時代、妄想のネタには困らない。探せばいくらで合法なネタを手に入れることが出来た。別に誰に迷惑をかけているわけでもない。犯罪をしているわけでもない。親には多少の迷惑をかけているのかもしれないけれど。彼は30歳になったばかりの子供部屋おじさんのニートだった。
小太りで厚いメガネをかけ、髪の毛は寝癖でぐしゃぐしゃだった。唯一救いだったのは、10年前に死んだおばあちゃんから笑顔が可愛いと言われていたことだった。しかし彼は長いニート生活で優しい笑顔の作り方さえ分からなくなっていた。強張った顔と時折見せる他人を嘲笑するかのような攻撃的な笑みしか表情のレパートリーが無かった。
「何で検索できねーんだよ!おい!」
「どうしたの〜?かずくんご飯冷めちゃうわよ〜。」
「今行くよ!・・・・。さてはディープステートの仕業か?ポリコレに媚びやがって!クソが!」
彼のパソコンの検索欄には「エロ画像 ロリ 2次元」と書かれていた。検索には何も引っ掛からなかった。数日前には当然のように検索出来たのに。
「かずくん、就職しないの?あなたもう30よ。」
「何のスキルもない30の男を雇ってくれる会社があるわけないじゃないか。別にやりたいことがあるわけでもなし、家族を養わなきゃいけないわけでもない。何で俺が就職しなきゃいけないの?もっと恵まれている奴が頑張ればいいじゃないか。」
「あのね、言いにくいんだけど・・・・。」
「何だよ。」
「私ね。好きな人が出来たの。」
「え!?母さんに?」
「そうパート先で出会ってね。いい人なのよ。今度かずくんにも紹介するわね。だからいつまでもかずくんにこの家に居てもらうわけにはいかないのよ。」
「死んだ父さんに申し訳ないと思わないの?」
「それは・・・。思わないわけじゃないけど、私も新しく人生を生き直してみようと思ったの!家族や家事に縛られずに、好きなだけ趣味をして、好きなだけ好きな人と一緒に居て、・・・・。ごめんねかずくん。あなたを見捨てるわけじゃないけど、いいかげん自立して欲しいのよ。」
「そうなんだ・・・。分かったよ。」
中田は黙って椅子から立つ。
「かずくんまだおかずが残ってるわよ。」
「いいよ。食欲がないんだ。」
彼は自分の部屋に戻り、使い古したミイラのような黄ばんだベッドに横たわる。彼にはもう何の希望もなかった。特に生きなければならない理由もなかった。彼は眠りに落ちる。
「ええー、おぬし、それは「ときめきいちごパンツ」のかえでちゃんのステッカーではないか!」
4月の終わり頃、少しずつ暑い日が多くなり、木々の新しい緑が目立ち始める時期、中学生の中田は無駄なものがたくさん詰まった煮凝りのようなアニメ研究部の部室で、手帳を開いて、予定を書き込んでいた。
「ええーっと君は・・。」
「拙者、田中と申します!」
「僕は中田よろしく。」
「いやー「ときめきいちごパンツ」の事を分かってくれる同志がこの部にいて心強いですぞ!」
それから二人は色々なアニメについて語りあい、アニメを作り、アニメイベントへ行き、ある女性の声優見習いと出会った。彼女は高村といい、溌剌としていて目の覚めるような美人で、髪の毛をピンクに染め、好きなアニメのグッズで身の回りを埋め尽くしているような女の子だった。
「へえ〜二人でアニメを作ってるんですね。すごいすごい!」
「一年かけて5分くらいのものですけど。」
中田は照れくさかった。その頃の中田は痩せていて、顔は可愛く、筋肉質ではないがスラッとしていてスタイルが良く、クラスのスターとまではいかなくても、私だけには彼の魅力が分かるのよというような女性にモテたのだった。対して田中は背が小さく、失敗した粘土細工のような不細工で、おかっぱ頭で女性はしばしば彼をこの世にいないものとして扱った。
「すごいですね!是非私、そのアニメに声優として参加してみたいです!そのアニメを見せてくれませんか?」
「もちろん、いいですよ。」
彼女は田中には一瞥もくれなかった。だが田中は彼女の事が好きだった。そして中田のことを、彼女の視線を独占する中田のことを恨むようになった。
初夏の頃、3人は中田の家に集まり、アニメのアフレコを行っていた。
「中田さんって素敵ですよね。」
「ええ?僕が?」
「センスがあって、優しいし、顔も可愛いし。」
「そんなことないよ〜。ははは。」
「自分の魅力って、意外と自分では気づけないものですよ。」
彼女はにっこりして中田を見つめてくる。中田は恥ずかしそうにはにかむ。田中は下を向いて俯いている。
「ストーリー作ったのは俺なのに。」
「田中なんか言った?」
「ううん、何でもないでござるよ。アフレコも終わったし、拙者もう帰ろうと思います。お二人はごゆっくり!」
「田中、また明日!」
田中は部屋を出ていく。
翌日のことだった。学校の掲示板にある画像が載った。それは中田の顔写真と、中田のパソコンのファイルと検索履歴の写真だった。そこには中田のロリコン趣味が詰まっていた。その画像は学校の掲示板から、拡散され世間一般に知られることになった。皆中田のことを腐った食べ物のように扱った。
「ええ〜あいつロリコンだったのかよ。」
「中田くんって顔はカッコよかったけど、そんな趣味持ってたんだ〜。」
「中田さん家の息子さんってロリコンらしいわよ。」
中田は学校へ行けなくなってしまった。心臓病を患っていた父親とは喧嘩になり、母親は泣いた。そして高村さんや田中とは一切連絡が取れなくなってしまった。中田は引きこもりになり、太った。そして昼も夜もなく時間はいつの間にか過ぎていき、30歳になってしまった。
ガンガンガン、ガンガンガン!
中田は家の扉を強く叩く音で目を覚ました。外は夕方になっていた。今の中田にとってはどうでもいいことだが。
中田の母は扉を開けた。
「こんにちわ。警察です。家宅捜索の令状が出ています。お宅の息子さんに児童ポルノ禁止法の児童ポルノ所持疑惑がかけられています。」
「ええ、そんな・・・。」
「入りますよ。」
数人の警察官が強引に家に押し入ってくる。母親がガスを吸ったカナリヤのようにヒステリックに泣いている。中田は何が起こっているのか理解出来なかった。令状?児童ポルノ所持?そりゃ同人誌とかは持っているけど、創作物だろ??
「中田和宏だな!入るぞ!」
あれよあれよという間に、中田が全てを理解しないまま手続きは進んでいき、彼は狭い部屋で警察官と小さなテーブルを挟んで二人になりながら、項垂れて事情聴取を受けていた。
堅物そうで頭の形が新品の消しゴムのような初老の警察官に中田は睨みつけられていた。中田は何故自分がこんなことになったのか困惑したまま、項垂れていた。
「あんた児童ポルノを所持してるんだよな。あんたのパソコンからあられもない未成年が描いてある漫画、イラスト、動画が見つかった。どこで手に入れたのこんなの。」
「いや僕が持っていたのは2次元のものだけで、児童ポルノ禁止法には抵触していないと思うのですが・・・。」
警察官がめんどくさそうに角刈りの頭をガリガリ描く。
「いや正直言うとね、俺も面倒なのよこんなことであんたを呼び出すのは。」
「え?」
「この前ね、つい最近、児童ポルノ禁止法の児童ポルノ所持に創作物も含まれるようになったの。それで今大量にあんたみたいな奴が捕まっているわけ。はあ〜。めんどくさいよね俺もお前もね。」
「はあ。」
「とりあえず罰金30万円払ってもらうことになるから。まあ覚悟しといてね。」
「そうですか。」
「今世界中で児童ポルノに関する規制が厳しくなっているのは知っている?あんたみたいな特殊性壁持っている男には申し訳ないけど、多分もうあんたの居場所はないよ。世間的にもね。」
前澤は再び項垂れる。
「俺は正直あんたに同情するよ。自分の性嗜好が誰にも理解されず、さらには社会的にも抹殺される。正しさと自由ってのは両立できないもんなのかね。」
「はい。」中田は泣きそうだった。
「ところであんたこの男を知っているかい。」
警官は懐からタブレットを出し、youtubeでとある動画を再生する。
「水無月ソラ。日本出身の世界的な大富豪で、30歳にもかかわらず、時価総額3位のアメリカの大企業、サイバーステラ社のceoを務めてる。彼がtedで講演してるんだ。彼のここでの発言が今回の法改正に繋がったんだ。日本政府がグローバルな一企業に影響される。馬鹿馬鹿しいよな。」
中田は首をかがめてその動画に釘付けになる。
大勢の客が壇上の水無月ソラを暗闇の中で尊敬の眼差しでもって、ギラギラした目で、話し出すのはまだかまだかと待ちかねている。水無月ソラはペットボトルのミネラルウォーターを少し飲み、自信満々な視線を鋭いナイフのように聴衆に返す。彼は白髪の長髪で、目の覚めるようなイケメンで、白いトレーナーとジーンズというラフな格好をしている。
「皆さん!今日はお集まりいただきありがとう!私はサイバーステラ社、ceo水無月ソラです。今日は私の半生についてお話ししたいと思います!」
会場から大きな拍手が送られる。
「私は日本の静岡県の貧しい団地で生まれました。私はジョージア人と日本人のハーフなのですが、父親は家族から逃げ、片親で、母親は私のことをまるで自分のことのように大切に育ててくれました。ハーフだということでいじめられ、生意気だと上級生からリンチを受けたこともあります。私は母と慎ましい暮らしをしながらも父親を憎みました。母は口癖のように言いました。いいかい、人間は本能という悪魔のままに生きちゃいけないよ。なんでもいいから目的と計画を持ちなさい。自分を貶めてしまうものからは縁を切りなさい。自分の手が正しくないことをしてしまうのなら、その手を切り落としてしまいなさい。正しい自分で正しい世の中を作りなさい。欲望なんて人間には要らないのよ、と。
そして私は自分の計画に要らないものを一切切り捨て、ネガティブな気持ちやだらしない心は切り捨て、ただ正しい世の中を実現するために必死に勉強し、アメリカの大学に行き、サイバーステラ社に入りました。アメリカに渡って驚いたことは、日本よりも社会にあらゆる欲望が渦巻いているということです。ドラッグ、アルコール、銃犯罪、貧富の格差、児童ポルノ、売春。
そうか私はこんな社会を正すために召喚された神の僕なんだ。そう思いました。そしてまず実行したのはサイバーステラ社が運営する検索エンジン、ゴーグルから一切の児童ポルノを消し去ることでした。幸い他社の検索サービスもそれに続いてくれた。毎年決して少なくない少女が行方不明になっている。一部の悪党は少女から性サービスを受けるために東南アジアに渡航している。こんな負の連鎖は人類には必要ない。私には少女を守る義務がある。」
会場からは拍手が飛び交う。
「そして、私は正しい目的で、正しい人材で、正しいやり方で、正しい競争をすれば、世の中の全員が幸せになれると信じています。私たちはこれからも現状を否定し、世の中の当たり前を作り変えていく希望でもって突き進んでいきたいと思います。テクノロジーによって人々が生きるための希望を作っていこうと思っています。すでに我が社の経営するショッピングモールでは人形ロボットが稼働し、すべての商品と顧客はネットに繋がれ、データ化され、効率よく理想の社会を目指しています。」
会場からまた拍手が飛ぶ。
「私の故郷日本では創作物の児童ポルノがインターネットに散乱しています。まず私は日本から児童ポルノを駆逐することをここに誓いたいと思います。表現の自由から少女たちを守らなければならない。時代は権力からの自由を求める時代から、自由という権威からいかに人類を守るかという段階に移行しました。」
警官はタブレットの電源を切って、懐にしまう。
「ったくよ、面倒な仕事を増やしやがって。理想を目指すのはただじゃねえんだぞ。俺の給料増やしてくれよ。」
中田は死刑宣告を受けた受刑者のように項垂れて黙っていた。水無月ソラに一言も反論することが出来なかった。
このままだと話が続かないので新たな主人公に出てきてもらいました。でも有隣荘の前澤達も引き続き活躍します。ご期待ください。