第17話 希望
6800字くらいです。是非楽しんでいってください。
「ビーフオアチキン?」
「あ、ビーフで!えへへありがとう!」
前澤は飛行機に乗っていた。窓側の席で、富士山が遠く遠景に退いていくのを眺めていた。前澤はカンボジアに向かっていた。大家さんとそれから前澤の元担当編集者で、現在ホームレスの若宮さんと一緒に。
彼は機内食をバクバクと掻き込む。
「いやあ、やっぱりお腹が空いてるとご飯が美味しいですね!」
「ああ、僕の奢りだから遠慮せず食べてくれ。」
「ゴチになりまーす!」
数時間前、前澤が待ち合わせ場所の駅に着くと、そこに大家さんが立っていた。
「やあ、前澤くん。海外に行くのに荷物そんだけかい?」
「ああ、観光に行くわけじゃないんで。」
前澤は最低限の着替えだけ入った小さなリュック一つでやって来たのだった。大家さんは相変わらず黒いタートルネックと黒いジャケットで、白のチノパンである。横に大きなキャリーケースを持っている。
「カンボジアは暑いよ。」
「リュックにアロハシャツ入れてあるんで。」
「それはいいね。じゃあ行こうか。」
前澤と大家さんが駅で切符を買っていた時だった。駅の隅の方に造られた段ボールハウスからホームレスが何人かノソノソ出てきた。そのホームレスの一人に前澤は見覚えがあった。だが前澤は気づかれないように足速にその場を離れようとした。
「あ、前澤くん、お〜い!」
それはすっかりホームレス生活に慣れ切った若宮さんだった。ボロボロのパーカーにダメージジーンズのようなチノパンを履いていて、ボサボサの頭に前歯がいくらか抜け落ちている。かつての成金のような面影は全く無かった。
「前澤って若宮ちゃん、あのおじさん達と知り合いなのかい?」
「ああ、俺の昔の友達だ!お〜い!」
前澤はうんざりして適当に彼らをいなしてその場を去ろうとする。
「若宮さん、俺達はこれから海外旅行に行くんだよ。飛行機の時間があるから。ここでさようなら。」
「海外旅行に行くのかい!いいなあ、俺も連れてってくれよ!」
「あのねえ、そんなの急に言われても困るから。それじゃ!」
「冗談だよ冗談。ははは・・・。」
そこで大家さんが会話に割り込んでくる。
「君たち友達なのかい?」
「いや、友達じゃなくて・・・。」
「はいっまだ僕が出版社で働いていた頃からの友達です!」
「はあ・・・・。」
「実はね飛行機の席にまだ余裕があるみたいだから、一緒に行くかい?カンボジアに。旅行費用は僕が立て替えよう。」
「え!?大家さんそれは・・。」
「いいんですか!?」
若宮さんは目をキラキラさせて期待している。
「ただし連れていくのは一人だけだ。誰が行くかあんた達で決めてくれ。」
「若宮ちゃん、行って来なよ、この前お酒奢ってもらった借りがあるでな。」
「俺もこの前段ボール譲ってもらったからな、若宮ちゃん行ってらっしゃい。」
「この前若宮ちゃんが作ったホットケーキめっちゃ美味しかったで、行ってらっしゃい!」
「み・・・みんな・・・ありがとう・・。」
若宮さんは感涙していた。
三人はプノンペン空港に着く。ムワッとするサウナのような熱気が三人を襲う。前澤はアロハシャツと短パンに着替える。
「大家さんもアロハシャツじゃないですか。」
「ここはアジアだけどね。ちなみにアロハシャツの起源は日本の和服らしいよ。」
「あちい・・・。カンボジアってこんなに暑いのか・・・。」
若宮さんは夏服の着替えを持っていないので、飛行機から出てから、辛そうだった。
「僕が薄着の服を買ってあげよう。お金は後で返してくれればいいよ。」
「え!?ありがとうございます。どうしてそこまで僕に優しくしてくれるんですか?」
「君の存在が前澤くんにとっていい薬になるかと思って。」
薬?大家さんは何を言ってるんだろう。
そこからタクシーで貧民街まで行く。街は所々に不法投棄されたゴミなどが散らばっているが、総じて思ったよりも発展していた。高いビルが立ち並び、熱帯の太陽を浴びてキラキラと輝いている。夜になったら夜景がさぞかし綺麗だろうなと思った。
「前澤くん今、夜になったら夜景が綺麗だなって思ったろう。」
「!?なんで分かったんですか!」
「僕もここに来るたびそう思う。」
「はあ・・。」
「だがここではその夜景の綺麗さは一部の人間のものだ。その夜景の輝きひとつひとつにそれぞれの人生がある。命懸けの輝きなんだ。綺麗だなと思うのは簡単だけど、そこで止まっていてはいけないと僕は思う。」
「・・・・・。」
しばらく行くと、バラック小屋が立ち並ぶ貧民街に着く。貧そうな住民達がタクシーを珍しそうに眺めたり、ひそひそ何かを囁き合っている。
運転手が英語で何かいう。大家さんがそれに応える。海外でのコミュニケーションに慣れている様だった。タクシーが止まる。
三人がドアを開け、外に出ると、タクシーは天敵を警戒する小動物のように足速に貧民街の外へ走っていった。
「さあ、ここが七星ひかりが育った貧民街だ。」
「ここが・・・。」
その時だった。目の前に男の子が現れ、何事か叫ぶと、バラック小屋の家々から大勢の老若男女が出てきて、三人に押し寄せてきた。まるでサバンナで動物の群れに巻き込まれてしまったかの様だ。人々の体臭が、人間臭さがぐるっと三人を取り囲む。
好奇の目を向けられ、片言の英語で捲し立てられたり、何かゴミの様なものを押し売りしてくる者もいる。荷物はホテルに預けてきたのだが、見ぐるみ剥がされそうな勢いだ。若宮さんが英語で何かしら、貧民街の人間と話している。そういえば若宮さんも英語が喋れるのだった。前澤は片言の英語で大声で叫ぶ。
「ナナホシヒカリ!ドウヨウノウ、ナナホシヒカリ!」
前澤の声は人々の勢いにかき消されてしまう。
「ねえ、大家さん、英語か現地の言葉で七星ひかりについて聞いてくれませんか。」
大家さんはニコニコ笑って、現地語で人々と何か喋っている。当てにならない。その時だった。
「アイノウナナホシヒカリ!アーユーハーフレンド?」
前澤が声の方へ振り向く。
その瞬間人波が割れて、そこにぽつんと一人の中年のおじさんが残される。汚れた白いポロシャツを着た、温厚な感じの人である。
「フォローミー!」
三人はおじさんについて行く。他の人々は黙って彼らを見つめている。おじさんはこの貧民街では大物なのだろうか。
大家さんがおじさんと前澤の間の通訳をしてくれる。
「俺は七星ひかりの昔の知り合いだよ。可哀想な女の子でな。お母さんは死んじゃうし、この貧民街の中でも特別貧乏な家族だった。10年前くらいかな。彼女は急にここから消えてしまったんだ。その後は知らない。お母さんも美人だったけど、七星ひかりも可愛らしい女の子だった。あんた達が知っているということは、彼女日本に行ったのかい?」
「そうですよ。七星ひかりは今日本でアイドルをやっています。」
「そうか、彼女二言目には日本に行きたいって言ってたな。日本に強い憧れを持っている様だった。それは良かった。良かった。」
おじさんは泣いて喜んでいた。前澤はなんて声をかけたらいいのか分からなかった。今の七星ひかりを知っているから。
若宮さんは貧民街の子供達と仲良くじゃれている。
「悪いけれど、俺はそんなに七星ひかりの事は知らない。だから彼女をよく知るやつを紹介する事しか出来ない。それでいいな?」
「はい、ありがとうございます!」
「あ、居た!おーい、神父さーん!」
そこには黒い法衣を着たカトリックの神父さんが居た。優しそうな顔をした白人の中年の神父さんだった。彼は貧民街を挨拶しながら回っている様だった。その神父さんがこっちを向く。
「ん?あんた達中国人か?ここは売春窟じゃないぞ。」
「いや、日本人の観光客だ。七星ひかりの知り合いらしい。ほら昔いたじゃないか、変わった日本風の名前の女の子。」おじさんが応える。
神父さんはしばらく黙ってから、30秒くらい考え込む。
「ああ、あの子のことか!今思い出した!」
神父さんは空を見上げ、首にかけた小さな十字架にキスをする。「神よ感謝します。」
おじさんは神父さんと三人に挨拶して、その場を去る。
「あ、ありがとうございます!」前澤はおじさんに対して叫ぶ。
「いいってことよ。」
四人は貧民街にある空き地でベンチに座る。広場で男の子達がサッカーをしている。雲ひとつない青空が四人を照らす。若宮さんが男の子の集団に絡まれている。
「さっきは済まなかったね。それで、どうして私に会いにきたんだい?」
「七星ひかりがここでどうやって過ごしていたか、聞きたいんです。」
「どうしてそんな事を?本人に聞けばいいじゃないか。」
「まあ、そうなんですけどね。七星さんの事がもっと良く知りたくなったんです。」
「変な人達だなあ。ふーん、でもまずは逆に僕からも聞きたい。日本での彼女の事について。」
前澤は日本での七星ひかりの活躍について知っている限りの事を話す。パラレルユニバースの事、アパートの皆の事、彼女の邪悪さ、そして本人から聞いた、七星ひかりの事について。
神父さんはしばらく黙っていた。うだる様な暑さの中、太陽は誰に対しても正直に輝いていた。神父さんが口を開く。
「七星ひかりはいつも教会のマリア様の像の前で祈っていた。いつかマリア様が自分を助けてくれるんだって良く言っていたね。僕も彼女に対して諦めなければいつかチャンスがやってくると言ったが、その事が本当に良かったのか今でも分からない。チャンスや幸福を掴むと人は隣人の痛みに鈍感になってしまう。」
「・・・・。」
「重要なのはどんな所に居ても、何に目を向けるのかという事だ。どんな苦痛と闇の中にだって輝きはある。もし七星ひかりがずっとここに居たらそれに気づけたのかな。」
若宮さんが広場で男の子達とサッカーをして遊んでいる。若宮さんは自然に貧民街の人達に馴染んでいた。
前澤は顔を両手で覆い、項垂れていた。もうどうすればいいか分からなかった。ここに来たのだって、大家さんに促されるままだ。僕が貧民街に住めばいいのか?そうして僕が第2の七星ひかりになればいいのか?
その時、前澤の所に小さな女の子が自分の食べかけの肉の串焼きの様なものを持ってきた。黒焦げで何の肉かは分からない。
「項垂れているけど大丈夫?お腹空いてるの?何か食べたら回復するよ。」
前澤はその串焼きを受け取る。
「ありがとう・・・。」
「元気出して!神父さんもじゃあね!」
「あなたに神のご加護があらんことを。」
汗だくの若宮さんがベンチに戻ってくる。
「いやあエネルギッシュだなあ、ここの子供達は。俺も久々に思いっきり汗をかいたよ。」
「すぐに子供達に混じって馴染んでいたね。」
「みんなにポケットにあった日本のキャラメルを配ったら、喜んでてさ!こんな甘いもの食べた事ないって。ここにもいろんな奴がいるよ。日本の漫画が好きな子や、いつかお金持ちになって貧民街をなくしたい子、高齢の家族に楽になってほしい子。」
「どう感じましたか?」神父さんが若宮さんに聞く
「俺、ここに残りたいな・・。いつか日本から握り飯でも持ってきて、みんなに食べさせてやりたい。」
「ふふ、若宮さんはしばらくここに居たらいい。前澤くんと僕は行くところがあるから、終わったらホテルに迎えに行くよ。」
前澤と大家さんは貧民街を離れ、プノンペンの中心街からツアーのバンに乗り、北部の山岳地帯に向かう。バンの中は観光に来た外国人でごった返している。色々な言葉が狭い車内で飛び交っている。
「ねえ、大家さん、これから俺達はどこに向かうんですか?観光に来た訳ではないんでしょう?」
「今から七星ひかりのお母さんの生まれ故郷へ行くんだ。」
「え?」
「彼女は少数民族の部族から、売人に騙されて人身売買で売られ、売春婦として、貧民街に住み着いたんだ。」
「・・・・。」
ツアーは自然の観光名所や遺跡を辿った後、少数民族の部族の村についた。
ジャングルの中はひんやりしていて暗いのだが、その村はある程度開けた所にあり、木々の間から暖かい日光が降り注ぐ。木陰は涼しくて、ここならどんな国の人間でも暮らせそうだった。
部族の人々が観光客の前にやってくる。身体を縦にまっすぐ包んだ、単純な赤を基調とした民族衣装を着ており、観光客の前で民族舞踊をし始める。後ろにいる部族の子供達は楽しそうに走り回っているが、大人達は何だか不機嫌そうだ。
民族舞踊が終わると、部族の人々との交流タイムになる。大家さんがアロハシャツの胸ポケットから一枚の写真を出した。
大家さんが現地語で何か言いながら、その写真を掲げると、部族の大人達がざわつく。そしてその中から一番年長であろうかと思われるお婆さんが前に出る。
そのお婆さんが写真を受け取り、泣きながらその写真を抱き締める。前澤にはなんて言っているか分からなかったが、確かにおかえりと聞こえた様な気がした。
「もし七星ひかりや彼女のお母さんがずっとここで暮らしていたら、貧民街で苦しむ必要もなかったし、わざわざ日本に出向いて、アイドルで一番になる必要もなかったんだろうなあ。」
「悲しいかな、人類は文明を作り出した事で、文明を存続させる為に、格差の中で自分を犠牲にしなければ生き残れない社会を作ってしまったんだね。僕はいつかきっと一人一人に優しい社会が、未来にまた来ると思っているよ。」
「きっと来ますよ・・・。一人一人が優しくなれば、来ると思います。」
前澤は日本に帰ってから真面目に仕事をこなした。
田中さんに自分の名前を明かさないで、定期的にお金を送った。彼女は相変わらずパチンコ狂いなのだそうだが、最近元夫とも和解し、子供達とも仲良くやっているらしい。
カゲローさんに新しいギターを送った。最初は送り返されてくるかとヒヤヒヤしたが、そんな事はなかった。また彼はそのギターでyoutubeなどのSNSで自分の作った曲の弾き語りを更新し続けていた。前澤は彼のSNSアカウントをフォローした。
借金取りから故郷の遠野に逃げていた山田さんを見つけ、彼の借金を肩代わりしてあげた。そして復活したオカルト骨董品店で商品を定期的に買った。今度直接会いに行く予定だ。
病院からアパートに戻った宇宙人くんにも会いにいった。共有スペースで彼と話す。窓から日が差し、冬の小鳥が囀っている。
「おじさんの名前は前澤さんでしたっけ?」
「そうだよ。昔の君は自分の事を宇宙人くんと呼んでいて、皆にもそう呼んでくれるように言っていた。自分の名前が嫌いだったんだって。」
「ははは、昔の僕面白いですね。確かに僕、輪島って名前はあんまり好きじゃないかも。」
「改めて、僕と友達になってくれないか?」
「いいですよ。前澤さん、友達になりましょう。」
前澤は涙ぐむ。それは一方的な涙だけれど。
二人は握手する。
「また会いに来るよ、これから君のことを宇宙人くんと呼んでもいいかい?」
「はい、いいですよ!また山田さんと一緒に遠野に行きましょう!・・・・・・あれ山田さんって誰だっけ?」
宇宙人くんは自然に涙を流していた。前澤は驚く。
「思い出したのかい!?」
「いや、まだよく分かんないです・・。」
二人で泣きながら笑い合った。もしかしたらそのうち新生宇宙人くんだってアパートでの事を色々思い出してくれるのかもしれない。前澤はそんな未来が来ることを祈った。
前澤は貴島さんのお見舞いに病院に行った。足を負傷し車椅子に乗る貴島さんが病室の前で出迎えてくれる。
「よっ前澤先生!」
「まだ安静にしてなきゃダメなんじゃないの?」
「お昼ご飯買いに行ってたんですよ。私ファミリーマートの焼そばパンが好きなんで、そこは譲れないです。」
「ははは、そっか・・・。」
「どうですか、有隣荘の皆さんの様子は?」
「みんなそれぞれ元気そうだよ。俺は今回の事があって改めて思ったのだけれど、俺もアパートの皆もこれまでお互いに依存し依存され過ぎていた。俺は俺のことに集中していれば良かったんだ。俺が自分の責任で自分から優しくなれば良かったんだって気づいたよ。」
「ふふふ、そうですか。・・・七星ひかりの事はどうするんですか?」
「俺が救いに行かなければならない。彼女が助けを求めているのを感じるんだ。」
「前澤先生は優しいんですね。」
貴島さんは負傷した太ももに自分の手を置く。
前澤は病院から出て、七星ひかりのもとへ向かう。冬の真っ青な空のキャンバスにどんな絵を書けばいいのだろうか。彼は出来れば優しい絵を描こうと思った。
この世の中には報われない奴もいれば、報われる奴もいる。選ばれる奴もいれば、選ばれない奴もいる。不条理で残酷な世界だ。でも、もしいくら自分が世界から愛されなくても、自分から世界を愛せばいいんだ。だから俺は死ぬまで誰かに与え続ける人になろうと思う。それが俺自身へのせめてもの慰めだからだ。俺はこの世界を愛している。
俺に全世界を救うことはできなくても、できるだけお節介な人になろう。
今では分かる。希望とは与えられるものではなく、作るものだと。
希望って何でしょうね。希望を抱く事は自分の人生から逃げる事と言った詩人もいましたが・・・。僕は希望は自分で作っていくものだと思います。時間がある限り、そこには必ず可能性もあるのだから。だから僕は人を見る時には必ずその人の可能性も見ることにしています。そうやってお互いに元気づけあって希望を作っていけたらなあと常に心がけています。