2.積み重ねた日記帳(3)
「坊っちゃま」
「ん?」
ドアの外から高野の声が響いて、俺と周一郎はそちらを見た。
「いらっしゃいましたが」
「入ってもらってくれ」
「誰だ?」
「厚木警部です」
「なにい?」
ぎょっとして周一郎を見たが、ふ、と微かに笑った周一郎は立ち上がって、入ってきた厚木警部を親しげに迎えた。
「お久しぶりです、警部」
「ああ、そうですね、朝倉さん」
警部の足元をすり抜けるようにルトが入ってきて、警部と一緒に腰をおろした周一郎の膝に飛び乗り、にゃおん、と鳴いた。
「一体どうされたんですか」
「いや、例のラブホテル殺人事件を洗ってたら、高多がここに入っていくだろ? つい興味が湧いてね……あ、煙草を吸ってもいいかな」
「どうぞ」
例によって例のごとく、そこら中のポケットを叩いた厚木警部は、ようやく内ポケットからハイライトを取り出し火を点けた。旨そうに一服してから、俺と周一郎を当分に見比べる。
「しかし、君はとことん、厄介事を集めて回るのが好きらしいな」
やっぱりこれは俺に向かっての感想だよな?
「好きで集めてるんじゃない」
俺はむくれた。
「勝手に集まってくるんです。俺はなんの変哲もない『一般大衆』なのに!」
「それで、他のどんなことに高多さんは引っかかっているんです?」
「へ?」
ぽつりと周一郎が確認して瞬く。
「待てよ。じゃ、高多が他にも何か」
「参ったね…お見通しか」
警部は照れて頭を掻いて見せた。不吉な予感を漂わせていて、可愛くもなんともなかったが。
「出なければ、あれぐらいであなたが尾行してくるわけはないでしょう」
もちろん周一郎には通じず、冷淡に切り返される。
「『見てた』のかね、君は」
警部が呆れて、はっとした。そうか、さっきルトが姿を消したのは、それを確かめに行ったのか。
「まさか」
周一郎は曖昧な笑みに紛らせた。
「ただの推理ですよ。高多さんがるりさんの婚約者なら、一応調べて見るものでしょうしね」
「まあ…あれも、もう一つ、わからん事件だよ」
警部は難しい顔になった。
あれも? も、ってなんだ。あれ、だけじゃないのか。
俺はいよいよ落ち着かなくなる。
「あの沢城という娘が犯人なのはわかっているが、どうも動機がわからん。古いと言われるかもしれないが、それがはっきりせんと寝覚めが悪くてな。襲われて抵抗し殺したのではない、はっきり初めから殺意があった、と本人が言い張っているし……まあもう少し調べてみるがね」
「…それで……高多は『何』をやったんです?」
我慢の限界が来て、俺は恐る恐る問いかけた。厚木警部ほどではなくとも、それを知らねければ俺も寝覚めが悪い。いやいや、この上高多が何かの『犯人』であってみろ、俺は厄介事吸引器改め、厄介事収集器と名乗らなくてはならない。歩くたびにぞろぞろ周囲のありとあらゆる犯罪や揉め事の犯人や被害者や関係者を引っ張り出して歩く人間………それはもう災厄と呼ばないか?
冗談じゃないぞっ。
「いや、高多がやったんじゃない」
さくっと厚木警部が否定してくれて、ほっとしたのも束の間、
「実はこの辺りの学生に違法薬剤を売り捌いている売人を洗ってたら」
「え」
「2人立て続けに殺されてね」
嫌な予感が広がるが気のせいか。
「組織が消しにかかったのか、あるいは縄張り争いに巻き込まれたのかと思って調べてるんだよ。殺されたのは」
「あ、あの」
そういう情報は貰わなくてもいい気がする、いや個人情報保護とか警察の守秘義務とかの観点から当然喋っちゃならないもの的な気がするけど、あんたはなぜ。
「厚木警部、そこは別に」
うろたえる俺に構うことなく、いや、むしろなぜか嬉しげに、
「松岡美砂20歳、それに河本浩樹22歳」
「げ」
言い切られて思考が止まる。
「しかし、河本さんは沢城さんに殺されたのでは?」
周一郎が淡々と確認すると、
「それが沢城『本人が』河本を殺したかったのか、それとも誰か、第三者が彼女にそう仕向けさせたのかが、もう一つ、な」
なあるほど。
そりゃあ、婚約者が居て、企業の社長令嬢で、人生順風満帆な女性が、好きでもない男とラブホテルに入って殺したかったから殺しましたという事件より、惚れ込んだ恋人に命じられて断りきれずに狙った男を連れ込んで仕方がなく殺しました事件の方がスッキリするわ。なるほどねーそういうことかーって、いや待て俺。
「で、でもっ、でも俺は今回」
たまたま出くわしただけで。
反論しようとした気力が一気に萎える。
今までたまたま出くわしてなかった事件などあったのか…?
「それで、高多さんを」
頷く周一郎に頷き返し、
「そういうことになる、すまんね、滝君」
厚木警部は哀れみを込めた目で俺を見た。