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2.積み重ねた日記帳(1)

「……」

 ふと、膝の上のルトを撫でていた周一郎が手を止めた。ちらりと玄関の方へ目を遣る。

「ん?」

「いらっしゃったようですね」

 言いながら、外していたサングラスを掛ける。もう陽が落ち掛ける頃だし、そう大した眩さではないのだが。そのまま周一郎はルトを抱き、ソファから立ち上がった。

「何だ? いろよ」

「でも…」

 周一郎はためらうように語尾を消した。

「その高多さんは、滝さんに協力してくれ、ということだったんでしょう? 僕は部外者だし…」

「それがさ」

 電話の高多の声を思い出した。

「周一郎が居るかも知れないって言ったら、それでもいいって」

「え?」

「あ、だってさ」

 慌てて付け加えた。

「俺一人で謎解きなんか出来っこないだろ? で、つい、お前のことを思い出してさ………高多の方もお前のことを知ってたみたいだぜ?」

「そう、ですか」

 なぜか周一郎は、薄く皮肉っぽい笑みを口元に漂わせた。

「僕のことをね」

「?」

 その笑みの意味を聞こうとした時、ドアがノックされた。

「いいよ」

「滝様」

 ドアを開いた高野が畏まって告げた。

「高多様がお見えになりました。如何致しましょう。お部屋へお通ししましょうか?」

「そうだな…それでもいいけど…」

 俺は部屋の中を見回した。周一郎の座っていたソファは比較的片付いているものの、その他は引っ越し直後の下宿よろしく、物が雑然と散らばっていて、とてもじゃないが落ち着いて『探偵もどき』をやれる雰囲気じゃない。

「応接間の方、空いてんのかな」

「はい」

「そっちを使ってもいいか? ここはちょっと…」

「はい」

 高野が必要以上に大きく頷いたような気がしたのは、気のせいだろうか。そりゃ、確かに俺の部屋を見るよりは、応接間を見た方が朝倉家のイメージが壊されずに済むとは思うが。

「では、応接間にお通しします。お飲物は…」

「ん、コーヒーでいい。じゃ、周一郎…」

「はい」

 背後から付いてくる周一郎の腕からは、いつの間にかルトの姿が消えていた。高野がドアを開けた時にでも出て行ったのだろうか。

「え? …はい」

「頼む」

「かしこまりました」

 高野とすれ違う際に、周一郎が高野の耳元に何かを囁き、高野が少し驚いたように目を見張って頷いた。

「…何だ?」

 周一郎に尋ねると、額に落ちた髪を掻き上げながらくすりと笑った。

「ちょっとね」

「何だよ」

「後でいいでしょう。高多さんを待たせているんでしょう?」

「ああ」

 ったく、つくづく何を考えてるかわからん奴だ。

 それ以上追及するのは諦めて、俺は溜め息混じりに応接間へ向かった。


 カチャ。

「っ!」

 ドアを開けると、ソファに居心地悪そうに座っていた高多が、ぎくりとしたようにこちらを見た。

 目の前のコーヒーには手もついていない。洒落たジャケットにスラックス、俺に比べりゃうんと『訪問』にふさわしい姿だったが、朝倉家の落ち着いた調度や名画を配した部屋では、いささか浮いて見えた。本人もそれを感じていたのだろう、もぞもぞとソファの中央で身動きする。

「よう」

 その高多に2年ほど前の自分の姿を重ねて、思わず綻んだ顔のまま、俺は声を掛けた。

 あの頃はまさか、俺が迎える側になろうとは思いもしなかったし、一張羅とは言えボロボロのセーターとジーパン姿、明日の飯さえ手に入ればいいとだけ思っていた。

「ああ…」

 高多はほっとしたような顔で立ち上がったが、側に居た周一郎の姿に少し息を呑んだ。どうことばを続ければいいのかわからないような困惑した表情で、ようよう一言、

「どうも…」

 ぼそぼそ呟く。凝視していた周一郎が淡々と口を開いた。

「よろしく。高多鏡一さんですね? 僕が朝倉周一郎です」

「あ」

 高多は自分が名乗っていなかったことに気づき、わずかに頬を赤らめてうろたえたように返答した。

「す、すみません。俺ちょっと、ぼんやりしてて…」

「どうしたんだ?」

 俺は高多の狼狽えた訳がわからず、きょとんとした。座れよと促し、同じく腰を下ろした周一郎と高多を見比べる。

「失礼いたします」

 最小限の気配しか感じさせずに高野が入って来て、俺と周一郎の前に湯気の立つカップを置いた。卒なく高多のコーヒーも淹れ直してきている。香ばしい匂いが改めて部屋に漂う。

 香りを楽しむように滑らかな動作でカップを持ち上げた周一郎がポツリと言った。

「もう少し歳上だと思っていた、そうじゃありませんか?」

「ぶっ」

 必死に落ち着こうとするようにコーヒーを飲みかけていた高多が吹いた。そのまま噎せて咳き込み、目を白黒させる。

「歳上? 誰が?」

「僕が。高多さんは、『僕』を、というよりむしろ『朝倉周一郎』をご存知ですね? だから、滝さんを引っ張り出した……違いますか?」

 俺の問いに周一郎は微笑を浮かべて高多を見つめた。

「え?」

 寝耳にミミズ、水どころじゃない、そりゃあもう予想外の話で、俺は慌てて高多を振り向く。

「何だ? 周一郎を知ってた?」

「……ふう」

 高多はハンカチで口元を拭い、ちろりと上目遣いに俺と周一郎を見遣って、観念したように背後へもたれた。

「ま、ね」

「どこでだよ」

「一度さ、朝倉さんがあんたを送ってきたことがあったろ、黒のロールスロイスでさ」

 高多はこれ以上気取っても仕方がないと腹を決めたようだった。

「もっとも、あの時は凄い車で来た、ぐらいにしか思ってなかったけど。それから2年ぐらい前の殺人事件のことやなんかが耳に入ってきて、それに、佐野由宇子も噛んでたって噂も聞いたし……滝さん、あんたは知らないかも知れないけど、結構知られてるんだぜ、あんた」

 整った顔立ちに光る黒目がちの眼が、用心深く俺と周一郎を探った。

「どう…知られてるんだ?」

「ドジで阿呆なお人好しが」

 あ、あのな……。

「朝倉周一郎って財閥の御曹司と、佐野由宇子って頭脳ブレーンバックに」

 ふん、どーせ俺は、後ろ盾がないと何も出来んよ。

 いじけながら、高多の話を聞いていた俺は、続いたことばにソファから滑り落ちた。

「『探偵』やってるって」

 ずどどっ!

「滝さん」

「あらら」

 落ちた俺を2人が覗き込む。

「な…何……?」

 打ち付けた腰を摩りながら体を起こし、高多を見た。

「『たんてい』?」

「ああ」

「どうして俺がそんな物騒なものしなくちゃならんっ!」

「知るかよ」

「ただでさえ『厄介事吸引器』なんて呼ばれてるんだぞ! これ以上面倒に巻き込まれてたまるか!」

「らしいな」

「だから今回も、これ幸いと滝さんに協力を求めに来た、という訳ですか?」

「違う」

 周一郎の突っ込みに、高多は目を鋭くした。

「俺は本当に始めっから、るりと河本を見た奴に手を貸してもらおうと思っていたんだ。本当にそれがるりだったのか、それを確かめたかった。どんな様子だったのか、直に聞きたかったんだ。だって、るりは……るりは、そんな事のできる女じゃないんだ!」

 吐くような台詞が、やけに切なげに響いた気がした。


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