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1.雨の日の物語(2)

 3日後。

「あつっ…つっ…」

 ノックが響く。

「開いてるよ……うあっち!」

 答えてドアを振り向き、拍子に傷口に貼ったカットバンを思い切り引っ剥がして声を上げた。

「く…ああっ」

「何しているんです? 滝さん」

 ドアの所に立った周一郎が、きょとんとした顔でソファで引きつっている俺を見る。

「いや……その……な…は…ははっ…」

 仕方なしに笑いながら、ピラピラとカットバンを振って見せた。

「ちょっと貼る場所を間違えちまって……その……もろに…傷にテープの所を、な…は、ははっ…」

「相変わらず…ドジですね」

 周一郎は溜め息混じりに呟いて、手にした盆を机の上に置いた。

 ふうん、珍しい。仕事の手が空いたらしい。

 俺は新しいカットバンを今度こそ上手く貼ろうとしながら、声をかけた。

「一緒に飲んでけよ。手、空いたんだろ?」

「……」

「なあ、周一郎、お前もたまには…」

 答えがないのに、カットバンから目を上げて相手を見やり、思わずにやにやした。盆の上には既に紅茶のカップが2つ準備されている。とすると、周一郎は始めからここで飲むつもりで、わざわざ準備して来たらしい。

「へえ」

「…何ですか」

 カップを机の上に移しながら、周一郎は少し怒ったような声で問いかけた。俯いているせいで表情はよくわからないが、どうやらいつもの照れらしい。

「ふっふっふっ…」

「滝さん?」

「いや~~素直でかあいいよ、うん」

 ガチャンっ!

 飲みかけていたカップを叩きつけんばかりに置き、周一郎はこれ見よがしに持って来ていた書類を読み始めた。半分ほどは隠せていても、頬の赤みはおいそれと消えそうにない。日頃からかわれているお返しとばかりに、もう一言二言付け加えてやろうとした俺を遮って、電話のベルが鳴った。

「はい?」

 音も立てずに立ち上がった周一郎が受ける。いつの間に書類を机の端に置いたのだろうと悩みながら、とにかくカットバン貼りに命を懸ける。

「よ…い…しょ…っ…と………」

「滝さん」

「わたたっ」

 ベチャ。

 非常に嫌な感触。次に来る破局を予想しながら、強張った顔を上げる。

「ったく、なんだよー」

「あなたにです。高多さんという人から」

「高多?」

 首を捻って立ち上がる。右肘のまたもや貼り損ねたカットバンを気にしながら、受話器を受け取る。

「あ、もしもし、滝ですが」

『滝さん? 昼間はどうも』

 どこかで聞いた声だ。

「昼間? ………あーっ、てえと、あの時の!」

『はい。急いでたもんで…』

 受話器の向こうの声に覚えがあるはずだった。

 昼間のんびり学内を歩いていた俺は、突然前から走って来た男に突き当たられて、嫌というほど転がった。ちょうど学園祭の準備でペンキ塗りをあてがわれていて、両腕まくりの勇ましい格好だったのが災いし、見事に右肘を擦りむいた。「すまん」と叫んで走り去ったのは21、2の男、よほど慌てていたらしく、振り返ることもなく学長室の方へ向かって駆け抜けて行った。

「そんな、別に気にしてくれなくてもよかったのに……」

 って言うか、よくわかったな。

『いや、そういう訳じゃないんだけど…』

「そういう訳じゃない?」

『実は…』

「へ…?」

 続いた話に、ずきぃんと右肘の傷が疼く気がした。


「それで? 何だったんです?」

「ん…それがさ……あちっ…」

「大袈裟ですね」

「んなこと言っても痛いものは痛い……ので……あって……うあっち! やめっ、こらっ! やめろっ、周一郎!」

 俺は喚いて、片腕を周一郎から取り返した。カットバンを剥がそうという気力をなくした俺に代わって剥がしてくれているのはいいのだが、にしても容赦がないのだ。

「そんなことを言ってたら、いつまでも剥がせませんよ」

「構わんっ。俺はカットバンを同化してやるっ」

 は、と息を吐いて、周一郎は話を戻した。

「高多さん……でしたっけ」

「そ。高多鏡一。経済学部の4年だよ」

「4年…」

「繰り返すなよ」

 俺はいじけた。ふん、どーせ、俺はお情けで4年だよ、就職戦線からも取り残されてるよ。

「で、婚約者がいて、これが沢城るり、18歳。来年高校卒業して、高多と結婚する予定だった。ところが、そのるりが事もあろうに、3日前、別の男とラブホテルへ行って、挙げ句の果てに相手の男を殺しちまった」

「その話なら知っている」

 周一郎は興味深そうに頷いた。

「殺されたのは河本浩樹、22歳。無防備なところを刃物で一突き、でしたね? 状況証拠もあり、本人の証言も揃ってる、ただ、その動機だけがわからない」

「そこなんだよな」

 冷めた紅茶をがぶりと飲んだ。

「警察でも動機を言わない、だけど殺意は認めている。無理に連れ込まれたのじゃない、自分から付いて行ったと言っている。そしてそれは俺も見た…」

 脳裏に、あの雨の日のことが浮かんでいる。確かにるりは、自分からホテルへ入って行ったのだ。

「だが、高多さんは納得できない?」

「ああ」

 俺は腕を組んだ。

「何かあるはずだ、それを探るんだと言ってるんだ。それで、俺に協力してくれって…」

「どうして滝さんに?」

「あの日、俺は2人がホテルに入るところを見てたんだ。何か、そっからわかるんじゃないかって」

「ふうん」

 周一郎は考え込んだ目になったが、ふと気づいたように、

「にしても、よく滝さんがその場に居たってわかりましたね?」

「同じぐらいの時に、覗き趣味の奴があそこに居たんだとさ」

 うんざりして唸った。

「で、俺も同じ趣味かと思ってまじまじ見てたんだと。おまけにそいつ、同じコース取ってる奴なんだ」

「……それにしても、滝さんが僕のところに居るって」

「俺は有名人らしいぜ」

 どういうところでかは知らないが。

 心の中で呟いた俺は、ひょいと周一郎が席を立ち、こちらに身を屈めるのにはっとした。が、すでに時遅し。

 びっ。

「ぐわああああああ…」

「高野が驚くから…」

 周一郎は俺の肘から剥ぎ取ったカットバンを、ごみ箱に捨てながら肩を竦めた。

「静かにして下さいね、滝さん」


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