7.時には愛が(3)
「…俺は河本の言う通りにするしかなかった」
高多は噛み切るような激しさで言い切り、がぶりとコーヒーを飲んだ。味も何もわかっていないのだろう。口の中に残った苦さに、初めてそれがコーヒーだったと気づいたように、カップの中身を覗き込んだ。
「俺は美砂を殺しちゃいない……けれど、それを誰が信じる? …るりでさえ、俺が、和枝も美砂も殺したんだと思ったんだろう。だから、俺を守ろうとして…」
だから、笑ったのだろうか。
俺はそう思った。
子どもの頃から一途に想い続けていた高多を、自分が犠牲になりさえすれば守れるのだ、そう考えて、るりはあの時笑ったのだろうか。
「お前、もう少し落ち着けば良かったんだよ」
俺はお由宇のことばを思い出して言った。え、と高多が顔を上げる。
「和枝の時は、同時に居たんだから仕方なかったかも知れない。でもさ…」
「でもね」
お由宇は空になったカップの底に溜まったコーヒーを、どこか物憂げに眺めながら続けたのだ。
「高多がもう少し落ち着いてたら、わかったはずなのよ。睡眠薬自殺なんて、その場では出来ないって」
「どういう事だ?」
「確かに美砂が死んだのは11月20日、高多が美砂を訪ねて行った日よ。けれどね、世の中には時間の単位がまだまだあるの。つまり、美砂の死んだのは、その日の『朝』、高多が訪ねたと思われるのが『昼過ぎ』、少なくとも午後。だってね、高多はその日の朝は大学の講義に出ていたって言う立派なアリバイがあったのよ。対する河本は、その朝、美砂の部屋へ入るのを浮浪者に見られている……これは後の調査で分かったんだけどね」
さらりとセミロングの髪を揺らせて、
「警察でもね、美砂に関しては高多を犯人から外していたのよ。けれども、高多が何か知っているのは確かな事だし、それで『重要参考人』として、マークはしていたの」
ウィンクするお由宇に、厚木警部の顔が重なっていた。
「……朝…」
高多は呆然とした。
「は…ははっ……そうか……そうだったのか…」
自嘲的な笑いの発作に取り憑かれて笑い続ける。
「そうとも知らずに……はははっ……俺は…」
それが痛々しくて見ていられなくなって、尋ねる。
「それで、河本の方は?
「あれは知らなかった…」
ようやく笑いを止めて、低く吐いた。
「るりが俺のことを知ってたとも思わなかった。だから、俺はどうしてるりがあんな事をしたのかがわからなくて……それがずっとしこっていて…」
再び沈黙が辺りに満ちた。
残ったコーヒーを高多はゆっくりと、だが虚ろな表情で飲み下し、ことんと音を立ててカップを受け皿に戻した。
「…自首、するよ」
「え?」
「いや、自首ってのはおかしいな」
淡々とことばを吐く。
「話してくる、洗いざらい……まあ、信じてもらえるかどうかは知らないけど。和枝の事もあるし、な」
窓の外に目を向け、独り言のように、
「このまま、るりを放っとくわけにはいかないものなあ…」
雪は次第に激しくなってきている。広大な朝倉家の庭を白く染めていく雪が。
「寒そうだな。積もるかも知れない」
のろのろと高多は立ち上がった。同じように立ち上がろうとする俺を押しとどめて、
「送ってくれなくっていいよ。2度と会えない気になる」
「…」
「じゃ…」
「ああ」
高多はジャケットの前をかき合せるような仕草をし、ドアを開けた。それから、振り返ることもなくドアを閉め……俺は遠ざかる足音だけを聞いていた。
ふと、あいつとは2度と会わないかも知れない、そんな想いに駆られて、俺は窓の外を見た。別れを告げたわけでもない。遠くへ行くわけでもない。だが、高多は俺を見るたび、今度の事を思い出してやりきれなくなるに違いない。誰が悪いと言い切れない苦さを噛み締めるに違いない。
だが、それでも俺はもう一度あいつに会えるといい、と思った。たとえ、掘り起こす思い出が辛いものばかりでも、何かは確実に繋がり続けるだろうから。
トントン。
「うにゃい」
シリアスシーンに似合わぬ返事をして、ドアが開くのを見つめた。少し首を傾げ気味にして、周一郎が入ってくる。
「終わったんですか?」
「まあな……和枝が殺されたのかどーかはわからんが」
リリリリ…。
「はい」
俺が手を伸ばす前に周一郎が受話器を取り上げていた。くるりと向き直り、受話器を差し出す。
「石原さんと言う女性からです」
「石原? 知らんな……べ!!」
ソファから立ち上がり、数歩歩いた俺は積んであった本に躓き、びたんと床に叩きつけられた。
ったく! 人が決めてるんだぞ、人が! 少しくらい手加減してくれよーって気にならんのか、俺の守護霊は!
「そんな所でよくこけられますね」
「うるせい。はい、滝ですが…」
周一郎は微かに笑みを浮かべて、定位置に腰を降ろした。丸くなると言う表現が一番近い、くつろぎ切った様子でソファに埋まり込む。
『もしもし、私です。覚えておいでですか?』
「えーと…石原……?」
『由美です』
「あー、由美さん! いや、その名字をちょっと、ど忘れして…」
『構いません。それより、謎解き済んだって本当ですか?』
「え? どうしてそれを…」
『奈子がお由宇さんがそんな事を言ってたって騒いでたから…』
「ええ。まあ」
ぽりぽりと頬を掻く。何せ探偵役とは名ばかり、謎解きは他の人間にやらせたのだから、あまり自慢出来る話じゃない。だいたい俺に探偵役をしろってのが無理難題なのだ。
『そうですか。じゃ、もう話してもいいかな。やっぱり、高多君、かわいそうな気もするし』
「かわいそう?」
続いた内容を、俺はポカンと口を開けて聞いていた。




