6.パズルな夜(2)
リッ……リリリリ…。
「!」
鳴り出した電話にぎくりとして我に返る。受話器を取り上げたお由宇が、二言三言話して、俺を振り向いた。瞳が打って変わって、どこか優しい、どこか苦笑じみた色をたたえている。
「周一郎からよ」
「あ、まずい」
俺は慌てて立ち上がった。そうだ、すっかりあいつに連絡するのを忘れていた。
「ここにまで連絡してくるなんて、大した進歩ね」
「へ?」
「わからなきゃいいわ。早く出てあげなさい。かなり取り乱しているみたいだから」
「あ、うん」
取り乱す? 周一郎が? そんなでかい事件なのか?
首を傾げつつ、受話器を受け取る。
「周一郎?」
『……』
「周一郎??」
『………』
受話器を耳から外し、まじまじ見つめる。うん、上下は間違っていない。つまり、俺の声は向こうに届いているはずだ。で、答えがないってのは…。
「通じてるわよ」
眉を寄せて振り返ると、くすりとお由宇は笑った。
「…だよな?」
もう一度受話器に話しかける。
「おい、周一郎?」
『…どこにいるんです?』
俺の呼びかけを全く無視した声が返ってきた。ぶっきらぼうな、愛想もくそもない声だ。
「どこにいるって」
何言ってるんだ、こいつ。
「お由宇の所……そんなこと、お前」
知ってるから電話をかけてきたんだろうに?
眉を寄せたまま、今度は反対方向に首を傾げる。
『大体のことは佐野さんに聞きました。襲われたそうですね』
またもや、周一郎は俺の返答と無関係に話を進めた。
「あ…ああ」
『怪我は?』
「いや、別に。ドブ川に落ちて、助かった」
『ドジですね』
「…」
十分わかってる。その上に追い討ちをかけなくてもいいじゃないか。第一、周一郎の奴、何をふてて…。
あ。
ふと、第一声が蘇った。
『どこにいるんです?』
ひょっとしてそれは、『場所』じゃなくて『理由』の問いかけだったのか? 『どうして』お由宇の所にいるのかっていう?
「周一…」
『だから気に入らないと言ったんです』
訊き返そうとするのを敏感に察したように、声が響いた。
『佐野さんや警察の方はまず大丈夫だけど、あなたは素人です。標的になるのは当然でしょう?』
「…ってことは、今日俺が狙われたのは麻薬の方…?」
『下部組織が動き出してるという情報がありました。それに……あなたときたら、何も知らないって言う顔をしながら、プロの情報屋並みに核心をついてきている。組織のことも嗅ぎ付けかねないと心配した人間がいたんです』
「俺は何も知らんぞ?」
『…相手がそれで納得してくれるとは思いません。…もっとも、そちらの方は「済んだ」けど』
「済んだ?」
溜息混じりの返答の最後の呟きを聞き返す。
『ええ、済みました。それより、美砂の口座に、一日置きの入金があったのを知っていますか?』
「え…いや」
『期間は和枝の死後から、自分が死ぬまで』
「高多と付き合ってた頃じゃないか!」
『そして、入金していたのは、高多の口座からです』
「高多の…」
まただ。高多は、河本と美砂の2人から脅されていたのだろうか。そして、美砂、続いて河本を……。
『それから、厚木警部が新しい事実を掴んだようですよ』
「新しい事実?」
『美砂の死んだ日、彼女のアパートに出入りしていた男を、そのあたりを寝ぐらにしていた浮浪者が見ていたんです。身なり格好からして、どうも河本らしいと』
「河本?!」
『美砂の掴んだ金ヅルを、もっと有効利用したくなったんじゃありませんか?』
周一郎は皮肉っぽく続けた。
『これで繋がりましたね』
どうやら、周一郎の頭の中では事件の全貌がほぼ掴めているらしい。
「待てよ。そりゃ、お前の頭の中じゃ繋がったろうが、俺の頭はまだマーボードーフのままだぞ」
『今夜は』
「え?」
また話が飛んだ。
『今夜はどこに泊まるんです?』
「いや、もう遅いしさ、お由宇の所にでも…」
何気なく答えて、周一郎の口調に気づく。少し戸惑っているような、優しい問い方。
『そうですか』
だが、周一郎は特に失望した様子も見せずに、淡々と応じた。
「なんなら、帰ろうか?」
『別に』
間髪入れずに答えてくる。気のせいか、さっきのふてた口調に似ている。
『もう遅いですし、佐野さんの所に居て下さい。夜道を帰ってきてドブ板を踏み抜いて電柱にぶつかって石に躓いて痴漢に間違えられたら、さすがのあなたも困るでしょう』
「あのなあ……いくら俺でも、そんなに一度に…」
『やらないって言う保証はないでしょう』
「ま、あ……そりゃ」
ふん、どーせ、俺はドジだよ。阿呆だよ。疫病神だよ。悪かったな、ドブ板踏み抜いたこともありゃ、電柱にぶつかったこともあるし、石にも躓くし、痴漢にも間違えられるしな。
『謎解きは佐野さんにでもしてもらって下さい。それじゃ』
「ああ」
『おやすみなさい』
最後の台詞が一瞬寂しそうだったのは、やっぱり俺のお節介な背後霊が、背中からつついているせいだろうか。
「どうしたの?」
じっとやり取りを眺めていたらしいお由宇に、
「帰ってくるなと言われた」
憮然として訴える。
「謎解きはお由宇にしてもらえってさ」
「あら」
お由宇は少し大きく目を見開いた。
「襲った相手のことについては、何か言ってた?」
「麻薬組織の下っ端だろうってさ」
「それだけ?」
「いや、何かよくわからんが、そっちの方は『済んだ』って」
「ふうん」
お由宇はコーヒーを口に含み、味わうように目を伏せ、飲み込んだ。
「じゃ、潰す気なのね。向こうもとんだ災難だわね」
「潰す? 災難?」
「そっ。でも」
くすくすと楽しそうに笑う。
「帰るな、なんて、らしいじゃないの。それだけ、あなたが心配ってことね」
「心配?」
えーい! 俺は国語辞典じゃないっ!
「独り言よ。それより」
お由宇は薄く微笑みながら、半眼にしたひどく色っぽい目で俺を見た。
「謎解き、聞きたい?」




