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6.パズルな夜(1)

「あら…」

 お由宇は玄関で俺を迎え、しばらく感心したように、腰に手を当て、俺を見ていた。

「わ…わるいけど……え…っくしょいっ!!」

「…」

「ちょっと、ふ…服を…ひえっくしょん!!」

「…」

「かえ…かえさせっくしょ! てくれると……くしゃっ! あ…ありがたいんだが……あっくしょん!!」

「短い付き合いじゃないけど…」

 ようやく、お由宇は口を開いた。

「これだけ派手な格好も珍しいわね…」

「はくっ…くしゅっ! くしゃん!!」

 反論しようにもくしゃみの連発で、日本語が思い出せなかった。もっとも、英語なら思い出せるという訳でもなかったが。

「ま…いいわ」

 お由宇はドブ泥でベトベトになった俺の側を通り抜け、嫌な顔一つしないで戸を閉めた。その上、カシャン、と鍵までかけた。

「な、何だ?」

「脱いで」

 くるりと振り向いて、あっさり命じる。

「ここで?!」

「そのまま入る気?」

「あ…そ、そりゃ…へっくしょん!」

「ぐずぐずしないで早く」

「あ、うん」

 俺はたっぷりドブ水を吸い込んだセーターをもそもそと脱ぎにかかった。押され絞られ、びっしょり濡れたセーターがバシャバシャ音を立ててドブ水を吐き出し、異臭が立ち込める。

「一度、大掃除ね」

 奥からタオルマットと雑巾、バスタオルを持ってきたお由宇は溜息混じりに呟いて俺を促した。

「そこに置いて。それから、下も脱いで」

「こ、ここで? ……えっくしょいっ!!」

 えらく情けない顔をしていたに違いない。お由宇はくすっと笑ったが、断固とした口調で続けた。

「そうね。ついでだから、『全部』」

「全部ぅ?!」

 俺は悲鳴に近い声を上げた。当たり前だ、誰がこんな所でストリップなんぞやりたいもんか。

「そっ」

 お由宇は平然とうろたえることもなく頷いた。

「下着も脱いでって」

「せ、せめて、パンツは残してくれ」

 俺は借金取りに赤札を貼られる貧乏人のように懇願した。

「だめ」

 お由宇はさくっと拒否する。

「まとめて洗濯するから。お風呂の場所、知ってるでしょ。脱いだらバスタオル持って入ってちょうだい。お湯は張ってあるから」

「はい…」

 これ以上抵抗しても無駄だ。

 お由宇がキッチンの方に姿を消すと同時に、大慌てでシャツとジーパンを脱ぎ捨て、ついでにパンツも放り捨て、バスタオルを巻きつけるのももどかしく、風呂場に飛び込む。

「ふうう…」

 シャワー全開、熱湯を頭から被る。立て続けにくしゃみが出たが、しばらく湯に打たれていると次第に収まってきた。手足の先がじんわりと痺れたような感じになり、感覚がはっきり戻ってくる。そりゃそうだ、ドブ川から這い上がって30分近く寒風に吹きさらされて歩いてきている。凍えない方がおかしい。

「む…」

 シャワーを手に受け、顔を擦り頭を洗った。

(一体あいつらは何者なんだ?)

 俺がどうして今頃狙われなきゃならない?

「…の?」

「え?!」

 風呂場の外で洗濯機を回し始めたらしいお由宇が何か言って、大声で聞き直しながらシャワーの湯を止めた。

「何か言ったか?!」

「どうしたの、って言ったのよ」

 曇りガラスの浴室の扉を隔てて、お由宇の声がくぐもって聞こえた。

「俺にもよくわからん」

 正直に話した。鼻のあたりに流れ落ちてきた水滴を手の甲で拭い取る。

「車で追われて、走って逃げたのはいいが、ドブ川に飛び込んでじまったんだ」

 ドジねえとか何とかお由宇は呟いたようだったが、洗濯機の音にかき消されてよく聞こえなかった。

「心当たりはないの?」

「あったらドブ川で大人しく寒中水泳するか」

「『反撃』してたってわけ?」

 くすくすお由宇は笑いながら尋ねた。

「反撃が…がっ……あっくしょん!!」

 反撃ができたら、俺はとっくに探偵をやっている、と言いかけ、くしゃみでことばを切った。

「いいわ、後で話しましょ」

 俺のくしゃみに、お由宇は苦笑した。

「服は乾燥機かけとくから。何か食べる?」

「ああ」

 まるで夫婦みたいだなとほんわりニヤニヤした俺は、次のセリフにタイルに滑って転けた。

「領収書まとめとくわね」


「あてっ…」

「じっとして」

「っても、痛いものは痛い」

「ばかねえ」

 ソファに座って俺の頬にカットバンを貼り付けながら、お由宇は、喧嘩をして見事に負けて帰ってきた子どもに向かって母親がするような眼をした。

「あんなところで転ぶなんて」

「……」

 お前のせいだぞ。

 言いかけて口を噤む。

 洗濯したばかりの服からは、ふんわりと甘い匂いが漂っていた。ドブ泥の臭いを消すために、多めに洗剤を使って2度洗いしたのだそうだ。

「それで、どうなったの?」

「それがさ」

 俺はボソボソと今までのことを話した。

 高多とるりの仲はあまり良くなかったこと(単に高多の照れだったとも言えるが)、河本に高多が脅されていたらしいこと、それをるりが知っていたのか知らなかったのかはわからないが、るりは河本をひどく憎んでいてはっきり殺意を認めていること、河本に高多は何度か接触していて、そのすぐ後にるりは河本に応じていること……などなど。

 そして、引っ掛かり続けている『飛べない人間』と言うことば。

「飛べない人間…」

 お由宇は口まで持っていったコーヒーカップを浮かせたまま、訝しげに俺を見た。

「うん」

 ごくりと一口飲み込み、熱過ぎたのに少々噎せてから続ける。

「何かそれが引っ掛かってな。普通、『死んだら』飛べる、って言うだろ。『死ぬ時は』じゃなくて」

 だから、俺はついつい場違いな人間を思いついてしまったのだ、夕焼けの空の下、軽々と舞うシルエット、空を『飛んだ』野間和枝。

「和枝のことを、るりが知ってるわけはないのにな」

 知っていても、大した意味は持たないだろう。

「和枝については?」

「え?」

「何か聞いてる?」

 こくりと小さく喉を鳴らしたお由宇に俺は身構えた。こいつがこういう言い方、おとなしやかな猫のような気配を見せる時は、大抵後にドカン、て奴が待っている。

「何かって……まあ、少しは」

「どんなこと?」

「え…と」

 苦手な教官に取っ捕まって、何か今すぐ冗談を言えと言われた気分で、ちらっと相手を横目で見た。にこやかな気配でじっと待っている相手に、諦めて恐る恐る口を動かす。

「和枝と美砂が友達だったこと、だろ」

「ふうん」

 お由宇は格別興味を持ったようには見えない。満場の客に受けなかった三流漫才師よろしく、俺はもじもじと体を動かした。

「和枝が高多を好きだったことだろ」

「…」

 あ、これはお由宇も知ってたか。

 慌ててことばを重ねる。

「学園祭の実行委員やってて、あ、それで『あの日』残ってたらしいんだ。で、由美って子が、あ、この子も奈子や典代の友達で、和枝とか美砂とか高多のことを知ってたらしくて、実行委員で、あの日学校に居て、和枝の第一発見者で……」

 言いかけて思いつく。

「由美に聞けば良かったな、もっと」

「ふうん?」

 お由宇が少し興味を浮かべた。

「それに、高多も美砂も実行委員でさ、美砂が大人しい和枝を引っ張り込んだ…」

「ちょっとストップ」

 お由宇はキラリと目を光らせた。

「じゃ、和枝の死んだ日、高多も、美砂も由美も学校に居たわけね?」

「…知ってると思ってたよ。学校に居たどころか、和枝の事故死した直後に、その校舎から高多と美砂が出てきて、何か様子がおかしかったって…」

 言いかけて、俺は思わずことばを途切らせた。

 お由宇が薄い、どこか凄んだような笑みになる。

「あのね、志郎」

「はい」

「高多と美砂が付き合っていたらしい期間、わかる?」

「そう長くはなかった」

 俺はお由宇の言わんとすることがわかったのと、高多が『それ』をしたと言うことを認めたくなくて、もそもそ呟いた。

「そう。和枝が死んでから、美砂が死ぬまで。その後、高多の付き合う相手が河本に変わる。美砂は河本と知り合いで、以前は恋人同士、別にその後だって、自分の身に危険が迫るだろうぐらいは美砂も考えていたかも知れないし、それを河本に話していてもおかしくない仲だった

 突然頭の中で出来てしまった図式、それも嫌になるほど、簡単な図式を持て余して黙りこくっていた。


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